いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

漢字が読めないのは総理に限らない

2009年01月03日 16時45分16秒 | 俺のそれ
最近流行りの「おバカタレントたち」からでさえ、「漢字が読めない」ネタを用いられてしまうという麻生総理ですが、これは麻生さんに限ったことではありません。

NHKの番組中で八代先生は言いました(多分、そうだと思うけど、一瞬だったから正確ではないかも)。

きっと「脆弱」と言おうと思ったのだと思いますけど、「きじゃく」と発言していたものと思います。前後の流れからいって、脆弱が一番マッチしていたと思いますけれども、いきなり「きじゃく」と言ったので、それは何を意図していた言葉なのか私には判りませんでした。脆弱なんだろう、と思って聞くと、つながりはよくなっていたと思います。

なので、脆弱が読めない教授だっているんですから、間違える総理がいても不思議じゃありませんよ。


漢字が読めないことが悪いということではありませんよ。
そうじゃない。


英語が読めて話せる、という大変立派な方々も大勢いるし、「西洋かぶれ」の類は大勢いますから。漢字が読めるからといって、別に何か偉いわけでも何でもないですよ。単なる優越感ゲーム、というだけ。

よくいるコンサルだのというのは、米国でMBA取りました、とか、肩書きは立派な人たちはそれなりにいるわけだ。そういう人たちの多くは、「米国では…」という「出羽守」(笑)タイプの連中が圧倒的に多い。で、米国モデル以外の解決法とか考え方とか、そういう何かを提案できる人間というのは極めて少数。
米国ではそうだとして、だからどうだっての?
何、それが一番優れているわけ?

つまり、彼らには考察というものがまるでない。
考察されているのは、日本がいかに米国モデルとはかけ離れているか、ということが判るだけなのではないか?(笑)中には米国モデルを捨てる人とか多様性がどうとか言い出す人間もいたりするけど、それは単なる思いつきというだけだろうね。「多様性」ということで多くが解決できるなら、一般論みたいなコンサルの仕事だとか言い分だとかはほぼ意味がない。ちょっと前まで、どうであったのか、コンサルの連中がどうやって金をせびってきたのか、ということを考えてごらんよ。


多様性というのは解決提示から大きく遠のくだけ。
企業Aではこんなやり方、企業Bではこんな方法、というように、多数の企業のやり方を見ていくことで、○○が無駄だ、もっと××を改善すべし、みたいな一般的は原則を見出し、それを「できていない企業」に導入させることに意味があるのだからね。「カンバン方式」みたいな手法がそうだろう。こういうのに、企業Aではバンカン方式、企業Bではカンバン方式、企業Cではカバン方式、みたいに多様性を認めていたら、役には立たないだろうね。

本物のコンサルなら拠って立つ理屈には一貫性とか絶対の自信を必要とするわけで、そういうのがないコンサルって、一体全体何の為に存在しているのか、全く判らない。ましてや個別の違いを一番重視するコンサルって、何なの?と思うけど。
そんな簡単に宗旨替えできるもんなの?

学習塾で、テストの点数を上げて欲しい、入試に合格できるように指導して欲しい、という場合に、受験生の個性を最大に尊重すると思うか?(笑)

テストの点数を高くするには、個性とか言ってられないだろ。
ある特定のやり方とか手技を踏襲してもらうもんなんじゃないの?予備校とか行ったことがないから知らんけど。受験生の多様性に賭ける、みたいに言う予備校があるとすれば、それは行く価値はないと思うね。寧ろ「○○式」みたいな頑固さと信念があってしかるべきなのでは?

要するに「○○式」を捨ててるような連中の言うことなど信じるには値しない、ということがよく判るだけ(笑)。それは世の中全体で見れば、「○○式」が流行って当たればそれで儲けるし、「○○式」がうまく行かなくなったと見るや鞍替えするという狡さがあるのだな、ということが判るだけだから。けど、世間ではそういう「○○式」を言った人間がもてはやされる、というわけだ。

人々の無知につけ込む、という点においては、詐欺師もコ○○ルも似たり寄ったりだわね。コンドルは飛んでゆく、ではないよ(笑)。




『クライマーズ・ハイ』

2009年01月03日 12時19分00秒 | 俺のそれ
御巣鷹山の墜落事故という史上空前の大事件を通して、地元地方新聞社の内幕を描いた映画だ。
新聞記者、それも駆け出しのペーペーではなく、デスクという編集の責任者を主人公とする作品。作中では「全権デスク」という呼び名になっており、国際会議の全権大使に倣った呼び方なのかもしれない。


率直に言うと、地方紙の悲哀というか、卑屈さがよく描かれていた。
金も人材も劣っている、あるのはプライドという名の「精神論第一主義」みたいなものだけで、中身も負ける、と。抜きと呼ぶスクープ獲りが、大新聞や大手通信社には敵わない。配信記事をチョコチョコっといじって、自分たちの記事として出すような「取材のない記事」。

上層部にいる連中には、「かつての栄光」があるだけ。
地方紙では絶大な権力者である社主。いうなれば、言論界の独裁者。

営業の連中に言われる辛辣な言葉が突き刺さる。
「ニュースとやらをこねくりまわしているだけ」
「広告がなけりゃ刷ることさえできない」
新聞というものの現状をうまく言い表している。
販売店との複雑な関係。

絶望する若手や現場。
けど根っこには、新聞記者としてのプライド、自分が信じる矜持のようなもの、そういうのが残っているのである。

だから原作者か映画を作った人からの、新聞記者に対する応援歌のようなものが感じられる。

昔の世相―例えば、在日米軍を相手にするパンパンといった影の部分が語られるが、こういう話を今のテレビや新聞などで語ることは憚られるだろう。生き難い時代に、子どもを抱えた女性がどうやって生き延びねばならなかったか、ということを知るだろう。会社の上司とか、社内の衝突とか、そういうのも今では考えられないようなことが多々あったようにも思う(笑)。


一般の人たちにもオススメだが、新聞記者の人たちにこそ観てもらいたいと思う。



「市場原理」と「構造改革」はいつから増殖したのか

2009年01月03日 01時51分51秒 | 経済関連
NHKの番組に竹中氏が出ていて、
「市場原理主義なんてどこにあるんですか」
「大体、”原理”なんてつくのはアブナイ宗教か何かくらい」
みたいに言っていたように思う(が、定かではない)。

竹中氏の言い分というのは、自らの責任について問われると「今後どうしようかという生産的な政策提言を行うべき」みたいなことを言うだけなので、早い話が過去はどうだっていいということだ。細かい政策の失敗だとか、そういう問題よりも、彼の信じる何かという部分においての方がはるかに危険というか害があるように思われた。


竹中氏は市場原理なんてない、みたいに言っていたけれども、これは前からあるものであり、日本の財界や政官界が共に方向転換を図っていったからこそ浸透したのだ。自民だから、とか、野党だから、ということもあまり関係がないだろう。日本のお偉いさんたちに広まっていった時期が90年代半ば以降、ということだろう。

参考:
経済政策担当の登竜門?)。

「円高シンドローム」に初めて触れる


例の中谷氏を中心とした経済改革研究会が平岩リポートを出したのが93~94年くらい。細川政権だった。この頃、中谷―本間―竹中―大田ラインというのは、ほぼ判り切っていたでしょう。それが具体的になったのは小泉政権以降、というだけ。経済戦略会議のメンバーに選ばれたりしているから、政府内で力を持っていったのはそれ以前からであろう。

臨調~経済改革研究会~行政改革委員会+規制緩和小委員会~経済戦略会議
90年代にはこうして繋がってきたのだ。今世紀に入ってから突然浮かび上がってきたわけじゃない。

規制緩和推進計画関係

この文言を見ると、次のように書かれている。
『我が国経済社会の抜本的な構造改革を図り,国際的に開かれ,自己責任原則と市場原理に立つ自由で公正な経済社会としていくことを基本として,
①消費者の多様なニーズに対応した選択の幅の拡大,内外価格差の縮小等により,国民生活の質の向上を目指す
②内需の拡大や輸入の促進,事業機会の拡大等を図り,国際的調和の実現に資する
③素材・仕様・規格を詳細に指定する基準から必要最低限の性能基準への移行,申請・届出の電子化・ペーパーレス化等により,国民負担の軽減,行政事務の簡素化を図る等の観点から,規制緩和等を計画的に推進する。』

明らかなように、「抜本的な構造改革」という御馴染みの文句だけではなく、「自己責任原則と市場原理」に立つ経済社会、ということを基本としている、となっているわけです。竹中氏の言うような、「原理」とついてるから云々なんていう意見は、政府内にも無かったということでしょうね。竹中氏がこれを知らなかったはずがないんですよ。95年から始まって、その後見直しとか改定があり、3年計画などが新たに作成されていって閣議決定されていますので。これが後の規制改革会議に繋がっていくわけですから。

参考3 これまでの規制改革の取り組み、主要経緯

「構造改革」信奉というのは、はるか以前からあった、ということ。
「規制緩和」の美名も前からだし、これは自民党だけの責任じゃないのだ。

「市場原理」に傾いていった人たちは、政治家がそう言ったから、という単純なものじゃない。行政改革委員会、規制緩和小委員会、経済審議会といった有識者の会議が率先して提言していたのだ、ということ。財界や学者たちの中にも、そうした意見を強く求めていた人たちがそれなりにいた、ということだろう。こういう人たちが割りといるからこそ、今の日本の状況になっているのだ、ということは忘れるべきではないだろう。