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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ホッとした瞬間

2018年03月31日 | 感謝
昨日午後1時、解約の為にガランとした部屋に来られた
管理不動産の方は入るとすぐに、

綺麗だ〜。と感嘆の声をあげました。

嬉しい一言でした。
私達はいつも水曜日には皆で掃除をして、今月の水曜日はいつもより特に念入りに、隅々まで掃除をしました。
最後まで気持ち良く使用し返したい。

そして最後に祈りました。
どうか、オーナーさんに、私たちの思いが通じますように。すべて主に委ねます。
そして少しでも多く〇〇が戻りますように。

最終の家賃は、この敷金戻り金で払いたいと思ってた。またライブ配信に使うための、機材資金となりますように、最低額〇〇は、戻りますようにと、切に祈ったんです。
教会の皆さんも共に祈りました。
そうです。御心なら叶うのですから^_^

夕方牧師に連絡が入りました。
「5月には口座へ返金いたしましょう」
オーナーさんはすぐに見に来られ、即答されたようです。クリーニング代のみで OK

なんと❣️
神さまのご計画はここにもありました。すべてに従いどのような事も受け入れそのようにします。と、
その思いが与えられてから、全ての事に主の御手がありました。
時にはギリギリで用意されましたけどね。

今日はホッとして、少しの時間を自然の中でゆるりとしたいな〜と、思わされ

習志野市の谷津干潟でしばらくの間ね、自然の中で充電できた。


さあ明日から、新しく始まる〜始まる。

皆さん明日の、主日礼拝は
勤労市民センターです。私たちが初めて船橋に遣わされて、礼拝した場所です。
午前10:00から、明日はオンラインで配信が出来ます。USTREAMからですので、このブログの、ブックマークからお入りくださいね。


ドルカス






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酒とタバコ

2018年03月30日 | 信仰
酒とタバコは嗜好品ではない。依存性薬物であり、いったんその嗜(たしな)みが身についてしまえば、体が変わって(恐ろしいことに自分では気づかない)体が要求するようになる。本人が、深刻には認識できない中毒症状(依存症)により、なかなか完全には止められないものだ。阿片などの麻薬は恐れても、酒やタバコはそこまでの害悪はなく、社会生活を普通に送られる上、その効用も多少はあることは認める。
事実、私は自動車試験場での実地テストで、父からのアドバイスもあり、一服してから臨んだら見事合格した覚えもある。後にこれは鎮静作用=興奮をマヒさせる働きであることがわかった。

一昔前までは、酒やタバコは大人の入口であって、私は大学に入学した途端、この二つを覚えてしまった。ビックリしたのが、所属クラブや大学主催の新入生歓迎会では、当然のようにして酒が振る舞われたことである。18才の私はまだ未成年であり、「法律違反じゃないの?」と思いつつ勧められるままに、アルコールの味を覚えてしまった。
※我が国では選挙権は18歳に引き下げられたが、飲酒は未だに二十歳からである。

これらは教会生活から離れた十八歳から二十歳までに覚えた悪習であって、正式に洗礼を受けてから刈り取りをすることになった。何しろ洗礼式の直前に1枚の紙切れを渡され、これをみんなの前で読むように言われたのだが、「私は禁酒禁煙を誓います」の一節があったのだ。「こ、これ、話が違うよ!」と直前辞退をしたかったのだが、その勇気もなく受けてしまったから・・・・大変だった。

テニス部のコンパでは先輩の酒を断ると、「ナニイ」と殴られそうになった。タバコを止めようとすると、返って吸いたくなったし、ついには人の吐いた煙を追いかける有様だった。たった二年でも中毒は中毒、実に浅ましくなり、情けない状態に陥った。自分を支配するこれは、恐ろしいとも思った。教会が禁じるわけである。

タバコはかろうじて、つらい症状になりながら止めることができた。「できた!」と思えたのはその後十年ぐらい経ってからだったが。しかし酒は・・・しばらく守っていたものの、結局再開してしまった。タバコほどには害がないと思われたし、社会生活上必要があると思ってしまったのだ。教会に行っても、朝から飲んでいなければバレないだろうし。
こうして私はクリスチャンではあっても毎晩、晩酌に酒を飲まなければ、どうにも収まらない人間になってしまった。

しかしとんでもない不思議なことが起こった。飲んべえクリスチャンが、なんと自分が飲んでいないことにも気づかずに、何ヶ月も過ごしていたのてある。それは、聖霊のバプテスマを受けたその日からのことであった。その後二、三カ月して冷蔵庫のビール瓶がそのままなのに気づいた。食事にどうしてもなければならなかった酒が、これまでのように全然欲しいと思わない。「エエッ、自分はどうなっちゃったんだろう」と思った。あり得ないことである。こうして何の努力もしていないのに私は酒を止められ、家にあったすべての酒瓶を、それを喜ぶ人に贈呈した。

「聖霊に酔う」と言う言葉がある。神に依存したなら、もう、アルコールに頼る必要はない。聖霊の働きで、依存性を変えてくださったのだ。こんな素晴らしい体験を私は受けた。酒やタバコは自分の力で止めるものではなく、神の力によってやめられる方が、最高に楽である。ハレルヤ。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(2コリント3章12節)


ケパ







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昨日の水曜日は

2018年03月29日 | 感謝
今日は一日引っ越しの事で動き回り、なかなか心が定まらず

いま昨日の事がやっと書けます。

28日にケパさんの書いたこれら不用品は、27日の夕方にはまだ少し残されていました。

たまたま事務所で片付けていたケパさんはちょっと気になると、会堂へ戻りましたら、ちょうど荷物を取りに来ていたようです。
ところがとんでもない勘違いをされていてベランダのサンシェードを取り外していたのです。はっきりと日本語を理解されてなかったようで、危うく持ち帰る寸前でした。
大家さんとの約束を伝え、これは❎を理解してもらえたようで、私達は神様を崇めました。示されて行った時、ギリギリ守られました。

そして水曜礼拝は、この会堂で最後の礼拝でしたが、その残された説教台と椅子がありましたから、不自由はありません。
他には、聖餐の準備と、角笛と音源を流すスピーカーがあればよい

まず奉仕のためのお祈りから

こみ上げる事が多く、つい声がウルウルしましたが

ガランとした会堂で、賛美は素晴らしく臨在がありました。


さらに夕方から祈祷会、勿論いま遣わされているチームの為にの祈りも忘れません。感謝と賛美連鎖祈祷では、

最後は会堂をくるくるくるくると皆で感謝と踊りですよ〜〜

そして引っ越しの今日のために、なんとm姉から頂き物ですけどと、回転寿司の商品券が、先に用意されてました。

遅めの夕食は、ごちそうさまです。
私達は🍰🍮🍨代のみお払いしだだけで、🍣をたっぷり頂く恵みを、主に感謝しました。

何も思い煩うことは何もないと、天の父が言われたことは確かであると、主を崇めます。

ドルカス




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祈りは、聞かれる

2018年03月28日 | 信仰
昨日の朝は、かなり焦るというか、少しパニックになりかけていた。その訳は会堂に残してきた長椅子1、折りたたみ長机2ヶ、コートかけ腱兼傘立て、折りたたみ椅子6ヶ、会議椅子12ヶ、プレゼン机1、三連アルミパーティション1、このたくさんのオフィス家具を会堂を明け渡す日までに片付ける見通しが立たなくなってしまったからだ。(長椅子と長机)


原因は、本当に不要なものは何か、最後まで見通せず、今週になって上記に絞ることができた後手に回ったことだ。選定ができたところでオフィス家具の引き取り業者に問い合わせると、繁忙期のため全く取りあってもらえない。

それで仕方なく市のリサイクルセンターに聞くと、収集日はなんとその日、火曜日であって、そのための収集依頼は四日前でなければならないという。つまり、今週中の明け渡しには間に合わないことが分かった。

ならば、と、持ち込めば両方とも何とかなるかも知れないと、軽トラックのレンタルを捜したが、これも繁忙期のため軒並みレンタカー屋を探しても全くのアウト。

「どうすればいい?」と八方ふさがりの時、ドルカスが「こんな時こそ祈りましょうよ」と。それで、二人で神様に助けを求めて祈った。処分する物を後回しにしたことを反省し、祈るしかない、そんな状態であった。

祈り終わって私はすぐに会堂に行って、トイレのウオシュレットの取り替え作業に取りかかっていた。するとそこに「ピンポンパン」。誰が来たのかと思えば、6年近くなって初めて見る大家と内見らしき女性だった。女性はじきに言葉から中国人であることが分かった。

普通内見には、不動産業者が案内するものだが、オーナーがするなんてことは珍しい。そしてこの女性が神から遣わされた人だった。内見に来たのに、その人は会堂の中央に寄せてある家具を見て、「コレ、ドウスルツモリ?」と聞いてきたのだ。「どうにもならないんで、何とか処分します」「ワタシ、全部引キ取リマス」
「エエッ、本当ですか?」と私。

結局、この女性は自分の手の者を使って、会議用椅子12とプレゼン机、パーティション以外は全部その日のうちに持ち去ってくれた。残された物は、何とか私一人で、処分できる範囲の物になったのだ。(残った最大のもの、パーティション。しかしこれは私の車で運搬可能)

しかしこれは何という神様の即応答だろうか。会った事のない大家が、たまたま私がいる短い時間に突然現れ、取り外すべき会堂のブラインドやサンシェード、ウオシュレットを外さず、そのままで良いと言ってくれて、連れて来た女性が大きくて手に余る物を全部持ち去ってくれた。それは祈った1時間後にすべて起こったことであって、全く予想も何もしていなかったことである。こんなことがあるのだろうか。

❗ハレルヤ❗神は生きておられます。



ケパ





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さくら

2018年03月27日 | 自然
教会に行く時には必ず海老川を渡る橋。
ここから本町と市場町との境目。
ちょっと雰囲気が変わるなと思うけど、

今日はここで立ち止まる人が多いね。
川上を見ても


川下を見ても桜が美しいもの。

iPhoneカメラで撮影する人も少なくない。
それにしても一気に咲いたね。
都内では満開のようだけど、この辺りは満開にはもぅ少し。
が、たしかに昨年より早い。


引っ越しも済んだら川沿いを川上に向かって1キロほどで、満開の桜のトンネル歩けるだろうか。

そう言えば風のひびき5集には、さくらを歌う詩が、二曲。
明日の礼拝で歌おうかな。

ドルカス



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肉食獣は居なかった?罪がない世界とは

2018年03月26日 | 聖書

意外と知られていないことだが、天地創造時からエデンの園でアダムたちが罪を犯すまでは、ライオンも狼も肉食ではなかったようだ。

その根拠〜創世記1章には次のように書かれてある。

【地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。】(創世記1章30節)

つまり【すべての獣】に緑の草が与えられたのであって、例外は無かったことになる。またこのことはおそらく、次のような描写の通りであったと推察される。
【狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。】(イザヤ11章6-7)

なんという麗しい情景であろうか! これは後に来る新しい世界のことであろうが、失われた世界も同様な感じであったと見る。
私たちは過去には戻れないが、しけし新しいエルサレムが天から降りてくるその時には、かつてのエデンの園よりはるかに素晴らしい世界が始まることを知っている。

【御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。】(黙示録21章5 節)
【また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。】(黙示録21:1)、この新天新地には、

【もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。】(21:4)

と、次に来る世界とはのろいの無い(黙示22:3)世界だと言われている。これは肉食獣が居なかった天地創造の時の回復以上の世界となる。神の栄光が太陽や月に取って代わって輝く世界。なんと待ち遠しいことか。ハレルヤ❗

※補足
ちなみに、動物が初めて殺されたのは、おそらくアダムたちが罪を犯した時である。なぜなら、次のような短い記事があるので。

【神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。】(創世記3章21)

旧約聖書では罪のあがないとして、動物の血を流すが、その始まりも人の罪を覆うためのものだったと言える。その意味でも血は罪のしるしであり、十字架のキリストの血によって、完全に覆われたものなのである。

ケパ






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礼拝

2018年03月25日 | 教会のこと
本日のメッセージは、

聖書 ルカの福音書 5章32節
テーマは「招かれた罪人」から


賛美の後に、今日は笑いを誘い🤣メッセージが始まりました。


今日も熱いです。

ドルカス




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25日主日礼拝

2018年03月25日 | 教会のこと

おはようございます。
主日礼拝が、もうすぐ始まります。
この場所では最後となりますが、皆さま是非ご一緒に。

もうしばらくお待ちください。

本日のオンラインは、USTREAMが確実です。このブログの、ブックマークから、オンラインをお選びください


ドルカス





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明日の礼拝は

2018年03月24日 | 教会のこと
この場所での、船橋キリスト教会の主日礼拝は、明日の礼拝で終わります。


室内は9割程に片付きました。
必要な物も運んでしまいましたから、代用のテーブルを使います。


ピアノも運んでしまいましたから、路上用のキーボードを使います。


説教台と聖餐台、そしてPCテーブルと、プロジェクター台など、礼拝後運びます。


明日も共に集い、またオンラインで主に礼拝致しましょう。


なお4月1日から船橋キリスト教会の礼拝は、船橋勤労市民センターで、10時〜11時30分に変更して行われます。

ドルカス




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引っ越し

2018年03月23日 | 教会のこと
昨日は事務室になる部屋の、浴槽のふたを作った。生活しない事務室なのでお風呂は要らない。そこで少しでも荷物を置ける場所として活用しようと、浴槽の上にも置けるよう、スペシャルなふたを作ることにした。

この材料費はこんなもの。ドルカスからは少々材料費がかかり過ぎとの評価をいただいた。うーん、そうかも知れん、と思いながら、それ以上にこれは製作時間と手間がかかり過ぎ、と私は思った。

何しろきちんと直角を出すことだって、かなり神経を使う。昔、似たようなものを作って、わずかながら菱形になってしまい、合わせて長方形にならず、かなり恥をかいたことがある。何しろ紙の上にコンパスで描く直角とは訳が誓う。今回はその轍を踏まず、バッチリである。失敗の経験とは大切なものだ。(同じ茶色で見えにくいが、フェルトのクッション材が当たる所全部に貼られている)

さて今日の仕上げとして、最後に浴槽の上に置いても跡がつかないよう、浴槽の縁に当たる部分にフェルトを貼って完成。このようなすのこ状にすれば、中が見えるし半分に分割してあるので取り出し易いはず。この上に荷物を入れた段ボール箱等を置くことができる。

今日も二人力を合わせて引っ越し三昧だったが、それももう、先が見えた。行きはヨイショヨイショ、帰りは空荷で犬じゃない、台車とお散歩歩きでプーラプラ、と。
(因みに、台車上の白い箱?は何かと聞くと、ティッシュペーパーだそうで

ケパ




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