船橋市内を北から南の東京湾へ流れる海老川の、太郎橋に近くにある4本程の河津さくら
東北、北陸、北海道では、豪風雪であったり、一回の積雪量が例年になく大雪であると、
一人暮らしは独身時代なら当たり前だし、そのことに何の疑問も感じなかった。
やがて七年越しの恋が実って結婚し、娘二人が誕生した。日曜日にはマイホームから、家族揃って教会に通う、そんな独身時代に夢見たことが実現し、すぐにそれが当たり前の生活になった。
ところが私が四十になる頃、妻が拒食症を再発症し、十年余りの壮絶な戦いの後、娘二人を連れ、私だけを残して亡き母の故郷に行ってしまった。「癒されたいの」に、ボロボロの私は大きな抵抗が出来なかった。離婚はしなかったものの、私は再び単身者の暮らしを余儀なくさせられた。
しばらくして、いくら愚鈍な私でも、もはや家族は元には戻れないことを知らされた。機会を見て会いに行けば、一言で言えば、ただ拒絶されるだけだった。
こうして否応なく始まった二度目の一人暮らしは、一度目とは全然違うものだった。一度目は、希望に満ちた日々であったが、二度目は逆で、喪失感にさいなまれる日々であった。生活に希望が全くなかった。ギリシャ神話のパンドラの箱ではないが、希望がない人生とは、まるで生ける屍のようなものだ。
食事はガソリンスタンドで燃料を補給するような味気なさ。仕事から部屋に帰っても、誰も聞かないのに、意味もない独り言を言ったり、就寝時には妄想の虜になる。最初の一人暮らしには感じなかった、喪失感と淋しさは何と例えたら良いのだろうか。有ったから辛いのだ。
無茶苦茶省くが、そんな私は信仰の世界が一新し、妻が召天後、献身して早期退職し上京した。命を捧げた決心だった。その後一年少し経ってから私は再婚した。
最初の結婚をすごく反省していたので、相手は神に委ね、お任せにした。私の意思や好みは関係なかった。しかしハレルヤ、再婚して十四年目になるが、孤独から解放され、まさに最高の結婚生活の中にある。
こんなにも恵まれて良いのだろうか、と思うほどである。二度の結婚で、その前に苦しんだことがすべて益と変えられた。あの塗炭の苦しい時代があったからこそ、今の平穏な夫婦生活が素晴らしいと喜べるのである。もしそうでなかったら、結婚相手を神様に委ねるとか、結婚生活の普段を、こんなにも感謝し喜べただろうか? 人生の後半を喜べることは、素晴らしいことだ。
たとえ試練でも困難でも、神が与えてくださるものは、人智を超えて、結果としてまさに完全、素晴らしい恵みである。
アーメン。
ケパ