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教育を考える10

2007年01月20日 18時53分18秒 | 教育問題
久々の忘れ去られたシリーズ復活です(笑)。

まずは、こちらをどうぞ。

さよならマルクス 内田樹の研究室


子どもの労働とか救貧院ということで、私の場合に直ぐに思い浮かぶのは、オリバー・ツイストかセーラ・クルーなわけですが(笑、無教養につきご容赦を)、今はそういう話ではありませんね。どうも「ゆとり教育が諸悪の根源」みたいな発想が多いと思うのですけれども、それって本当にそうなんでしょうか?メディアの煽動に惑わされているのか、世評の雰囲気に圧されているのか、よく判りませんが、こと教育問題については、時間をかけてもいいはずですし、慎重に考えるべきだと思います。拙速は避けるべきです。新たな教育基本法可決に漕ぎ着けるまでの時間とか道のりは、それこそ数年がかりでやってきたのですよね?学習指導要領改訂なんかも絡むのだろうと思いますが、中教審での議論は何だったんだ、とか、そういう問題も起こってくるのではありませんかね。全くの無駄な討議の積み重ねに終わってしまうのではないでしょうか。

教育再生会議の報告内容は、決して「決定事項」ではありませんし、最終的には国民の選択に委ねられるのだと思います。なので、どんな中身が出されるのか、どこの部分を肯定的に評価し、どこを否定するのか、そういう細かい部分を見て行かねばならないでしょう。再生会議の議論や結論の方が圧倒的に正しくて優先順位も上だ、という単純なものでもないでしょうし、中教審の方にも良いものがあるのであれば、そちらから選択する部分があってもいいと思います。他の誰かが教育再生会議とも、中教審とも違った意見を出す、ということも当然あっていいはずです。

かつての「受験戦争」だの「詰め込み競争」だのと言われてきて、今の韓国みたいに(毎年これからのシーズンになると韓国事情が報道されますよね・・・アホじゃないか、と思えるくらいの受験狂想曲っぷりですよね)なることを望むのでしょうか?そこら辺が疑問なのですよね。学校の机に座って勉強する時間が減ったから、「成績が下がったんだ」という単純なものなのでしょうか?であれば、たとえば教育技術というのはあまり関係なく、単に「成績は勉強時間に比例した関数で表せる」みたいなものなんでしょうか?そういった基本的なところから、判っていることを積み上げていくべきだ。絶対に一つの結論じゃなきゃダメ、ということでなくてもいいはずだし。これから直ぐに結論を出さねばならないものでないならば、腰を落ち着けて、また直ぐに方向転換しなくても済むように今の段階で時間をかけるべきだと思う。


東京都の教育委員としてやってきた米長さんは、次のように語っていますよ。

【正論】米長邦雄 「ゆとりある」教育をなくすな-コラむニュースイザ!


これまでも、教育行政があっちへ行ったりこっちへ行ったりして、混乱を招いてきた経緯はあるように思われるので、それが再び繰り返されることは誰にとっても不幸でしかないです。

教育再生会議からの意見は、主に国民の中によくありがちな意見(例えば私のような無知な人間が言うようなもの)とか、ターゲットにしている保守層?から出される代表的意見、みたいなのを意識しているかもしれない。それが果たしてどの程度の合理性・妥当性があるのか、というのは判断が難しいかもしれません。なので、一つのやり方に統一することがどうしても許容できないとか、圧倒的多数の合意を得るのが難しいような部分は、あえて手を付けないか「しない」という選択も止むを得ないんじゃないかと思う。極めて消極的だけれども、「やって」無残な結果を招くくらいなら、変えたりせずにおいた方がまだマシだった、とかってこともあるので。国民側からは、そうした意思表示は行えるはずだろうと思う。「こうしてくれ」「この方法でやってくれ」というのを最終的に一つに絞らねばならないとすると、教育論・方法については論者も説もそれこそごっそりあるし、成功・失敗体験も人間の数だけあるので、議論を収束させるのはとても難しいと思うよ。そういう時は、少なくとも「これだけは止めてくれ」ということも一つの意見の出し方じゃないかな、と(ああ、ひょっとして、これも『ダメな議論』メソッドの一部?だな)。


ちょっと、退席します。



いや、あの、

2007年01月20日 17時44分22秒 | 俺のそれ
大したことじゃないんですが、一応書いておこうかな、とか、思ってみたり。

この前、重農主義に学ぶの中で次のような記述をしたのですけれども、これは特別な意図があったわけではないんですよね。本当に、たまたま偶然です。



ケネーがそれを意図していたかどうかは別として(よく判らん)、少なくとも重農主義者たちには、ヘンな方向に行ってる傾向はあったようである。ニセ科学とか、「スピリチュアル何とかなんとか」とか、新興宗教とか、そういったものとの共通性があるかもしれない。例えば、「ロハス」みたいなのと近いような気がする。




この並列関係が非常にまずかったのかもしれませんが、近頃よくある商業主義的(それともテレビ的?)な「スピリチュアル~~」というのを謳い文句にしているのを思い浮かべていたのであって、元々はもっと「別なものだと思うよ」ということです。テレビなんかで流行だす以前から、メディカルの世界では「spiritual care」として知られていた言葉でした(私は医者じゃありませんが)ので、そういう先入観があったんですよね。それで、ワケのわからん霊視・霊能者・霊媒師?なんかが登場してきたのを見て、批判的に感じていた。そういう意味です。



「頭が悪い人のブログの特徴」の適合度を見てみる

2007年01月20日 12時29分57秒 | 経済関連
例によって、finalventさんの記事から。

finalventの日記

・知り合いのブログの名前をよく出す
→ピンポーン!○
全然知り合いじゃないのに、他のブログ取り上げる。今まさにそうだ。

・はてぶとか増田のネタを得意げに取り上げて長文でうだうだ書く
→これは微妙だけど、あるな・・・○
こういうのかな>フィクションか、ノンフィクションか?男女と外交「ホワイトカラー・エグゼンプション」について考えてみる

・意味無くカタカナ言葉を連発。英語とかさらに。ギリシア語とか最低
→○、特にギリシャ語この前出したばかり…
コレ>重農主義に学ぶ

・ケチばかりつける
→○二つ分くらいかな?よくやる。

・ネタもとのエントリをろくに読んでない
→△、挫折or誤読あるな。

・「簡単に言うと……」とか言いつつ無駄に話が込み入っている
→○、よく使ってる。しかも長い。

・このエントリをブクマしてオメーだろとかコメント書く
→×、id持ってないので。唯一の否定項目だね。


これって、ウチのブログに「ピタリ」じゃないですか。
ガガーん、ちょっとショック(涙)。

『ダメな議論』メソッド(飯田著)でも、確実にダメ認定を受けた当ブログですが(自己採点>受験生諸君にはこの時期辛い言葉か)、今回は「頭の悪い人のブログの特徴」でもズバリ適合ですね。元々容易に推測可能ではあったものの、採点してみれば、やはり悲しい。目の前に現実が突きつけられるからだ。テストの点数と同じようなものだから。「きっと3、40点くらいしか取れないかもな…」とか予想していたとしても、テストするまでは心のどこかに「ひょっとしたら半分くらいできることもあるんじゃないか」とか、「うまく行けば6割の及第点に行けたりして…」というような幻想(?、見込みのないゴマカシの希望?)を抱いているのかもしれない。しかし、実際にテストが行われて、「ハイ、キミの点数は、30点。落第ね」とハッキリくっきり結果が出てしまうと、先の幻想は全て打ち砕かれる。なので、結果を知ることは、良くないこともある(笑、甘えか?)。悪人は改心すれば治る可能性があるが、バカは直せないそうなので、この先も同じなんだと思う。ゴメンね。


関係ないけど、速読術ってやっぱりあるんですね。1分間に何十ページも読める人が存在するのを知り、驚いた。自分は読む速度が遅いので、本をあまり短時間に読みきることができない。かといって、すごくよく理解しているとか、多くを記憶できるということもないので、遅い分だけ損している。やはり個人の能力の問題なのだろうと思う。根本的なモノが違うんですよね。そうじゃなけりゃ、イチローとかタイガー・ウッズみたいな人は現れないと思うし。ほら、パソコンとかのコンピュータだって、処理速度はモノによって格段に差があるわけだし。

受験生諸君、あまり出来が思わしくなかった場合には、自己採点を延期もしくは無期延期することをお勧めする!知らない方が幸せなこともあるよ(笑、冗談ですからね)。