この日曜日の礼拝メッセージが、音声不備のためYouTube配信ができませんでした。
昨日のブログに書いたのですが、私たちは、あることに気がついたのです。
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昨日のブログに書いたのですが、私たちは、あることに気がついたのです。
今日の夕方近く、突然に電話が鳴った。それは月刊誌「🌈雲の間にある虹」からで、以前それに載せていただいた私の記事の号を「今、大量に処分しようとしている。欲しくはないか?」と言うものだった。おまけにそれは私がいくつか書いた記事の中でも、その号だけ在庫が少なかったもので、即座に「喜んでいただきに伺います」と答えた。
それは「結腸ガンの疑いからのいやし」と題したもので、その内容をかいつまんで言うと、検診の結果、大きなガンを疑われ、急遽、確認のための内視鏡検査を受けたあらましである。※2010年11月号 手元に在庫がある限り、無料でお渡しします。
この時私は、こんなに大きなガンが急速にできたのであれば、生存にあまり希望は持てないなと思った。それで祈った。「神さま、私は天に召されて行くのでしょうか。それならそれで構わないのですが、あなたからいただいている使命、教会の牧師として立ちリバイバルの使命を果たせ、が未だです。更にドルカスに約束した二人一緒に携挙されよう」が果たせなくなるのでしょうか」と。
結局この時私は、死を現実に覚悟しながら、「天国へ行ける」喜びの方が自分を強く支配し、恐れに優っていたことに自分自身驚いた。愛する父の元に行けるという喜びと平安があったのだ。死の苦しみがあったとしても、それは生みの苦しみ、いっときのものだ。
内視鏡検査は別室で数人の医師が見守る中で行われ、私もモニターを見ていたが結果的には全くの異常がなかった。あのレントゲンの大きな腫瘍らしきものはいったい何だったのか?信じられないほどの結果だった。
翌日のこと、この結果をP牧師に問われた際、聖霊が私を強く促したため示しを告げ、使命を果たすための「マケドニアの叫び」牧師派遣第1号となった。後で考えてみると、それを実現させる絶妙なる神の計画、マケドニアの叫び、レントゲン写真の取り違えとしてしか理解しようのないものであった。
この経験で、クリスチャンは死を恐れるどころか、血肉の体の制約からの解放を喜ぶという体験をしたし、もし命がこれからもあるのであれば、使命を果たすために宣教に立つようにと示され、この船橋に牧師として即座に派遣される成り行きになったのだった。
定期検診とそれからを、神様は実に絶妙なタイミングで、その計画を進めてくださった。そのことを思い出し、畏れ、主を褒め称える。
†「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。」
コリント人への手紙 第二5章1~2節聖書 ©2017
ケパ
今更ながら、である。教会の大切さを思った。
聖書では教会はキリストの体(からだ)である。キリストの体に例えられた教会は、目や耳、手や足という各肢体の部分となる教会員で構成されている。
※「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です」(1コリ12:27 ©️2017)
体であれば、不要な部分は何一つ無いし、どこか体の一部が怪我をしたり、痛めば、それは即座に全体が痛むのは当然だ。だから教会では互いに助け合うし、祈り合う。(写真は最近訪問した教会)
それ以上に大切なのは、教会は聖書を教え、信仰を育てる母体である。罪を教え、悔い改めの洗礼を授け、証と伝道の器と変えられていく。大切なのは、聖霊を宿す自分を、教会という御体の中にはっきりと属させることだ。教会に属し、その体の部分として立っていないクリスチャンは、例外なく信仰を失うか、挫折して行く。
それはまるで、植物が発芽しても根を張れず、幹とか茎がふにゃふにゃしてしまい、しっかりと立てないでいるようだ。
また伝道という面からも、個人的に伝道しても、本当に相手を思うなら、必ず教会に誘い、教会で牧師を通してのきちんとした信仰を持つ必要がある。(牧師夫妻です)
教会に属すると言うこと、教会の大切さを知っていることは重要だ。現代ではインターネットが普及し、オンライン会員としての存在も認知されるようになって来た。しかしできるだけ出張や直接行動して、礼拝や集会に機会を捉えて参加する、顔を覚え合うことは必須だと思う。何よりも互いの祈りが異なって来るし、一致が進んでくる。この時代、そのような道具が一般化しているので尚更だ。
ケパ
を離れて
「痛い!」とドルカス。
「どこが?」
「肩、右肩の関節が。」
「関節、じゃあ六十肩でもなさそうだなぁ・・・」と言いつつ、私にはその痛みの経験がないので、ドルカスの痛みを思いやることができない。寄り添って祈ろうにも、どうも迫力が出てこない。とはいえ癒しのお祈りはした。
これは身体の痛みだが、その時なぜか、父の葬儀の時のことを思い出していた。父は長年町政の重責を果たし、在職中に突然逝った。私と言えば弱冠29才で、葬儀では境内を埋め尽くした千人近い人々に、喪主として立ったのだった。それで自宅の外を出歩くと、あちこちの人からお悔やみの声をかけられた。
口上を述べる向こうは父を知っているからだが、受ける私は相手を全く知ってない。父との関係がどれほどあって、それでどれほど悼んでくれているのか、それがわからない私にはどうにもと惑うばかりだった。
そんな中にも「実は最近、私も親を亡くしたばかりで・・・」と語りかけてくれる人がいて、そんな人に対しては私も心を開かさせられた。慰めは、体の痛みのように、同じく痛んだ人でなければなかなか通じるものではないようだ。
家族を失って12年になる。その時痛切に感じたのは、家族の大切さだった。私が学んだのは、信仰を除けば、男が外でどんなに成功しようと、出世しようと、家に帰れば荒んだ家庭、バラバラの家族であれば、そのすべては虚しいということだった。無論私は成功もしなければ、そんな家庭を顧みない男ではなかったはずなのだが、それなのにいちばん大切な家族をすべてを失うことになった。そして痛切に反省したことは、仕事のあまり、家族との時間を大切にしてこなかったことだった。夫婦のすれ違い、それは妻の心の病のせいだったと自己弁護する気は無い。私が家庭を大切にできなかった報いを受け、家族がその犠牲になったのだ。
しかし逆に神しか私に残されていなかったのは、本当に祝福だった。こんな私を神は、十字の愛を持って愛し、待ち続けたと語ってくださった。信じ難いこの神の語りかけ。この愛に比べられるものはない、そうはっきりわかった。
私は捨てられる一切を捨てて、神の導きにより上京して献身。もう一つの語りかけ、「あなたは結婚する」の通りに、上京して一年余りで再婚した。その時私が神に願ったのは、共に時を過ごすことだった。
確かに体が違えば、痛みは分からない。しかし同じ空間と時をつとめて共有することはできる。すると、確かに痛みは分からなくても、痛みを理解し、思いやることはできる。場所と時間を共有する、つまり夫婦はいつも一緒でないとしていけない。そうでないと、世界が異なってしまい、心も異なって理解し思いやる土台が困難である。
ケパ
聖書にこのような言葉があります。
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
先日ね。このみ言葉の恵み受け取りました。
実はいつも使っている大切なものを置き忘れた。どこに置いたのかわからない。途中で記憶がないのよ。
神様に、あぁどこに置いたか忘れました。記憶が戻りません。プッツンと切れた記憶戻りません。感謝します。こんな私を責めようにありません。感謝です。この数日そのように祈りながら探してました。
祈って、あっ!ここ?あそこ?と捜しても見つからない。諦めようかと思うけど〜
求め続けよ。捜し続けよと。心に思わされ諦めかけては祈った。
一昨日お風呂に入った時、祈ってたら、フッと、あれ?あそこ見てない。👆と思わされ
慌てて着替えて、ケパさんに「私あそこ見てない。捜してない」と言いながら、ベットの下のパジャマ入れの引き出し開けてみた。一番上のパシャ探ったけどない。
ないか〜と目を移動したら、そこにあった。
ケパさんあった。見てみて〜あった。
ねぇ✨一緒に喜んで〜 ぇ
天のお父さまに感謝しました。諦めず捜し続ける事出来ました。見つかりました。
なんて嬉しいことでしょう。もう見つからないよ。と
再度作ってもらわなきゃと、諦めかけてた。けど諦めきれず祈ったのよ。
どのような事も諦めず求め続けよう。捜し続けよう。叩き続けようと、信仰の告白です。
聖書の言葉は素晴らしいですよ。
ハレルヤ〜 ここに証しします。
ドルカス