ある心理学系の本にこう書いてあった。
「健康で、幸福で、適応性のある大人になるのは、愛を教え込まれた子どもでなく、愛を体験したこどもである。私たちの現在の自信と安定の状態は、私たちが知的に学習したことよりも、経験したことの結果なのである。」
言い換えると、愛を体験した子どもなら(実はこういう限定を付けるのは本意では無い)、社会に適応する大人になり、我が子に自分が受けたものと同じ(真実の)愛を伝えることができる。
わたし自身のことを振り返ると、実は「愛を体験した」とは思えない。私の母もそうだったと思う。愛が不毛の家系ではないか?とすら思う。だから先の見方で言えば、私は愛を知らない者である。残念ながら、受け入れたくはないものの、それは真実だろうと自分でも思う。
信じてもらえないかも知れないが、私は子ども時代、幾回もの自殺志願者だった。満たされぬ愛に飢え、愛を激しく渇望した。よく近くを流れている川でオフィーリア(シェークスピアの悲劇「ハムレット」の恋人・・・上の絵)のようにおぼれ死んでしまえば、母だって少しは痛みを覚えるだろうとさえ思っていたのだ。それで何度も夜の川に入った。死にきれなかったのだが・・・・・。
今梅雨時であるが、突然雨になった放課後は私にとってつらい時だった。なぜなら小学校の同級生の多くは、傘を持って家族が迎えに来ていたからである。「ただの一度も!」私にはなかった。それでもどうしてかいつもかなり待って、そして最後の一人になる前に雨の中に飛び出すのだった。
成人前後に、「愛を受けずに育った」という自分について、それは子ども時代特有の思い過ごしだと思いたくて、母に確かめたことがある。
一例だが少学2年生の時のこと、帰宅していざ夕飯を摂ろうとすると、急に様子が一変して取り調べがはじまった。それは私が級友の転がってきた10円玉を着服したという容疑だった。身に覚えがないので、とうぜん泣いて体をふるわせて(親ならそれが真実であることが明瞭にわかったはずなので)「盗んでない」と訴えたのに、どうして「先生が言っている、だから嘘でもいいから盗んだと言いなさい」と母は言ったのか?・・・・etc。
その結果、残念ながら冒頭の名言を裏付けるものであった。母もまた、愛を受けずに育った人なんだと。
ドルカスを神が私に引き合わせてくださって、しばらくして明瞭にわかったことがある。「この人は愛を体験し、愛の中で育っている」と。「なんて幸せな人なんだ」と思った。どんな財産や家柄があったとしても、愛のある家庭の豊かさに匹敵するものはない。いや、それら地上の目に見える富みがあるがゆえに、見えない愛を失っている家庭が多いのだ。
しかし、しかし、である。このような「愛」の不足と渇望は私をあるところへ導いた。それは「天地の造り主なる永遠の神、イエス・キリストへ」だった。私は生まれながらに、教えられもしないのに「神は唯一」だと知っていた(と、後年父が私に言った)。仏壇や神棚を拝んで回る父の真似を決してしないどころか、それを注意したらしい。7,8才の息子の言葉に父は絶句したようだ。12才で、ただ本を読んだだけで、キリストが自分の神であることがわかった。それから半径20数キロ以内に教会がないので、いつか教会に行ける日を待ち望むようになった。とうとう高校生になって、バイクに乗るようになって私は、親に内緒で、当時からすでに年寄りばっかりの教会に通うことができるようになった。聖書を読むことや教会の礼拝に行きたがる、変わった少年になった。
確かに私は愛を得ることなく育った。これはざらにある、ちょっとだけかわいそうな子どもだったかも知れないが、本人には大問題だ。しかし驚くことに、これがすばらしい逆転の祝福となった。親の愛にはるかに優る、自分の命にも優る愛を、なんと天の真の父から注がれ体験したからだった。肉の親から得られなかったのだが。私は今心の底から幸せである。この世の何ものにも代えられないもの、そして誰もこの私から奪うことができない喜びの中に生きている。
自分は愛を体験していないなどと嘆いてはいけない。大丈夫。あなたは神様からの最高の愛を受ける、すばらしい恵みにあずかれるのです。全世界のキリスト教の歴史が、そのあまた多くの殉教者の命が、それは真実であることを証明しているのです。確かに「神は愛」そのものです。 ケパ