ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

寝るネコ

2015年06月30日 | ネコのコールと‥‥
ネコは本来夜行性動物なので、昼間は、まず寝て過ごすというコールです。

だからちょっと声をかけても知らん顔ですぐ寝る

実は今日の私は少し仕事したと思うと、全身疲れを覚え、コールの側でゴロンとしたくなる。
ケパさんが仕事している傍で、コールと一緒にゴロン。首が張って痛い。起きてられない。頭が働いてないとか言ってたらしい。そして「キッ❗️」っと起きてはチョコっと動き回りまと、ダウンの繰り返し。

ケパさんに癒しの祈りしてもらい、知恵知識の言葉を握ってからやっと午後おそくなって正常になった私でした。
今日のお天気の状態も影響してたと思うけど、雨が降り出したら、すっきりとしてきた。

コールはさらに時間たって、先程から外の様子伺いに窓際に寄って来て、ケパさんの仕事の邪魔⁉️してます。
そろそろ私達は寝る時間なのですけど。

明日は水曜礼拝です。
ドルカス❗️
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レフト・ビハインド

2015年06月29日 | 映画•映像
先週の金曜日から始まった映画「レフト・ビハインド」を観た。題名からは「残された後の出来事」の意味になるだろうか。

前作のレフト・ビハインドと設定が異なって、今回の一作目は旅客機の機長扮するニコラス・ケージが主演で、その家族関係を中心に描かれている。聖書の「携挙」が中心なのだが、これから始まる患難から守られるためにクリスチャンと(神をまだ信じることができない)幼子たちが、今回は飛行中、昼間に、突然大量に消えていなくなる。するとどうなるか!・・・そのパニックを描いている。

一言で言えばこれは前作よりも、信仰を排したパニック映画になっている。四人家族で残された機長の娘が、これも残された牧師に怒り叫ぶ「(携挙で人を奪うなんて)神がこんなことをするはずがない」が心に残る。確かに、天国に行けずに残された(レフト)人々にとって、携挙は余りにも理不尽である。映画では直後の地上の混乱ばかりが描かれて行くが、実際にはこれから大患難時代が始まり、例えようもない恐るべき7年後のキリストの地上再臨まで続いて行く・・・本作のような患難前携挙説の映画設定ならば。なぜならこれからの地上は、サタンの完全支配となるからである。もしこの映画がシリーズ化されるならば、それが描かれるはずである。

ただ、この映画、日本ではあまり注目されていない。わずかな映画館しか封切られてないし、観客が余りにも少なかった。この調子では、すぐに打ち切りになる感じがする。そもそも日本ではキリスト教の土台がないし、日本の教会が携挙を軽んじて周知していないためである。クリスチャンですらレフト・ビハインドの意味すらわかってない人が多い。終末の時代、これは大きな問題だと思う。 ケパ
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帰る時間に

2015年06月28日 | 自然
夜の礼拝も終わり、今夜は9時30分には帰り支度が出来て帰ります。以前にも書きましたが、隣の空き地に一面に咲く宵待草が、今夜も可愛らしく咲いてます。

5月中頃に、楽しんでいたこの花があっという間に綺麗に草刈りされて、元の空き地化したのに、根は生きているから、今度は刈り取られる前に大急ぎで花をつけ咲いたね。春より随分と背丈の短い宵待草です。一夜花だけど次々と咲くので、今夜も和ませてもらえて、感謝してます。
ドルカス
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6月最後の日曜日

2015年06月28日 | 教会のこと
日曜日は、教会で礼拝いたしましょう。今日も船橋キリスト教会では礼拝が始まります。

本日のメッセージ箇所は、
聖書 使徒の働き1章8節 から「キリストの証人になる」をテーマにメッセージです。
オンラインで聞き漏らしてしまった方も、新しく録画するまでの一週間は視聴できます。ドルカス
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「海街diary」

2015年06月27日 | 映画•映像
映画「海街diary」を観た。後味がほのぼのして、江ノ電と鎌倉を舞台にしたいい映画であった。近年の日本映画は素晴らしいと思う。「くちびるに歌を」や「風に立つライオン」などなど。この映画は三姉妹で暮らしていた中、突然家族を棄てて再婚していた父の死と葬儀、そして再婚相手の女性が残していった、父の4番目の娘と暮らすことなった過程を描いたものだ。
いわば自分たちの父を奪って行った相手の子と暮らすのだがら、様々な葛藤を互いに出し合いながら、次第に心が一つになって行く、それが無理なく観ている者に溶け込んでいく気持ち良さがあって、「癒され系」の映画なのだ。特筆すべきは自然の美しさだ。桜を中心に、これだけでも相当癒される。

傷つき、憎しみを抱いて生きると、他ならぬ自分が憎しみの炎に一番焼かれてしまう。だからいろいろあっても、それぞれやんごとなき理由があって、一皮むけばみな良い人だった・・・と受け入れあい、恩讐を越えて行くのが、実際にはとても楽だし人生を肯定する上で必要なことだ。

ただし、である。これはあくまで日本人的な発想、スタイルであって、これはこれで大きな問題を抱えていると思う。と言うのはハリウッドにしても、どこかの国にしても、正義と悪、光と影であって、悪い奴は容赦なく滅んでしまうのが大体の定型である。みんな善人になってしまって、ホッとしている日本映画とは根本的に異なるのだ。
このようなみなそれぞれ訳があって、善人で処理してしまえば、人間が本来持っている罪性(原罪)が明らかでなくなる。キリスト教が広がらない原因が、そこに見えてくるようである。 ケバ
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今夜は雨ですが

2015年06月26日 | 生活
今夜は神学校の授業と深夜祈祷会です。雨降りにので、自宅で行うことになり、
神学校している間に
ケパさんが、ハンバーグ作ってます。中々の手付きでひき肉を練ってます。

授業を受けてる私は、時々中断して、キッチンへ駆り出されます‥‥

今は祈りの授業受けてます。チェコチームの証しが先にされました。恵みを感謝です。
そして、コールは

お気に入りの場所見つけて、お休み中ね。今夜は肌寒いよ。
食事が済んでからは、ちよっと時間がずれますが、祈祷会始まります。
ハレルヤ~ ドルカス
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老いと健康教室

2015年06月25日 | 健康・スポーツ
もう百日も前のことになるが、メタボ対策用に勧められ、3月10日に健康促進教室に行った。そこで腹筋を鍛えるよう、参加者の中ではなぜか執拗に求められ、私も「やらねば!」と実践した結果、数日して体の下腹部、ヘソの下の方に異変を感じることになった。何しろ普通の鍛え方だけでなく、歩きでも着地の瞬間につま先までに蹴り出すという、競歩のようなことを教えられたのである。

腹筋を痛めた結果、日常気がつかない腹筋の働きがわかった。朝一番にベッドから体を起こすのに、実はどれほど腹筋を使っていたのかを身をもって知ることになった。若い時なら考えられない体である。体の筋肉が柔軟性を失っていることを思い知らされると同時に、あの時の指導者はみな若かった、だからこういうことは分からないのだ、と気がついた。

みな自分の体験上の常識で考える。それは揺るぎない確信ともなっているのだろうが、老いる体験はできるはずもない。
似たような話で、生まれつき障害を持つ人の話がある。「目が見えなくて不自由でしょう」と同情されるが、見えたことが無いので、不自由さが分からない。だから同情は見当外れである、ナドナド。
相手の身になって考え、思いやることは生半可ではできない。 ケパ
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火曜日の予定は

2015年06月23日 | ネコのコールと‥‥
2週間に一度の歯科医へ行く火曜の朝、コールは確実に私を見張っていて、何か言いたげでね~

午後一旦帰宅して、ケパさんは耳鼻科へ、私は何かと避けていた、婦人科検診がいよいよその有効期間が押し迫って、決心して行くことにしたのです。
そんなでまたコールはお留守番。今度は何も言わず寝ている。ふて寝かな‼️

だからね。帰って来てちょっと可愛がってね。オヤツのヨーグルトを少し手に取り分けてあげたら、なかなか切りがなく、目を細めて舐め続けていた。

こんなコール見ていると、愛猫相手にと思うけど、心が優しくなるね。
留守番ありがとうね~

10日ほど前、田舎の友人の愛犬が亡くなった。友人は哀しみで何も言えない状態。私は哀しみから抜け出せますようにと祈るだけです。
そう言えば5月の連休明けにも、実家に預けた愛犬が亡くなったと連絡をくれた友人がいた。二人とは共にドックランへ行った愛犬達のママ。
罪のない犬や猫達。きっと天にいるのではないだろうかと思うけど、私達が天に行ったらその時にすべてわかりますね。

友人が今ある悲しみから少しでも早く抜けきれますように、ペットロスに落ちこまないでと、私は祈ります。 ドルカス
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学びの季節(原則と例外)

2015年06月22日 | 生活
最近は神学校も軌道に乗り、みな真剣そのものである。
この年になって学ぶことに抵抗がある方がおられるかも知れないが、私はすこぶる楽しい。「物忘れかひどくなって」という方もおられるかもしれないが、忘れる回数以上に、学ぶ回数を増やせば良いと、楽観的である。
要は覚えなければならないことを記憶脳に、あるいはテニスのプレーでショットを体に覚えさせるために、覚え出来るようになるまで執拗に反復練習をするということだ。これはたとえ何歳になろうと変わらない原則なのだ。ただそのことにどれほど意義を感じているかどうかが、やり続け、獲得出来るかどうかの差となってくる。

今日は夏至である。確かに夜7時を過ぎても明るい。そして今日は最近はじめたピアノのレッスンがある日でもある。ピアノの学びだって原則は変わらない。今のところ練習が楽しくてならない。少しずつても、自分が伸びて行くことが実感出来るからだ。楽しい、これが大切である。小学生の低学年や高校生でもやったが、今ほどそう感じることはない。
聖書の学びも楽しい。福音派の時代は難行苦行だったか、今は聖霊様の助けがあるから、パズルがあった時のように、楽しいのだ。こればっかりは、原則に反し単に練習しても開かれることはなかった。聖霊のバプテスマを受けてからは、全く違って、今まで閉まっていた聖書の難関の扉が、次々と開かれていくような、そんな感じの恵みなのだ。神の助けは、ビアノの先生レベルではない。 ケパ
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6月21日 主日礼拝

2015年06月21日 | 教会のこと

礼拝は賛美の時、今聖餐の時。そして、

今日のメッセージは、聖書ヨハネ14:23から、「2人の愛する父」
父の日にふさわしいメッセージですね。‼️ね ドルカス
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