孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 4(11月15日)

2021年11月19日 10時45分26秒 | 旅行(日本)

11月14日(日)は三島村の村長選挙。どの候補者が当選したのかは聞かなかったが、2名の候補者が村長選挙に立候補したようだ。島で1軒(かな)しかないお店の店頭には候補者の選挙事務所の手書き文字看板があった。さて、15日のフェリーには、この選挙で硫黄島に来た三島村の職員多数が鹿児島市に帰るため乗り合わせていた。 三島村の職員が鹿児島市に帰る⁇ なんか変な表現に聞こえるが、三島村の村役場は三島村には無く鹿児島市にある。三島村は、竹島、硫黄島、黒島という3つの島で構成されている。 どこかの島に村役場を置くより鹿児島市に村役場を設置したほうが行政の業務が行いやすいからだ。 14日の夜に、村長選挙で硫黄島に来た村の職員たちといろいろな話を雑談したのは楽しい旅の思い出でした。

11月15日、鹿児島港に向かうフェリーは定刻通り9:30に入港。 村長選挙の影響などで鹿児島に向かって乗船する客が多い。とはいえ、1800トンの船が満員になる事はなく、好きな場所で休むことが出来るので、帰りのフェリーはラウンジ席を確保した。

波は無くフェリーは静かに鹿児島に向かって進みます。 そして硫黄島の眺めもだんだん小さくなっていきます。

以下は、来島して撮影した硫黄島の眺め、硫黄岳の眺めです。(15日以外の撮影あり)

硫黄島全景

 

この断崖絶壁の姿には圧倒されます。

フェリーが入港してきました。 朝、黒島から出発し、硫黄島、竹島に停泊して鹿児島港に向かいます。

硫黄岳の眺めです。

 

外洋なのに波が無くスムーズな公開でした。 錦江湾に入り開聞岳に分けれを告げ、やがて桜島が見えてきました。 鹿児島に戻ってきました。

お土産

お土産に孔雀の羽を買いました。 硫黄島には野生化した孔雀が生息しています。残念ながら一度も見ることはありませんでした。そのことを島の方に話したら、“あらぁ、一度も見ないで帰るなんて珍しい”と言われました。

孔雀の羽が200円で売っていたので2つ購入。 この羽は、キャンプ場に飾っていた羽です。

 

フェリーは鹿児島港に入港し、往復チケットを係員に渡して無事に下船。

タクシー停まっているかなと思ったのですが、幹線道路に出ても見つからずしばし繁華街に向かって荷物を引きづりながら歩く。(スーツケースの荷物は約20㎏)

やっとタクシーがつかまり、鹿児島中央駅方面の温泉へ向かう。 硫黄島にいる間、東温泉には入ったものの、髪はシャンプーしておらず、まず風呂に入ってさっぱりしたい…

風呂に入ってさっぱりした後、鹿児島中央駅で“若き薩摩の群像”の像を見る。イギリスに留学した薩摩スチューデント。 なんか、幕末の時代って面白そう…

像はチラッと見ただけで鹿児島空港行のバスでに向かい、鹿児島空港で夕食やお土産を購入した。帰りの羽田へのフライトも満席でした。 写真は、鹿児島空港にあった、CAの教育用のモックモデル。(実際に使用しているものだそうです)

羽田空港に到着して3泊4日の旅行が終了しました。


自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 3(アマチュア無線)

2021年11月19日 10時27分30秒 | 業余無線

自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 3 (アマチュア無線)

薩摩硫黄島での目的はアマチュア無線の運用。 この島(硫黄島)は鹿児島県鹿児島郡三島村JCG46006Bで私自身は交信したことのない場所です。硫黄島での運用場所は、キャンプ場のキャンピングカーの中からなので、周囲への雑音の心配は少なくアマチュア無線を行うにはよい場所。

しかし、このキャンピングカーのそばには鬼界カルデラの端っこの垂直の高い壁があり、キャンプ場の周囲は人が入れないほど密集している竹林(琉球竹)があり、自然豊かでビックリの場所。 どうやってアンテナを設置するか、頭をぐるぐる回転させて考えた。そして、持参したポールを使って7MHzはサガ電子のツエップタイプのアンテナ。3.5MHzはダイヤモンドのモービルホイップを建てることにしたのだが…

7MHzのツエップはアンテナのSWRが3以上。 SWRが高すぎるので、アンテナチューナーは持参しているが、この状態での運用はためらう。また3.5MHzもSWRは3以上の状態。しかも、パソコンの電源が入らず動作しなくなった。 あちゃ!!! これは最悪。

これはアマチュア無線運用は断念して硫黄島観光のみかなぁと途方に暮れながら、夕食のインスタントラーメンを食べる。

何とかならないかいろいろ格闘し、やっとパソコンの電源が入るようになり、これでFT8での運用と、ハムログを使った運用ができるようになったので一安心。

3.5MHzのSWRは高いのだが、FT8ならばアンテナチューナーでSWRを下げて運用すれば、交信可能なので今夜は3.5MHz FT8での運用とする。

17:54から運用開始し、コンデションが低下した23:14まで75局とFT8で交信し、12日はキャンピングカーのベッド(寝袋)で寝ることにした。

14日、朝、起きて、まず7MHzのアンテナを建てて動作不良の原因を探すことにした。 サガ電子のツエップアンテナの同調点が大幅にずれていることが判明。 このアンテナは数年間使用していないからなのか、7.2MHz以上の周波数に同調点があることが分かりアンテナの長さを調整して同調点を7.05MHzまで下げることができた。 SWRが下がったので、これなら大丈夫と9:17にSSBでCQを出し運用を開始した。

15日は、5時に起床したが7MHzはまだオープンしていない。 SSB/FT8でCQを出すが応答はない。ワッチするが今日はバタバタノイズが激しい。S+20dBくらい振っている。 早めに朝食をとることにする。(といっても、インスタントの焼きそばです)普段インスタント食品は食べないのですが、硫黄島ではインスタント食品にお世話になりました。6:30ごろJAの信号が聞こえ始めたのでSSBでCQを出し、8:15まで運用。 9時10分にチェックアウトを予定していたので、急いで撤収作業を開始しました。 雨は時々振ったけど、天候に恵まれ楽し旅でした。

 

硫黄島での交信結果は、

 3.5MHz FT8  75局交信

 7MHz FT8  44局交信

 7MHz SSB  357局交信

            合計 476局

もう少し交信局数を伸ばしたかったが、設営時のアンテナ不調のトラブルで交信局数ゼロも頭をよぎっていたのを考えると上出来だろう。

 

運用場所  (左側に垂直の壁、後方は人が入り込めない竹林(ジャングル状態です))

運用ロケーションとしては最悪の場所です。

携帯で調べてみると、運用場所は海抜6~7m、この崖は120mありました。

宿泊したキャンピングカー

(3.5MHz モービルホイップアンテナを建てている)

7MHzツエップタイプアンテナとキャンピングカー

キャンピングカーの中

キャンピングカーの中に、アマチュア無線機、パソコンなどを並べ、ベッドを椅子代わりにして運用。 7MHzのツエップアンテナがベッドの上に転がっていて、パソコン動いていることからFT8運用できる状態を撮影。

 


自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 2(11月13,14日)

2021年11月19日 10時17分22秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 2(11月13,14日)

 

11月13日、三島航路のフェリーの出航は9:30なのでホテルを8時過ぎにチェックアウトしてタクシーで南ふ頭に向かう。南ふ頭に到着し、乗船の手続きを行う。新型コロナの影響で観光客の渡航が解禁されたのは、ごく最近の事。それでも乗船するためには、2週間の体温・体調の管理表、新型コロナの2回の接種済みの証明書が必要。

これらの書類を提示して無事にチケットを購入してフェリーに乗りこんだ。フェリーは定刻に出向し、桜島を横に見てフェリーは南下した。 硫黄島まで鹿児島から約100km。

桜島から噴煙が見えます。

やがて開聞岳(924m)が見えてきました。 写真では見て知っていたけど開聞岳ってきれいな三角形の山なんですね。

フェリーのラウンジです。 行きはガラガラでした。

外洋に出ても海は穏やかで、竹島に停泊した後、薩摩硫黄島に向けて船が進み、硫黄岳が大きく見えてきた。

そして13;30頃に薩摩硫黄島の港に入港し、港では子供たちが太鼓と“ジャンベの踊り”で出迎えてくれた。

港の中は温泉の色で赤茶色に変色していて、硫黄岳の噴煙と対比すると、とっても神秘的な雰囲気。

“ジャンベの踊り”

宿(キャンピングカー)に到着し、夕方に周囲を散策した。14日は、アマチュア無線でのコンデションが低下する昼間の時間帯に3時間ほど島を観光した。以下は13日と14日の観光の写真です。 平家にまつわるものが多いのにはビックリしました。

 

流刑された俊寛の像

Wikipediaによると、

『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く。 これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行う。

翌治承2年(1178年)に船が鬼界ヶ島にやって来るが成経と康頼のみが赦されており、俊寛は謀議の張本人という理由から赦されず島に一人とり残された[4]。俊寛は絶望して悲嘆に暮れる。 翌治承3年(1179年)、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した[6]。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を京へ持ち帰った。

 

俊寛堂

山の中、琉球竹のトンネルの中を進むと俊寛堂があります。

この琉球竹のトンネルの地面は、きれいな緑の苔の道です。フワフワした道を歩き、とっても不思議な場所でした。

安徳天皇の墓所

平家が滅びた壇ノ浦の戦いで,入水し崩御したとされる安徳天皇が実は硫黄島へ逃げ落ちて余生を送ったと言われる「平家の落人(おちゅうど)伝説」があり、その墓石群がありました。

東温泉

大海原を眺めながら入ることができる東温泉。 波が高い時は危険でしょうが、今日は波も静かで他に観光客も来なかったので、この東温泉に入ることにしました。

山から海に温泉の源泉が流れ込んでいる場所もあります

東温泉の風景です。 いいお湯でした。 3つの浴槽があり、一番温度が低い場所で大自然を眺めながら入浴しました。

ここが温泉の着替える場所です

 

平家城展望台

島の北東側の高台です。景色が良く、海岸の海の色が変化している(温泉の影響)が良く分かります。隣の島(竹島)が見えました。

この竹島が鬼界カルデラの反対側です。 そして竹島の手前に小さな島が見えますが、旅行後に調べたら、この島の名称は昭和硫黄島(無人島)。

昭和硫黄島は1934年にできた新島で300mの深さの海から火山活動によって島が出来たので、自然のすごさを感じる。

当時は戦前の時代だったので、現在の時代なら、海底火山で島が出来たという話はトップニュースでの報道で大騒ぎになっていたことでしょう。 小笠原の方でも新島活動活発ですよね。

見晴らし展望台からの眺めですが、海水の色が違うのは温泉の影響です。

中村勘三郎の俊寛の像

第18代中村勘三郎が硫黄島で歌舞伎“俊寛”を上演したことを記念した像が建てられていました。

恋人岬などから見た風景

両側が切り立った小高い場所、ここはカルデラの端っこの上です。そこからの眺めは大自然のすごさを感じさせてくれます。

噴煙をあげる硫黄岳、港から温泉が噴出しているため海の色が赤茶色に変色した港などなど。

“ボーーー”という汽笛の音が聞こえてフェリーが入港してきました。

フェリーが鹿児島から入港してきました。

港と硫黄岳(703m)、手前の山は稲村岳(236m)を望む眺めです。

 

硫黄島の飛行場の建物

この飛行場の滑走路は600mなので離着陸できるのはセスナ機程度で、鹿児島空港間の運賃は30000円。鹿児島空港から1時間以内で来れるので便利だけど、運賃はちょっと高いので、今回は敬遠しました。 バブル時代Y社がリゾート開発して飛行場を作ったのですが、バブル崩壊し現在は村営の飛行場です。