ウチの子が図書館から借りて読んでしまったようなので、その後に私が読ませたもらった。
前に『チーム・バチスタの栄光』の話は書いたことがあるが、これは私がプレゼントしたものだ。
で、ウチの子が好き勝手に借りてきたのが「海堂本」とは、恐れ入りましたです(笑)。
冬休み期間だから、ということもあるのだろうが、ウチの子は大体1日で読み終えてしまう。私なんかよりも断然早いです(これも以前に書いた通りだ)。
この前も、『ねじまき鳥クロニクル』の2冊組を買ってきたら、1日1冊。
古本屋で『図書館警察』をゲットしてきたら、それもすぐ読了。
いくら暇を持って余しているからといっても、それって
「早すぎじゃね?」
と思いつつ、やっぱ読む速度って才能なんだなあ、と感心しきり。
我が子ながら羨ましい。
字の書いてあるものを手にすると、「隅々まで読むという癖」は本当にあるものです。渡される広告類とか、ペットボトルに書いてある成分や注意書きなど、事細かにあるものをついつい読んでしまう、という習性を持つ人たちは普通に存在しています。本などを持っていなくて、仕方なくそういった「何か」を読まねばならない状況になった時、どんなにつまんないものであろうと、意味がなさそうであろうと、つい読んでしまう、という恐るべき習性なのです。
参考までに、「生徒手帳は読んだか?」と尋ねたことがありますが、そうすると返って来た答えは予想に違わず「うん、当然」だった(中一か中二くらいだったと思う)。
こいつ~~、本当につまんない校則とか一字一句を読んでいやがったのか、と思ったけど(笑)、自分も昔やったのでおんなじだな、とも思ったよ。
生徒手帳には笑えることが書いてある、というのも、昔に自分が感じたとおりだった。どうして親子って、似るんだろ。そんなことをしろ、って教えたわけじゃないのに。自分が昔、そうやったよ、とか一度も明らかにしたことなんかないのに。本当に不思議だ。
これはまあいいか。
『ナイチンゲールの沈黙』は、前作に続いて、また自論展開を盛り込んであり、地味な努力が窺われます。しつこく世の中に広めていこうとする啓蒙活動がやはり大事なのだな、ということは思いました。
ネタバレになってしまいますが、発想自体は昔ながらの典型的な「天城越え」ではないかと思いました。ただ、軸が「解剖経験の有無」という手技・手際の見極めみたいなことで、そこら辺が法医学の見識を持つ人間の存在価値を高めている、ということですね。これって、要するに自画自賛に陥るのをかろうじて防いでいますが、罠も一応あって画像診断(AI)という記録としての意義+解剖に馴れた人間(司法解剖専門の医師とか)の視点だけでは盲点が生まれる(可能性)という点を言いたかったわけですね。
それにしても、MRIの実験というのを設定に使うというのは、確かに予想外だ(笑)。「音が見える」という実際にある現象を用いたり、「音楽」にまつわるプロットを織り交ぜているのも、目新しいかも。一つ一つのエピソードをどのように組み立てて、最後に纏め上げてゆくか、というのは、やはり特殊な才能が必要なのだ。出来事とか事実を羅列しても、物語の構成にはならないからね。
そういう点では、さすがだと思った。
でも、次、次、という風に読み継いでいく時、「またですか」というちょっとウンザリ感がでたりするんじゃないだろうか、とか、心配になってきたかも。3作、4作と読んだ時に、どう感じるか、というのはあるかな。
あと、田口の存在感がやや薄れたというか、大味になってしまったかも。もうちょっと子どもに対するアプローチというのが、田口にとってどうなのか、というのが書かれても良かったんじゃないかな、と思ったりもする。田口の言葉(=読者への説明)としては、最後まで聞かれなかったように思う。
前に『チーム・バチスタの栄光』の話は書いたことがあるが、これは私がプレゼントしたものだ。
で、ウチの子が好き勝手に借りてきたのが「海堂本」とは、恐れ入りましたです(笑)。
冬休み期間だから、ということもあるのだろうが、ウチの子は大体1日で読み終えてしまう。私なんかよりも断然早いです(これも以前に書いた通りだ)。
この前も、『ねじまき鳥クロニクル』の2冊組を買ってきたら、1日1冊。
古本屋で『図書館警察』をゲットしてきたら、それもすぐ読了。
いくら暇を持って余しているからといっても、それって
「早すぎじゃね?」
と思いつつ、やっぱ読む速度って才能なんだなあ、と感心しきり。
我が子ながら羨ましい。
字の書いてあるものを手にすると、「隅々まで読むという癖」は本当にあるものです。渡される広告類とか、ペットボトルに書いてある成分や注意書きなど、事細かにあるものをついつい読んでしまう、という習性を持つ人たちは普通に存在しています。本などを持っていなくて、仕方なくそういった「何か」を読まねばならない状況になった時、どんなにつまんないものであろうと、意味がなさそうであろうと、つい読んでしまう、という恐るべき習性なのです。
参考までに、「生徒手帳は読んだか?」と尋ねたことがありますが、そうすると返って来た答えは予想に違わず「うん、当然」だった(中一か中二くらいだったと思う)。
こいつ~~、本当につまんない校則とか一字一句を読んでいやがったのか、と思ったけど(笑)、自分も昔やったのでおんなじだな、とも思ったよ。
生徒手帳には笑えることが書いてある、というのも、昔に自分が感じたとおりだった。どうして親子って、似るんだろ。そんなことをしろ、って教えたわけじゃないのに。自分が昔、そうやったよ、とか一度も明らかにしたことなんかないのに。本当に不思議だ。
これはまあいいか。
『ナイチンゲールの沈黙』は、前作に続いて、また自論展開を盛り込んであり、地味な努力が窺われます。しつこく世の中に広めていこうとする啓蒙活動がやはり大事なのだな、ということは思いました。
ネタバレになってしまいますが、発想自体は昔ながらの典型的な「天城越え」ではないかと思いました。ただ、軸が「解剖経験の有無」という手技・手際の見極めみたいなことで、そこら辺が法医学の見識を持つ人間の存在価値を高めている、ということですね。これって、要するに自画自賛に陥るのをかろうじて防いでいますが、罠も一応あって画像診断(AI)という記録としての意義+解剖に馴れた人間(司法解剖専門の医師とか)の視点だけでは盲点が生まれる(可能性)という点を言いたかったわけですね。
それにしても、MRIの実験というのを設定に使うというのは、確かに予想外だ(笑)。「音が見える」という実際にある現象を用いたり、「音楽」にまつわるプロットを織り交ぜているのも、目新しいかも。一つ一つのエピソードをどのように組み立てて、最後に纏め上げてゆくか、というのは、やはり特殊な才能が必要なのだ。出来事とか事実を羅列しても、物語の構成にはならないからね。
そういう点では、さすがだと思った。
でも、次、次、という風に読み継いでいく時、「またですか」というちょっとウンザリ感がでたりするんじゃないだろうか、とか、心配になってきたかも。3作、4作と読んだ時に、どう感じるか、というのはあるかな。
あと、田口の存在感がやや薄れたというか、大味になってしまったかも。もうちょっと子どもに対するアプローチというのが、田口にとってどうなのか、というのが書かれても良かったんじゃないかな、と思ったりもする。田口の言葉(=読者への説明)としては、最後まで聞かれなかったように思う。