木嶋神社 京都市右京区太秦森ケ東町50 秦氏ゆかりの神社
木嶋神社や「蚕の社とも。古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には
珍しい三柱ミハシラ鳥居があることで知られる 秦氏による広隆寺創建とともに勧請されたという伝承もある 創建は不詳。一説に、推古天皇(604年)に広隆寺創建に伴い勧請されたともいわれる。史料からは(701年)の記事以前の祭祀の存在が認められている
稲荷社
舞殿
木嶋坐天照御魂神社 拝所
本殿(左)と蚕養神社(右)
蚕養神社(こがいじんじゃ)
本殿 提灯二葉葵
鳥居
元糺の池 元糺の池、元糺の森と呼ぶのは、糺の森と共に、秦氏の蚕の社で行われていた神事を
賀茂氏の下鴨神社に遷したことによります
元糺の池
三柱鳥居 中央に石が積まれ御幣が立つ 三本柱の鳥居がなぜ作られたのか? 秦氏の遙拝所説。景教の遺物説。キリスト教の三位一体説。ユダヤ教のダビデの星説
葛飾北斎 三柱鳥居
手水舎かいこのやしろ
大和路秀麗八十八面観音巡礼 西山厚 飛鳥園 H24.11.01発行
法輪寺 十一面観音菩薩立像(平安時代 360センチ) [ 重要文化財 ] 2010.11.07参拝
大きなお姿に加え、大きな眼、太い眉、厚い唇の力強いお顔をされておられますが、全体的には穏やかな作風を示していることから、十世紀頃に造立されたものと考えられています。奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
法華寺 木造十一面観音立像(天平時代 100センチ) [ 国宝 ] 2010.11.04参拝
天竺(インド)の仏師・問答師が、光明皇后の姿を模して刻んだという伝承を持っており、髪や装身具の一部に金属を用いるほかは、木肌の美しさを生かした素地仕上げとなっています。奈良県奈良市法華寺町882
長谷寺 十一面観世音菩薩立像(室町時代 1018センチ)[ 重要文化財 ] 2011.06.04参拝
我が国で最も大きな木造の仏さまで、右手に衆生を救う錫杖、左手に水瓶を持って、方形の大盤石という台座に立つ姿は、全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせています。桜井市初瀬731-1
大安寺 十一面観音立像(天平時代 190.5センチ) [ 重要文化財 ] 2010.12.04参拝
左手に宝瓶を執り、右手は垂れて与願の印を結ぶお姿で、胸部の瓔珞は精巧華麗に刻み出され、体部と柔らかい条帛裳の流れに、天衣の見事な表現と相まってお像の優美さをよく引き立てています。奈良市大安寺2-18-1
室生寺 十一面観世音菩薩立像(平安時代 195センチ) [ 国宝 ] 2011.06.18参拝
光背の彩色が大変美しく、装飾的で女性的な優しさが漂うこの像の作風は、室生寺様と呼ばれる本尊の作風と近いことから、本尊の本来の脇侍として造られたものと考えられています。奈良県宇陀市室生区室生78
海龍王寺 十一面観音菩薩立像(鎌倉時代 94.0センチ) [ 重要文化財 ]2010.11.04参拝
鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました。金泥のお姿で、切金模様と、鍍金を施した装身具は精緻を極めており、頭部の自然な俯きに優しい手の動きや腰のひねりなど、姿勢までも美しい像です。奈良市法華寺町897
聖林寺 十一面観音立像(天平時代 209.1センチ)[ 国宝 ] 2011.07.16参拝
第一回指定の国宝であり、天平時代の彫刻を代表する美しい仏像として知られているこの仏さまは、フェノロサや和辻哲郎に絶賛されたことで知られています。奈良県桜井市下692
西大寺 十一面観音像(平安時代 638センチ)[ 重要文化財 ] 2010.11.04参拝
非常に大きなお姿をしておられ、正応2年(1289)亀山上皇によって京都から移された、仏師円信作の本格的な藤原彫刻です。奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
川原寺 明日香村川原1109
川原寺は、飛鳥寺、薬師寺、大官大寺と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われるが、正史『日本書紀』にはこの寺の創建に関する記述がない。そのため創建の時期や事情については長年議論され、さまざまな説があり、「謎の大寺」とも言われている。平城京遷都とともに他の三大寺(飛鳥寺、薬師寺、大官大寺)はその本拠を平城京へ移したが、川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまった
本堂
内陣
弘福寺には、当時の瑪瑙(めのう)製礎石
川原寺裏山 塼仏
千数百点も出土した川原寺の三尊磚仏
南大門跡から見た川原寺跡
北に向かって延びる東廻廊址と東室跡
板蓋神社 河原寺跡の西側の小高い丘に鎮座 由緒は不明
鳥居
拝殿
本殿
津守神社 大阪市西成区津守3-4
御祭神は、御朱印にもある通り、5柱の神々で、天照皇大神・住吉大神・大歳大神・稲荷大神・綿津見大神。現在の大阪市西成区津守の一帯は、江戸時代に「津守新田」として開墾された歴史がある。津守新田の開発の際に勧請されて創建されたのが当社。社地は白山善五郎氏の寄進されたもので、その後再度の増加により、現在二三四六平方米(七百十一坪)
拝殿
本殿
本殿
白山善五郎の碑 白山家---淡路島にある白山神社の宮司の弟が、寛永14年(1637)に瓦町1丁目の炭問屋へ養子に入り、初代炭屋五郎兵衛と名乗ったのが白山家のはじまり。3代目炭屋五郎兵衛は、両替商として活躍、幕府から1万両の御用金を仰せつけられた。4代目炭屋五郎兵衛は新田開発を請負った炭屋善五郎の兄で、医学を学んで白山大中と改名。白山殖産株式会社は大正10年(1921)設立の会社で、現在は不動産業を中心に営んでいる 一族の墓は津守斎場にある 大阪遊ぼより引用
大礼記念 皇紀2600年寄付整備記念碑(1940)当時皇太子であった裕仁様が昭和天皇に即位された事を記念して建立
魔除獅子
成相寺 宮津市成相寺 339
京都府宮津市にある高野山真言宗の寺。山号は成相山。〈橋立観音〉ともいい,西国三十三所観音霊場の28番札所である。成相山の中腹にあって,眼下に天橋立の景観を一望できる天下の名勝地である。途中の傘松公園は〈股のぞき〉で知られ,付近は丹後の国府や国分寺の跡など史跡や名所が多い。704年(慶雲1)真応上人の草創と伝え,平安時代以降,本尊聖観音の霊験が天下に聞こえ,《今昔物語集》など説話集にも語られて,観音信仰の巡礼参詣で今日まで栄えてきた
円通閣
本堂
聖観世音菩薩・本尊
孔雀明王
閻魔大王
青鬼
赤鬼
板碑・中央に「阿闍梨長賢」、左右に「文明七年(1475)乙未、七月五日」
金剛界大日種子板碑(室町中期)
眞名井神社 籠神社から12~13分 宮津市中野
改修工事中で一部しか見られなかった 29年9月末に完成予定 元伊勢籠神社の奥宮で、別名を久志濱宮とも云う。「くし」とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、現在はパワースポットとして多くの方が訪れる。本殿の裏に約2,500年前からそのままの形で祀られている古代の祭祀場「磐座」があり、豊受大神、天照大神をはじめとする神々が祀られている。境内には「天の眞名井の水」という御神水が湧き出ており、車で水を汲みに来ていた。
工事中 奥に古代祭祀場が見える
眞名井水神社
御霊水
以下工事中のためNET より
豊受大神宮
本殿
本殿
盬土老翁(しおつちのおじ) 宇迦之御魂 熊野大神 愛宕神
磐座主座
磐座西座