あれだけのサクラ見たあとなのにずいぶん冷静なんだな
ジョージ・マロリーはいいました。「そこに山があるから」と
ならば去年、高穂の山々を制覇したクマルの実力をお見せしようじゃないの
おまえ、あんときは、車で行って、ロープウェイに乗っただけじゃん
まずは登山の無事を祈って(-人-)
最初はゆるやか
ちょびっときつくなってキタ 休憩しますかね
三浦半島、ヘンなとこな
頂上付近、思ったとおり、大日如来の世界でした
こーやって見ると、けっこう登ってきたことがわかる
なんか極楽浄土の遊園地みたいだったな
この天使さんみたいヒトは、迦陵頻伽(かりょうびんが)といって、極楽浄土に住む鳥さんで妙音鳥(みょうおんちょう)と呼ぶらしいです。駐車所にもこーゆんやあーゆんやいっぱいいて、八十八ケ所巡りもできてしまうんだぞ。むろん巡りました で、そのいっちゃん最後が高野山の奥の院 嗚呼、呼ばれたんだわ、と、八十八ケ所の最後で気づきました(一か所一か所立ちどまってお参りするのけっこうしんどいから)
【クマルさん かむほーむ@Chris's monologue】←クマルの高野山メモリー
ここでは、かなりの時間を費やしました。なんたって広いし、イッコイッコ手を合わせて巡ってるだけで、そーとーな時間かかるから
思い起こせば、三浦三十三観音のなかで、ここが最大級の寺でした。もうここだけで、満願って気がしないでもない
駐車場はこーゆんじゃないとね ということで、今日はもういいんじゃないですか? 山も登ったことだし
まだまだ あさめし、あんだけむさぼったんだから、しっかり諸費しないとね
*今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ2キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。その後、江戸時代に入り、長期にわたる無住職時代や明治時代の廃仏毀釈令、戦後の二町歩にも及ぶ農地解放等各時代に於いて、盛衰をきわめたが、大師信仰を求める地域信者や檀信徒の献身的な努力により伽藍や境内の維持がなされてきた。本尊は不空羂索観世音菩薩で江戸初期のものとされている。
夢のような場所には夢のような花が咲く。正月元旦。に包まれて
つづく
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