今夜9時のNHKで、東北地方復興の最大障害となりつつある、津波で生じたがれき処理の問題を取り上げていた。昨年12月はじめに私たちが石巻を再訪した折りにも、市の広大な一等地に積み上げられたがれきの膨大さに、目を見張ったものである。海岸ちかくの広大な広場に、高さ15~20mの山が築かれていた。この処理は緊急の課題だと思った(写真は石巻ではなく、別の被災地のものです)。
被災地では処理施設も復旧していないので、当然国は全国に協力を呼びかける。神奈川県は復興のために、県をあげてこれに応じようとしているのだが、TVでは説明会における県の苦渋を伝えていた。
神奈川県知事の説明では、放射能汚染の心配のないものに限って受け入れ、県内の4、5カ所の施設で処理、残土は県の埋め立て処分場で最終処分するというものだった。が、それに対する参加市民の意見は、「説明された放射能数値で絶対大丈夫だという、将来にわたっての保証はありえない」とか「私たちの地域をこれ以上汚さないで!」とかの、反対のための反対だった。被災地の犠牲になることはたとえわずかでも「断固拒否」の態度で、要するに地域エゴ丸出しなのだ。
ある人はインタビューに答えて、「神奈川県知事は神奈川県民の幸せを考えてない」とコメントしていた。これを被災地の人が聞いたら、どう思うだろうか? そういうことなら、原発はともかく、あらゆる迷惑施設は、その受益地のただ中、街の真ん中に設置するのが妥当になる。
思い出したのは、地震の直後、東京のスーパーでは、缶詰やインスタント食品が買い占めされたことだ。浅慮な「自分さえ良ければ」のエゴ丸出しを見た時、今日と同じように人間の身勝手さ、サタンに支配されている現実を強く感じさせられた。互いの痛みを共有し合うということが、こんなにも遠いことなのだろうか、と思う。
私たちの国の有り様は、結局は一人一人の心による。その一人一人の心を変えるのが唯一の神、イエス/キリストの十字架だ。深い罪の自覚。その叫びを受けとめてくださり、十字架にかかってまで愛してくださった。この愛こそエゴを根本的に変える力があり、人類全体を救う希望がある。 (ケパ)