ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

アブラハム

2011年11月30日 | 聖書

 今日、旧約聖書の中の登場人物を学びました。

 まず、信仰の父と呼ばれている「アブラハム」を学びました。この学びのためにその聖書箇所を読んでおく宿題が出ていましたが、旧約聖書の創世記は比較的読みやすく、登場する人物、地名がわかってくると、この学びは楽しくなりそうです。

 さてアブラハムがなぜ信仰の父と呼ばれたかは、知っておられる方も多いと思いますが、

アブラハムとサラはなかなか子どもに恵まれませんでした。ところが神様はアブラハムに、星の数、砂の数ほどの一つの国民をアブラハムから起こすと約束されたのです。100歳になった時、とうとう神様が約束の子どもを与えてくださったのです。ところがその子を、神様は全焼のいけにえとして捧げなさいと言われたのです。アブラハムは言われたままに、息子のイサクを全焼のいけにえと捧げる(実際には寸前で神は代わりの動物を用意されましたが)まで、主に聞き従いました。そこまで神様はアブラハムの信仰を試されたのでした。


 ずいぶん過酷なような試しでしたが、自分の思いでなく、神を第一とし聞き従ったアブラハムに神様は、「確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多くまし加えよう」と語られたことばを成就されたのです。アブラハムを通し、神様は真実な方であることがわかりました。
 まっ、このように聖書を通して、ケパさんは楽しそうに私たちに学ばせてくれました。それは、今まで知っていたことが断片的なことになっていたのに、角度を変え一本の糸のようにつながって、アブラハムの事柄を学ぶことが出来たのです。これは本当に目からうろこ、楽しい学びになりました。神様に感謝。 (ドルカス)

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死んで、生きる

2011年11月30日 | 信仰

 人間というものには、ひどいブラックボックスというか、落とし穴があると思う。

 たとえば、すごく望んでいたのに、それが叶った途端に、取り返しのつかないような挫折を味わうことがある。一例を挙げると「自分の好きなようにして、好きなように生きる」ことである。

 

 かつて家庭とか職務とかに縛られて、自分は窮屈な思いをした長い時期がある。その時は「あ~、これらから解放されて自由になりたい。自分のしたいことを思いっきりできたら!」としきりに思ったものだ。ところがいざその個人的な束縛とか責任とかが終わってしまった時、たちまちの内に私は、言いようのないむなしさに打ちのめされたものである。060506そう、伴侶と家族のつながりを失ったり・・・・。

(写真上→ 癒しを求めアナコンディア聖会へ 中と下・・ 韓国オサンリ祈祷院で、祈りの穴とその部屋。どんなに祈ったか・・・・)


 「いったい自分は何のために生きてるんだ?」とか、まさに「あがく」としか言いようのない焦り、体たらくに陥る。まさに糸が切れた凧(たこ)のようなものだった。そして分かってはいても「前向き」とか「建設的な」方向に物事を考えられなくなった。パンドラの箱ではないが、「希望」を失うという体験は、そのようなものだった。1日1日、心が生きながら腐っていく感じがした。もう、うさを晴らさずにはいられないし、「どうでもよいような」感じがした。Photo

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ところが時がたち、再び家族を持つ神の恵みにあずかり、命が自分一人の命でなくなると、この束縛とか不自由さが、実は思いっきり大切なものだということが分かった。自分の命が自分以外のことに必要とされてはじめて、人は生きる意味を感じるようだ。これは人というものの根源を深く教えてくれる。みなさんの中に、家族で傷つき,つらいとか思っている方や、あるいは職場や周囲の人間関係の圧迫に苦しんでおられている方が多いとしても、それはれらの中に「自分を生かそう」「苦境として隘路を開こう」としておられるからであって、もし大切な自分を本当に捨て、周囲の人に自分を雑巾のようにプレゼントする気持ちになれたら、どんなにか楽になり、解放されるだろうかと思う。結果、生きれるのに、と。もしかして自殺はPhoto_3、この道が見えなかった方の、誤った道なのかも知れない。

 

 そんなことは普通はできる話ではない。しかしここで一つ、キリスト教信仰というものに目を向けていただけたら、と願う。

 私は少年の時から不思議だがキリスト教に興味を持ち、求め続け、学生運動に挫折して二十歳の時に洗礼を受けている。それからウン十年、まあ、ベテランクリスチャンの部類だった。当然神を信じていたつもりだったが、前述した一見不幸な環境になって分かったことは、わたしは誰よりも自分を愛し、神さまより自分のことの方が大切な人間だったことだ。つまりクリスチャンではなく、「自分チャン」だったのである。クリスチャンはアクセサリーで、自分教で教祖はこの私。神であるキリストを、よくもぬけぬけと「主」と呼んでいたものだ。


 前述のように、自分が生きながら死んで行くのを、自分ではどうすることもできないでいたある時、そんな腐乱し異臭を放っている自分に、しがみついている夢を見た。十字架は恐ろしい刑罰だが、もう一つ当時、死体に死刑囚を縛りつけ、生きながら腐らせる刑罰があった。それが自分だったのだ。それをありありとイメージしたので、ショックで体が震えた。

 それから三日間わたしは毛布をかぶり続け、心から涙と呻きをもって悔い改めた。そして気づいたら日曜日の朝で、もう教会には二度と行けないと思った時、とつぜん神が語りかけてくださった体験をした。

「あなたが私を求めないからです。わたしはあなたを、あなたが生まれる前から愛している神です。」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Cje15

 私の人生はこの瞬間から再びいのちが生まれた。どうやってこの愛そのもののお方 に応 えていこうかと、狂おしいほど思うようになった。自分の力で自分を捨てることはできないが、自分よりも大切な存在を持てることで、結果としては同じ事になるようだ。そしてこの愛は、たとえ私の命を奪われたとしても、失うことはない。永遠の希望を持った私は、本当に生まれかわった。クリスチャンにさせていただいた。

 ぜひあなたにも、このキリストというお方にふれていただきたいと心から私は願う。「神は愛なり」は真実です。  (ケパ)

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寒さ対策!

2011年11月28日 | 生活

月曜日を安息日としたケパさん、の家庭での仕事です。2
我が家の寒さ対策・・・古いマンションの住まいは入り口は冷たい金属製のドアです。狭い家の中でCallのために居間はいつも開けてあるのですが・・・どうも最近カレ
の要求に応じてドアの開閉が増えました。さらに玄関ドアからの冷気を感じるのです。そこでネコドアを作る計画もあったのですが、それよりローカの寒さを改善して欲しくて・・・

と言うわけで、玄関ドアに細工を考えたのです。いま、素人でも、ホームセンターで簡単にプロ使用の材料が手に入ります。ケパさんが、「高密度発3砲スチロール」とやらの壁材を見つけました。さらにその上を覆う「スーパーメイクアップシート」も見つけ、幅広の両面テープを購入しました。

そして、今夜はその実行日。写真で説明しましょう。すでに上半分はドアの「スーパーメイクアップシート」も貼って上部を仕上げました。ドアの3センチの厚さは、「高密度発砲スチロール」で埋められています。

まず寸法に合わせて切ります。さらにドアに付いているポスト、などのでこぼこ用にくり抜きます。これがなかなか難題でした。ドアに当てては少し削りもう一度当てると、」繰り返したのち、ぴったりにはまりました。しかし4この材質は気泡が大変細かく、切りくずで泣くことなく出来たので、大変感謝しました。

また、二人の手が同時に必要なため撮せませんでしたが「スーパーメイクアップシート」で、全体を包み込むのです。さすが2枚目にはなれましたが、粘着面に気泡が出来て苦労しました。ちょうど、ケータイ電話や iPhoneなどに、フイルムを貼る要領ですそうして仕上げてしっかりとはめ込んだ写真。

ね!保温効果、たぶん防音効果もありそうです。まるで新しいドアが付いたようにきれいに仕上がりました。温度差の違いは計りかねますが、私達は気持ち良くこの冬を迎えます。

今日は夕方に下水道の流れが悪くなってしまって大変困り、しょげて感謝したのですが、夜はこの仕上げたドアの前で、喜びの声を上げながらぴょんぴよん踊りながら感謝しました。神様は目前の感謝の祈りも知っておられました。ハレルヤ(ドルカス)

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音楽プレーヤーの進歩

2011年11月27日 | PC モノ 便利

Ipod_2  私たちの群れでは、11月から新しい歌集「やすらぎの歌11集」と77全曲入りのCDが発売された。そして今、それを楽しく歌いながらも熱心に覚えている。耳より聴いて覚えるのが苦手な私としては、歌おうとする曲は先ず、楽譜を弾きながら音を耳に入れて、次になんども歌って覚える。
 しかし全曲手間をかけていられないし、たとえ弾いて覚えてもやはり原曲を聴いて、歌い方の微妙な違いを確認する必要がある。だから最後はやっぱり、iPod(アイポッド)のような音楽プレーヤーが必要になる。

 しかしこの音楽プレーヤーの進歩たるや、非常に変化が激しい。一昔前CDプレーヤーから解放されて持ち出せる音楽、ウォークマンが出た時真っ先に飛びついたものだ。そのカセットがいつの間にかMDになり、MDが短期間の内にシリコンになった。その途端にハード(プレーヤー)とOSとダウンロード販売の三位一体を実現させたApple(アップル)が、Sonyを追い落とすなんてだれが想像できただろうか?
 かく言う私も写真のiPod(写真右側)を発売日に手にした時、これはSonyが落城するだろうと予感したことを思い出す。少し前早世したアップルの天才経営者ジョッブスは、このSonyを打ち破ったiPodから成功の階段を登って行ったのだ。

 今や音楽プレーヤーはiPodを中心にしながら、聴き方もいろいろになった。私はiPhoneも持っているので、それとBluetooth(ブルーツース)でコードから解放された聴き方や、これ以上無いと思えるほど小型化されたiPod nano(写真左側)と小さなヘッドホンで聴くことも多い。また電車ではノイズキャンセラ-イヤフォンで、家庭では大きなヘッドフォンで聴くのがお薦めである。  (ケパ)

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明日の準備

2011年11月26日 | 教会のこと

明日の礼拝に必要な週報の制作。Photo

いつも準備を早めに仕上げたいと思って、祈るのだけれど・・・

今日もぎ りぎりになったできあがった。

27日付けの週報ができあがり、ほっとする。

さあ朝には聖餐式用のパンを焼いて、礼拝の持ち物の準備完了だわ。

明日の礼拝に集まられる、お一人お一人が喜びで満ちあふれますように。

主よあなたに祈ります。(ドルカス)

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2011年11月25日 | 生活

 昨日久しぶりにドルカスの信州に帰った。長野道に入った横川のSA(サービスエリア)ではもう、木々の葉は散ってしまって、残っているのはわずか数枚の葉だけ(写真)だった。冬がもう近い。Photo

 ところで最近の季節は変で、以前のように落ち着いた春や秋がなつかしい。急に寒くなったかと思うと急に暑くなって、猫の目天気である。昔から三寒四温とは言うものの、近ごろのは極端に過ぎないか。雨も温帯の雨でなく、激しいゲリラ的な「ザザッー」とスコール風にやって来て、ピタッと上がる。だからタイミングによってはひどく濡れることになる。う~ん、感謝だなあ。


 ところが昨日の信州行きは上天気だった。東京の空と違って、白い雲と青い空が清潔そうでうつくしい。この気持ちよいドライブは、実はドルカスの本家にあたるりんご園で、Photo_2その収穫作業を手伝うためだ。11月の終わりとなると、リンゴは一年の最後期の収穫物にあたるようだ。


 本家でとれるリンゴは特別おいしい。蜜入りリンゴなのだ。はじめて蜜入りリンゴを食べた時、これはきっと一つ一つ、注射器かあるいは蜜プールかに沈めて、リンゴに蜜を注入させたのだろうと思った。今では大笑いの種である。産地でも特別な土地にしかできないこの蜜入りリンゴが収穫できるのだ。写真のように真剣に作業せざるを得ない。そして作業後は、リンゴの大盤振る舞い、非常に安い分け前にあずかる恵みが毎年ある。


 閑話休題・・・・・聖書でサタンがイブを誘惑し、イブがアダムに食べさせた「木の実」(創世Photo_4記3:2~3)は、なぜか「リンゴ」ということになっているらしい。しかしこれは、リンゴではないと私はは思っている。やや寒冷な地に住む欧米人には「木の実→(その代表)りんご」ではあっても、裸で暮らせていた楽園でリンゴはどうなのだろうか?郷里の広島ですら温暖過ぎてリンゴはできない。だからせいぜいできたとしても「梨」ぐらいであって、本当のところはわからず、ナシである。お後がよろしいようで。   (ケパ)

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信州

2011年11月24日 | 生活

今日は日帰り信州行きでした。用事は三つ。コールはお留守番です。 1

まず一つは冬物衣類の持ち帰り。10月に夏物を持ち帰ったのに、いつまでも夏陽気だったので、まだ不必要かと、本格的に冬物を持たなかった。フリースが欲しかったのよぅ~。

そして、りんごの収穫の手伝いです。午後の作業は日暮れの早い時期ですから、3時間程しか出来ません。が楽しい作業です。おまけにお茶休憩あり。美味しい漬け物にケパさんは大喜びでした。更に時間給は商品価値の無い、鳥の突いたりんご。感謝! 多少鳥に味を先取りされても構いませんよ。

そして、最後の用事は母を姉の家に送り届けること。感謝な事で、母は朝から起き2ていてくれま した。実は母の一週間は寝て過ごす日が半分なのです。ですから必ず祈りが必要です。タイミング良く目を覚まさせてください。出かけることを拒まないようにしてください・・・と。

午後、妹が来て母と過ごしてくれました。おかげで、ちょっとした勘違いがあり、気持ち良く私達と出かける事に同意してくれた母でしたが、途中で行き先を正しく説明すると、混乱が生じましたが、とにかく姉宅に無事送り届けました。感謝! (ドルカス)

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イスラエルの恵み・・・・オリーブ油

2011年11月23日 | 随想

 この度のヨルダン・イスラエルで学んだことの締めくくりは「オリーブ油」である。
 オリーブはシリア・パレスチナが原産にして自生地である。聖書の舞台でもあり、Photo聖書には三大農産物であるパン(麦)・オリーブ・葡萄の一つとして数多く記述されている。

 
聖書とオリーブ・・・・1:大洪水の後、陸地探しにノアが放った鳩がくわえてきたのがオリーブの枝であり、和解の象徴ともいえる。
2:主イエスが受難を前に血の汗を流して祈った所が、ゲッセマネ(油絞り)の園であった。(写真は今回撮影したゲッセマネの園)
3:ユダヤ人とクリスチャンの関係について、オリーブの接ぎ木で説明されている。「枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら」(ロマ11:17)Photo_2

 
アノインテッド・・・・北海道にアノインテッドというゴスペルの賛美グループがある。これは油注がれた者の意味で、旧約聖書の時代においては祭司、預言者、王そしてメシア(キリスト)が聖なる油を受ける対象者だった。これは特別に調合されたオリーブ油(出エジプト30:25)で、おそらく香油(マタ26:7、ルカ7:37など)の一つだと想像する。私はこのアノイント用の油は聖霊と同じ意味なのだと思う。
 特に神であるキリストをアノイントしたのが王でも、祭司でも預言者でもなく、なんと当時特に地位が低かった世俗の女であり、罪の女であったのが感動を覚える。
Photo_3
 
オリーブオイルの作り方・・・・エジプトでは種を取ってからするそうだが、イスラエルのパレスチナ地方では1:葉を取り除きザッと洗う。 2:圧搾機(油搾り器)で実と種を粉砕しドロドロのペースト状にする。(右写真の巨大な石臼のようなものが圧搾機) 3:水と油に分離する。
 一番搾りとは? 一番に絞ったオリーブオイル(澄んだうす黄色)でエクストラ・バージンと呼ばれる。生野菜にかけたりする食用がメイン。化粧用もこれ。Photo_4
 二番絞りとは? 1番絞りで出来た滓(カス)を再び精製し油を取り出す。その過程でどうしても緑の色素とかオリーブ独特の匂いまで抽出されてしまうようだ。主に炒めたりするオリーブオイル、石けんになる。
 三番絞りもあるらしい。これは主に石けんの原料になるらしい。しかし高級な石けんとはならない。

 
オリーブは素晴らしい・・・・オリーブ油は摂取しても純植物性なのでヘルシーで、他の油より太りにくいと聞いた。また人類との超長いお付き合いのある、これ以上の安心はなPhoto_5い固形ボディソープである。以前サモス島のオリーブ石けん紹介時、「オリーブの匂いがきつい方は向かない」としたが、一番搾りのオリーブ油で作った石けんは、ほとんどオリーブ独特の匂いはないらしい。最も少々お値段は高くなる。これまでわが家は各種ボディソープの放浪を繰り返し、その薬品臭さや刺激性に懲りて、最近はオリーブ石けんに定着した。むろん匂いさえイヤでなければ、二番絞り以降のもので十分だと思う。  (ケパ)

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チャイティー

2011年11月22日 | 食べる

パソコンで目が疲れてきて、ひと休みのタイム。Chaitea

今夜はチャイティーと、柿。そしておまけのミルキーは一粒づつ

我が家でチャイティーは定番です。私好みなのです。時に甘くしないでそのまま。でも、今夜はほんの少し甘くしました。

ミルクが好きなケパさんは、美味しいといって飲んでくれます。

今、ケパさんはしっかり目が覚めて、明日の準備を続けます。
そうそう、私もやっておくことがあるのだった。のんきにしては入れないわね。ドルカス

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ネコとの生活

2011年11月21日 | ネコのコールと‥‥

 早いものでわが家に猫のコールがやって来て一年近くになる。
 今ではすっかり家族の一員である。最初猫の跳躍力に驚いたし、犬とはちがう「気まま」さに戸惑ったが、今は馴れた。猫の人に媚びない自立した性質に、すごく魅力を感じるようになった。今日は「使命」という意味でつけたコールの名前が、どう果たされているかの
Photo告をしようと思う。

 ◯最近は特に寒さが感じられるが、そんな時猫を抱くとあったかい。どうも体温がより数度高いようだ。私が寝ようとするとまるで連れだってのように寝室について来て、すぐ布団にもぐって一緒に寝る。私の右腕を枕にし、背中を私の脇に押しつけてすぐグーグー。その体温にあたためられて私まですぐ寝てしまう。う~むむ、こんな毛むくじゃらな我が子を生んだ覚えはないんだが・・・・。まっ、快眠の使命を果たしてくれているかも。(写真は布団に潜り込んだ直後のコール。撮影ドルカス)


 ◯最近はなかなか朝がつらい。お祈りをしなくてはならないのに、お布団の中でぐずぐずしていると、そんな時に限ってコールがぱっとやって来る。そして私の足先を「噛む」。「あっっ痛い,痛い」と、私は起こされてしまう。ドルカス以上にちゃんと起こしてくれる忠実さだ。どうかお手やわらかに・・・・・

 

 ◯なんと言ってもコールの最大の使命は、私たち夫婦の視線を自身に集め、世話Photo_2を焼かせ、愛を湧かせることだ。四六時中夫婦だけでいると妙に相手に関心が集中し過ぎたり、単調になったり、時には過干渉に陥ったりすることがある。猫一匹といえど、二人が横並びでコールに接し話題にすることは、関心と話題が豊かにされた。(教会事務所の一番高い所に登頂成功でご満悦のコール。大跳躍の踏み台にしたのは執務中の私の肩)

 ◎私たち夫婦の真の一致のこともコールは気づかせてくれる。夫←→妻のように、二人が相対するのが本当の一致ではない。二人が共に不退転の同じ使命を持ち、そのためにまるで同士のように一致して同じ目標を見て歩んで行く。生活は単にその舞台であって目的ではない。確かに私たちは、「与えられた神の使命を果たす」、この一点のために生かされている。 (ケパ)

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