「刈り取り」されたことはあるだろうか? 農家にとっては収穫のうれしい作業には違いないが、作業の実際はノコギリ鎌を中腰で扱う、危険で辛い作業だ。田植えより大変だと言っていい。良いのは、乾いた土の上で作業できることだけだろう。最も今ではコンバインで収穫するから、これはむかし話の類になってしまったことだ。そしてはぜを組み、天日干しにするため、稲束を掛けて天日干しにする。その作業のかゆいこと、痒いこと。ともかく、本当に喜ぶのはもみの袋詰の状態になって、あとは出荷するばかりになってからである。
これから私たちの教会では、もうすぐ魂の大収穫=リバイバルが起こることを待ち望んでいる。しかし、こと刈り取りの収穫と来たら、あの辛い作業を思い出す。きっとリバイバルには、とうぜん患難時代という、つらく危ない時代も覚悟しなければならない。サタンは最後の力を出し、死とその滅びの世界を見せつけて悪あがきをするだろう。しかし、私たちはすでに勝利を取っている、それらは巧妙な偽りに過ぎないのである。
さあ、大収穫の前に、大艱難自体を耐えて 、使命を全うしよう。祈りと感謝がポイントです。
ケパ