一昨日は伝統的なキリスト教国の信仰が、
本当の福音とはかなり変化してしまっていた実態をお伝えしたが、今日はその反対の全く福音が広まらぬ国、我が国の話し。
今日の主日礼拝、船橋は夏祭りでにぎわった。駅前の目抜き通りを歩くと、これまで聞いたことのない掛け声と共に御輿を左右に何度も倒すことや、船とかマグロでも引っ掛けるのだろうか、引っかける祭具があるなど、山育ちから見れば見慣れぬ異色の祭りに見えた。船橋で一年近くなるが、こんな大きなお祭りには初めて遭遇した。
祭り 私の生家は無論、
近郷近在にもクリスチャンや教会は全くない地方に私は育った。そこが教会が街にたくさんあった妻と全く異なるのだが、ともかく田舎育ちのごく普通の日本人として、祭りは身近であった。しかしそれが20歳でクリスチャンになった途端に一変することとなった。
つまり祭りの度に、慣れ親しんだ近所や町の人々が、私に「どうしたん?」と言おうと、とにかく祭りには加われなかった。道沿いに、自宅までもしめ縄で飾られると、「ひぇー、止めてくれえ!」だった。
これは聖書の申命記5章7節にある、神の十戒の第一条に単に従うというだけでなく、実際にお宮とか鳥居など偶像に近づくと「ぞっ」とする悪感が湧くようになったからでもある。何も知らず、ただ習慣のようにして参加しておられる方々には申し訳ないのだが、長年の習慣という感覚麻痺で隠された異教の信仰、闇の力に気づかされるからなのだ。
キリスト教国であろうと、全く非キリスト教国であろうと、「目を醒ましていなさい」は信仰者の基本なのだと思う。正しく醒めていたいと祈り願う。 (ケパ)
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。(申命5:~9)