ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

教科書で教えない岩倉使節団の真実

2018年02月08日 | 信仰
小学校六年生になると、社会では日本史を主に教える。特に明治維新からは詳しく教えるのだが、中でも岩倉使節団はしっかり取り上げている。

この使節団の目的は、幕府が結んだ治外法権、関税自主権などの不平等条約改正にあったが、その成果は何一つ得ることができなかった。それどころかグラントアメリカ大統領や、英女王ヴィクトリアなどからはもちろん、アメリカやヨーロッパの行く先々の街角で「ウラカミ!ウラカミ」の抗議デモに直面することになった。(配流された津和野で、信仰を貫く中心人物 高木仙右衛門)

徳川幕府の259年間にわたる苛烈な禁教政策。その中で潜伏し隠れキリシタンとして信仰を守った人々(浦上村)がいたと言うこと。浦上村の信徒発見がどれほど世界に、奇跡的なニュースとして知れ渡っていたかを知らなかったのは、当の日本人だけであった。そして幕府から明治政府になっても、国はますます弾圧、拷問の手を強めていた。

この事態に驚いた使節団は、キリスト教禁制の廃止を電報するが、留守の政府は取りあわない。結局禁制の高札撤去は帰国後の1873(明治6年)になって実現した。六年わたる一村総流罪の浦上村3300人の旅は682名の殉教者を出して終わった。酷い拷問から生き残った村人が帰ってみると、荒れ果てて住めなくなった家に、耕す鍬も無く、村人は茶碗のかけらで耕した、とある。その後村は台風と赤痢が襲い、何年も極限の状況を呈した。(今回の殉教ツアーで、浦上四番崩れを詳しく語ってくださった方の著作)

今日、わが国には信仰の自由がある。しかしその自由は、浦上村の尊い犠牲の上にある。為政者は宗教をしばしば利用し、都合の悪いものを迫害、弾圧した。この尊い自由は、政治と権力に決して結びついてはならない。



ケパ




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