ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

新改訳聖書

2020年11月18日 | 聖書
聖書は私のクリスチャン生活史に置いて大切な位置するもの。
今朝もデボーションで、その様に思わされました。


上から新改訳第2版小型聖書
2003年9月購入。
それまで姉がプレゼントしてくれた聖書を当り前のように使っていたが、
東京聖会に行く為小型版が欲しくなり、たまたま第3版の出版直前で処分品の「格安の皮革装聖書」を見つけた。
今となっては裸眼ではとても読めない小型版。

真ん中ワイン色。新改訳第3版中型。
2009年3月購入。前年に再婚する時、夫となる牧師に、聖書をプレゼントしてもらった。その聖書を
不覚にも食卓でカフェオレを飲みながら開いていて溢した。まだひと月も立たないうちで、ショック〜使い続けていたが、カフェオレだったので、ミルクが糊付けになった。
ページが思うように開かなく分厚くなった聖書を見て、哀れに思ったかもう一度プレゼント。喜んで使い続けた。表紙が剥がれは接着剤で貼り、表紙裏の白いページには隙間が無いほど書き込まれて、私にとって大変大事で便利。手元から離せない聖書となったが、
5年程前、大型スタンダード版を見つけた。
裸眼で読めるのよ〜それを求めた。聖書は徐々に高価な書物となったね。使いやすく丈夫なので皮革装が欲しくなるから、祈って祈って本当にこれかと、決まるまで買えないからね。購入する時この高価な聖書買って良いのかと思わされた。

その後2017年いよいよ改訂版
「新改訳2017」が発売された。
私は新しい3版大型版買ったばかりだったから、買い換える事はなく事発売されても3年も買わずにいた。馴染みがあり、何不自由ない、必要だったら、聖書アプリから読もうと。
また、必要な時は、経済も守られるからね、無理はしないでおこう。

今年2020年。新型コロナウイルスの最中、10万円の慰労金など、思わぬ経済が与えられて、ようやく私も購入の時期が来たと思ったのです。6月移転した新宿オアシスにて購入。
更に高価な買い物でした。


そして今、未だに第3版中判聖書が離せず、2冊開いてしまう。そしてその違いは、第2版から第3版に変わった時より、更に違いがあり戸惑っている私がいるのです。アーメン   


ドルカス



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翻訳された聖書の問題

2020年11月17日 | 聖書

「あれっ!」とドルカスがすっとんきょうな声を上げた。「ここ、全然違ってる」と。



 私たちの教会は月に二度程度、聖書学習会をしている。先週はサムエル記の「奪われた契約の箱」だった。神の箱は悲劇的なサウル王と王子ヨナタン(英語名はレストランで有名なジョナサン)の戦死という大敗北で、七ヶ月間ペリシテ人に奪われた。神の箱がある間、ペリシテ人たちは腫物や恐慌で打たれ、結局イスラエルに返すのだが、問題はそれを受け取った国境沿いのベテ・シェメシュの人々である。この町には五万人ぐらいが住んでいたようだ。


 この町の人々は神の箱について、どれほどの神聖さがあるかを知らなかった。それは無理もなく、民は噂には聞いていても、二百年間シロの幕屋の最奥、至聖所に安置されたままであったので、年に一度大祭司しか見たことがなかったのだ。それが先のサウル王が打たれたペリシテ人との戦いで担ぎ出され、それを初めて見た民の多くも死んでしまった。まして、その箱の中を覗いた者など、誰もいるハズのない超神秘のものなのだ。

 興味津々であるのは当然だった上、今、祭司も居ない、不敬を教えるレビ人もいない。しかし突然、神の箱が目の前に現れたのである。

 そこで好奇心を抑えきれず、大きな石に運び上げただろう七十人の者が、禁断の蓋を取って、中を覗こうとしたのだ。その瞬間、その場に居た全員が瞬時に打たれ、殺されたのだ。イスラエルの神、その神の箱が五つの金のねずみ像とともに帰って来た喜びは、この途端に悲しみと悼みに暗転した。


 さて問題はこれからである。新改訳聖書第3版を読んでいたドルカスはそのとき主は、その民五万七十人を打たれた】と読んだ。ところが新改訳2017を読んでいた残りの者の聖書には主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれたとあるのだ。

 個人的に、聖書のバージョンアップしで、これほどの大きな違いが生じた経験をした事が過去、ない。ヤコブの家族がエジプトへ総勢何人で行ったかどうかの違いではないのだ。


 これほどの違いならば、2017発売時に、はっきりと相違点を指摘するのが筋ではないだろうか。実際、先行する口語訳でも共同訳でも、打たれたのは七十人としているからだ。あえてこの訳を採用した強固な理由があったはずなのだから。しかし、それをこっそりと、ただ直すだけで口を閉ざしている。うーむむ。


 さらに調べてみると第3版と同様、KJV(欽定訳)にHe struck fifty thousand and seventy men of the peopleとあり、要はandの解釈であることがわかる。しかしその他の主だった聖書では明確に七十人が殺され・・・とあり、五万人の表記はない。

 一般論だが、どう考えても神の箱を覗いた者が五万人も居たとは思えない。それならベテ・シェメシュの全員が行列を作って、かなり長い時間にわたって見たと言う事になる。しかし後のウザの例でも分かるように、神の箱の場合は瞬殺である。神が街の人々全員が不敬の罪を重ねて行くのを待っておられたとは思えない。

 それで、この2017では、そっと、こっそり変えるしかなかったのか?

ドルカス、お手柄です。

 これだけでなく、【礎の石】も【要の石】と2017では変えられている。第3版はそのうち在庫がなくなり次第手に入らなくなる。つまり私たちは2017に好むと好まざるとに問わず、2017にせざるを得ない。

 またこの事は、改めて聖書は原典において誤りなき神の言葉(無謬)であって、翻訳された日本語そのものを、あたかも誤りなき神の言葉のように、一言一句、そのまま受け取ることの危うさもを示している。


ケパ


ーーーーー参ーー考ーーーーーー

【新改訳改訂第3版】1サム6:19

主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。【主】の箱の中を見たからである。そのとき主は、その民五万七十人を打たれた。【主】が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。


【新改訳2017】1サム6:19

主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。【主】の箱の中を見たからである。主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれた。【主】が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。




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第三主日礼拝

2020年11月15日 | 教会のこと
お早うございます。
今朝のこのフォトは、信州から北アルプスの様子です。


今日も主日礼拝の恵みで満たされている 
教会に集う私たち❣️そして
インターネットでご一緒に礼拝される方。全てに恵みがあります。

お証しは、いづみ姉です。
今日のデポーションに、ご自身に語られた恵みを証して下さいました。


Facebookからご覧になれます。
また、牧師メッセージは、YouTubeで午後にはアップします。



テーマは「奇跡・御霊の現れ」

ドルカス   

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紅玉ジャム 第二弾

2020年11月14日 | 食べる
先月作った紅玉ジャム、やはりも一度作りたくて、今回はややお高めの粒揃いが3つ届いた。
あまり綺麗で一口食べてみたら、😸甘酸っぱーい。
やっぱり紅玉🍎の酸味は堪らないね。
美味しい❣️


今回は残っていたグラニュー糖使い切り、冷凍庫にあった少しのレモンスライス数枚を細かく刻んで入れちゃう。
半日置いてから煮詰める。
昨日朝にもう一度煮詰めると、シナモンパウダー入れてみた。なかなか🍎とシナモンの相性が良いので好きなの〜

瓶は熱湯消毒してから
更に瓶詰めして軽く蓋をする。鍋の蓋をして蒸して、空気抜いて滅菌する。


今回はリンゴの数が少ないから、これだけね!



今朝はお弁当詰めるのに忙しくて、



朝食は、パンたっぷりシナモン🍎ジャムで、どうぞ〜  

ドルカス   






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二つのタイプと仕事

2020年11月13日 | 示されたこと

二つのタイプ

 同じことを続けることに耐えられない人と、同じことでないと心が落ち着かない人といる。


 分かりやすい例で言えば、毎日同じ道を通ることで、安心を覚える人と、それでは飽き足らず、時間があれば知らない横道に入って、その先を確かめずにはいられない人とだ。(そんな人はたとえ行き止まりでも、行ってみたい)



 私は典型的な後者。生来の新し物好きで、飽きっぽい性格は自分でもよくわかる。こういうタイプは常に新しいことや、分からないことがあったらどうしても気になってしまう性分でもある。

 飽きっぽいことで痛切に感じさせられたことがあった。学生時代、今は無くなっている日産の座間工場でバイトしたことがあった。その広大な工場は、当時の人気車種サニーを作っていて、私は運転席のサイド、ドアとの境にある下トレー設置を担当させられた。(写真は似たような組み立ての一例)



 ラインは最初ゆっくりでも、徐々にスピードが上がる。間に合わなければ紐を引っ張ってラインを止めるしかないのだが、それは何キロも?(それほど長かった)あろうかというラインに連なる人々全員を休ませることになる。速さに追い込まれ、何も考えずにただただコマネズミみたいに目先のものを追いかけてまったく同じ作業を繰り返す。まさに自分が機械の一部と化した感じである。人を人としてみなしていない、何と非人間的な仕事だろうか。


職種について

 数日経つと、私はこの仕事が自分に向かないだけでなく、将来にも絶対避けなければいけない職種であることを悟った。同じ事に耐えられず、拒否感でアップアップになるのだ。とにもかくにも二ヶ月間、組み立てラインの仕事が続けられたのは、あとに述べる目的があったからだった(※ライン作業にも今は人の代わりにロボットが多用されていて、かなり変わっているようです。下の写真はホンダのセル採算方式で、私の毛嫌いするライン組み立てではありません)




 二ヶ月間、最後まで続けられたのは、車の免許証取得に必要な資金づくりと、お昼代付きのバイトという期間限定工であったことだろう。また、一週間昼働けば、翌週は夜中の一週間働くことにも、体のリズムが馴れることはなかった。私の親族の叔父たちはマツダ勤めが多かった。逆に言えば、マツダで勤め上げた私の叔父たちは、尊敬に値する人たちだということがわかった。


 最終的に私は教職に就いたが、相手は人間なので百人いても同じ子は一人もいない上、どんどん日々成長していく相手でもあり、毎日がど変化の仕事だった。だから私にはすごく向いていた。




 今は牧師をしているが、牧師の仕事にもっとも近いこの世の職業は教職だったことを痛切に感じる。すべての歩みに何一つ無駄がなく、ただ神に感謝している。



       ケパ





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水曜礼拝で

2020年11月11日 | 教会のこと
今日水曜礼拝では、お2人の証しがありました。
最初にY君です。

彼が8歳の時のことです。
群馬から東京に来ることになった時の事。とても嫌だった。教会もCSも大好きだったから。離れたくなかったから、泣きながら神様に祈った。いつの間にか寝てしまい、次の日の朝わかったんだ。神様が教えてくれた。
安心して行きなさいって言ったから、僕は神様の言葉を信頼しておばあちゃん達と来たんだ。
ハレルヤ❗️
きっと次々とその後のお証しがあるのだろうなと、私は期待してます。

そしてもう一人は、m姉のお証し

この場所に教会が越してきた後の春先でしたかね〜。それ以前でしたかね〜。
iPadProを買われた証しがありました。これを使って絵を描きたい。仕事で求められている絵を描きたい。自由に好きなように絵を描きたい。その事を思いなかなか出来なかったことが、今日祈って求めたら僅かな時間で書く事ができました。と心のうちを語られ、


まず一番に描きたかった教会の絵です。自分で撮った写真を見ながら、眠気があったにも関わらず描けたのです。そしてそのつもりでなかったけど、皆さんにも見て頂けました。と証しをされました。
抜粋してご紹介します。
『船橋キリスト教会』を最初に書きたかったそうです。
ありがとう。mさんお借りしました。

ドルカス   



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やっと会えたね

2020年11月10日 | 自然
海老川沿いの鷹匠橋近くの地域猫ちゃん。最近は見る事もなく、
「猫達を虐待しまいでください」と
「猫達に餌を与えないでください」
と書かれている、二つの立て看板を見て、ため息ついていた私ですが、



今日ね、久しぶりに会えました。
声をかけるとニャーニャーと言いながら、通り過ぎる。



元気そうでよかった。あの時のひどい怪我はすっかり治ったのか〜。

などと、猫には聞こえないけれと祈りながら帰宅でした。

私の思いにある、いえ示された事柄の発端となった猫ですから。

ドルカス   


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なんて久しぶりな〜バラ園

2020年11月09日 | 自然
月曜日の午後。
夕方からインフルエンザ予防接種に行く迄の空いた時間。
今日は久しぶりに出かけられた。
谷津薔薇園です。


既に園内のバラは30%しか咲いてないって。
それでも入場料がシニア割り2人で¥400で楽しめるからね。
しばらく秋薔薇を堪能しました。



時間限定であったけれど


ご機嫌な私に付き合ってくれて、ありがとう。













薔薇いっぱいの園のじきではありませんが、一つ一つ覗き込み確かめる。







曇り空のバラ園を散策。
1時間半ほどの時間は、気持ちよくご機嫌な私でした。 



神様至福の時をありがとうございます。
あなたの作られた花々を感謝します。

ドルカス   



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主日礼拝

2020年11月08日 | 教会のこと
今日の礼拝は


いつものように、Facebookオンラインです。
牧師名で検索してください。いつでもご覧になれます。また、
YouTubeでは、牧師メッセージのみをご覧いただけます。

ドルカス   
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ピアノを弾いて

2020年11月06日 | 証し
   私は小学生の時にピアノを習わされ、高校生になって自主的にピアノを習った。けれどもまったくモノにならなかった。


(愛用のヤマハのステージピアノ)

 ところが船橋の地に実質開拓教会として派遣されて来て、礼拝でピアノを弾ける人がいない、さあ困った、どうしようと言うことになって、やむなく多少の経験がある私が受け持つことになった。

 しかし伴奏をやってみると、これが意外と楽しい。練習によって出来なかったことができるようになるからだ。これは半世紀しているテニスとまったく同じだ。出来なかった所ができるようになると、嬉しいし、楽しい。
 はじめは年寄りが苦手なシンコペーションなど苦手なリズムに苦労し、次に右手と左手の動きがまったくバラバラで、これは弾けそうにもないと感じる。しかし練習を続けることである時、パッと出来るようになる時が来る。このように上達が明瞭にわかる、そういうところがピアノの醍醐味なんだろうと思う。
 私はテニスを半世紀やっているけれども、練習とは繰り返し反復運動で体に無意識に反応できるよう覚えさせることである。ピアノはそのような連結の成果がハッキリわかるもので、気がつけばピアノやキーボードを何台も収集するほどになっていた。※腕前とは関係なく、上達は遅々たるもの。

 ピアノを弾いていて感じるのだが、これは指を十本使って弾く。リズムと特に和音はピアノの独壇場だ。音は脳に心地良いもので、ボケ防止に大である。そして何よりも、こんな下手でも弾けば、皆さん喜んで歌ってもらえる、それが天にも登れるほど嬉しい。 
神様とピアノに感謝。

ケパ


 
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