いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

何が「モナー神社」だ

2007年01月07日 18時02分39秒 | 経済関連
バカバカしい、とか思ったが、行ってみた。

開運祈願 モナー神社 - おみくじ所


結構くだらないが、面白かった。
とてもよく出来てる。誰が作ったのか知らないが。


記念におみくじ引いてみた。

これ→

大吉(No.45134)
願事:思い通りとなる しかし気をゆるしては破れる
待人:待つことあれど必ず来る
失物:高き処にあり
旅立:道近ければ吉
商売:見込み確かなれば儲け有り
学問:過信せず行えば成果現る
争事:心強く待ちて進めばよし
転居:急がず行えばよし
病気:少々悪し 信心せよ
縁談:近き方よし


大吉の頻度はわからないが、割と多いのか?
(本物のおみくじでも、大凶とか凶というのは滅多にない、とか噂で聞いたことがある。大吉とか中吉なんかは割りと多く出るとか。ホントかウソか知らないけど)


これを引いてみた自分って一体・・・・



Wの喜劇

2007年01月07日 17時17分15秒 | 俺のそれ
毎日新聞に、「2chとの全面戦争」突入を予感させる宣戦布告記事が掲載されていたらしい。

J-CAST ニュース 毎日新聞と2ちゃんねらー 「全面戦争」の様相


まあ、全面戦争でも何でもやってもらっていいんですけど(良くない?か)、毎日の当該記事を読んで初めて知ったことがあります。


それは、

「w」の文字の意味

でした。



今までは、何か言葉に詰まったような、「うぐぐごがぐ」みたいな、音声で言えば「サザエさん」のテレビ終了直後に「まんじゅうを喉に詰まらせ気味になるサザエさん」のようなものをイメージしていました。何とも言いようのないような、そんな様を想像していたんですよね。

が、実は、笑っていたんですね。そうでしたか。未だに(笑)とか使ってるのは、私くらいかもしれません。だって、他でも見かけることが少ないような気がしますし。wはしょっちゅう見かけるけど(笑)。そもそも「カッコ笑」はどこから来たんでしょうか?週刊誌とかですかね、やっぱり。インタビュー記事みたいなのとか。どうなんでしょうか。こんなこと、考えたことなかったから、何だかヘンですよね。今後、wを用いるべきか悩ましいところです。私同様、笑ってることを知らなければ、読み手には誤解を与えてしまう恐れがありますしね。



オーマイニュースと掲示板抗争の次は、毎日新聞ですかね。となると、「2ちゃん」vs 「毎日・オーマイ連合」というような構図ですか。オーマイの編集長鳥越氏は、かつて「ジャーナリズムとは何か」みたいなテーマで筑紫氏の番組に呼ばれていたような記憶(ライブドアのフジ買収騒動の頃だったかな?)があるが、そういうつながりというかシンパシーみたいなのはあるのかもしれませんね>毎日・オーマイ


連合なんてしてない、とかいわれりゃ、そうかな、と思いますが、2chに対しては似たようなスタンスなのかもしれませんね。


ちょっと追記:

関係ないけど、このJ-CASTニュースってのは、「炎上」探索隊というか、炎上現場の実況中継みたいなのが多くないですか?脇のランキングを見ると、炎上ものが殆どですよね。常にネット上での「出火地点」を捜索していたり、ボヤってる所とかに油を注いでいたりしてるような気がしないでもないな。回りくどい言い方でゴメンなさい、ですけど。


それにしても、レフェリーまでもが犠牲になるとは、油断も隙もないですね。やっぱり「防御システム」は必要かも。前にfinalventさんが書いてたけど。「緊急停止措置を発動します!」みたいな。「コメント表示・新規記入の自動停止装置」みたいなものでもいいんですけど。自動消火装置か、鎮火装置というのか、名称は何でもいいんですけどね。

そうでもしないと、「6000コメンツ逝きました」とか有り得ないような事態が起こってしまうもんね。普通の人たちがいちいち炎上対策を個別にやるというのは、難しいと思う。初めから装置に組み込まれているべきなんじゃなかろうか。



「detachment」にしびれた

2007年01月07日 16時22分01秒 | 俺のそれ
茂木先生の記事で拝見致しました。

「そうだよなー」と共感。記事が一回消えたので、コンパクトに書きました。


茂木健一郎 クオリア日記 統計的有意差がないということは

最も感銘を受けた部分を引用します。


 科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「ディタッチメント」(detachment)をもって対象を観察する、と表現します。「ディタッチメント」は、もともとイギリスの経験主義科学を特徴付ける言葉であり、日本語に直せば、「認知的距離」とでも訳せるでしょうか。

 ある理論を巡って議論する時にも、その理論が誰によって提出されたか、どのような学派によってサポートされたかということには関係なく、客観的に見ることができる。そのようなディタッチメントの態度を取ることができることを、科学者たちは誇りに思っているのです。




日頃の愚かな自分の態度を反省することにします・・・。
でも、「自分は科学者じゃないし~ぃ」とか、少し思ったりもします(笑)。


反省してる態度じゃない、って?
イカン、イカン、改めなければ。
「ディタッチメント的態度のじぇんとるまん」になれるように、心がけたいと思います。『ダメな議論』メソッドでも典型例ですからね、わたくしの場合。