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イギリス人とブルドッグと「生類憐みの令」

2009年01月15日 15時56分31秒 | 俺のそれ
昔から有名な「典型的イギリス人」とは、ブルドッグを連れていること(何故半ズボンなのかは知らない、笑)がイメージとしてあるが、最もブルドッグが愛されてきた国であることは間違いない。ところが、である。

ブルドッグ、あの顔立ちが消える?=有力愛犬団体が繁殖基準改正-英(時事通信) - Yahooニュース

そりゃまあ、交配に問題があるとして、ブルドッグが大幅に変わってしまうのも、何となく残念だね。
英国人が犬好きだったのはどうしてなのか、というのはよく知らない。狩猟とかの影響かもしれないけれど、英国では昔から愛玩されてきた。品種改良の為の交配なんかも盛んに行われてきたはずだしね。


昨年にフェルメール展に行ってきた話をしましたが、あの時に絵を見て思ったのが、やはり「犬」がやたらと描かれていたことかな。ファブリティウスやデ・ホーホなどの絵には、教会とか市役所のような建物の絵が何枚もあったわけですが、建物の中なのに犬が数匹、普通にいるわけなんですよ。想像上で描かれた絵だということは判っていても、何故複数の人々以外に、毎回のように犬が描かれたのかは判りません。が、推測ではオランダで犬を飼うのが流行っていたから、ということではないかなと思っていたわけです。

当時、経済的に裕福だった国というのを考えると、オランダやイギリスは裕福な国でした。フランスもそれなりではありましたが、やはり資本主義の萌芽は両国に代表されるわけで、貿易の利益の多くが英蘭にもたらされていた、ということはあったものと思います。上のデルフトの画家たちは、まさにオランダが経済力を誇っていた時代である17世紀中頃~後半に描いていたということで、丁度日本の綱吉頃に当たるわけです。「生類憐みの令」が出されたのが1687年といわれますから、絵に描かれた時代と一致しているというわけなのです。

どうして綱吉が「お犬さま」とか揶揄されてまで、悪法の代名詞とされてしまった「生類憐みの令」を出したのか、というのは、正確な理由というものが定まってはいません。けれども、勝手な推測を書かせてもらうことにしますね。

元々英国で犬を買うのが流行っていて、それが大陸側の裕福な地域に広まっていったものではないのかな、と。大陸側(特に独仏あたりやスイスの一部など)には犬食の習慣があって、愛玩犬というような存在ではなかったのではないかと思います。けれども、オランダは英国との船便が頻繁に行き来していて、英国の犬ブームみたいなのが輸入されたというわけです。なので、同時代の絵には、やけに犬が描かれるのが好まれたのでは(その方が人気が出やすく、高く売れるチャンスが多かったから?)。デ・ホーホがそんなことを考えて描いていたかどうかは知りませんが、貴族や富豪を中心に犬を飼うブームがあったのではないかと思います。絵画の最も重要な顧客というのは、裕福な人々ですからね。
そうすると、オランダ船が日本に来ていたので、その「犬ブーム」の話を聞かされたのが、徳川家の偉い人たちだったのでは。当時の日本でも、武士はまず犬を食べる習慣はなかったかもしれませんが、その他の一般庶民は犬食の習慣が残っていたのではないかな、と。綱吉将軍は、オランダ船でやって来ていた海軍の軍人とか、ひょっとすると表向き内密な一部英国船(密輸船)とか、そういう筋からヨーロッパの「犬ブーム」の話とかを聞いたのではないでしょうか。しかも、「日本人は、まだ犬を食べてるらしい、ガハハハハ」とか言われ、非常に傷ついたのではないでしょうか。はっきり言えば「野蛮だ」とか何とかバカにされた、ということでは。なので、幕府の幹部級から「オランダなどの船乗りから、笑われてますぜ、いいんですかい、これでは劣等国の誹りを免れませんぜ」というような入れ知恵をされたりして、大きな問題に発展してしまったのではないだろうか、とか。なので、犬を殺して食べるのを禁止しよう、ということを思い立ったのかもしれません。当時の欧州先進国の情報を仕入れて、それに準拠しようとしましたが、時代にそぐわず、日本の内情や慣習とも合っていなかった為、散々バカにされることになってしまったのではないのかな、と。

あれです、喩えて言えば、急に「死刑制度は廃止ね」みたいに、将軍様の一存で決まってしまったようなものです。他の欧州先進国が廃止しているから、それと同じくしましょうね、と言っても、日本で必ずしもそれがすんなり受け入れられるとも限らないわけで。綱吉の本心とは、犬を一般庶民にも飼って欲しかったのでは。それが当時の「先進国の証」みたいに思われていたのでは。英蘭の貴族や富裕層が「犬を飼っている」という自慢話をされて、いてもたってもいられなかったのでは(笑)。まあ、綱吉自身、チャールズ2世の真似をしてみたようなもんです。


なので、綱吉が「生類憐みの令」を出した所以というのは、
イギリスで犬飼い流行→オランダに「犬ブーム」到来→日本にも「犬ブーム」の話が伝来→他国を羨んだ綱吉が発令
というようなことかな(笑)。
もしそうだったら、何となく面白い、というだけなのですがね。



「恩知らず」は日本では人気がない

2009年01月15日 13時24分36秒 | 俺のそれ
昔から、「鶴の恩返し」とか「かさ地蔵」のような民話みたいなものがあるけれども、恩返しネタというのは割と多いような気がする。何とかのタヌキだの、キツネだの、他にも色々とあるかもしれない。逆に恩知らずな人間も描かれることがあるが、そういう登場人物は多くの場合に悪者か不人気なキャラクターとして存在してきたであろう。日本人の好みとしては、そうなっている、ということなのだろうと思う。


ところで、イスラエル人が何故日本をダシに使うのか、理解できない。

イスラエル極右政党党首、「ハマスには第2次大戦での日本と同様の対処を」 写真5枚 国際ニュース AFPBB News

記事には、
『リーバーマン氏の「わが家イスラエル」は、イスラエル国内で大きな勢力であるロシア移民のコミュニティーを中心に支持を得ており、2月10日に実施予定の総選挙で第4党に浮上するともささやかれている。』
とあるので、きっとロシア系ユダヤ人の中では支持を得ているのかもしれない。


日本には反ユダヤ主義とか、ユダヤ人虐殺とか、そういう歴史はない。
なのに、何故イスラエル極右主義者ごときに、こんなことを言われねばならんのか、とは思う。まさか、日本人にガザ攻撃を批判されたから、というようなつまらない理由ではあるまいね。ヘンに負けず嫌いなのかもしれんけど。

ユダヤの父祖は、大事なことは教えてこなかったのか?


今から100年ほど前、ロシアはまだ帝政であり、(ナチスのユダヤ人迫害以前に)欧州に長く続いたユダヤ迫害運動があった時代だった。ポグロムを逃れてパレスティナに移住したロシア系ユダヤ人は数万人規模でいた。
日露戦争の時、ユダヤ系金融機関が日本の軍資金を支援した理由には、日英関係ということもあったかもしれないが、ロシア帝国の反ユダヤ主義とポグロムに苦しむユダヤ同胞を支援したいが為、ということもあったのではなかったか。

これは、まあいいとして、日露戦争中にロシア軍俘虜(捕虜)が大量に日本に来ていた。特に有名なのは松山だった。
ロシア人の捕虜は厚遇され、松山の人々ともに暮らした。その時の様子は、ロシア軍人だった夫が、日本で囚われ怪我で療養しているということで日本に呼び寄せられた夫人が細かに書いていたらしい。その夫人とは、ソフィア・フォン・タイルという名の裕福なご婦人だった。


同じく、日本に俘虜として松山に来ていたと言われるロシア系ユダヤ人がいた。
彼の名はヨセフ・トゥルンぺルドールという。イスラエルのロシア系移民の間では、彼を知らぬ者などいないはずではないか?
松山の日本人は、敵国の軍人であったトゥルンぺルドールに虐待など加えなかったし、ヘブライ語や律法などを教えることも禁じたりはしなかった。彼が生きてロシアに帰還できなければ、その後のパレスティナでの活動も不可能であったのではないのか?

当時のロシア軍人の中には高潔な人間はいたし、日本人にも武士道を重んじる人間は大勢いた。だからこそ、敵同士でありながら、虐殺したりはしなかったのだ。捕虜たちは、割と自由に暮らすことが許されていたのだ。


別に、トゥルンぺルドールを助けたんだから、その恩返しをしろ、とか、日本に感謝しろ、とか、これまで誰一人言ってきたりはしなかったのではありませんか?日本人は、助けてやったんだから云々なんて、要求したりはしない。ユダヤ人に助けられた日本人の名前を何人か挙げてみてくれ、日本人の命を救ったイスラエルの人を誰か1人でもいいので教えてくれ、なんてことも言ったりはしない。
けれど、礼節のない人間に敬意は払われない、ということは言っておく。


日本はアメリカに(原爆を投下され)完膚なきまでに叩きのめされて良かったね、そういう戦いをしましょうね、なんていう恥知らずな発言をするような人間がどういった思想を持つのかは大体想像がつきます。
最も初期の頃から入植していて、数の多いロシア系ユダヤ人コミュニティでは、虐殺を肯定するのだな、ということで理解することと致します。だからこそ、現代でも虐殺を何の疑いもなく推進するのだな、と。それは、かつてユダヤ人がロシアで受けた暴虐と、一体何が違うというのか?

松山の人々は、敵軍ロシアの軍人といえども、殺戮したり暴虐行為を働いたりはしなかった、とだけ言っておこう。



<関係ないけど:
ところで、映画『マトリックス』に出てきた地下組織の「ザイオン」というのがあったけれども、これってユダヤの「シオン」のモジリですか?発音自体は、シオンでもザイオンでも、どちらもアリっぽいですけど。シオニストでもザイオニストでも、どっちでもいいけど、この映画そのものがユダヤの教訓っぽい作りになっているんでしょうか?
もしそうなら、結局は、自分、ということだわな。あの映画の通りということなら。戦う相手が自分、なのだから。敵を倒そうと思って自分が強くなればなるほど、敵を傷つければ傷つけるほど、相手を痛めつければ痛めつけるほど、益々強大になっていくわけだ。これこそが、永続するテロと殺戮の歴史なのではないのか?人は、そんなに愚かなのか?>