ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

AI(人工知能)ロボットの時代と聖書の警告

2016年02月29日 | 聖書
この群れ、主の十字架クリスチャンセンターの預言では、「AIとインターネットがこれからは用いられる」と繰り返されている。そして最近のニュース(AFP)で、AIロボットが普及していく三十年後には、全人類の雇用の半分はロボットに取って代わられるだろうと報じていた。単に仕事、雇用という面から見るなら、【全人類の半分】は居なくてもやっていける世界となるのである。

上の写真は自動車の車体ラインの産業用ロボットであるが、もはやスポット溶接なような危険で迅速にかつ正確さを要求される作業には、人間不要である。ましてAI(人工知能)で動く人型ロボットが一般的な時代になると、3K(キツイ・汚い・危険)的な分野はもちろん、老人介護・タクシー運転手など、あらゆるところでロボットが働いてくれていることだろう。ロボットは二十四時間文句を言わずに働いてくれるし、AIとなると、賢く学んで忘れないし、指示に対し的確に応えてくれる。出来ないのに出来ると言ったりのハッタリもない。怠惰さとは無縁の勤勉な存在である。
特に車などこれからは、近い将来車体自体がロボットとなっており、車に乗り込んで、後は行き先を言うだけでよい時代になるはずである。当然運転ミスによる事故は激減する。最近の車についてだが、ハイブリッド車などの普及で、昔ながらの修理の技術では手をつけられなくなり、熟練工が不要になりつつあると聞いた。すでに故障箇所を見つけるのはコンピュータだし、直すと言うよりほとんど部品の交換で済むようだ。将来はロボットドックに車を入れたら、洗濯機みたいに全自動で車を直す時代になるだろう。(下はGoogleの無人運転自動車)

しかも重要なことは、学んだことやその蓄積したすべてが、一瞬にして全AIロボットに共有でき、恐るべき進化を遂げられることである。その上ロボットには死がない。部品を交換すれば、データは転送すればよいのである。果たして人類はこれに勝てるか? となると、人類はAIロボットに負けないよほどの創意工夫に長じた人か、または貴族のような特権階級の人々で遊びに熱中できる人々だけが生きていて、それ以外の残り全人類の半分は生きる糧の仕事がないだけに、一日中テレビを死ぬまで見ていたり、それにも飽きればふうらフーラ亡者のようになってしまう。またエネルギーに溢れた若者は、権威や秩序に対して反抗し破壊的な行動に走るようになるだろう。しかしその時対する警官隊は、同じ血肉の通った人間ではなく、ただ命令に忠実な人型ロボットである。

この全人類の半分が不要になると言う言葉に反応するのは、やはり【全人類の半分】が死ぬ、という警告的な預言が、今からほぼニ千年前の書物、聖書の黙示録で語られているからだ。

ひどく簡単に紹介すると、終末の時代は大地震や天体の異変が起こり、飢饉が起こり、戦争が起こり、パンデミックな伝染性疫病が世界を覆う。混乱した世界にその時、反キリストと言う世界を救う、実は滅ぼすのだか、恐るべきヒーローが登場する。この終末の七年の時代の前半に、まず1/4の人々が死に、次に1/3の人々が死ぬ。前半の三年半だけで、併せて全人類の半分が死ぬとされているわけだ。恐るべき符号の一致である。最後に世界は、この反キリストを神として拝まさせられ、拝まない者は殺されていく。そして七年の終わりの最後に、再臨のキリストがエルサレムのオリーブ山に降りてこられるのだ。

今からでも遅くはない。たとえ神は信じていなくても、聖書を「本当にその通りか?」と調べていただきたいものだ。聖書にはAIロボットには決して真似のできない、魂の世界が開かれているからだ。人間の真の生き方、生きることの意味、免れない死が、永遠の天への祝福の道であることがわかる。ただ一つ、その十字架の道があることを。 ケパ


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いやされた!

2016年02月28日 | いやし
主日のメッセージは、靱帯損傷の証しをして、この事にある神の御心、それは体が不自由になる弱さを知り、それでも神を信頼しいっさいを委ね、感謝することだ、と語った。言わば感謝の実践を神が与えてくださり、私は感謝の喜びが湧いてきて・・・語っていたら、不思議、私に何かスイッチが入った。

そう言えばメッセージに立ってから、ずっと立っている。用意されている椅子にも座らず、立てかけてある松葉杖にも触れておらず、ズッとずっと。「あれえ、それなのに今まだ、痛くもないぞ」と気づくと、すぐ「皆さん、こうして神の御心を受け取ったので、(完全にではないにしても)私は癒されています」と宣言した。「オイオイ、そんなことを言って、もしまた痛みで座り込んだりしたら、どうすんだ?」の声も聞かないではなかったが、とにかくそれには耳を貸さずに、言ったのだ。

礼拝後にもう一度、損傷の箇所をチェックしてみた。例の斜めに関節を回してみても、本当に痛くない。歩いてみると、足が軽く、一歩歩くたびにあった痛みが、ほとんど感じられなかった。「素晴らしいです、神様!」全くとはいかないまでも、メッセージする前と、その後それで痛んで座るどころか、逆にほとんど普通に軽やかに歩いている自分が居た。これには当人がホント驚いた。

半日経って、今、最終確認をした。もう松葉杖は返し、用心した事に越したことはないが、確かに普通に、痛くもなく歩けている。これは何なんだろうか? 「私は癒されています」は口先のまやかしでなく、真実だった。

神は生きておられるのです。ハレルヤ❗️ ケパ



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2月28日主日礼拝

2016年02月28日 | 教会のこと
少し遅れましたが、礼拝が始まります。皆様もご一緒に
オンライン配信が、不都合生じている様で。音声が配信されてないかと、思われますが‥‥
幸いに牧師メッセージは、配信されたようです。ね ご迷惑おかけしました。
ケパ牧師の松葉杖も益にされまてす。
聖書 ピリピ 4:4から
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
ここからのメッセージです。

そして午後は神学校のテスト。
テスト受ける人、テストないから学んでる人、点付けする人、blogする人それぞれ。感謝なひと時ですね~
ドルカス



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靱帯損傷の難

2016年02月27日 | 感謝
一ヶ月くらい前に、右膝下の内側辺りに痛みを覚えるようになって、腱を傷めているとの認識をしていた。すると右の股関節まで影響が出ていた。別にこれといって、引き起こした原因に思い当たらないのだが、特定の方向に足を踏み出すと痛みが出ていた。部位からいっても、まず腱であると思っていた。

ところが、ところがである。最近ではほとんど痛みを感じず安堵していた。それでこの木曜日のゲーム前に、壁打ち練習をしていた時のことである。シングルスでポーチに行った時、上級者からよく攻められる、バックロブに対してのスマッシュ練習でそれは起こってしまった。そのボールはスマッシュが届かない高いロブになったので、私はさっと反転して左後ろ方向に走って捕球をしようとした。その「さっと反転」の時に治りかけていた「靭帯損傷」というものをやってしまったのである。損傷で断裂ではないので、痛んだものの、ドタキャンはまずいと思って、コートでプレーをしてしまった。この勇気のない対応がまずかった。痛みがさらに広がりだし、歩くにも痛くて右足を引きづる状態になってしまった。これは即「病院行き」の状態となってしまったことが理解できた。(現在玄関にある松葉杖)

直行して受診すると、結果は予想通りで「内側側靭帯損傷」であつた。膝がズレたり、水が溜まったりではなく、まして半月板損傷には至らず、最悪からは守られたようでかなり安心した。しかし当分は杖をつきながらの療養生活となる。「イタッ、痛い」で夜もなかなか寝付かれなかった。しかし翌日の神学校では「何があっても、どんな困難な状況でも感謝し、喜びなさい」を学ぶ授業であった。偶然はない。
神を信じる者には、確かに偶然はない。これも神が許され、結果とした私に祝福を与えるためなのだ。だから感謝だ❗️徹底的に感謝するぞ~」「神さま、この内側側靭帯損傷」を感謝します!

ケパ




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イスラエルの皮肉?

2016年02月26日 | 
イスラエルへ毎年行くようになって、ある時気づいたことがある。
それは聖書時代のイスラエルは山の民であったが、現代のイスラエルは全く逆の、平地の民となっていることだ。現代もイスラエル辺りの土地名としてはパレスチナだが、モーセに率いられたイスラエル、ヨシュアによる約束の地の占領がどうしても叶わなかったのが、平地の占領である。そこにはペリシテ人という鉄の武具と戦車戦に長けた民がいたからである。この事はペリシテ=パレスチナであることからもわかる。
平地のペリシテ人に対してイスラエルは、その後、士師時代からサウル王まで長きにわたって劣勢であったが、ダビデ王の時代になってようやく優勢となった。(下の絵の中の斑点のような赤いまるの部分だけが現在のパレスチナ自治政府の支配地域)

今のパレスチナ地域でユダヤ人が主に居住しているのは、地中海から広がるかつてのペリシテ人の平地部である。それに対しベエル・シェバ、ヘブロン、ベツレヘムなどのアブラハム以降のユダの山地は無論、かつてのエフライムやマナセなどのイスラエルの中心部は、ことごとくパレスチナ自治政府の土地である。つまり完全に昔と入れ替わっているのだ。これはシオニズム運動の資本によってキブツの土地を購入するのに、生産性が上がるという経済的原則があったからだと思わさせられている。

ここ何回かエルサレムに移るまで長く幕屋が置かれていたシロを訪ねたが、道の途中には至る所虫食いのようにユダヤ人の入植地が築かれていた。これはパレスチナの非ユダヤ人にとっては、たまったものでは無いだろう。そう思ったのはよくわかってないのであって、実は上掲の絵でわかる通り、イスラエルの管轄下の地で入植されており、問題は無いというのがイスラエルの立場だ。ケパ




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姉と2人で

2016年02月25日 | 自然
お互いに時間が取れて、久しぶりに姉の「バラの時期ではないけれど、クリスマスローズ綺麗らしいよの、行かない? 」の一言で行くね と、出掛けてきた。
久しぶりの横浜駅で待ち合わせ、相鉄線で一駅目。目的のイングリッシュガーデンは、今はバラの時期ではないけれど、美しく咲くバラの為に準備が始まっていた。
クリスマスローズは!思ったほどに数いっぱいではなかったけれど
それでも春が近い事を教えてくれて楽しませてくれる。 ほら❣️ネコの芽(赤ネコヤナギ)を見つけた。
私を導いてくれた姉は信仰の上でも姉妹であって、教会の事、信仰の事、日々の事など、共通の話題で満ちて、楽しい時を過ごせた。神様こんな時を下さり感謝します。ドルカス



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昭和天皇への個人的な謝罪

2016年02月24日 | 示されたこと
本日、気になっていた今月号の文藝春秋に載った渡辺和子「2・26事件 娘の八十年」を読んだ。
昨年の映画「日本で一番長い日」、一昨年では「終戦のエンペラー」と映画で大いに自分の過ちを思い知らされたが、またしても・・・である。

第二次世界大戦の終結が1945年の8・20なら、1936年の2・26事件はその幕開けようなものであろう。陸軍将校の一部が率いる1558名の兵士らが、政府の主要な大臣たちをテロによって、抹殺しようとしたのである。渡辺和子さんの父も当時の教育総監で、自宅にいる和子さんの眼前で射殺されている。時に七歳であった。

後に戦時にも関わらず洗礼を受け、シスターとなり、数々の著作で有名なこの渡辺和子さんも、昭和天皇に対して尊敬の念を隠さない。それは2・26事件に同情的な軍部に対し、業を煮やした昭和天皇が直々に断固鎮圧を命じたからである。これで一転、決起した彼らは憂国の士から謀反人となり、反乱は鎮圧され処刑され、遺族の名誉は回復された。しかし、結局のところこの事件で一層の拍車がかかってしまった軍部は、無謀な戦いをひた走ることになってしまった。

この昭和天皇を若かった私は、何百万人も死んだ先の大戦における最大の戦争犯罪人だとみなしていた。知らないというのは、げに恐るべきことである。広い目で言えば同じキリスト教徒の渡辺さんの目からも、昭和天皇は正しいお方であった。天皇を神格化するのは大反対だが、今私は、過去の自分の誤った見方をお詫びし、悔いたい。この方が居たから、戦争を終わらせることができたのだ。日本を救いこの国が残ったのだと。 ケパ



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コールのお手伝い?

2016年02月23日 | ネコのコールと‥‥
ケパさんが眠い目をこすりながらメッセージに集中してるのだけど、
覗き込んでいるコール。手伝うの?遊んで欲しいの?どっちなの⁉️
ケパさん コールが ちょっと邪魔して「目を覚めまして」と起こしてるよ❣️
聖書にも「目を覚ましていなさい」と、書いてあるわ~
そろそろ起きて本気してね~ ドルカス



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塩あめ

2016年02月22日 | 食べる
先週の白馬スネルゴイキャンプ中に、み声新聞社のキャンプの限定
年間贈答用購読キャンペーンで、実家に送る新聞の購読したら、プレゼントで頂いた。 イスラエルの死海の塩で作った飴。以前に記事に載ってたことを思い出しし、どんな味かな~~と、口に入れると。うん❣️美味しいです。甘過ぎず、最後に口に残る塩の粒が口に残る、なんとも言えなくいい。
さすが老舗飴屋さんの味なのだろうか。
いぃや! 死海の塩の美味しさでしょう
最後のひとつ。とうとう終わっちゃった。
会場で席近くの方々にあげて、喜ばれたから、まっよいね。
ドルカス



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またまたお詫びします

2016年02月21日 | 教会のこと
USTREAMの始まりが遅かったからなのかどうか、わかりませんが、配信ストップしました。最後の7~8分ですが、
メッセージの内容は、パリサイ人と、取税人のたとえ話を通して、神の憐れみを知ることがメッセージのテーマでした。

聖霊の賜物、これからあるリバイバルの働きに、自分を守るものがある者は、リバイバルの時に用いらない。
憐れみを受けるものに、高ぶりが有ってはならない。憐れまれる者として、時には試練の道があり、私たちを打ち砕かれますが、神は最善の道を私達に用意してくださってます。神に期待しましょう。

詳しくは、blog「ケパのメッセージ」であげますのでそちらをご覧ください。ご迷惑おかけしました。
(今週末にはUPできると思います)





ドルカス

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