最近流行りの「おバカタレントたち」からでさえ、「漢字が読めない」ネタを用いられてしまうという麻生総理ですが、これは麻生さんに限ったことではありません。
NHKの番組中で八代先生は言いました(多分、そうだと思うけど、一瞬だったから正確ではないかも)。
きっと「脆弱」と言おうと思ったのだと思いますけど、「きじゃく」と発言していたものと思います。前後の流れからいって、脆弱が一番マッチしていたと思いますけれども、いきなり「きじゃく」と言ったので、それは何を意図していた言葉なのか私には判りませんでした。脆弱なんだろう、と思って聞くと、つながりはよくなっていたと思います。
なので、脆弱が読めない教授だっているんですから、間違える総理がいても不思議じゃありませんよ。
漢字が読めないことが悪いということではありませんよ。
そうじゃない。
英語が読めて話せる、という大変立派な方々も大勢いるし、「西洋かぶれ」の類は大勢いますから。漢字が読めるからといって、別に何か偉いわけでも何でもないですよ。単なる優越感ゲーム、というだけ。
よくいるコンサルだのというのは、米国でMBA取りました、とか、肩書きは立派な人たちはそれなりにいるわけだ。そういう人たちの多くは、「米国では…」という「出羽守」(笑)タイプの連中が圧倒的に多い。で、米国モデル以外の解決法とか考え方とか、そういう何かを提案できる人間というのは極めて少数。
米国ではそうだとして、だからどうだっての?
何、それが一番優れているわけ?
つまり、彼らには考察というものがまるでない。
考察されているのは、日本がいかに米国モデルとはかけ離れているか、ということが判るだけなのではないか?(笑)中には米国モデルを捨てる人とか多様性がどうとか言い出す人間もいたりするけど、それは単なる思いつきというだけだろうね。「多様性」ということで多くが解決できるなら、一般論みたいなコンサルの仕事だとか言い分だとかはほぼ意味がない。ちょっと前まで、どうであったのか、コンサルの連中がどうやって金をせびってきたのか、ということを考えてごらんよ。
多様性というのは解決提示から大きく遠のくだけ。
企業Aではこんなやり方、企業Bではこんな方法、というように、多数の企業のやり方を見ていくことで、○○が無駄だ、もっと××を改善すべし、みたいな一般的は原則を見出し、それを「できていない企業」に導入させることに意味があるのだからね。「カンバン方式」みたいな手法がそうだろう。こういうのに、企業Aではバンカン方式、企業Bではカンバン方式、企業Cではカバン方式、みたいに多様性を認めていたら、役には立たないだろうね。
本物のコンサルなら拠って立つ理屈には一貫性とか絶対の自信を必要とするわけで、そういうのがないコンサルって、一体全体何の為に存在しているのか、全く判らない。ましてや個別の違いを一番重視するコンサルって、何なの?と思うけど。
そんな簡単に宗旨替えできるもんなの?
学習塾で、テストの点数を上げて欲しい、入試に合格できるように指導して欲しい、という場合に、受験生の個性を最大に尊重すると思うか?(笑)
テストの点数を高くするには、個性とか言ってられないだろ。
ある特定のやり方とか手技を踏襲してもらうもんなんじゃないの?予備校とか行ったことがないから知らんけど。受験生の多様性に賭ける、みたいに言う予備校があるとすれば、それは行く価値はないと思うね。寧ろ「○○式」みたいな頑固さと信念があってしかるべきなのでは?
要するに「○○式」を捨ててるような連中の言うことなど信じるには値しない、ということがよく判るだけ(笑)。それは世の中全体で見れば、「○○式」が流行って当たればそれで儲けるし、「○○式」がうまく行かなくなったと見るや鞍替えするという狡さがあるのだな、ということが判るだけだから。けど、世間ではそういう「○○式」を言った人間がもてはやされる、というわけだ。
人々の無知につけ込む、という点においては、詐欺師もコ○○ルも似たり寄ったりだわね。コンドルは飛んでゆく、ではないよ(笑)。
NHKの番組中で八代先生は言いました(多分、そうだと思うけど、一瞬だったから正確ではないかも)。
きっと「脆弱」と言おうと思ったのだと思いますけど、「きじゃく」と発言していたものと思います。前後の流れからいって、脆弱が一番マッチしていたと思いますけれども、いきなり「きじゃく」と言ったので、それは何を意図していた言葉なのか私には判りませんでした。脆弱なんだろう、と思って聞くと、つながりはよくなっていたと思います。
なので、脆弱が読めない教授だっているんですから、間違える総理がいても不思議じゃありませんよ。
漢字が読めないことが悪いということではありませんよ。
そうじゃない。
英語が読めて話せる、という大変立派な方々も大勢いるし、「西洋かぶれ」の類は大勢いますから。漢字が読めるからといって、別に何か偉いわけでも何でもないですよ。単なる優越感ゲーム、というだけ。
よくいるコンサルだのというのは、米国でMBA取りました、とか、肩書きは立派な人たちはそれなりにいるわけだ。そういう人たちの多くは、「米国では…」という「出羽守」(笑)タイプの連中が圧倒的に多い。で、米国モデル以外の解決法とか考え方とか、そういう何かを提案できる人間というのは極めて少数。
米国ではそうだとして、だからどうだっての?
何、それが一番優れているわけ?
つまり、彼らには考察というものがまるでない。
考察されているのは、日本がいかに米国モデルとはかけ離れているか、ということが判るだけなのではないか?(笑)中には米国モデルを捨てる人とか多様性がどうとか言い出す人間もいたりするけど、それは単なる思いつきというだけだろうね。「多様性」ということで多くが解決できるなら、一般論みたいなコンサルの仕事だとか言い分だとかはほぼ意味がない。ちょっと前まで、どうであったのか、コンサルの連中がどうやって金をせびってきたのか、ということを考えてごらんよ。
多様性というのは解決提示から大きく遠のくだけ。
企業Aではこんなやり方、企業Bではこんな方法、というように、多数の企業のやり方を見ていくことで、○○が無駄だ、もっと××を改善すべし、みたいな一般的は原則を見出し、それを「できていない企業」に導入させることに意味があるのだからね。「カンバン方式」みたいな手法がそうだろう。こういうのに、企業Aではバンカン方式、企業Bではカンバン方式、企業Cではカバン方式、みたいに多様性を認めていたら、役には立たないだろうね。
本物のコンサルなら拠って立つ理屈には一貫性とか絶対の自信を必要とするわけで、そういうのがないコンサルって、一体全体何の為に存在しているのか、全く判らない。ましてや個別の違いを一番重視するコンサルって、何なの?と思うけど。
そんな簡単に宗旨替えできるもんなの?
学習塾で、テストの点数を上げて欲しい、入試に合格できるように指導して欲しい、という場合に、受験生の個性を最大に尊重すると思うか?(笑)
テストの点数を高くするには、個性とか言ってられないだろ。
ある特定のやり方とか手技を踏襲してもらうもんなんじゃないの?予備校とか行ったことがないから知らんけど。受験生の多様性に賭ける、みたいに言う予備校があるとすれば、それは行く価値はないと思うね。寧ろ「○○式」みたいな頑固さと信念があってしかるべきなのでは?
要するに「○○式」を捨ててるような連中の言うことなど信じるには値しない、ということがよく判るだけ(笑)。それは世の中全体で見れば、「○○式」が流行って当たればそれで儲けるし、「○○式」がうまく行かなくなったと見るや鞍替えするという狡さがあるのだな、ということが判るだけだから。けど、世間ではそういう「○○式」を言った人間がもてはやされる、というわけだ。
人々の無知につけ込む、という点においては、詐欺師もコ○○ルも似たり寄ったりだわね。コンドルは飛んでゆく、ではないよ(笑)。