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利上げは延期

2007年01月18日 20時42分58秒 | 経済関連
とりあえず今月は延期されたが、年度内に利上げを狙っている可能性はあるので、依然先行きは不透明だ。昨年の量的緩和解除の時には、2月に一度諦めて3月決行、という実績がある。今回は苦渋の決断をした、というのが日銀サイドの本音であろう。

一部に「日銀が政府や自民党の圧力に屈する」とか、「日銀の面子にキズがつく」とか、そういうことを解説しているエコノミストだか金融系の記者?がいたようだが、これも全くの見当外れではないか。そもそも、総裁、審議委員やその他日銀幹部らの人的つながりで漏れ聞えてくる「情報」を基に、金融政策の妥当性を判断することの方がおかしい。「やると言っていたのにやらなければ、日銀の独立性が損なわれる」というのも、理屈としては相当オカシイのではないか?「やると言っていた」って、一体どこの誰がそんなことを言ってるのか、明らかにして欲しいものである。重要な金融政策決定は、本当は政策決定会合前に全て決まっているとでも言うのか(笑)。つまらん儀式である、ということは十分証明されたということだ。事前に振り付けが決まっている事柄について、台本通りに演じてみせるのが決定会合役割である、というのが彼らの主張なのかもしれない。

日本の中央銀行も、関連の業界メディアも、金融機関やシンクタンクその他モロモロの関係者たちも、「日本的閉鎖社会」の内部で長年馴れ合ってきたのではないか?恐らく、一般の人々にはあまり興味を抱かれることの少ない分野であるし、結構マニアな集団みたいなところがあったのではなかろうか。業界内では、立場や職種が違えど、一種の仲間意識みたいなものがあるのかもしれない。「金融」「経済」などのことについて、ましてや日銀の専門的な業務内容・制度・政策の仕組みなどを理解しようと思えば、それなりの知識を必要とするし、普通の人にはあまり縁も馴染みもない分野としか思えないからである。そういう繋がりの中で、運営も情報交換も一緒に行われてきたのではないか。

しかし、よく考えてみるといい。総裁がやると言ったから、などという曖昧な理由よりも、決定過程や判断基準に合理性があるかどうか、あやふやな理由で政策決定が行われていないかどうか、結果については正しく検証がなされているかどうか、そういうことが重要なのであって、人的効果に重きがあるわけではないのである。言った言わないみたいなもので、「止めるなんて聞いてねーよ」というのがどれ程愚かしい理由なのか、「オレ様がやると言ったからにはやるんだ」というのが本当に望ましいのか、そういったことは普通に考えればすぐに分りそうなものである。だが、その程度すら考えられない人たちがいるようだ。一般人よりもはるかに経済通、業界(事情?)通、専門家風、といった方々なのに、不思議なものである。


記事では、次のような感じ。

Yahooニュース - 時事通信 - 利上げ見送り、票割れる=最多に並ぶ3人が反対-日銀

要するに、利上げ肯定派たちに配慮しました、日銀は政府や与党の圧力とは無関係に決めました、というのを暗示したということだろう。それが、「反対3票」の意味である。


日銀の発表はコレ。

金融経済月報(基本的見解)2007年1月)

これを読んで、利上げする環境が揃っています、根拠も十分です、などとは到底思えないのである。まあ、頑張って(それとも嫌々?渋々?)「弱含み」と入れたことは認めてあげるべきかもしれない。ひょっとして、水~木曜日深夜にかけてとか、ギリギリ土壇場で文言を差し替えたの?

それと、ちょっと言い訳(笑)してる風なのが、


わが国の景気は、昨年10月の「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)で示した「経済・物価情勢の見通し」に比べて、これまでのところ、天候要因等一時的な下押し要因もあって個人消費を中心に幾分下振れている(注)。

(注) 成長率の下振れについては、2005年度計数が確報化により下方修正されたことに伴い、2006年度への発射台(年度中の各期の前期比伸び率がゼロであった場合の年度平均の前年比)が0.3%ポイント縮小したことも影響している。


という部分だ。

それでも、触れないよりは誠実ではある。下振れに言及しなければ、どう考えても現実とは合致しない。

この注の部分は今回から入れられた(数値確定は12月後半だったからかな?もう忘れてる・・・泣)。要するに統計処理に伴うテクニカル要因によっても数字が下がっているのだよ、と(笑)。それにしても、「発射台」という表記はこういうものなんでしょうかね。初めて見た(知った)。

「オーバーナイト物…」
「欧米かっ!!」
「今年度の発射台…」
「テポドンかっ!!」

この前のもつまらなかったのに、今回のはもっと面白くなくてゴメンなさい。



予備校が行う大学教育とは

2007年01月18日 12時48分00秒 | 教育問題
予備校が悪いということを言いたい訳ではありませんが、如何なものかとは思います。規制緩和唱導にありがちな主張には、「株式会社が経営すればもっと効率よく良くなる」というのがありますが、これって本当なんでしょうか?学校でも病院でも何でもいいのですが、「株式会社」だからよいものが得られる、ということではないように思えるのですよね。

文科省、「LEC東京」に特区大学初の改善勧告発動へ 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(記事より一部引用)

LEC大は04年4月、資格試験対策の予備校を経営する株式会社「東京リーガルマインド」が開校。司法試験や公認会計士などの資格取得を目指す実学重視の姿勢を打ち出していた。
 ところが、文科省の複数の調査で、〈1〉予備校のテキストを使い、大学生と予備校生が同じ教室で授業を受けている〈2〉約170人の専任教員の多くが別の仕事と掛け持ちで、担当の授業を持っていない上、大学での研究活動もしていない〈3〉ビデオを利用した授業で教員がおらず、学生との質疑応答などができないケースがある――などの実態が次々に明らかになった。
 これらの一部は、専任教員に大学での教育・研究を求めた大学設置基準などに違反する疑いが強い。同省はLEC大側に文書で指導を重ねてきたが、改善が見られなかった。



民営化の流れというのは様々な分野で行われているのですが、大学の民間企業経営というものが果たしてどれ程必要なのだろうか、という疑問は拭えないのですね。株式会社は「営利目的で学校や病院経営をしたい訳ではない」とか言うのですが、利益のない事業とか赤字でもいい事業なんかをやっていい、ということなら、株主利益に反したりはしないものなのでしょうか?この辺の理屈というか、主張の整合性についてはよく分らない訳ですが、もしも社会的に貢献したいとか、CSRのような何かが関連しているとか、そういうことであるならば、頑張って税金を沢山納めてくれればいいし、「どうしても貢献したい」というのであれば寄附すればいいのですよね。

病院経営にしても、本当にきちんとできるのであれば、例えば夕張みたいな場所の病院を運営してみてくれ、思いますね。自治体は補助金を入れたりしなくてもよくなるだろうし、病院がきちんと運営できて医療サービスも向上させて住民に提供できるのであれば、みんなハッピーになれますよ(笑)。前から何度も言っている通りに、各自治体には多額の赤字を抱えた病院なんかがゴッソリあるので、モデルとして赤字額の大きい順に運営を担当する株式会社を募集すればいいと思いますよ。実際にやってごらんなさい。実績を見せてごらんなさい。

効率的運営とか言うのであれば、補助金は勿論全額カットでもいいはずですよね。国家公務員共済が運営している病院なんかもあるから、そういうのも補助金なしでやれるはずだよね?社会保険や年金関係が運営主体の病院なんかもたくさんあるので、そういうのを株式会社が運営して、施設整備費等の費用が全額カットできるのであれば、願ったりかなったりじゃないですか。株式会社が工場建設の際に、建設費用を全額出してくれないと操業できない、とか言うはずないですよね?

博士号のネット販売まであるらしいというご時世ですので、株式会社が学校運営を担当すれば、現実にどういった弊害が出てくるか監視が必要でしょうね。どちらかと言うと、運営主体が会社か学校法人なのか、といった違いなんかではなくて、運営する側の理念というか、やっぱり「やる人の人生観、考え」みたいなのが大きく影響しそうで、民間会社がやればうまくいくとか、良い教育が提供できるといったことではないように思えるのですよね。参入障壁を低くすれば、いい人たちも入ってくるかもしれないが、そうでもない人たちも入ってくるので、そういうのを選別・淘汰させられるような制度が必要なんだろうね。良くない大学に金を払ってしまった人たちは、言ってみれば騙されたようなものと同じくなりかねないので、チェックする体制が充実していないと難しいのではないかと思うな。まさか「ビデオ授業」しかない、などとは思ってもみなかっただろうから、学生さんが可哀想過ぎるよね。そんなんでいいのなら、教育テレビの番組からいくつか録画をしておいて、授業と称して流していてもあまり気付かれないかもしれない(笑、これは犯罪なのだろうけど)。

学校教育を本当に充実させたいと考える企業なのであれば、共同研究とか寄附講座とか他の方法がいくらでもあるし、金を出す代わりに口も出したい、とか思うのであれば、学校の理事会なんかに要望書を毎年提出できるような契約を予め結ぶとか何とか(そういった仕組みについては、全く知らないので実際どうなってるか判りません)できそうなんじゃないか。研究成果や活動状況などを報告書の形で出させたり、何かの評価機関に評価を受けさせて、金が有効に使われているか報告させるとか、そういう関与の仕方もあるのではないかな。でも、口を出す前に、まず金を出せ、というのが、私の印象ではあるな。「○○会社記念図書館」とか「××記念研究棟」とか、そういうのをまるで見たことがないもの。ごく稀に、企業名を冠した施設なんかはあるだろうが、大学とか半公的な施設なんかに大金を出している会社なんて知らないな。

そういう企業活動も大事だけど、まず従業員に払え、というのが社会全体の本音であると思うから当面は難しいかもしれないが、寄附受け入れに関する制度などを大幅に緩和すればいいのかも、と思ったりする。国公立(国立大学法人とかに変わったけど)は特定の民間企業から金を貰って、何か作るというようなことが難しいのかな。情報が公開されて透明になっているのであれば、あまり問題ないようにも思えるけどね。

社会全体が目先の利益になるものだけにお金を使うようになってしまうと、きっと経済活動も停滞するだろうな、という素人考えが浮かぶのです。