ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ベトナム戦争と報道

2018年09月20日 | 本・知識
今はインターネットのおかげで、ニュースや情報は取捨選択できる。ただし、どのニュースが正しいか、見分ける目が大切になったが。

しかし今から20数年前は違った。私の見方ではウィンドーズ95が出る前の時代、多くのニュースや情報は大手新聞社の系列か、またはNHKに独占されていた。それがどんなに偏っていたとしても、何しろそれしか知り得ないのだから、批判の材料なく、巨大情報メディアの言いなりである。お隣の中国が自由なGoogleなどを締め出し、百度(バイドゥ)で情報統制しているのはこのためである。だから大手新聞社の彼らは、政府権力に次ぐ、当時は第2の権力者であった。

ベトナム戦争が終結したのは- 1975年4月30日だった。その日、その時、私はちょうど大学卒業して1年あまり、社会人の2年目に入った直後だった。
私はテレビで観たサイゴン(現ホーチミン市)陥落の様子を忘れることが出来ない。不思議だったのは、戦いの主役であったはずの南ベトナム民族解放戦線(通称ベトコン)の姿は一切なく、赤旗を振りながら戦車に乗った北ベトナム正規軍の姿ばっかりであったことだ。

少ししてその謎が解けた。それまでの20年近く、某大手新聞社らが報じ続けてきた南ベトナム民族解放戦線は、実在しなかったのだ。実態はすべて北ベトナム軍であって、共産主義やゲリラ特有の、西側マスコミを味方につけ戦いを有利に進めるための宣伝工作だったのだ。ところがこの私は、北ベトナムの南への侵攻だとは全く思わず、腐敗した南ベトナム政府に対して、その民衆たちの抵抗運動だと思わされていたのだ。南ベトナム民族解放戦線はそのように謳っていたはずなのだ。

おそらくこの宣伝工作に、最も引っかかって有効だったのが日本の大手新聞社だったのではないだろうか。しかし如何に愚かでも、早晩正体はバレていたはずで、20年近く最後までそれを訂正しなかったと言うのは、最初からの確信犯であったと思わざるをえない。
その偏向報道の流れに乗って学生運動をした私たち若者たちは、私を含めて本当に哀れである。中には検挙されて前科が付き、一生を台無しにした者も多かったと思う。

しかしベトナムで起こったこの1975年の事実すら、某大手新聞社は北ベトナムの正義が勝ったような慶祝扱いに終始した。自分たちが流し続けた南ベトナム民族解放戦線の真実、それを一切読者に知らせず、謝りもしなかった。権力を批判する権力社は、恥も良心もなかったらしい。どうしてそのような新聞社が大手を振って今も存在できているのか、実に不思議だ。

日本人には判官びいきというのがある。事の真実はどうでも、とにかく弱い者に同調し、味方する。ゲリラ戦の必勝法は、だましなどのような、どんな手を使ってでも、マスコミに同情させ、報道させ、自分たちの支持者を増やす戦い、情報作戦が成否を分ける。もともと力が弱いからゲリラ戦をしているのだし、西側世界の最大の弱点は報道の自由であって、真実は相対化されなかなか伝わらないことだ。ゲリラはそれが狙いである。

今でもISなどの情報作戦がどれだけ効果的かは論を待たない。この情報作戦が日本で非常に成功している例は、私はハマスであると思う。ハマスとはイスラエル南部海岸にあるガザを実効支配している自治政府のことだ。今の日本では、イスラエルは悪で、ハマスはかわいそうと言うのが通り相場だろう。(赤い所がハマスが支配するガザ地区。離れた所でヨルダン川西岸にパレスチナ自治政府がある)

昨日もNHK番組ではガザの女性起業家を日本に招いて、ソーラーパネルでその支援をしようとしている番組があった。電力に事欠く生活を、ガザの住民がなぜ強いられているのか? NHKはうまくその根源を避けていたが、イスラエルは分が悪い。ところが同じ状態にあるはずのパレスチナ自治政府(ヨルダン川西岸地方)では、一切電力状態は困窮していない。この根源である真実は、ガザを支配しているハマス自身にあるのだが、事情にうとい日本人は、あべこべに理解している。

情報は両方からとるのが基本である。ハマスの宣伝工作の目的とはこうだ。強いイスラエル軍が戦闘機などで、弱い一般人を無差別に攻撃し、子どもや女性を殺害している。「こんな非道なイスラエルを許すな!」と、全世界の人、国々がイスラエルに怒り、その応援団でイスラエルとの交渉を有利に進めたい。

以前よく流されたニュースに、イスラエル軍戦闘機がガザ地区の一般家屋に対し、ミサイル攻撃をした。(それがどうして一般人の家屋なのかは問われず)ガザ地区は、このような悲惨な状態にありますと、いたいけな子どもが傷つき運ばれている現場の映像を流しながら伝えるものだ。それを観させられる人々は、当然イスラエルへの敵意を持たされる。

これには訳がある。ハマスのミサイル攻撃は、一般人家屋だけでなく、時には病院とか学校、民家がよく選ばれる。そこには犠牲となるべき家族や人が住んでいる。西側の報道機関は、その時間になると待機させられ、イスラエルの攻撃直後に即座に現場に連れて行かれる。凄惨な現場では、どんなにイスラエル軍がひどいことをしたか、全世界に報道して下さいと言うわけだ。

これには周到な一つの仕組みがある。記憶間違いでなければ、「ハマスの息子」という本でそれは明らかにされていた。ハマスはまず犠牲者を選ぶ。日頃からハマスにあまり協力的ではない人々が選ばれる。選ばれた彼らの住むその住宅から、上空をパトロールするイスラエル軍機に向けて対空ロケットが発射されるが、家族が逃げることは許されない。逃げてハマスに撃たれて死ぬか、それとも名誉の殉教をして死ぬかが唯一の選択だ。運が良ければ生き残れるかも知れない。

攻撃を受けたイスラエル軍は発射先に向けて、当然反撃する。すると直ちに西側の報道機関が、ハマスに案内されて凄惨な現場に到着するわけだ。仕組まれ、お膳立てができているニュースを西側の記者達は、自国のメディアに流すわけだ。
これは一石二鳥の効果がある。つまりハマスに非協力的な態度を取るとこうなる、と見せつけて脅し、何も知らない西側世界の人々を見方につけることで、軍事ではかなわないイスラエルを追い込んでいくものだ。典型的なゲリラ戦の例である。

このような報道を、何も知らされない判官びいきの日本人は、「イスラエルは悪。気の毒なガザの人々を助けなくっては」と善意で行動する。まさにそれこそが作戦の成功なのだ。ある意味、このような効果が報道によって為されるからこそ、カザの人々はハマスによって殺され続けて行くのだとも言える。恐ろしいことだ。

いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」(マタイの福音書10章16節)



ケパ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗を食べながら

2018年04月12日 | 本・知識
Ustreamなどの設定に取り組んでいて、気分転換と小腹満たしのため、近くのお店で天津甘栗を一袋買った。

もしこれが日本製なら、とても買えない量である。袋を空けてみると皮付きで、一瞬「しまった」と思ったのだが、「笑った栗は、むきやすい」の意味がわかった。どの栗も皮が割れていて、剥きやすいのだ。これを「笑った栗」とは、よく言うよな、と思いながら食べると、確かに無添加・無加糖で自然な味がする。

栗をつまみながら思い出した。そう言えば高校生の時、歴史の授業で先生が面白いことを言っていたっけ、と。
「稲作が日本に入ってくるまでは、人々はどうやって生活していましたか?」「はーい、狩猟採集生活です」「その通りですが、狩猟は当たり外れが多かったので、保険が必要でした。それは何?」「・・・・・・・」答えは採集にあることは皆わかっていたが、何の採集であるかが、みんなは分からなかった。

「その時代の集落を掘ってみると、どの村にも共通したものがありました。それは背後に大きな栗林を持っていたことです。」

好きな人は少ないと思うが、私も栗の独特の匂いは嫌いである。しかし考えてみると、栄養価が高く、非常食にもなる栗は、簡単に採集できる類い希なる存在である。鋭い棘だらけを剥き、渋皮さえ取って焼けば、古代人にはこたえられない甘さであったはずである。戦国時代は勝栗として兵士の糧食にもなっていた。現代では秋のスイーツとして定番にもなっている。

そして私の設定で混乱した頭にも、栄養を与えて助けてくれたようである。神様は人間のために、こんな良いものを用意してくださった。感謝し、これからは匂いの方も、あまり嫌がらないことにしようかと思う。


ケパ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類かAIか?

2018年02月26日 | 本・知識
NHKで今夜やっていたのは、「AI(人工知能)か人類か」どちらが優れているかという対決ものだった。
ファションとタクシーと俳句作りで争ったが、今回はいずれも人類という、その道の一流職人が優れていたことになった。
しかしファションなら一流のコーディネーターが、かなりの時間選ぶ人と接して好みやこだわりを聞き出していたし、タクシーの場合で言えば、競う場所、名古屋一のドライバーとタクシーのAIソフトの勝負だった。つまり、超一流の達人とデータ活用のAIの勝負であって、これが超一流でなく、人間側が普通のできる人であったりしたら、これはAIの方が勝ったケースが多かっただろうと言える。またAIとは要するに膨大なデータ解析と学習機能がキモなので、データの見方とか価値づけ、またデーターを得るための方法やその種類を広げることまでは自分ではできない。どこまでいっても人間のプログラミング次第である。しかしさらにデータを積み重ねディープラーニングし、収集の目や解析事項が多くなれば、行く行くは個々の人間の能力を越えて行くことになるのは目に見えている。
だから今後はお金をかけ、新人研修や人を育てるのはごく一部だけにし、コピーすれば即座に熟練社員以上の働きをするAI社員を増やすだろうし、給料や休みが要らないので企業は儲かるだろう。そうなると企業はAIの優秀さが存亡の分かれ道になるだろう。AIか人類か、なんて言っていた今の時代は、飛行機が怖いから船で外国に行くといった類の笑い話になるだろう。

以上のようなことを考えていたなら、将来的にはロボット化と併せてほとんど仕事がAI化されて行く。今後はごく一部のAIをプログラムし、改良できる人さえいれば良いのだ。AI化されない職業を見越して仕事を選ぶか、AIの上に立つ仕事を選ぶのか、若年労働者が乏しいわが国にとって、これは明るい未来なのだろうか? いろいろ考えてしまう。

AIはデータの収集と解析、学習がポイントなので、今中国で試行されているように、国民の個人情報が丸裸にされ、管理されてデータ化した方が現金が要らない、何が必要とされているのか即座に把握できるなど、あらゆる面で効率的で、おまけに国民の思想信条まで統制がとれて、日本のような個人情報保護なんて言う国に勝つ時代が来るだろう。

それはつまり、反面恐ろしい時代が来ることでもある。ヨハネの黙示録13章17節にある、国民一人一人を完全に掌握し管理する時代がすぐ目の前に来ていると言うことだ。国に従わなければ、おそらく非国民、または反逆者として生存が許されない時代だからだ。
手始めはこんなケースはどうだろうか? 「皆さん、厚生省は国民の健康を守るために万病の元であるメタボを防止します。これからはメタボ、またメタボ予備軍とランクされた方の嗜好データによって、外食の場でのオーダーメニューが自動的に制限されます。この方策によって大幅に無駄な食料がカットされます」とか。(これなら私もすぐに従ってしまうかも ^0^)
また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。




ケパ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英語の正しい発音に、私の笑える話

2018年02月12日 | 本・知識
私たちの教会では賛美を大きく用いているだけに、新曲が毎年何十曲も出る。今年の曲をCDで聴いて、気に入った曲の一つに???があった。
英語らしいのだが何回聴いてもチンプンカンプン、意味が分からないのだ。どうしても「ガッテ-ン、ソーサ(ソ)ー」に聞こえるのだ。「ガッテンだ、そぉーそぉー?」なのか? まさか。この讃美者はハワイで鍛えた英語の出来る人なので、絶対そんな意味なはずがない。後で題名を見ると「God is Awesome!」だった。私の耳能力の至らなさを、思いっきり知らされた感じである。

続いて、1週間前の長崎での殉教記念聖会で聴いた素晴らしい特別賛美。この若い讃美者も英語は本格派である。ところがその曲で繰り返される1番大事な歌詞が英語で、これが聴いていてどうしても分からない。「ガスパイヤー」にしか聞こえないのだ。まさか!
後で分かったのだが「God's Fire」だった。聴いていたあの時分かっていたら、どんなに霊性が引き上げられて感動しただろうか、と感謝する。

ところが昨夜のNHKの「西郷どん」でジョン万次郎が登場したので(脚本家の、ほとんどあり得ないストーリー設定に、いささか鼻白んでしまうのだか)、改めて時代考証を兼ねウィキペディアで調べてみた。
それによると、彼は日本では土佐の漁師で、貧しかったため漢文とかの日本語を書く機会が全くなかった人物である。ところが米国では捕鯨船の船長(下の写真)の養子になり、向学心に燃え、造船技術など学校で最高度の技術を身につけた人物となった。しかしその発音は・・・
「こーる」=「cool」・「わら」=「water」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York」など。

実際に現在の英米人にジョン万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じるという実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音しやすい英語として教えている英会話教室もある。(以上がウィキペディア)

ワラ(water) やサンレイ(Sunday)で十分意味が通じるに驚く。してみると万次郎式で聞いた私のガッテ-ンソーサ(ソ)ーやガスパイヤーも、あながちおかしくはないのかも知れない(笑)。

どうも、言語の修得は耳からの会話か、あるいは文字の目を通してからか、これは大きな分かれ道があるようだ。脳の思考までバイリンガルには、なかなかなりにくいようである。私は文字派なので、どうも聞き取りには弱いのだ。

以上が私の独断的、とり繕い的見方である。


ケパ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎でのミッケ

2018年02月09日 | 本・知識


今回の長崎行きで、たまたま目にとまった1冊の本を買った。

普段私は、極力書店での本は買わないようにしている。なぜならキリスト教関係の本は、ある程度年数が経っていても構わないし、ネットや古本屋でなら格安に手に入れられるからだ。

ところが殉教ツアーが終わり、バスセンターで最後の最後、ドルカスがお土産の物色をしていた際に、ふと目にとまったこの本、見本をめくってたちまち「こ、これはすごい本だ❗」と。

そこで、例によってネットで調べたところが無い! それもそのはず、これはわずか一ヶ月少し前、12月25日、クリスマスに初版発行の、ピッカピカの初版本だった。「うーん、これは当分中古にはならない」「おまけに版元が地元の長崎文献社、これはなかなか流通ルートには乗らない(つまり、通常の本屋ではなかなかお目にかかれない)だろう」。と言うことは、今ここで買わないと、かなり面倒くさい手続きを踏むことになる。しかし私的には安くない買い物である。買うか、買わないか、あれこれさんざん迷って、とうとう出発間際、「エエイ、ヨッ」と買ってしまった。

買ってみて、珍しくこれは後悔しなかった。この本は全編マンガで、わかりやすさ抜群である。長崎というキリシタンの特別な町の歴史を、実に丁寧に要点だけ載せてある。しかも漫画家と思ったら学者で、資料の網羅にはびっくり(※文献的に例えただけで、漫画家も実際には学者以上に調べる)。
と言うわけで、これまでのキリシタン関係の書の中では、すべてをわかりやすく網羅し、まとまっている。キリシタンについて、ついに万人にお勧めできる入門必読書が出たと思う。

版元 長崎文献社
著者 西岡由香
副題 マンガで読む長崎キリシタン史
題名 愛のまち
価格 1800円(税別)




ケパ





コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする