ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

30日水曜日のツアー

2013年10月31日 | 派遣
2日目ツアー
エルサレム2日目、最初は黄金門で礼拝と全員で写真撮影。 その行く途中車窓から見たいと思っていた門のひとつを見ることができて感謝。 1番美しい門です。ガイドさんの説明のある門は「ダマスカス門」

旧市内ツアー組はビアドローサを聖墳墓教会まで歩く。 その後昼食をレストランでゆっくりとして、午後のツアーが始まる。午後はエルサレム旧市内の西側シオン門の近く、最後の晩餐の部屋、鶏鳴教会のあるカヤパの家を見る。まさに聖書に書かれた事実を知ることができる。と言っても実際はもっと深い地中に埋まって居る。

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おはようございます

2013年10月30日 | 派遣
おはようございます
こちら今、朝食を済ませ、8:14am
ロビーでフリーWIFI挑戦中のケパさんです。ようやく昨日のこと送れて感謝します。 今日は黄金門に行ます。

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29日火曜日のツアーは

2013年10月30日 | 派遣
29日火曜日のツアーは
39名参加 エルサレムのホテルを9:30頃出発し、死海のミネラルを用いた化粧品で有名なアハバ工場へ訪れる。なかなか肌に良い化粧品のようだけれど、問題は香りで、どうも私には馴染めないのてす。

次に訪れたのはマサダの城壁。ここはイエス様の生誕された時のヘロデ王が築き上げた要塞のような城跡です。ヘロデ大王は、ここを冬の宮殿に、また反乱時の逃げどころとして天然の要害に作り上げたのです。後にここはエルサレムがローマによって滅亡した生き残りが立てこもった、ユダヤ最後の拠点となりました。 このマサダの陥落は、ローマ兵が乗り込んでみると、立てこもった子供から老人まで、千人が自決していたという最期でした。ユダヤ二千年の、国なき民としての漂流がここからはじまったのです。 ですからホロコーストなど苦難を経て、再び国を回復したイスラエル人にとってここは、まさに独立の聖地となっています。と言う説明を聞きながら、再び地上に戻りました。

そして死海でひとときを過ごしたツアーでした。

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エルサレムから

2013年10月29日 | 派遣

エルサレムから
昨夜遅くと言うか今日になってエルサレムのホテル到着でした。 オーストリア組と出会い朝食後、マサダへ向かいました。バスの中では流れるCDを聞いて新しい歌集を開いて練習します

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フランクフルト

2013年10月29日 | 派遣

フランクフルト
空港に着きました。 体調の悪い人達は迎えの車で先に行きます。私たちも移動します、これこら空港内電車で移動。 セキュリティを通過して、ドイツに入国して、トランジットです。

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書いてなかったですね。

2013年10月28日 | 派遣
てっきり
実は、今日から来月9日まで、イスラエル派遣です。 昨夜のBlogで紹介してなかったですね。 来週の礼拝の用意をして、コールもホテルに預け、全て準備オッケーかな。と今朝までパッキングして、徹夜になりました。感謝。今機内整備のため少し遅れてます。 搭乗待ちしてます。

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成田です

2013年10月28日 | 派遣
成田です
ルフトハンザ組全員揃いました。 バスポート集めてます。 今日は晴天気持ちが良いね。

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出発の朝

2013年10月28日 | 派遣
出発の朝
おはようございます。いよいよイスラエルへ出発です。6時前には家をでました。移動中です。 写真は 我が家から一番近い海、海老川河口にある臨海公園からみた、東京湾で一番北側。

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船橋の源

2013年10月27日 | 示されたこと

  水の起源というものは、とても意味のあるものだと思う。Photo

 

  今現在、私の住むことになった所は、祈りと聖霊のあふれる泉になる示しが与えられている。聖書では「いのちの水」が時の来た時、エルサレムから流れ出て、地をうるおすとされている。

 

  船橋に赴任が決まった時、市の中心部と東西南北の最端点まで歩いて行き、そこで賛美して祈り、聖書による神の言葉の宣言をしたことを思い出す。さらに同様なことを、市内にある主な施設を洩れなくした。そして今回、源である。この度は水の「源」へ行くことになった。

  

  「船橋」の名前の由来は、市街地の中心を流れる海老川が今よりはるかに大きく、橋を建てるのが困難であったようだ。そこで、川に小さな舟を数珠つなぎに並べ、船の上に板を渡し、橋の代わりにしたことから「船橋」という名がついたらしい。それなら、と今回、その当時の人々に親しまれた海老川の水源地に行って祈ることにした。

  

  結局、海老川というのは下流のなまえであって、三つの小さな川が一緒になってできている川だった。その中でももっとも長く、奥深い川をさらに調べることにした。・・・・・・苦労して探し当て(写真)て、とうとう判明した。その結果、川はなんと里山のきれいな流れが水源かと思いきや、団地また団地の谷間にある排水の調整池から流れ出る所・・・・・それが源であった。Photo_2


  私はよろこんで、臭気のただよう水源で賛美し、神の言葉を置いた。また私は、船橋という地域に対し、ますます伝道への意欲をかき立てられたとも言える。昔からの遊郭や遊興の地、今でも盛り場は非常に多い。

  また二つの競馬場や競輪、競艇などがある町でもある。船橋の港は東京湾の最北部に位置する。そして源はかつてはきれいな水だったかも知れないが、今は排水川である。このような地こそ神の前に悔い改め、キリストに拠って立つことで、驚くべき変身をする地だと思う。なぜなら、キリストが「多く許された者は、多く愛する」と語られているのである。その町が船橋であると。   ケパ

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賛美の時

2013年10月25日 | 教会のこと

賛美の時
 ケパ牧師のリードで、風のひびきから歌います。ひびけ!ゴスペル

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