うーん、どうして歴史を紐解いたりしないのでしょう。
>5号館のつぶやき パレスチナ・イスラエル・地図
イスラエル建国前は、元々イギリスの委任統治領でしたから、「パレスティナという独立国」が存在していたわけではありません。長年オスマン帝国の領土だったのですが、オスマン帝国が大戦で破れた為、戦勝国側の分割協議などを経て、英国統治が決まったわけです。主に英仏露が決めたものです。
左端の地図は、単純にイギリスの委任統治領の範囲を示すだけです。しかも、「パレスティナ」という地域を示しているだけに過ぎません。たとえていえば、「北海道」という範囲と地図が示されているだけで、「北海道」という国があるというわけではないのと同じです。
点在しているユダヤ人入植地は、北海道の点在する屯田兵の入った村落みたいなものと同じなので、とても少ない範囲に決まっています。
だからといって、その他の地域にびっしりとパレスティナ人が住んでいたわけではありません。色が塗ってあるからといっても、それが人々を表すわけではありません。人口が多かったであろう聖地エルサレムでさえ1900年頃には4~5万人の推定人口であり、1922年調査ではユダヤ人人口が34300人しかいませんでした。その後には移民が増加していきましたが、それでも建国時に全人口が78万人規模くらいになったに過ぎません。
47年の地図は、そもそも国連で協議された案です。
ユダヤ人が暴力的に奪い取ったという範囲ではありません。戦争で奪ったものではない、ということです。
国連にパレスティナに関する特別委員会が設置され、複数国からなる調査団が作られて、分割案が出されたものです。アメリカが先導した、ということはあるかもしれませんが、ソ連も賛成に回ったし、国連決議で決まったことです。イギリスは委任統治を放棄し、投票には棄権したようです。
この国連分割案に対して、ユダヤ入植側は受け入れ、アラブ側が拒否したのです。そしてアラブ側勢力は武力行為に及んだ為に、第一次中東戦争が勃発することとなったわけです。移民たちが好き好んで戦争したわけではないでしょう。むしろ、四面楚歌の状態で、絶滅危機に晒されながら戦い抜いたでしょう。
その後の中東戦争についても、発生原因が必ずしもイスラエル側にあるわけではありません。停戦協定によって国際間の取り決めでラインが決まるし、支配領域も決められると思いますので、イスラエルが侵略していった、というイメージはどうも違うように思います。
また、90年代以降にもオスロ合意など、いくつかのプロセスを経て、和平やパレスティナ安定の合意に向けた動きはあったものの、途中で頓挫してしまうわけですから、簡単にはいかない問題だろうと思います。
この地図は、歴史を知らない人向けに作られた、単なる情報操作の一つに過ぎないのでは。
>5号館のつぶやき パレスチナ・イスラエル・地図
イスラエル建国前は、元々イギリスの委任統治領でしたから、「パレスティナという独立国」が存在していたわけではありません。長年オスマン帝国の領土だったのですが、オスマン帝国が大戦で破れた為、戦勝国側の分割協議などを経て、英国統治が決まったわけです。主に英仏露が決めたものです。
左端の地図は、単純にイギリスの委任統治領の範囲を示すだけです。しかも、「パレスティナ」という地域を示しているだけに過ぎません。たとえていえば、「北海道」という範囲と地図が示されているだけで、「北海道」という国があるというわけではないのと同じです。
点在しているユダヤ人入植地は、北海道の点在する屯田兵の入った村落みたいなものと同じなので、とても少ない範囲に決まっています。
だからといって、その他の地域にびっしりとパレスティナ人が住んでいたわけではありません。色が塗ってあるからといっても、それが人々を表すわけではありません。人口が多かったであろう聖地エルサレムでさえ1900年頃には4~5万人の推定人口であり、1922年調査ではユダヤ人人口が34300人しかいませんでした。その後には移民が増加していきましたが、それでも建国時に全人口が78万人規模くらいになったに過ぎません。
47年の地図は、そもそも国連で協議された案です。
ユダヤ人が暴力的に奪い取ったという範囲ではありません。戦争で奪ったものではない、ということです。
国連にパレスティナに関する特別委員会が設置され、複数国からなる調査団が作られて、分割案が出されたものです。アメリカが先導した、ということはあるかもしれませんが、ソ連も賛成に回ったし、国連決議で決まったことです。イギリスは委任統治を放棄し、投票には棄権したようです。
この国連分割案に対して、ユダヤ入植側は受け入れ、アラブ側が拒否したのです。そしてアラブ側勢力は武力行為に及んだ為に、第一次中東戦争が勃発することとなったわけです。移民たちが好き好んで戦争したわけではないでしょう。むしろ、四面楚歌の状態で、絶滅危機に晒されながら戦い抜いたでしょう。
その後の中東戦争についても、発生原因が必ずしもイスラエル側にあるわけではありません。停戦協定によって国際間の取り決めでラインが決まるし、支配領域も決められると思いますので、イスラエルが侵略していった、というイメージはどうも違うように思います。
また、90年代以降にもオスロ合意など、いくつかのプロセスを経て、和平やパレスティナ安定の合意に向けた動きはあったものの、途中で頓挫してしまうわけですから、簡単にはいかない問題だろうと思います。
この地図は、歴史を知らない人向けに作られた、単なる情報操作の一つに過ぎないのでは。