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人権擁護法案はどうなるか3

2005年03月27日 21時53分10秒 | 法関係
誰に返事しているか、書いてませんでした。ゴメンナサイ。bewaadさんからお答えのTBを頂いたので、以下の記事を書きました。

まず始めに、貴重なお時間を割いてなおかつ丁寧な検討を頂き、誠に有難うございました。以前に、年金改革についてのご意見や日銀の札割れ・国債買いオペに関してもご教示頂いたことを遅ればせながら厚く御礼申し上げます。またお返事が遅くなり、お詫び申し上げます。

あらたまった出だしとなってしまいましたが、慣れない猫かぶりは難しいのでこれ以降は普通に述べさせて頂きます(笑)このシリーズを読ませて頂いて、非常に勉強になりました。しかし、当方の知識不足が多く、十分に理解できていないところが多いのですが。

無駄に長く書いてしまった記事にまでご意見を頂けたことに、純粋に「恥ずかしさ」がありますが(笑)、今どき風に言えば一部は「スッキリ」、しかしながら部分的には「モヤっと」という印象です。

公取の「勧告」及び「公表」(43条でしたのですね。全く見落としておりました。非常に「スッキリ」です)についての考え方はよくわかりました。これが、人権擁護法案との対比に用いるべきものというのも無理があったかもしれませんが、例としては判りやすいのではないかと思ったのです。強制力の強さによって法律上の手続きが違うことは十分理解が出来ます。


行為の有無についての争いは、「なるほど!」です。一方「行為の違法性」についての判断ですが、問題になるのは委員会側が「違法」と認定し行為者側が「違法でない」とする場合の争いということになります。勿論その場合にも「意見聴取機会」はありますが、これは判断が同一の委員で行われるのですよね?記事にも書きましたが、「取調」とどう違うか判らないというのは、一通り行為者側が「これこれこうで・・・・」と人権擁護委員に訊かれたことについて(自分の考えを交えたり)話すだけですね。これでは「勧告」前の検討にはならないのではないか、と感じます(箸にも棒にもかからないとは思いませんが...)。判断するのは、既に「人権擁護法に違反している」と考えている委員だからです。それとも、人権委員会まではるばる出頭して、そこで意見聴取が行われるのでしょうか?


イメージとしては、人権委員会(実質的にはその地域担当の人権擁護委員でしょうか)が被害者から聞いたり、状況等をいろいろ調査した結果、「勧告」すべきである、という判断をするということになると思いますが、判断した人と同じ人が行為者から意見聴取するということになるのではないでしょうか。この結果を踏まえて、それでもなお従う意志がないと判断されれば「勧告」を行うということでしょう。独禁法もストーカー規制法も、聴聞とか審判の時には調査していた人間以外の人が(任命権はそれぞれ行政側にあるものの)判断をするということになると思いますが、この方がある意味「第三者的」な立場の判断ということになります(行政側に組するかもしれない人間の可能性はあるが)。少なくとも「公表」を規定するなら、第三者が行う審判とか聴聞手続きに該当するような「勧告」の是非を問う機会が附与されるのが望ましいのではないかと思うのです。


「公表」については、基となる法律の条文に規定されていれば、それは「公表」の対象となることは理解できます(独禁法43条とか、消防法第5条とかですね)。しかし、民放3社への「行政指導」と、日航への「改善命令」とは行政上の意味合いは全く違うもの(指導と命令)ですが、ほぼ同列に「公表」されています。ですが、例えば、保健所が飲食店へ「行政指導」したのもは公表されたりはしませんし、金融庁の金融機関への行政指導も公表されず、動物愛護法に基づくペットショップや研究機関の実験動物等への飼育状況改善の行政指導も公表されません。租税法は刑法上の厳罰がありますが、国税当局の個人に対する指導についても公表されません(告発されたものについては公表されていると思いますが)。

消防当局のドンキホーテの立入検査(公取にも検査され勧告を受けましたのでそれとは別です)についても火災事件前には行政指導は「公表」されていませんが、事件後には「公表」されています(事件後は、公示規定のある「命令」だったから?なのかもしれません)。もとの法律に「公表」(または公示)が規定されているからなのか、それとも行政指導の公表を行政府の判断で行ってよいものか区別できない、ということです。もともとの法律上に公表規定がある行政指導の「公表」は理解できるが、規定がないものの「公表」については「裁量」にすぎないのではありませんか?というのが疑問なのですね。行政手続法に「公表」規定を一律に設けろと強要する訳ではありませんが、法的に規定している方が普通なのではないでしょうか。安全上非常に問題があるとか、国民の権利に大きく影響する、といった意味合いであれば、たとえ「行政指導」であっても公表した方がいい場合もあると思います。その意味では、条文中に規定のある人権擁護法案の方が、まともです(人権に関する法律ですから、当然と言われるかもしれませんが)。


司法判断は信じられるが行政の行う判断はあまり信じられない、というのは、あくまで比較の問題であり、私個人の意見です。ソースを持ってこいと言われると...ちょっと窮するのですが。行政の方が常に広い範囲の判断を数多く行わなければならない、という側面もあるでしょう(法律が全てを律する訳ではなく、多くの決定には裁判所の判断は存在しないことの方が当たり前です)。行政に身を置いておられる webmaster殿にとっては、苦々しく思われるのは当然のことと思います。しかし、一国民の立場としては、仕方がないと思います。国民側には行政側の判断や決定を覆せる有効な手段がない、ということが主な理由です。例えば、先日報道されたエイズ訴訟では、厚生省課長の2審判決でも不作為が認定されたと思います。当時、血友病患者の団体からの再三の申し入れがあったにもかかわらず、それを一切認めようとしなかった。行政側が行った「回収しない」という決定に対して、これを変更させる有効な手段はない、ということです。このような事柄が、一般的に行政の行う判断とそれに基づく決定などに見られることが少なくない、という印象です。


ちょっと、用がありまして途中なのですが、また後ほど補足したいと思っております。