今夜はピースフルの練習日でした。ケパさんはピースフルの奏楽担当です。と、私は思ってますが、本人にはとても大変なことなのだそうです。
そうよね。そうでしょうね。いつも練習していることも知ってますから頭が下がります。
感謝感謝( ´ ▽ ` )ノ
家にいてもコールに負けず練習してます。コールも時々ピアノ弾いてるのです(踏んでます)。
いやぁ。この写真のピアノではないですよ。ちゃんとしたピアノでやってます。はい ドルカス
今夜はピースフルの練習日でした。ケパさんはピースフルの奏楽担当です。と、私は思ってますが、本人にはとても大変なことなのだそうです。
そうよね。そうでしょうね。いつも練習していることも知ってますから頭が下がります。
感謝感謝( ´ ▽ ` )ノ
家にいてもコールに負けず練習してます。コールも時々ピアノ弾いてるのです(踏んでます)。
いやぁ。この写真のピアノではないですよ。ちゃんとしたピアノでやってます。はい ドルカス
今日は学ぶことが多い日だった。
まず午前中はホームページの改良作業で、スカイプで指導を受ける(写真
)。私のパソコンの画面でホームページを作成して行くのだが、200キロ離れた指導者と画面を共有しているので、非常にスムースである。
夜はピアノのレッスンである。近くゴスペルの賛美大会予選があり、そこで歌う曲のアレンジとかを教えてもらう。いずれも教会に関連してのことだが、これらは昔から私がやっていたことで、これらを学ぶことは、実は私にとってかなり楽しいことなのだ。それまで「趣味」のつもりでしていたことが、なんと「本業」になったのだから。
そして実はこれらは神さまが私に用意させておられたことなのではないか?そのように気づく。だいたい元小学校教師という経歴も、今の牧師という職業からみれば最高のお膳立てである。生徒の家庭生活の中にまで立ち入って、一人一人ていねいに教え、導く教師。牧師という奉仕にこれほど適合性のある職業はないだろう。よくよく振り返ってみると、これまでのたどってきた道で、現在に何一つむだになっていることがない。つまり私の人生には、神が始めから計画をもって導いていたとわかる。
おそらくこれは私だけではないはずだ。トラックとして作られたのに、乗用車にして使えないことはないが、かなり居心地が悪い。トラクターを乗用車として使うということもあり得ない。そもそも作られた目的にそって使うのがもっとも力を発揮し、自然だ。私たち一人一人に異なった設計図があり、それを設計してくださった神に従って用いる人生こそ、その人生をもっとも輝かせることができるのは確かなことだ。天地万物を創造され、御心によって人を愛して造ってくださった天の父なる神、子なるキリスト、導かれる聖霊の神。この三位一体の神だけが真に人をいのちあるものとしてくださるのだ。 ケパ
礼拝をインターネットでの生中継いよいよ始まる準備です。 今日はそのためにカメラというか、iPadでビデオ撮影の練習。位置とか音量とか、しかしまだ実際にインターネットと繋がってないので、ホームページにもバナーを置かないと行けない。 そちらの作業もあります。
一つのことを始めるのには祈りがないと進んで行かない事を思わされます。
ちなみに一月最後の水曜礼拝、メッセージは、2月5日を前に殉教のメッセージでした。ドルカス
ドルカスと結婚するまでは、あまり重要だと思わなかったことに、靴がある。
それまでは、できるだけ安く、安い中で合う靴、良い靴を履(は)こうとしていた。テニスシューズだけは例外で、18歳のころから「オニツカ」の名前の時代からの某メーカー製を履き続けている。他メーカーを試してみたが、結局このメーカーに戻った。足に合うと言えばそれまでだが、靴の性が捕球の広さや、捻挫、腰痛などのけがに影響したからだ。つまり、高くてもそれだけの価値があった。
結婚してみるとドルカスは普段の靴にもこのメーカーのを履いていた。服はリサイクルショップやユニクロでも、靴だけは、ちょっとぜいたくなこれである。このメーカーの直営店に行くと、3次元(立体)で足形をとり、各人の特徴に合わせて中敷きを調整する。足は顔のように千差万別で、フィットさせるには専門的な技術がいるようだ。ものによっては修理さえしてくれる。
おかげで土踏まずにも適度な圧がかかって、世界で一足だけの履き心地に、羽が生えたようになる。歩くのも、ぜんぜん疲れが違ってきて楽しくなる。長く使えて、結局はお得感もある。(写真は私の靴)
歩くことは健康の土台だし、靴はかなり決め手である。 ケパ
少女の頃から、なぜか「倍賞千恵子」さんが好きで、 今回のこの映画を観たい理由のひとつでした。なかなか邦画も良いですよ。ケパさんは「不倫!話しではどうかね」と首をひねっていましたが、今夜観たのは
山田洋次監督の「小さなおうち」
昭和初期のおしゃれな赤い屋根の洋館が舞台での話を、アコーデオンのアコーティックなメロディをバックに観るのは何とも心地よかった 。最後に謎解きがされるのだけど。
倍賞千恵子役のおばあちゃんが孫のような青年に勧められて自伝を書き綴る、それを本人が語るのだけど、その倍賞千恵子の声や仕草がなぜか、昨年召天した母を思い出すのだけど、なぜだろう。 ドルカス
今年も二月五日が近づいてきた。この日は長崎の西坂の丘で、太閤秀吉の命により、26人のキリシタンが殉教した日だ。わが国ではじめてキリスト教(カトリック)の教役者、信徒が磔(はりつけ)の刑にかけられた(左絵)。この後、徳川家光の時代にかけて、一時はこの国の人口の1割を占めていたと言われていた信徒は、我が国みぞうの大迫害、幾十万という殉教者を出して(ごくわずかな隠れキリシタン以外は)ほぼ消滅させられていった。これは殉教という面では、世界的に見ても類のないほどの膨大な死者であり、それがこの国において行われたのだ。
この殉教を扱った遠藤周作の「沈黙」に出会ったのが高校生になった頃だと思う。この棄教の作品を通し、以後私は「信仰のために自分は死ねるのか?」という問いに、かれこれ45年くらい、抜け出せずに苦しむことになった。死を恐れて棄教するぐらいなら、初めから洗礼など受けない方が良い、受けて転ぶと神を欺くこととなり、かえってひどい審きを受ける、そう思った。
しかし二十歳の時、学生運動の挫折から、殉教のことはさて置くことにして洗礼(全浸礼)を受けた。が、課題は解決していたわけではなかった。解決にはさらに三十年以上必要だった。
解決したと言ったが、その頃の私は四面楚歌というか、あらゆる面で失望と落胆、破れかぶれのどん底にいた。重度の精神の病を身近にかかえ、家族は離散。仕事でも、毎日辞表を胸ポケットにしまって出勤するような日々だった。当時長く所属していた教会に対しても、その信仰に落胆し離れていた。とにかく希望を失って、そして神を呪いはしなかったが、呪いたい心境でもあった。神を信じる者は祝福されて当然だと思っていたのに、この時の状態は最悪であった。
そのどん底の中で、ふと自分の高慢さ(ドラえもんのポケットのように、神を自分を恵ませる道具として遇していたこと)に気がつき、心底悔い改めた。悔い改めた途端に、私ははじめて神に語られ、臨在の恵みを体験する出来事があった。神は確かに生きておられ、個々人の誕生のはじめから関わってくださっておられることも知った。驚くべき体験だった。
すぐに聖霊のバプテスマを受け、祈りが楽しく待ち遠しくなり、交わりが深くなるとともに少しずつ神を知るようになった。すると神がまさしく愛そのもののお方であることがわかり、喜びが私にあふれた。もう片時も離れられぬ、そんな慕わしい存在になった。そして死が克服されたのだった。殉教は死ぬことではなく、(神とともに)生きることの選びなのだ。うれしい、喜びと希望に満ちた入り口なのだ。
なぜか?肉体の死の先に、愛する父なる神が待っておられるからだ。死は苦痛を伴うかも知れないだろうが、一時のものであり、取るに足りないものに真実思える。死を超えて余りある天の喜び、神のすぐ近くで永遠にお仕えできる世界がある。それが待っている。だから死は凱旋であり、死とは比べものにならない天の価値を提示することでもある。ただ、滅ぶべき死しか知らない者には、まったく理解できないのだ。
だから死を恐れる人は臆病なのではなく、死より価値あるものを知らないのだ。肉の命にすがりつくこと、それはまさに命を失うことにしか思えない。残念ながらこの国では、そんな人がほとんどである。だから必ず来る死に背を向け、考えないように逃げるとか、不老長寿、医療や健康などを頼りにして、最後の最後まで生きようとする。これは実にあわれな状態である。
私の世にある使命は、十字架の神の愛と罪の赦し、信じることで得られる永遠の命を伝え、一人でも多くの魂を救うことである。 ケパ
久しぶりのアンテオケ教会で、新井牧師の講座の授業です。続けて二回来れなかったのでずいぶん久しぶり。 説教の在り方について学びでした。終わる頃に聖書からこの箇所のみ言葉が、とても心に残りました。
「受けるより与える方が幸いである」
ずしっときました。すでにイエス様の愛をいただいてるから私は与えるものでいたい。受ける恵みを知ったから、与えるものになりたいと、思わされたのです。 ドルカス
今週のニューズウィーク誌上では、「感謝の気持ちを子供に教えるコツ」というタイトルで、どうやって感謝を教えるか、記事が載っていた。
今「感謝」は私たちの群れの最重要継承事項であり、「子供に教える」ときたら元教師の経験からひと言もふた言もコメントしたいことでもある。 記事では、愛するわが子を「わがままで手に負えない子供にしない」ために、「感謝する心を教える」ためのHow to(ハウ・ツー)が載っている。「親が世話を焼き過ぎる」と「自分はダメだ」と感じてわがままで不機嫌な子供になる可能性がある、とか「ほめすぎる」のも高慢にさせる、「家庭内ルール」を厳守させると良い・・・・・とか。
しかし結局は親自身が感謝し、(自分のわがままを)自制できているか、また定まった決まりをちゃんと守れているか・・・・という、親自身の人間力がポイントであるといっている。結局、「数千年前からの当たり前の原理原則」ではないかと思う。いわゆるカエルの子は(オタマジャクシのように、親と違って見えていても、結局は)カエルである。子供に高望みしても仕方がない。
ところで感謝について、こんな記憶が私にある。私は小学生の頃、ものすごくうらやましくてしかたがないことがあった。それは登校後、昼時分から雨が降ってきた場面のこと。下校時間になると学校の脱靴場には、つぎつぎと傘を持った親たちが現れ、みなそれぞれ傘を差して帰宅して行く(こういう習慣がない地域も多いとは思うが)。そんな日の私は、最後までじっと、来るはずのない傘を待ち続けていた。雨の備えがないので帰れないということもあったが、なにかこう、これまで一度としてなかったことなのだが、しかしいつか傘をもって母が、いやぜいたくは言わない、誰かが来て来れることを信じたい、そういう望みをすてきれなかったのだ。
しかし結局最後まで一度もそんなことはなく、私は一人ずぶ濡れになりながら帰った。母親は共稼ぎをしていたわけでもなかったので、時には恨みにさえ思ったものだ。たとえ周囲の皆が行こうと、母は自分のしたいことが大切なようで、まったく傘届けの必要を感じていないようだった。たぶん甘やかしに感じていたのだと思う。
だから私が小学校の教師になった時、雨の日の脱靴場には気を配った。自分と似たような、そんな子供を見た時にはたまらなかったので、必ず傘を走り回って用意したり、職員室には内緒でこっそりマイカーで送ったりもした。そのうち各教室に、こうした時に備えて傘を各自置くようになったのだが。
今思い返すと、あの時感じたつらさ、わびしさというもの。人並みには気にかけてもらえていない自分が、私に耐える力を培ったのではないかと思う。雨に顔を濡らして、それはちょうど自分の気持ちに合っていたのだが、とぼとぼと帰り続けた経験は、人に期待しないで生きる力になった。
ところでわが家猫のコールだが、これがほんとうに甘やかされ猫で、しつけ失敗作だ。二人から溺愛されて、何をしても自分は許されるという「ゆるぎない確信」があるのがわかる。これは猫がどうのこうのではなく、育てた方の問題である。
対するにドルカスの実家にクロという真っ黒な猫がいる。コールより半年早い春生まれで、信州が寒くなって来た時分、不憫に思われてようやくドルカス実家に入れてもらった猫である。クロには命の試練が寸前まであった。だから「恩」がわかっているのか、感謝というか礼節をわきまえている。たとえば決して台所のテーブルに上がったりしないし、わがまま猫のコールが来たら遠慮して自分の家に入らない。コールに爪の垢でも飲ませたい。
何を言いたいか?
感謝は教えることができないと思うことだ。儒教、朱子学などは中国・韓国・日本共通の文化だが、学べば人間性が上がるとされている。学問とは徳だった。しかし私はそういう学問で、知的な学習で徳ができるなどとは思えない。徳の要点である忠孝礼節の土台である「感謝」は、育ち(環境)という体験が決定的に大きいと思うからだ。
私たちの教会は『感謝』の教会である。悪いと思われる「試練」「困難」こそ感謝する。どうしてか?それを許された神の計画があり、その計画は最善だからだ。つまり、つらい経験は己を低くし砕き、真に神の恵みがわかる人間へとされていくからだ。自分の努力ではできないことだ。その上で、砕かれた者に、実際的な祝福も神からくるのだ。祝福の価値がわかる者とされたとも言える。
こうしてみると、雨の日に傘を届けてもらった子どもたちは、せっかくのチャンスを失ったことになり、わがままで手のつけられない高慢だった私に、とても良い薬だったと思えてきた。これは感謝である。 ケパ
マンションが築後二十年の大規模修繕につき、今朝我が家の網戸のアルミサッシを外して気づいた。
ローラー部分を取り付けた所が異様に膨らんでおり、あれれと思いながら、そこのビスを外してみた。その膨らみの正体はアルミニウムの腐蝕物である白い粉だった。そしてスクイージーで削ってみると、なんとビス穴の周辺が大穴となってしまった(写真)。
う~ん、これではビスがとまらないので、窓枠への取り付けが難しい。困った。通常アルミニウムには腐蝕を防ぐ表面処理がしてあるのだが、それがピンポイントで破られているビス穴は盲点のようだ。どうしたら良いのか。修理が難しいし、買い替えると職人さんによるオーダーメイドになるだろう。
ここは海に近く、アルミに塩は大敵らしい。再々水で洗って流し取るしか手がないらしい。しかしここまでひどくなるとは、チョット驚きだが、とりあえず感謝する。 ケパ
とうとう仮設足場が覆われて、この状態です。
と、あるブログで、マンション外壁に蚊帳が張られてと、書かれてましたが、
このマンションもまさにその渦中です。
まだ幸いなのは、幕がミドリやブルーでなくて、グレー系なので室内は明るい。
そう、まるでもう一枚レースカーテン引かれたみたいです。なんとか三月下旬の仕上げまで平安に過ごせますように、祈っています。 ドルカス