いよいよ本格始動になってきた。老眼鏡をかけることだ。これまで《抵抗》とまでではないが、弱ったのは暗いとやたら文字が見えなくなるので明るくしたり、大きなルーぺで代用してきたのだ。しかしそれも次第に限界を感じるようになって、とうとう読書に常用することに。(楽譜が裸眼では読めなくなった)
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だいたい今から十年前のアップル社のアイフォンが世に出た時、悪い予感がした。製品にではなく、その超カッコいいコンパクトな本体サイズの箱に収まっていた取り説にだった。私の記憶している限り、これがよろしくないことの始まりだった。なぜなら、この取り説、印字が箱以上に小さな紙に、デザイン優先で「よほど目が良い人でない限り、肉眼では読めないものだった。(アイフォンの箱は、商品をやたら大きな箱入れる傾向を打ち砕いたのだが・・・)
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こういったデザイン優先で、ユーザー無視の取り説に、その時はずいぶん驚いた。その後、このような類の小さな読めない字ても、それはまるで読めない方の問題だとするタイプのものはその後、確実に増えて来た。今回就職のために受けたある会社の試験でも、元の半分に縮小したテストをシニアに出して来た。私がどう感じたか?お分りでしょう。たとえ通っても、ここには来たくないと思ったのだ。
昔は書類とは手書きだったから、文字は大きかった。活字も11ポイントを下回ることは無かったと思う。しかし今は違う。これに対し、電子媒体のものは字の大きさを変えられるので、逆にシニアには優しい。その上で、読み続けると腕が重くなるので、本に対して眼鏡を常用することにした。
ところで老眼鏡は、千円からある汎用的なものを使い続けると、私の場合、そのうち痛みさえ感じてしまうようになった。💲💰がかかるが、一度眼科医またはそれに準ずるような眼鏡専門店で検査の上、調整された眼鏡が良い。眼鏡は服装や遊び事以上に大切な投資物件である。(私の老眼鏡。フレームが無く、重さを感じない)
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私の父母は五十代前後で老眼をかけはじめたので、私はこれを飛躍的に伸ばせたわけだ。
体質と遺伝が百パーセントかも知れないが、これにプラスして次の三つの要素があったと思っている。一つにはテニスで動体視力などを養っていたこと、まったく肩こりがないこと、頭痛の経験もないがある。これらの影響は、大きいはずだ。、
とにかく本好きな私を、ここまで眼鏡無しにしてくださった神に感謝する。これからは眼鏡の不自由さをも楽しむことができるよう祈ろう。
ケパ