そろそろ始まります。
聖餐をお受けになる方は🥖と🍇準備もよろしいでしょうか?
ドルカス
おはようございます。今朝はこの船橋においても零度下がりましたね。
礼拝に出かけた道は、自転車を走らせるとジャリジャリバリバリと。薄氷の上を走りました。
けど、海老川沿いの河津桜が、ほら春の近いこと教えてくれました。さあ今日も礼拝始まります。
この写真は私たち夫婦の最近の持ち物、水筒とiPhone だ。
結婚する数年も前から「あなたは結婚します」と語られていたが、それが本当に結婚することになるのだと知った時、以下に述べるように私は神さまに一つのお願いをした。もちろん一番は神さまが私に導いてくださる人であること、これは絶対だった。
補足すると、私の好みや人間的な思いが一切混じらず、ただ神が導いてくださった方なら、どんな人とでも導きに従い、夫婦となることである。私に選択権はない。神が私の主だからである。また愛なる神は最善を私になさるからだ。ある時神はこのことについて「二人以上のあなたの友に告白し宣言しなさい」と言われたので、私は即実行した。すると予想通り、二人ともそれぞれ「それって本当に? どんな人ともですか?」とかなり冷やかし半分で疑いつつ、それなりにちゃんと聴いてくれたのだった。
けれども私は一つだけ神さまに、「できますことなら」とお願いした。それは「心の健康な人を」だった。私のこの切なる願い、それを神が知らないはずがなかった。即「大丈夫ですよ。心配してはいけません」と示されたのだった。
友に告白宣言した通り、神の導きの確認以外には、私たちは互いにほとんど知ることなく結婚した。これを多くの人は信じようとはしない。それは実際どうでも良いことで、神さまを私が心からほめたたえることは、まさにその通りだったことである。
後で分かったのだが、彼女は素晴らしい父母と兄がいる家庭で育った三人姉妹の次女。これだけで読者は察せられると思う。私は心から神に感謝する。それがこの何でもない持ち物の写真にも表れていないだろうか。
わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇1~5節 新改訳©2017)
ケパ
ちょうど今から16年前の証をさせてほしい。50歳を過ぎたわたしは不惑どころか、信仰から初めて離れかけ、大いに迷っていた。その悔い改めによって神さまに触れていただいたこたは以前に証した。神を体験したことで人生がコペルニクス的転換をした、その直後のことである。まだ聖霊のバプテスマは受けていなかった。
その前に理解しておきたいことは、霊的な存在はこの世に三つあって、それは神、天使、人間である。サタンは堕天使とも言われるように堕落して神に逆らうようになった元天使である。私たち人間も滅ぶべき肉体を持ってはいるが、霊的な存在であり、肉体の命と言う限定された時間内に、神かサタンのどちらか一方に所属を選択する存在である。当然とはいえ人は原罪を背負っており、十字架によって罪が赦されなければ、罪が裁かれてサタンの道連れになってしまう。サタンが巧妙なのは、罪を自覚させないように、救いの必要を感じさせないように働くことである。
だからたとえ信仰を持ったクリスチャンでも、天国には行けても、新生がなければ(自分のことを振り返っても)世の人と変わらない。だから救いの確信を持てないでサタンの攻撃を受け続けることになる。つまり聖霊が居られながら、主とされていないので、勝利しているのにその確信が持てないわけだ。この典型例はペンテコステ前の弟子たちであり、イエス様を訪れて「永遠のいのちを得るには」と問うた「富める若人」である。新生しなければいつまでもそうなのだ。
私は神さまに触れていただいて、野壺の肥だめの中の自分、蛆虫とともに腐っていく自分がわかった。と同時に神の愛もわかったので、五十過ぎの男は泣いて喜んだ。他に何の希望があるだろうか。次に来た思いは、「何とかして神さまのものとしていただきたい」だった。つまり身を焦がすような献身の願いが湧いた。それが叶わなければ、生きていても意味がないとさえ思った。その熱心な祈りをしよう、その時この事が起こった。
2月のひどく寒い夜だった。お風呂から上がったまま、どうしても大声でこのことを祈りたくて、服だけを着て外へ飛び出した。飛び出してみると外は驚くほどの月明かりで星が瞬(またた)いていた。異様に明るいのである。近くの河原目指して歩いていると、洗髪した髪が凍っていく感じがした。この時期にしては雪がなく、広い河原に着くと、私は堤防の上からはばかることなく大声で叫んで告白した。
「神さまぁ、この私をあなたに捧げますぅ~。どうぞあなたのものにしてください。私はそれが一番の、何よりもの希望です~ぅ。」そう、何度叫んだだろうか。もしかして人が聞けば、警察か病院へ通報されたかも知れない。
喉が枯れそうなほどの声で思いの丈叫んだ私は、川から自宅の方へ向きを変え、帰りながら最後もう一度と「こんな(罪深い愚かな)私ですが、どうか主よ、あなたが受け取ってください」と今度は叫ぶのではなく、確かな道を言葉で言いつつ帰りかけた。言い終わるか終わらないかの内に突然、背後に大きな光を感じた。びっくりして振り返って見ると、叫んでいた川向こうの南の空に、見たこともない大きな一つの流れ星があって、東の山へと落ちて行っているではないか。
なにしろ辺りを明るくさせるほどの大きな流れ星である。呆気にとられていた。そしてすぐにこれは神さまからの返事で、「よし、受け取ったぞ」というサイン、受領印だとわかった。
これがどんなにか嬉しかったことか。自分が神さまのものとされたと言う確信は、献身への土台となっただけでなく、以後霊的にも神さまから守られるようになった。後から考えるとこれは当然なことで、真の牧者はご自分の羊を守られるのだ。
具体的には悪夢や欲望から解放され、悪霊に対し、侮りはしないが恐れることもなくなった。これらは神の陣営に属するものとして所属がはっきりしている恵みでもある。どの囲いの中に居るか、それが問題であった。神の所有される羊とされることが、どんなに素晴らしい感謝であるか、言うまでもない。
ケパ
先々日、神さまに触れていただいて、生まれ変わった(born again )体験を書いたが、その時から神さまの不思議をいろいろ見た。その中でも特に覚えていることを、今日述べたい。
その時から四年の間、長女が結婚し、前妻がドルカスの亡夫と同じ胃がんで召天(拒食症もかなり影響したかも)した。「わたし、癒されに行く」と言って出て行った前妻の教会の葬儀が終わった時、その時ちょうど私も55歳(ひと昔なら退職年齢)であって、かねて祈っていた全献身の時が来たことを悟った。
退職が受理され、持ち家の売却や身辺の整理が進んでいた時、三つのお願いを神さまに祈っていた。一つは持ち家のローンが完済されること。施設の母や、母名義の今の家や墓地などを、姉がぜんぶ肩代わりしてくれること。最後の一つ、聖書だけは処分したくないことだった。これらすべては、ずいぶん虫の良いお願いのように思えたが、三番目を除いて叶わなければ東京へ行けないので、必死だった。そしてしたことは、祈ったことだった。(今も愛用している第三版のチェーン式聖書)
そのどうでも良いような三番目が、結果として実に凄かった。こういう次第である。その聖書とは新改訳のチェーン式聖書で第1版だった。なぜ不要かと言うと、第三版のものを持っていたからだった。献身し上京するにあたっては、身の回りの物以外、処分できる物は処分することにした。出発の前日は最後に残った蔵書をミニバンに全部積み込んで、昼食後にブックオフに行くだけになっていた。
ファミレスでランチを食べることにしていたのだが、私の心は最後の一つ、積んでしまった一冊の聖書の事が気になっていた。そこで食前の祈り「神さま、三つのお願いのうち、二つまでは聞いてくださり、奇跡のようです。ありがとうございます。けれども最後の一つ、聖書だけは捨てたくないんです。どうして良いのかわかりませんが、此の期に及んで本当にあなたに頼るしかありません。どうか処分しなくて良いようにしてください」と祈った。
ランチが済んで、いつものようにコーヒーを飲みながら、聖書を開いて読んでいた。すると三人の高校生が入店して来て、そのうちの一人が私を目指すかのようにやって来る。「今のこの町には知り合いなんか会ったことがない。まして高校生に知り合いは居ない、まさかね」と無視していると、なんと彼は私の席の横につかつか寄って来て言うではないか。「中村さん、それって、聖書ですか?」
びっくりして目を上げると、この高校生は以前近くのグラウンドで、少しだけお相手したテニス仲間だった。「よ、よくわかったねぇ。そう、そうだよ、聖書だ。」すると次に彼はこう言ったのだ。
「ぼく、聖書が読みたいんですが、どこで買ったらいいのかわからないんです。本屋にも置いてないし。」
明らかに彼は、私に聖書をおねだりしている感じだった。
「ぎょおえぇー、これまでの生涯で聖書をおねだりされたことなんて一度も無い。それが(半径20キロ以内に教会は一つもない)このど田舎で、高校生が、しかも処分寸前のこの最後の機会に言って来る?」
私は仰天したが、即これは祈ったばかりの答えだと確信した。「実は君にあげたい聖書があるんだ。それはチェーン式の聖書で、わからないところを教えてくれる聖書なんだ。うん、若い君に君にピッタリだよ。少しだけ待っていなさい、すぐ取って来るから。」
聖書をミニバンから持って来て贈呈する時、高校生三人は、喜んでくれたのか店内をはばからず、万歳の拍手をした。私と言えば、「正直もう無理、絶対聞かれっこない」、と思っていた自分の不信仰を反省していた。そして改めて、神は生きて働いてくださっている、こんな者の為にも、と感動していた。
あとあと振り返ってみれば、先の二つよりもこの方が、本当に大きな神の「私がついているよ。大丈夫だよ」と言う励ましだった。これは小さな、そして大きな奇跡だった。
ケパ
聖書をもう一度開いて、読んでみた
またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。
使徒の働き 9章36節
タビタをギリシャ語に訳せば「ドルカス」
ドルカスは日本語にしたら、「カモシカ」と言えばカモシカは、私の住んでいた長野県の県獣です。
そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て泣きながら〜
使徒の働き 9章39節
私は26年間暮らした先の夫を胃癌で天に送った。その後は、一人でその家で多くの友人達に心配されながら生活をして、上田教会で礼拝し賛美し献身していたのです。
ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。
使徒の働き 9章40節
そして、亡き夫の年齢を越した年になると、私はこれで良いのか、このまま目的もなく生きてるのかと、天の父に求めながらの生活でした。
そのような私は、Capra さんと新たな道を歩み始めたのですが、
それは霊的に死んだような生活を、再び目的のある生活に変えられたのですね。
ドルカスを、クリスチャン名としてもちいるようになったのは、この船橋に遣わされてからでしたが、
( 示されたけれど、受け入れる迄に少しの時間が必要でした )
久しぶりにこの名前に私にとって大いなる意味が働きがあると、思わされたのです。
このブログを始めた2010年10月当時、名前のお証しを書きました。
ドルカス
こちらも合わせて開いてみてくださいな。
因みにその翌日は「ケパになった」です。
ドルカス
昨日のデボーションのページは、使徒9章でした。この章は私の好きな箇所です。唯一のこの章にドルカスが、登場します。
(写真はアンデルセン公園内の、ひつじ)
前半には、サウロ(のちのパウロ)の改心の事が書かれてますが、
後半32節からは、ペテロがアイネヤの癒しと、ドルカスの蘇りの奇跡が書かれています。
2010年5月、ケパさんが私に言うのです。
「君の名前が示されたよ。ドルカス」思い出すとその時は聖書箇所は言わなくて、「タビタ(ギリシャ語に訳せば ドルカス )だよ」と言って、さっとその場からスーッと私の前をスルーして行った。
部屋に残された私は、えっ!どうして?男性みたいな名前にも聞こえるし。でも聖書箇所探し開き読んだ。
‥‥この後もう少し続きます〜‥‥
ドルカス
ここ何年か、聖霊のバプテスマについて悩む方の相談を受けたり、いろいろ祈り考えさせられた。他ならぬ私自身がこの群れに来る前に四、五年、東奔西走して(笑い話でなく、実に真剣に)求めた経験がある。ほぼ諦めた頃、聖霊のバプテスマを受けたが、今思い返して、聖霊のバプテスマについて、かなり思い間違いをしていた気がするし、同じように多くの人が、今も私のような捉え違いをしているのでは?と思うようになった。それで参考になれば、と少し長いが以下に証をする。
聖霊のバプテスマを受けた時、数日間私はまばゆい光の中に居た。徐々に減衰して行ったが、それは明確な体験だった。しかし実は、その前にもっと重要で決定的なものを受けていたのである。それは新生(born again)と言うか、神が私に触れてくださったことである。私の信仰は大きく変わり、しかも堅いものになった。その証である。
きっかけは、妻の心の病の発症から十年以上、戦いに敗れ家族を失い、職も不遇な結果に陥っていた。家族が出て行って、入れ替わりに介護していたアルツハイマーの母は施設に引き取られ、大き目の家に一人帰ると、夜がやりきれなくなっていた。もう、聖霊のバプテスマも諦めていた。
気分を紛らわすために自宅で一人歌うカラオケは、ますます私を神から遠ざけ、自暴的になり、今までクリスチャンゆえに抑えていた肉欲、悪行の数々を極めようと、その実行を計画し移そうとしていた。人が最後の希望を失うとは、どれほど悲しいことだろうか。私は犯罪者を責めることができない。
ワカサギ漁をご存知だろうか。ふと目をあげると明るい上方に黒い円がポカッとあって、そこに黒い点々が次々と集まって来ていた。「何でだろう?」と見ていると、「おい、(クリスチャンっていう)大物が釣れるんだってよ」「こりゃ見ものだね」と黒い点々たちは口々に言っているようだった。
そこでハッと、目の前のものを見ると、今しもぶら下げられた釣り針のエサに食いつこうとするワカサギ姿の自分が居た。なんと私が見もので、釣られる直前だったのだ。※後になって、これは神が私の状態を気づかせてくださったのだと理解している。
自分の真の姿に打ちのめされ、これほど自分を悔いたことはなかった。生きていても仕方がない、そんな価値も無いと悔いてばかりで、神の所にもなかなか行けなかった。そんな深い底に数日沈んでいた時、ふと「今日が日曜日で教会に行く日だ」と気づいた。クリスチャン生活30年、その時初めて「自分は教会に行けるような者ではない」と思った。このような偽善的な者が行っては汚れると。そう、私は牧師とか伝道者ではなかったが、知り合いの小さな教会では、礼拝メッセージを頼まれることもあった。この日はそうではなかったのだが。とこらがそれでも身についた習慣なのか、次に気がついた時は車を運転して教会に向かっている自分だった。
異変は目的の教会が見える下り道の高台で信号待ちをしていた時だった。突然ウィンドガラスに、何やら記号があるようなカードがピョンピョン飛び出すように現れた。その文字カードみたいなものは出揃うと順に並び出し、サッと言葉になった。「私はこうなるまでのあなたを待っていた。あなたを愛し、この日を待ち続けていた」と。
「ええっ、ええーっ。何が? エッそんな・・・!」
私は動転し、やっとの事で車を側道に寄せて停車した。このことばは100パーセント私の脳天を貫いた。高慢なくせに誰からも愛されてないことに腹を立て、ヤケのヤンパチになっていたこの自分。その自分にこれは、思いもしない、考えてこともないことだったが、神からのメッセージであることは明瞭だった。「ええっ、こんな私を・・・」。すると身体全体がカッと熱くなって、ハンドルに顔を埋め、五十になったばかりの男は声を震わせ、ぐちゃぐちゃに泣き出した。
私はこの一瞬でコペルニクス的転回をした。「もう普通の教会には行けない」、そう思った。だって本当に神様っているんだ。これまでのような、神が居るか居ないか、そんな不確かな信仰の教会には絶対に行けない、と。神は今も生きて働いておられ、こんな虫けらみたいな私にも愛して語ってくださる神なのだから。私はもう、こんな醜い自分でも神様さえよかったら、すべてを神に捧げたい、神のものにされたい、そう心から願った。
引き続き示されたのは、これまでどんなに私のことを神が心配され、幼な子がヨチヨチと歩み始める時、つまづかないよう、倒れないように親が見守るように、神がどんなに私をこれまで守り続けて来られたかということだった。それをこの時、パッパッと事例をもって明らかにしてくださったことだ。「アバ父よ、父よ〜っ」と言い、「(心配かけて)ごめんなさい、ごめんなさい」と私は言い続けていた。
この神に触れられた体験を契機に、神に祈ると聞かれる、答えが来るという、神との交わりが開かれた。ひょっとしてこれがヨーロッパの中世だったら、誤解されて魔女にされ、火あぶりになっていたかもしれない。
何が一番変わったのかだろうか? コペルニクス的転換(新生)の中身であるが、私は「こんな屑でゴミみたいな者でも、主よ、どうぞあなたがお使いください」という祈りを常に捧げるようになった。神が実際に生きて働かれるお方であることがわかったので、信仰の確信が堅くされた。いつの間にか殉教を恐れなくなっていた。神が共にいてくださるのである。遠藤周作の「沈黙」では神が黙して答えないことがテーマであったが、それがどんなに人間的なもので誤りであるかということがはっきりわかった。「沈黙」は新生していない方の信仰である。
神の愛に少しでも応えたい思い焦がれ、やみくもに自分を神に捧げたくて仕方ない者になっていた。もちろんそれは世の財産などすべてを含んで、己の命も全部、である。それ以降、神との交わりは、知れば知るほど神を愛し、その気持ちは強く大きくされた。祈って求めると、雨が降り、霧が出る、鋼鉄製の重いドアに指が挟まれても痛みも何も起こらない、など不思議もかなり体験さそていただいた。
聖霊のバプテスマは、この後しばらくして与えられた。私の体験ては、聖霊のバプテスマを求める人の中には、以前の私のように少し勘違いをしている方もおられるように見える。「聖霊のバプテスマを受けられるよう祈ってください」と求められが、それは人に対してではなく、神に直接祈り求めるもので、まったく私にはその期待に応えることができない。せいぜいその人の側で、支援の祈りをするだけだ。聖霊のバプテスマは神の主権、主幹事項であって、人に頼んで何となるようなものではない。
聖霊のバプテスマは熱心に求めるべきには同意する。しかしそれは私の場合、神に触れられた結果、つまり新生の証印であって、なにかドラえもんのポケットのように、注文して得られるものではなかった。聖霊のバプテスマを求める人の中には、よくわからないけど何か素晴らしいものでも求めるような気持ち、おねだりでは、何というか不十分というか、それだけでは単に霊的な体験を勘違いして「受けた」と誤る場合があるかも知れない。予知とかの霊的な体験は神からだけでなく、サタンからも来るのだ。新生がポイントではないだろうか。
ヘブル6章4-8節では、聖霊のバプテスマを受けたと思われる者が一度堕落すると、二度と悔い改めに立ち返らせることはできないとある。
神に触れ、知り、まず新生によって。自分が変えられ、すべてを捧げ、神の恵によって己が神のものとされること。所有がはっきりと己から神の陣営、神の所有とされたのであれば、その人はもう堕落することはない。神がご自分のものを守ってくださるからである。大牧者イエス・キリストのものであるからだ。
聖霊のバプテスマは、新生に添えて与えられるものである。新生無くして聖霊のバプテスマは、私には考えられない。
ケパ
私たちクリスチャンは、神の証人である。それが実に不思議な形で用いられたりして、神を崇め賛美する時がある。
先週の木曜日、私はテニスをしていたのだが、相手はT君といって、40代半ばの実に気持ちの良いスポーツマンだ。よく二人でサシの勝負、シングルスをしていた仲間だ。しかし彼には、私が牧師だなんて、一言も言ったことはなかった。テニスの世界では、この世の職業や地位、年齢など一切関係なく、むしろ明らかにしてはいけない慣習がある。唯一の価値観は、勝負で決まるテニスが強いか弱いか、それだけである。(今日は全豪オープンで、錦織圭とカレン・ブスダの5時間5分の歴史的な戦いがあった日。最後の最後まで勝負の行方が分からず、錦織のサービエースで一閃、ベスト8に)
けれども先週の木曜日は特別だった。きっかけは私のディレクター椅子だった。車からコートに行くまで、彼と落ち合ったので、気のいい彼は私の椅子を持ってくれた。それから1試合戦って、破れた私が持参した椅子にどかっと座った時に異変が起こった。「な、なんだ、尻が冷たい!」と、驚いて立ち上がると、な、なんと私のお尻はびしょ濡れ、まるでお漏らしだった。
振り返って見ると、キャンパス地の椅子全体が水たまりになっていた。椅子の上にはお茶やポカリの水筒もない。「何がこぼれていたんだ?」と私は思わず叫んだ。「さっき僕が運んだ時は、濡れてなかったですよ」とT君。私は慌ててタオルでお尻を拭きながら、不可思議な現象に、つい「これは天使のお漏らし、イタズラに違いない。臭いがないから、きっとそうだ」と。
するとT君は「面白いことを言う」風に笑った。少しムッとした私は「天使って、君は信じないだろうが本当に居るんだよ」と。それから約1時間、テニスコートのベンチで私の証が始まったと言うわけ。
「実は私はクリスチャンで、しかも牧師なんだ。クリスチャンってね、天使のような霊的な存在を信じるだけじゃなくって、永遠のいのち、奇跡を信じるんだよ。」
「奇跡を、ですか?」
「うん、例えば処女からイエス・キリストが生まれたこと。」
「えーっ、本当ですか?」
「確かにあり得ない事だよね。T君、正直に言うと、実はそれを本当に信じれたのは、信者になって30年後だった。それまで大教会の執事とかを長年やっていたんだがねぇ。いや、これは私の力でなく、神によって信じさせていただく試練と恵みにあずかった結果、と言うべきだろうな。」
こうして思いがけず年齢の壁を越えて? 心から友と呼べれるT君に、私は罪と救いの必要、十字架の赦しと解放について、神が実際に人間に語りかけ、触れてくださる愛にまで、T君に余すところなく伝えた。(二人が話し込んだコートのベンチで)
話終わってから、T君は言った。「何もかもが信じ難いお話ですが、ただ一つ、僕はテニスを通して中村さんを知っている。だからあなたは嘘をつくような人ではない。信じ難い話だけども、嘘とは思えない。」と。
※確かにテニスをすれば、百の言葉より相手の人間性がストレートに分かる。まして再々やっていれば。
こうして私たちはLINEの交換をし.もう一試合をして別れた。数日後判明したことがあった。T君などとの木曜日のサークルは、残念ながら再結成が難しく解散の憂き目に。と言うことは、T君とゆっくり話せる機会としては、まさにこの日が最後の最後だったのである。
主をほめたたえよ。
ケパ