ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

窓ガラス拭き

2018年12月31日 | 生活
世的な大晦日の昼は、ドルカスの号令でガラス掃除をした。ガラス掃除はいつも私の担当だ。

大して広くはないマンションだが、我が家は南の海方向に面しており、今回は特に塩害のために、窓枠全体に水をジャバジャバと多めにかける。アルミのサッシ枠は意外に塩に弱く、あちこちに白い腐食を生じている。海の近くでないと見ない状態だ。

水の後はガラス洗剤をスプレーし、全面に塗るように雑巾で拭きあげ、さらに水を全面にかけて洗い流す。最後の仕上げに水をスクイジーか清浄な布で拭き取る。二階なので難しい箇所もあるが、だいたいこういった手順である。

当たり前のことだが、ガラスは透明なので、きれいに拭いたつもりでも、乾いてみれば必ずどこかに拭き残しや拭きムラが目立つ。少しでも残っていると、許せない思いで拭いてしまう。また「あれえっ」と思って拭いても取れないものは、よく見るとガラスの裏側だったりする。こうして何度も繰り返して拭いたり、あちこち移動して拭くことになる。

特にガラス拭きの場合、仕上げに近くなって来ると、雑巾をきれいな水でよく洗って、きつく絞ることが大切になる。汚れが残っていては、何度拭いてもキレイにはならない。これって、こだわり過ぎなんだろうか?

とにかく、終了後、お茶を飲みながら、きれいになった窓を眺めると、外からの光が増えたようで、なぜだかすごく明るくなった気分がする。別に心とは関係無いはずなのだが、とにかくホッとするのだ。

聖書に以下のみ言葉がある。窓ガラスをきれいにしたが、それは外の景色ばかりではなく、神の愛の光によって、はっきりと己が照らされるようにしたい。

兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。

(©2017 マタイの福音書 7章4~5節)


ケパ





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2018年12月30日主日

2018年12月30日 | 教会のこと
お早うございます。
2018年12月の最終週主日礼拝です



今日は教会Officeで礼拝が行われてます。

特別賛美に、m姉 曲は風のひびき6集からSMILE


引き続いては、牧師による後半賛美


今日のメッセージは、
ヨハネ 5:25 から聖書を開きます。


テーマは、「死人が神の声が聞こえる時」
思わず驚きのみことばの聖書箇所ですね〜

礼拝の後には牧師🍛カレー愛餐でした。
今日はキーマカレー写真は準備中です〜



ドルカス



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教会って誰のもの

2018年12月29日 | 示されたこと
私は若い時から、わりと定着した教会生活を送って来たと思うのだが、それでも色々な教会を経験して来た。

その中でもバプテストが長かったし、その執事役員を長く経験したのでつくづく思ったことがある。それは「教会って、誰のものだろう?」という問いだった。教会は、教会堂です、と建物を指す人もいるかもしれないが。

バプテストは非常に民主的で、教会員が一人一票の権限で、執事役員を投票で選ぶ。これが問題で、首をひねるような結果によく出くわした。問題の第一は、たとえ小学校一年生でも、バプテスマを受けた教会員であれば、平等な一票を投じることができた。また、当選する執事役員は、この世での成功者または社会的な地位のある人ばかりであったことだ。
だからみんな忙しく、やたら事務的であったが、この役執事会が牧師を招聘する権限があり、牧師も役員執事に対しては、大変な気の使いようであったことだ。また最高議決機関は、全員が集まる総会であった。まったく多数決の議会制民主主義と同じだ。

だからバプテストは基本、教会は教会員のものと疑わないはずだ。おそらくそれは、長老派や改革派も長老執事の権限の違いはあればこそ、そんなに変わらないはずだ。よく言えば民主的、悪く言えば牧師は雇われ牧者である。従って教会そのものが、いろんな意見でまとまっていないケースも見られる。

ところが、ここに全く違う政治形態を持つ教会がある。バプテストのような会衆制でも、執事制でもなく、監督制の教会である。旧「主の十字架クリスチャンセンター」に来て私は初めて体験した。

監督制とはどういうことかと言うと、「教会は神によって立てられ成ったもので、神のものである」「主任牧師はイエス・キリストである」「各教会は使徒的牧会者によるカバーリングを受ける=監督制」という点であろうか。また各教会においては立てられた牧師が霊的にはもちろん、実務的にも指導者である点も特徴であると思う。牧師は神によって立てられた存在であって、責任はただ神に対して問われるもの。教会員は牧会者から守られるとともに、聞き従いを求められる。とても縦のラインがはっきりしているのが、監督制の特徴である。

私個人の見解を述べよう。答えは聖書にある。教会はペンテコステによって誕生した。使徒の働きでも明らかなように、使徒、あるいはアポロのような伝道者が教会の種蒔きをし、バプテスマを授け、その後幾度も訪問して教会を成長させてきた。神が中心である。

"私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
"
(コリント人への手紙 第一 3章6~7節 新改訳2017)

この神によって教会が成長するのだから、どの政治形態が正しいとかは 断定できないまでも、神に示された道を忠実に従って行く在り方、それがポイントだろう。


ケパ





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のんちゃん

2018年12月28日 | 生活
久しぶりに、今日は横浜の姉の家。
もちろん可愛いのんちゃんに、会いたいですから

(寝姿はお祈りスタイルで!)
今日も元気な泣き声で。ママを手こずらせました

今夜のお食事は、たこ焼きと、お好み焼きと、私の持参したお赤飯。野菜サラダなどで、これってメーンは何と、メニューは多彩でした。

のんちゃんの世話をしながら準備してくれた姉に感謝です。

帰りは既に深夜ですが、夜景は綺麗。

そして今夜の空には、大っきな上弦の月が見えました。

明日もお天気かな〜

ドルカス



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日本にキリスト教が広まらないことを考える

2018年12月27日 | 示されたこと
宗教が自由な先進国で、キリスト教徒が人口の1%以下なのは、世界でも日本だけということは、結構知られていることだ。隣の韓国は30%いるし、中国では迫害されていても非公表ながら1億人はいるという。

私は牧師なので、終末期の大リバイバルはともかく、この置いてけぼりのような現状に、ついつい神の御心を考えてしまう。「なぜだろうか? 」と。

まず最初に思ってしまうのは、1549年(天文18年)にカトリックのザビエルが伝道を開始したことである。彼らは本来宣教が目的であるはずだが、同時に植民地化の野望を持ったスペインなど後押しを受けて、その先兵をも兼ねていたことである。実際日本に来た宣教師には、日本人を一段劣るように見下し、イルマンからなかなか司祭に取り立てようとはしなかった。
スペインに支配されたフィリピンの事情から、サン・フェリペ号事件絡みでいっそう明らかになったところが秀吉の逆鱗に触れ、長崎二十六聖人の殉教に至っている。

カトリック化が浸透しつつあった江戸時代に至って、幕府はさらに警戒し、鎖国までして徹底した大弾圧を決意した。貿易は多くの利潤をもたらすが、これを切らないことにはキリスト教を根絶できないことを悟って、幕府は鎖国まで行った。今も残る檀家制度もこの時のものである。これは戸籍のようなもので、全国津々浦々で実施されたこれは、つまり全国民が仏教徒にされたのだ。

このように、カトリックとの非常に不幸なつまづきが未だに大きく影を落としている。なにしろ遠藤周作の「沈黙」でもあったように、当初カトリックにとっても順調に見えた日本宣教は、結局は日本を強固な仏教国にし、大敗北に終わった。特に中心となっていた管区長代理フェレイラの転びは、到底受け入れ難かったはずだ。この時の迫害の歴史は、後々に至っても安易な気持ちでキリスト教に入ることを規制してきたはずだ。

かく言う私も十代の時、キリスト教に惹かれ熱心に通っていたのだが、沈黙を読んでしまい二の足を踏んだ経験がある。「命をかけて信じ、殉教できるか?」の内なる問いに、なかなかバブテスマを受けられなかったのだ。また入信のもたらす家族との断裂(お盆や正月、飲酒、地域社会、お墓、生活規範etc)も、孤立無援の十代の初穂には重荷であった。

さて、現代の話であるが、キリスト教徒が驚くほど少ない理由として、私の見方はこうである。「自分を肯定的に見ようとする」
たがら「日本人は罪がわからない」

最近のニュースでは、成田空港への利用者が二千万人を超えたそうである。外国人が日本に感じるものは、特別な国という印象だそうである。自然も食事も、おもてなしも、清潔で美しくおいしい。しかも何処に行っても安全で清潔でハイテクで正確で安全な乗り物の国だと言う。実は私自身も海外に出てみて、同様に感じている。ハイテクとかそういうことは北ヨーロッパに行けば変わらないが、全部ひっくるめてととのっている日本は、やはり特別な国だと思う。

そこがキリスト教にとって、現状では逆境なのだと思う。みんな路上にゴミを捨てない、待つ時はきちんと並ぶ、ルールを守って秩序正しい生活をする。外国人から聞いたが、車がほとんど通らない交差点で、赤信号になったら止まり、青になるまで車1台も通らないのに、ただじーっと青信号を待っている。「ショックだったぁ」と。そんな国民は見たことが無いらしい。

自分さえ良ければ・・・・はこの国では表だっては見えない。そのことが福音を拒んでいるのだ。罪の意識すら無いところにどうやって悔い改め、滅びを自覚し、救いを神に求めるのだろうか?
しかしどんなに私たち日本人が自己正当化し、自分たちには罪がないと思おうと、人は皆、罪人であるという原罪は真理であり実際なのだ。十字架のイエス・キリストを信じなければ、皆、滅びるのだ。

聖書を読むと、神の子イエスは、悔い改めを私たちに求められた。

"また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪の負債があったと思いますか。
そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」"
(ルカの福音書 13章4~5節 聖書 新改訳2017)

日本人が悔い改めるのは、きっと未曾有の困難が襲ってくる終末期なのだと私は思っている。首都圏の大地震、世界的な戦争、食糧自給率が世界でも最低のわが国が飢える、その時醜い人間の本性が表され、悔い改めるのだろうか。

私たちは普段から祈り、備えていきたい。



ケパ



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祈祷会

2018年12月26日 | 教会のこと
水曜礼拝の後は、いつものようにまずお掃除。
今日はいつもより念入りにね。

そして夜には祈祷会。


昨年イスラエル🇮🇱チームが帰国してから始まった、『感謝と賛美の連鎖祈祷』
マーリンさんから継承された、
感謝と賛美の24⏳連鎖祈祷で、それぞれ申請した時間を守ります。
船橋教会は、水曜17:30~と日曜13:30~の2回責任持って祈る。
しかし楽しい祈祷会です。
聖書には
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。

1テサロニケ 5章16~18節 (新改訳2017)

その言葉どおり、私たちは祈ります。
ですから今日12月最終の水曜日の夜喜んで賛美し、
沢山の事を感謝〜〜


ドルカス



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メリークリスマス

2018年12月26日 | 信仰
昨日は、メリークリスマスの挨拶が飛び交いましたね〜
クリスマスの話題書こうか、と思いつつ何も書けない私でした。

実は私達の群れの教会は、この日はお祝いしません。
でも、24日夜にはJゴスペルコンサートが開かれ、多くの方に聴いていただき、イエスさまの事を知っていただける機会があり、参加してきました。
[Light こころごすぺる]

出演者全員でendingの曲です。

勿論私(私たち)の罪のために我が子を送ってくださった天の父に、感謝で一杯ですので、イエス様の誕生を喜びますが、

聖書には誕生した日も、祝いなさいとも書かれてないの。イスラエルの気候からしても真冬なのです。この時期ではないのよ。

さらにこの頃は冬至があるでしょ。ある宗教で太陽を崇める祝いがある。ローマ帝国が蛮族によって滅亡した時、彼らがカトリックを認めるように、と言うか、調子を合わせたのかな〜
彼らの言う太陽神の日をイエスさまの誕生日と決めたのよ。

また幼子イエスを抱く母マリヤの姿を、どうしても崇拝してしまう、
そのような4つの理由で、私たちは、この日はお祝いしないのよ。


1分でわかるクリスチャンのキーポイント

こちら⤵️で詳しく聞けます。
クリスマスのこと
興味ある方是非お読みくださいね。

ドルカス



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マンションの植栽

2018年12月24日 | 自然

住んでいるマンションの花壇が、6月以降1年間、新たな植栽が予算化されていないことが判明。現状は?月の植栽の花が何とか保ってはいた(下写真)が、間違いなくこの冬から春まで淋しいことになる。


ちょうど1年前は、実はもっと荒れていた。植栽担当の理事が病没し、代行していた管理人も退職した直後なので、そのままになっていたのだった。その後ちょうど会計担当者の急逝も重なって、理事会はそれどころではなかったのが真相だ。
(チューリップの球根を植えるところ)


結局去年もだが、今年も私たち二人ですることになったのだが、土作りは新しい管理人さんが手伝ってくださって助けられた。植栽の今日は住民に呼びかけたものの、一人の参加者も現れず(マンションとはそういうものだろうと予想してはいたが)、ドルカスのデザイン通りに作業を進めた。(球根の次はパンジー)


それぞれ穴を掘ってチューリップの球根を植え、苗ポットを植えていくのだが、数が多いので少し大変だった。しかしまあ、少しは住まいに貢献できたので充実感もわいてくる。感謝だった。(仕上がった花壇)



"良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。"
(エペソ人への手紙 6章8節 新改訳2017)


ケパ



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お早うございます

2018年12月23日 | 教会のこと

お早うございます。主日礼拝が、始まります。
オンラインでご覧の方も、是非聖餐のご用意をされご一緒にお待ちください。

主の祈り
天にまします我らの神よ


聖餐式です。


そして、献金の感謝のお祈り


後半牧師賛美
♪からし種のように を歌い預言です。


今日のメッセージは、
詩篇72篇26節 から「みこころとは」

今日もFacebookのビデオ配信です。
また、メッセージはYouTubeで保存版で視聴できます。このブログ、ブックマークから、視聴できます〜〜
⤵️こちらからどうぞ!


ドルカス



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緊急な事

2018年12月22日 | 自然
急な事に、マンション入り口の花壇の手入れ(花を植える)をする事になり、今年は¥10000以内の予算でやるよ!
その為に昨日は花と球根を、買いに行ってきた。

作業は24日の祭日。至急に作業を呼びかけて、今日は午前中に土作りした。

取り敢えず24日の植え込み作業前の準備ができた。
掘り上げたベコニアは大型プランターに移動して植え

花を切り戻し、欲しい人に分けましょう

植え込み時期には遅すぎてるけど、お陰でパンジーもチューリップ球根も格安で手に入ったけど、
とにかく祈って植え込みます。
春の来るのを楽しみに待ちます。

ドルカス



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