ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「ドリーム」

2017年09月30日 | 映画•映像
昨夜、表題の映画を観た。NASAを舞台に三人の黒人女性が差別とそれぞれ戦い、勝利を勝ち取る経緯がこの映画である。
私も十代の頃、このアメリカの人種差別の実態を耳にして怒りに身を振るわせた記憶がある。それはアメリカに行けば自分はColored(有色人種)であり、バスやレストラン、トイレでは黒人達と一緒にされるということに対してだった。今から思えば、それだって差別意識丸出しであり、許されないものだったのだが。

この映画では「神の小屋」でGod役を演じたオクタヴィア・スペンサーが三人の主役の一人である。ケビン・コスナーがNASAの本部長で、偏見のない役どころを好演する。時代はスプートニック・ショックで屈辱に燃えるアメリカの、宇宙開発草創期の時代である。

映画を観ていて特に感じたのは、この映画は1963年のキング牧師の有名な演説「I Have a Dream(私には夢がある)」の実践編が背景になっていることた。私たち日本人にはイマイチ分からないのだが、アメリカ人にはこれはすぐわかることだ。簡単に触れると、アメリカの公民権運動、つまり人種差別への黒人の戦いには、暴力的な路線とキング牧師の非暴力路線とがあった。今日でもこれは完全に解決したとは言えないのだが、それでもColored(有色人種)表示は一切払拭された現在をつくったのは、キング牧師の「I Have a Dream」路線、つまりクリスチャンの非暴力の力だった。

この映画の題名ともテーマとも言える「ドリーム」とは、キング牧師の「私には夢がある・・・・」の、まさにその夢を実現した三人の女性の話なのだ。一人は抜群の数学者でロケット軌道の演算者、一人は卓越した管理職のボス、一人は技術者として、いずれも白人オンリーの壁を打ち破り、ドリームを叶えた英雄的な三人である。

しかし、ここからが大切だと思うのだが、戦ったのは外だけではなかった。家庭内には女性差別があったのだ。三人はそれぞれ苦闘するのだが、結局は働く女性として見事に尊厳と協力という勝利を得る。(※でも、ちょっと内容が出来過ぎの印象がある。)
とは言え控えめな演出ながらその土台には、アメリカの古き良き時代の、クリスチャンとしての信仰があちこちのシーンに垣間見えていた。

この映画は、あのキング牧師の預言的夢が成就した映画である。しかも底辺の女性の力で・・・と言えるのではないか。



ケパ








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維持するべきことと、維持してはいけないこと

2017年09月29日 | 示されたこと
六十歳代は1年ごと、七十歳代は一ヶ月ごと、八十歳代になると1日ごとに体が衰えていく。気持ちはまだ若いつもりなのに・・・。

最近読んだ「心の診療室」(山中正雄)での一節です。私は召命に従がい五十五歳歳で職を辞し、すべてを置いて牧師として上京しました。今思えばこの時点までは捧げることができた喜びもさることながら、体全体に力が満ちていた。
その後、全くこれまでと全く異なる土地と生活環境に適応しながら牧師業を学び、結婚という祝福にもあずかった。それから何年かしばらく経ち、白馬のキャンプの帰りなどで、かつて経験したことのない疲れを覚えるようになった。帯状疱疹などになったのもその信号だったと言えよう。

現在、六十代の坂を越えつつ思うのは、結婚相手もそうだが、本当に神様って全知全能で、私の体も私以上にご存知であったと思う。つまり十年後の今では、これらは意欲も体力もきつい、しんどい事ばかりで、意欲が湧かなかっただろうと思う。
六十代は、1年ごと・・・あの頃は分からなかったが、今ではその通りだと実感する。 だからこそ、今では身体面については「維持」することが最大の目標にしている。進んで医療機関にかかり、スポーツを心がける。
ところが精神面では逆である。維持し保守てあってはいけない、たえず主にあって変革され、一新されなければならないのだ。この霊肉の逆方向に進むベクトルの、バランスをとるのが私には至難の業に見える。

だだクリスチャンは素晴らしい。衰えていく肉体は、やがて天に帰って行くときに、素晴らしい御霊の体が与えられる。これには老化がなく、永遠の最高の体なのだ。霊の面では喜びと平安に満ちた、天から降りてくる神の都での暮らしが最高だ。


そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。(ローマ人への手紙12:1)



ケパ






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これも賜物ね

2017年09月28日 | 感謝
私の姉、洋裁も小さな小物作りも手作り大好きなのよ。

とにかくミシン踏むの大好きだって。縫い直しも平気ですぐやり直す。縫針をもたせたら右手左手両手使って縫っちゃう。

今回は、ピアノまで持ち込んで、姉に作って欲しいよとお願いしたら、あら〜
ぴったりな生地が出てきた。

スイスイと測って、脳内に図面広げて、✂️でチョキチョキ
夕食後にはミシンも登場して、

あっという間に、縫い上げた。

帰りには教会によって、ピアノを戻し早速カバーを掛けて

ケパさんご満悦。生地も気に入ってね。
スーパー感謝(๑˃̵ᴗ˂̵)。

私もびっくり⁉️
ちょっとだけ祈ったの。
良いものが与えられます様に。生地も何かあると用いいな。姉が喜んで作ってくれるように。私のした事はお願い事だけ〜

なんと❗️その通りになった。私はそんなすぐには出来ないからと、ちょいとお願い祈りしただけ、それも横浜迄の車中。
神様はお優しいと、崇めました。

ケパさん
強引にもピアノを持って、姉に実際に見せたら生地まで用意され、仕上がりましたね。それもウキウキと作ってくれた。

(水曜礼拝で、奏楽中)
ねえケパさん。
神様に相談したのね?〜〜

ドルカス



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事故の現場で

2017年09月27日 | 示されたこと
高円寺の歯科医院へ隔週おきに通っている私だが、昨日は他に用事があり、電車ではなく自家用車で行くことにした。いつもなら電車と同じく、1時間前後のコースである。

ところが9時20分頃、関東道から湾岸につながる高速に乗った途端、大渋滞に巻き込まれた。ノロノロと歩くよりゆっくりと進んでいるうちに、側道を救急車二台、パトカー三台、その他消防車、消防工作車などがサイレンを鳴らして次々と通り過ぎていくではないか。どうやら最寄りインターチェンジである習志野消防署のほとんどが動員されている感じである。


さらに牛歩の如くノロノロと前進すること〇〇十数分、ついに現場に遭遇する。そこで目撃したものとは?
三車線の大きな道路全体にぶちまけられたような、大型ゴミと化した機械類や付属物の散乱した有様。すぐ横には横転し腹をさらしているトラック。かなりの消防隊員がそのトラックに登って、何やら探っている感じだ。道路横には、警察が事情聴取している。

大きな事故としては、見た感じ、生命に別状なさそうであった。しかし自分のこととなれば大ピンチ! 時間に関しては何の保障も証明もなく、私たちは病院に大遅刻確実なのだから。

帰宅後テレビでもこの事故のニュースが流されていた。ニュースではリムジンバスで羽田空港に行く人が取材されており、悲嘆にくれていた。同感だが、その人も私たちと同じく感謝できたら、どんなに良かっただろう。


ケパ




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たわいのない事だけど

2017年09月26日 | 祈り
日曜日、ひと時の休憩時間に外へ出た帰り、
駅デッキ上で見た夕焼けが、とても美しくて、綺麗だった。

西の空


北の空も

振り返ったら

お一人で、凄く控えめだけれど、
優しい歌声の男性。
座られて歌うのは事情があるのだろう。

あの場所で、歌う勇気と力が私は欲しい。
足りない分は、一歩踏み出したなら、きっと神様が与えてくださるはずなの。

新しい歌とともに、ケパとドルカスで、Peaceful で持ち歌を増やして歌いたい。
と思わされた夕方でした。
弱さから逃げるのではなく、前に踏み出す勇気を、天の父に祈り続けよう。

ドルカス





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心の病 考

2017年09月25日 | 祈り
最近読んだ本で、「一般的に、病識の欠如は精神病の特徴である」とあった。関連して、故新井牧師がアンテオケ教会での特設講義において「セルフイメージが・・・」と言われ続けていたのも、このことであると思った。広辞苑で病識を開くと

びょう‐しき【病識】ビヤウ‥
精神的疾患を持つ者が、自分が病気だと自覚すること。神経症の人はこれを持つが、精神病の人ではこれを欠くことがある。病覚。

とある。確かに広島時代、身近に接した幾人かの人々には病識が乏しかった。それが無いためになのか、医師に従うどころか、かえって精神科医を自分で操縦したがった。聞いている私はとんでもないことだと思ったが、結構それが彼らの常識であるらしかった。それではなかなかなおらないわけである。

私は結構スポーツをするので、常に勝ち負けという誤魔化しようも、とり繕いようもない結果がその都度、突きつけられるわけである。半世紀近く経つが、私の知るかぎりスポーツする人に、精神の病の人を一人も思い出すことができない。つまり現実の自分と乖離しないスポーツマンは、心の病になりにくいのかも知れない。と同時に、クリスチャンにも、これまでたった一人にしか出会わなかったのだが。

クリスチャンの割合は0,2パーセントぐらいなので仕方ないかも知れないが、それにしてもこれは「ありのままの自分」を知る、受け入れることの重要性を物語っている。キリスト教は、神の御子イエス・キリストがすべての人間の罪のために十字架にかかってくださったと信じる教えである。
一体全体、教祖というか宇宙と世界を創った存在が、罪深い人の身代わりになって帳消しにしたという教えがあるだろうか❗ 無い。

どんなにスポーツをして、セルフイメージが正しかろうと、それはその競技内だけであって、自分の肉の罪深さが解消されているわけではない。まして親とか周囲の圧迫や期待に、誤った自己像(セルフイメージ)に固執せざるを得なかった病の人々には、十字架は何と素晴らしい福音であることか❗ 十字架だけが罪を完全に赦し、傷を癒し、ありのままの自分を受け入れられ感謝する道を開く。

病める人、己の罪を知る人よ、三位一体の神を信じる教会に来たれ。

 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ5:1)




ケパ




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9月24日主日 ➕

2017年09月24日 | 教会のこと
おはようございます。
9月4週の主日礼拝の朝。

今日もご一緒にオンラインで、礼拝いたしましょう。


始まってます。
ドルカス今日は、まごまごしてます。
なかなかblogアップ出来ませんね。
オンラインも配信中


聖餐式です。いつも恵まれます。


今日の、メッセージは、
聖書 ローマ人への手紙 12:2 から
『心の一心によって』

ケパ牧師がメッセージされます。
ローマ人の手紙は、
とても大事な箇所ですね、と

にこやかに最初に言われました。
「聖い、生きた供え物として、ご自分を神様にささげて下さい」

追加して
明日お誕生日を迎える姉妹を、みんなで慶祝いました。

HappyBirthday to 🎂e子さん
今日はさらに嬉しい、主日でした。


ドルカス




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土曜日はフルタイムで〜

2017年09月23日 | 生活
土曜日は、忙しい。
礼拝の賛美曲。特に新曲の練習だね

してたかと思えば、

あっ❗️カレー作らなきゃと

二週間遅れの、牧師カレーの愛餐。
多めに作り今夜は🍛お味見です。

さらに、私のお願い事もいくつかあって、ようやくパソコン前に座れた。

明日のメッセージは、すでに示されてるようです(๑˃̵ᴗ˂̵)


こんな時は☕️サービス欠かせませんね。

ドルカス





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二階の風景から

2017年09月22日 | 生活
すごくいい天気だったのに、朝の盛に急に雨が降り始めた。おかげで干していた御座をあわてて取り込む羽目に。
それからまだ昼の三時回ったばかりなのに、何と公園の街灯が灯るほどの黒雲の下、時折り雨音を交え、木々の枝を揺らしながら、湿ったあやしい風が吹く。(昼なのに街灯が点灯し、空には黒い雲)

夜は夜でずっと霧雨が続いて、濡れた木々の葉が公園の街灯の光を跳ね返している。
以前は実質五階の住まいで眺望が好きだったが、こうして二階に住んでみると自然が身近に感じられ、一階ほど虫や湿り気に悩まされないほど良さが気に入っている。

来月はエレベーターの交換工事が一ヶ月あって、この期間エレベーターは全く使えない。それで高い階の方たち、特に高齢者は、この期間内はここで生活できないと感じるそうだ。子どもたちの所に身を寄せたり、長期旅行を計画する人もいる。しかし二階の私たちは普段からエレベーターなどほとんど使ってないので、ただお気の毒に、と思うばかりだ。また二階は地震や火災の時にも、早めの避難が出来そうだ。

さすが、神様に導かれた住まい。五階だろうと二階だろうと、それぞれに感謝します。特に高齢者にはほどよい階が良いようで、最善でした。




ケパ





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賞金稼ぎではありません

2017年09月22日 | 健康・スポーツ
最近は、参加したテニスの草トーナメントでは必ず優勝レベルの賞品をいただける好調さ。(写真は最近の賞品の数々)昨日はなんとこれまでで最大の賞金(ラケットのガット張り替え代)をいただきました。もちろん必要経費ではあっても、その1割は神様に捧げて、教会財政に微々たる貢献をします。
それにつけても切に願うこと、それは神様からテニスのように「よくやった」賞を受けられるよう世での使命に一心に走ること。「心を定め一心に❗」

でも賞そのものは神様からのあわれみのプレゼントで、決して自分の力ではありません! 皆さん、ご一緒に走り抜きましょう。


†あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。(1 コリ9:24)





ケパ




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