私の僧院(黙想場所)で
この題では、そこは何処だろうかと思われるでしょう。若いころの私の驚きの一つに、カトリックには黙想専用の祈祷院が、よく知っていた小高い丘の上にあったことです。近年、映画にもなった「祈りの力」では、祈りの部屋がクローゼット(洋服収納の小部屋)であったように、本当は何処ででも良いのです。では私の黙想場所とは夏のこの時期、自宅マンションのベランダに置いてある収納兼ベンチなのです。ここが私の夏の僧院です。唯一の造作は左上に見えているように、直近の家との視界を遮る日よけ(サン・シェード)をつけることです。
このベンチに腰かけると、屋根はあっても直接差し込む朝の光と風があり、雨と寒さ暑さがあります。他には鳥のさえずり、風の響き、窓を開ける生活音と近くを走る総武線の通過音があります。
神さま、あなたと交わりたい。御意思をもっと知りたい。あなたが私を哀れみを持って愛してくださっていることは、ようく分かっています。私はその哀れみにすがり、さらにあなたのお心の中を知りたいのです。いつもあなたの言葉に飢え渇いています。あなたは愛、決してむげにはなさいません。
心から感謝します。聖なるあなたに近づけない、遮るものがあるなら、どうかそれを示してください。もっともっと悔い改め、私の不義をどんなに辛くても進んで告白しましょう。何しろ私はあまりにも罪人なのですから。ただあなたの哀れみの愛だけが私の全て。主よ、私はあなたの哀れみを受けたいのです。
神の語りかけは、いつも突然に始まる。「愛する子よ・・・・」と。それは耳からのことばではなく、脳裏にひびく、はっきりとした意思を現わすことばだ。威厳と常に慈愛に満ち、時に戒められ、時に励まされ、時の段階を教えてくださる。
いったいこのお方、神を愛さない人などいるのだろうか?知れば知るほどその思いは強くなる。私は自分のすべてを捧げて、この方に従い、お仕えしたいと心から願う。私と比べものにならない価値とその喜びが神にあるから。
ケパ