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10年前の3月11日の事を思い出し、忘れまいとこの事を書こうと思った昨日。
でも一日中、FacebookもInstagramも blogもまたテレビなどから10年経つ日を振り返り、遭遇した事実をようやく語るその痛みを覚えている中で伝える、その様な事をいくつか聞く一日でした。
それは丁度あの年の秋、ケパさんと仙台を訪れ、津波で何もかも無くなったその地域で祈ろうとしたその時、私は車から降りれなかった。この場所に降りて良いのか。祈る価値もない者ではないか。痛みは何も分からない、よそ者ではないか。
さらに翌日石巻に入ったその場所からでも心が痛くていられなかった。
何も出来ない者が‥‥と。
昨日も同じ気持ちが、Facebook見てたら突然私の心にあった。
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(この春の雪解けは早く、すでに川の流れはこの様な最良と勢いだと)
私達は船橋市へ向かう首都高から京葉道路を走っていた。その日は三回目のゴスペル教室の予定だったから。
私はカメラを手にして助手席にいた。
それは、建設中のスカイツリーを撮ろうとしていたから。
そのビデオ動画を元にケパさんが編集した。
でもこの動画10年経った今日、blogにしてどうするのかと。
だから私は心が痛くなった。
1日たって今日、私はもう一度祈った。
この10年さらに各地で災害が起きてる。覚えておこう。自分はその場所にいなかった事も記憶しておこう。しっかり覚えておこう。逃げては行けないね。
ドルカス