白馬クリスチャンフィルムフェスティバルの最高優秀作品は
横須賀教会のイスラエルちゃんの作品
「The Light of Hope 」が、三冠に輝きました。
父ちゃんにもここに一緒に立って欲しかったけど、涙だね〜と。制作者の三女です。
ドルカス
白馬クリスチャンフィルムフェスティバルの最高優秀作品は
横須賀教会のイスラエルちゃんの作品
「The Light of Hope 」が、三冠に輝きました。
父ちゃんにもここに一緒に立って欲しかったけど、涙だね〜と。制作者の三女です。
ドルカス
2日目の朝、早天をした後、早天礼拝で賛美を心から捧げ、証しを聞き、メッセージで満たされました。データー配信が購入できますか、どうぞ試してね。
そしてケパさんは、祝祷の奉仕がありました。
午後には、HCFF 白馬クリスチャンフィルムフェステバル 夜の聖会で発表です。
今回ちっとも食事風景撮れてませんね。明日の朝にバッチリ撮りますね。
夕方からの、ザンビア孤児院の報告会に出ました。ストリートチルドレンの子供達の保護してます。64名の保護をしてます。
とても良い報告会に出席できてよかった。
そろそろ夜の聖会が始まります
今日27〜1日まで毎年恒例の、白馬スネルゴイキャンプが始まります。今回は4人で行かれるね〜
白馬キャンプの案内など上がっています。
もちろんこのケパとドルカスblogも、そしてFacebook、Instagram、もご覧くださいね。
更に音声配信も有りますよー。こちらは有料でで視聴は¥1000 です。
2019年白馬スネルゴイキャンプ音声配信 | アストンショップ
ドルカス
「痛い!」とドルカス。
「どこが?」
「肩、右肩の関節が。」
「関節、じゃあ六十肩でもなさそうだなぁ・・・」と言いつつ、私にはその痛みの経験がないので、ドルカスの痛みを思いやることができない。寄り添って祈ろうにも、どうも迫力が出てこない。とはいえ癒しのお祈りはした。
これは身体の痛みだが、その時なぜか、父の葬儀の時のことを思い出していた。父は長年町政の重責を果たし、在職中に突然逝った。私と言えば弱冠29才で、葬儀では境内を埋め尽くした千人近い人々に、喪主として立ったのだった。それで自宅の外を出歩くと、あちこちの人からお悔やみの声をかけられた。
口上を述べる向こうは父を知っているからだが、受ける私は相手を全く知ってない。父との関係がどれほどあって、それでどれほど悼んでくれているのか、それがわからない私にはどうにもと惑うばかりだった。
そんな中にも「実は最近、私も親を亡くしたばかりで・・・」と語りかけてくれる人がいて、そんな人に対しては私も心を開かさせられた。慰めは、体の痛みのように、同じく痛んだ人でなければなかなか通じるものではないようだ。
家族を失って12年になる。その時痛切に感じたのは、家族の大切さだった。私が学んだのは、信仰を除けば、男が外でどんなに成功しようと、出世しようと、家に帰れば荒んだ家庭、バラバラの家族であれば、そのすべては虚しいということだった。無論私は成功もしなければ、そんな家庭を顧みない男ではなかったはずなのだが、それなのにいちばん大切な家族をすべてを失うことになった。そして痛切に反省したことは、仕事のあまり、家族との時間を大切にしてこなかったことだった。夫婦のすれ違い、それは妻の心の病のせいだったと自己弁護する気は無い。私が家庭を大切にできなかった報いを受け、家族がその犠牲になったのだ。
しかし逆に神しか私に残されていなかったのは、本当に祝福だった。こんな私を神は、十字の愛を持って愛し、待ち続けたと語ってくださった。信じ難いこの神の語りかけ。この愛に比べられるものはない、そうはっきりわかった。
私は捨てられる一切を捨てて、神の導きにより上京して献身。もう一つの語りかけ、「あなたは結婚する」の通りに、上京して一年余りで再婚した。その時私が神に願ったのは、共に時を過ごすことだった。
確かに体が違えば、痛みは分からない。しかし同じ空間と時をつとめて共有することはできる。すると、確かに痛みは分からなくても、痛みを理解し、思いやることはできる。場所と時間を共有する、つまり夫婦はいつも一緒でないとしていけない。そうでないと、世界が異なってしまい、心も異なって理解し思いやる土台が困難である。
ケパ
聖書にこのような言葉があります。
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
先日ね。このみ言葉の恵み受け取りました。
実はいつも使っている大切なものを置き忘れた。どこに置いたのかわからない。途中で記憶がないのよ。
神様に、あぁどこに置いたか忘れました。記憶が戻りません。プッツンと切れた記憶戻りません。感謝します。こんな私を責めようにありません。感謝です。この数日そのように祈りながら探してました。
祈って、あっ!ここ?あそこ?と捜しても見つからない。諦めようかと思うけど〜
求め続けよ。捜し続けよと。心に思わされ諦めかけては祈った。
一昨日お風呂に入った時、祈ってたら、フッと、あれ?あそこ見てない。👆と思わされ
慌てて着替えて、ケパさんに「私あそこ見てない。捜してない」と言いながら、ベットの下のパジャマ入れの引き出し開けてみた。一番上のパシャ探ったけどない。
ないか〜と目を移動したら、そこにあった。
ケパさんあった。見てみて〜あった。
ねぇ✨一緒に喜んで〜 ぇ
天のお父さまに感謝しました。諦めず捜し続ける事出来ました。見つかりました。
なんて嬉しいことでしょう。もう見つからないよ。と
再度作ってもらわなきゃと、諦めかけてた。けど諦めきれず祈ったのよ。
どのような事も諦めず求め続けよう。捜し続けよう。叩き続けようと、信仰の告白です。
聖書の言葉は素晴らしいですよ。
ハレルヤ〜 ここに証しします。
ドルカス
夜は全員で、オンラインで礼拝中です。
賛美して、預言を聞き
聖餐式も共に受けます。
メッセージは、聖書 ローマ 12:12を開かれます。
P牧師がこれから語られますが❣️
船橋教会主日礼拝の聖書箇所と同じ章が、開かれました。ワクワク〜ですね
ドルカス
おはようございます。
今日の礼拝は、ここ
教会Officeで、致します。
今日は始まりが、ごちゃごちゃしてしまい、迷惑おかけしました。
今日はドルカス、証しに立ちました。とても嬉しかった感謝の証しです。後日blogに書きますよ。
メッセージは、聖書 ローマ 12:1 を開きます。テーマを「まことの礼拝」
ケパ牧師にこやかにメッセージされてます。
ドルカス
JR船橋駅方面にある教会Officeに聞く道沿いで必ずチェック。
海老川沿いに染井吉野に混じって植えられてる、河津桜が見時です。
濃いピンクで桜の時期には、ずいぶん早く楽しめます。ちなみに私の住宅地範囲には梅の花ご、あまり見れないので、楽しみな時期ですね。
今日は特に気持ちの良い日だから、多くの人が楽しんでるでしょう。
花が咲き緑に変わる大地、もうすぐ大好きなシーズンが到来します〜
ドルカス
ろ今日は22日で、ニャンニャンの日である。この日、猫写真家岩合光昭さんの初監督作品「猫とじいちゃん」が封切りされた。
全編、どのシーンにも猫が登場し、猫好きのドルカスはずっと興奮していた。そして主演演技大賞は、猫「たま」である。さすが岩合さん、猫の取り方が超グッドだった。ほっこり、癒やされるったらもう、素晴らしい。
ストーリーは妻に先立たれた高齢者が、妻の忘れ形見の猫「たま」に連れられて毎日散歩していく。その中で、港では漁師達との挨拶し、旧友と出会い、郵便配達の教え子や、診療所の派遣医師などと交流する交流していく。
この猫島は、愛知県の三河湾に浮かぶ孤島で、正式には佐久島と言う。人口が250人を下回る過疎の島だ。愛知県の三河湾に浮かぶこの島は、アートと猫の島と呼ばれている。
ストーリーは、島の人々に支えられて生きる父を案じる息子という老齢問題、島にカフェを開くためにやって来た女性(柴咲コウ)による島起こし、高校卒業を控えての若い二人の別れ、などなどが描かれていく。しかしあくまで主人公は猫のたまなので、あまり深くは掘り下げていかない。
ただ一つ、困った問題が生じている。元猫屋敷の女主人ドルカスが、封印して来た「猫飼いたい」病が、再発症しそうなことだ。現住まいのマンションは犬猫飼育禁止。マンション理事長の私としては内乱の予感がし、クワバラ、クワバラ。神様にお祈りする。
ケパ
この前、定期の歯科医院で受けた治療のメニューは次のようになる。
①問診〜前回、と言ってもこの数週間の間に、歯と口に何らかの異変は感じなかったか?
②プラーク(歯垢)コントロール〜歯肉や歯磨きの状態をチェックし、歯磨きのブラッシング指導をする。(10年経っても磨けていない所が、毎回必ずあるのが実情だ)
③カメラ撮影〜歯の状態を大きくディスプレイに映し出して、①と②の視認をする。
④歯周ポケット測定〜歯周病は歯と歯茎(歯肉)の深さを測ることで測定できる。針を刺して測るので、痛い人もいる(ポケット内に住む嫌気性菌による歯槽骨破壊を防ぐ)。
歯周病は30代以降、急速に進行し、歯科医院以外ではそれを止めることができない(これは体験上絶対!)。歯の土台の顎の骨(歯槽骨)を溶かして歯が抜けるのが歯周病。沈黙の病気と呼ばれ、気付いた時には手遅れかも。
⑤ 医師による歯全体のクリーニング〜歯石などを粉砕し除去する。これなくして自分の歯は守れない
⑥最後はマウスピースの調整,〜寝ている間の歯を守り、歯の移動を抑え整える・・下はそのイメージ)
高校生頃から長い間、私には【歯】の問題があった。その頃はまだ虫歯だったが。それが・・・・
40代後半、歯槽膿漏のため右奥歯を三本も抜いた。どんなに痛み止めを呑んでも、全く効かなかった。一晩中痛みで床をゴロゴロ、転げ回ること三回。
それ以降、医院から数ヶ月したら来てくださいと言われたのに、痛みのトラウマでその治療を放棄していた。すっかり歯科医恐怖症になった私は、以後4、5年も放ったままであった。すると歯は何と移動し、歯並びがガタガタになって来てた。歯全体がおかしい。このままでは、総入れ歯目前という予感が湧いて来る。
ちょうどその頃、神に触れられ、牧師として献身する召命を受けた私は、愕然とした。牧師って、今以上にしゃべる仕事ではないか。こんな歯無しでは、その使命が果たせないのではないか、と。(今行きつけの高円寺の歯科医院。良い歯科医に出会われるためには、お祈りをおススメします)
それで悔い改め、これまで避け、逃げ続けて来た歯科医院の門を叩いたのが53歳の時だった。私の歯を見た医師はこう言った「あなたは毎週必ず、ウチに通い続けることを約束できますか?」約束しないなら、助けられないという意味である。「通います。先生お願いします!」
まさかそれから、所を東京に移しても、毎週必ず通う、が十年以上も続くとは、そこまでは私は想像できなかった。現在でも月一は必ず通っている。
感謝することに、53歳から通いはじめて以降、入れ歯はインプラントのおかげで無く、歯槽膿漏は劇的に改善され、一本の歯も抜けていない。歯は、断崖絶壁の上で、かろうじて持ちこたえて14年になる。
多くの日本人には、過去の私を含め、歯科医院に定期的に行かなければ、決して今ある自分の歯が守れないというデンタルIQが決定的に不足している。痛くなってから医院に行く、なんてのは情けない実態である。
そしてとりあえずの治療が済めば歯医者に行かなくなる、本当にもっと最悪である。治る、とは歯科医院の手助けなしに不可能だし、いずれ歯無しになることは目に見えている。歯が無い人生とは、食べたいものを食べれる、明瞭にしゃべる、思いっきり口を開けて笑えるリア充人生とは・・・言い難い。
今ある自分の歯を守るのはあなたの自覚と責任。神の前で、与えられた体をぞんざいにした言い訳をするようになる前に、今からでも遅くはない、悔い改めてレッツゴー、予防歯科へ。
ケパ