どうも事態があまりよく判らず、これまで静観してきたのであるが、ただの私見について書くことにする。
1)陰謀論を展開する前に
陰謀という話は色んなご意見があると思うが、これは脇に置くとして、事件そのものを見れば意外と単純な構図であったことが判る。喩えて言えば、売春宿の摘発に踏み込んだら、バッチリ現行犯でパンツを脱いでいた要人(有力代議士秘書級)が引っ張られちゃって、そればかりか顧客リストにはズラズラっと有力代議士の名前があったよね、というような感じだろうか。捜査に踏む込む前には、「違法行為はあるだろうね」ということは判っていたわけだが、出てきた顧客リストが問題だったというわけだ。
しかも、言い訳する側が「いや、性風俗はみんな知ってるでしょ、前から公然の秘密でしょ、他のみんなもやってるでしょ」みたいに批判して、恣意的摘発だ、と騒いでしまったわけだ。こういう場合、裸でしょっ引かれた要人とかについては苦笑するしかなく、「まあ確かにねえ」という部分は判らないでもないわけだが、リストに名前が載ってる時点でちょっとマズかったよね、ということにはなるわけである。摘発した側は、面と向かって批判されちゃったもんだから、余計に意固地になって疑念を払拭しようとシャカリキになってしまったというわけである。そこで、情報を流すという方向に方針転換をして、「お前ら、こんな感じの変態プレイのリストに名前が載ってるんだぞ」みたいに、必死に「リストに載ってる連中は変態、悪いヤツラだ」というような印象を与えることにしたようなものだ(←今ここ)。
いずれにしても、違法は違法と糾弾・非難されるべきだろうけれども、所謂「天の声」「鶴の一声」的な政治家の関与というものを出せないと、検察の立場が悪くなることが予想されるであろう。
2)検察捜査と政治家の関係
これについては、国民が「厳しい目」で見るべきだろう、というのがfinalventさんの立場だと思う。これは、その通り。
例の
ビラ投函事件みたいなものと似ているのだが、国家権力(警察・検察など)側が特定の政治勢力などに対して、恣意的に微罪摘発などを用いることを安易に許容してはいけない、という意味合いがある。こういうのを甘くすると、昔の秘密警察だか特高警察だかのような事態を招きかねない、という危惧を常に抱き続けていなければならない、ということでもある。
現在でもロシアみたいなことはあるので、権力側に批判的な政治思想というだけで警察権力を行使できるようにしてしまうのは、自由民主主義の危機である。なので、政治家への検察権力の及ぶ範囲には制限が課せられるのは当然である。政権担当などの権力側が、反対派排除の為に検察権力を恣意的に用いることへ対抗できなくてはならない。権力側が「あの政治家を討て」と命じたら、それがいくらでも可能な社会というのは、既に民主主義の根幹を揺るがしている。
3)検察側の言い分
あくまで推測に過ぎないが、検察側がどう思っていたのかを考えてみる。
コトの発端は、西松を別件で掘っていったら、出てきたのが献金ルートだった、ということであろう。特捜部は当初から「小沢討つべし」と考えていたかどうかは判らない。が、掘ったところにリストがあったわけで、「これを見過ごすわけにも参りますまい」といった現場の事情というものはあったのかもしれない。
特に、今回「青年将校」と揶揄されたりした検察若手などに、「小沢が大物政治家だからって見逃していいのか」みたいな内部的突き上げがあったりしたのであれば、これはこれで「検察としては放置できません」ということになったというような、内部事情なんかがあったのかもしれない。
一方では、特捜検察には「存在意義」を常に求められている、というようなこともあるわけである。映画『HERO』にも特捜部検事が出てきたが、「巨悪を倒す」という役割が与えられているのだ、というのを、どこかで示さねばならないのだ。これは東京地検特捜部の宿命でもあるわけである。候補になる事案があるならば、「着手しなければならない」という「社会的要請」があるものとして、彼らの意識にはあるのかもしれない。例えば、「ホリエモン事件」などがそうした事案なのであったわけである。
特捜部としては、権力者側からの命令や要請(今回の陰謀論と言われた、所謂「国策捜査」というもの)などがあるわけではないが、着手に当たっては事前に「やりますか?」ということを最高検などで検討しているであろうし、検事総長が「知らないよ」などといったことはないであろう、ということは考えられるわけである。つまり、若手が青年将校よろしく「やるぞ」と意気込んでみたところで、普通であるとGOサインが出されていなければ踏み込めないであろう、と思われる。検察経験者たちならば、多分、みんなそうしたことを知っているだろうと思われる。検察という組織の独立性はかなり高いものと思われるが、特捜部の動きについて上層部が掌握できていない、ということは有り得ない話であろう。あくまで検察上層部が許可をした上で、「やれ」に十分該当すると判断したのであろう。
どうしてかといえば、「そこに法律違反があったから」、ということに他ならない。
特捜ネタとしては、「政界もの」に着手せざるを得ないという事情があったから、存在意義を示すにはこうした事案を必要としていたから、ということも影響していたであろう。
4)戦線拡大と迷いの誤算
検察への懐疑が出されてしまったことで、状況は一変した。
例えばこんな話>
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内部事情に詳しい法曹関係者から、こうしたことが出されてしまうということ自体が、極めて状況が悪化しているだろう、ということを推測させるのである。こうなってしまった理由は、いくつかあるだろう。
小沢の秘書逮捕以前には、前打ち情報のようなものは殆どなかった。
特捜部が「マスコミに事前情報を流している」という批判に応えたもので、「逮捕前には漏らさない」という姿勢を踏襲したものと思われる。そして小沢の会見となったわけだが、はっきり言えば小沢は検察に面と向かって喧嘩を売ってしまった。あれが検察側の態度を硬化させたと言ってもいいだろう。検察のメンツを立てるか、少なくとも「メンツ丸潰れ」にしたりしなければ、自民に飛び火はしなかったかもしれない。けれども、国策捜査だ、小沢狙い撃ちだ、というようなニュアンスで大ぴらに非難してしまったので、検察としても「体面がある、威信に賭けてもトコトン対決する」という姿勢にならざるを得なかったであろう。
検察にとって最も困ることは何かといえば、「信頼を失うこと」である。簡単に言えば、大岡越前の一派が、奉行も、お役人の侍も、岡引も、みんな「悪大名の言いなりで善人を捕縛したのだ」みたいな状況は、ドラマの成立を根底から覆すようなものだからである(笑)。検察は、常に「善」でなければならないのだ。正義の体現者でなければならないのである。そういう「信頼される組織」であり続けねばならないのである。なのに、「大岡越前の一派は、陰謀に加担して無実のオレをとっ捕まえようとしている、これは邪魔をする為の策略だ」ということにされてしまったので、「何を言うか!」ということになったわけである。
火に油を注いだのが、あの元警察庁長官の漆間だった。
この人物が官房副長官なんていう要職ではなくて、よりによって警察のトップたる職歴でなければ、もうちょっと事情は違っていたかもしれない。だが、簡単に言えば「自民?ないない、有り得ないでしょ、それは」みたいに、捜査可能性を否定してしまったが為に、まるで検察は漆間に指示を仰いでいるか、ツーカーの間柄でもあるかのような印象を持たれてしまって、検察の大きなダメージとなってしまったのだ。あんな余計なことを言わなければ、検察捜査がどこまで波及するかなんて、どうせ誰にも判らないわけで、その時が来てみなければ判らないという話でしかなかった。
しかし、漆間があたかも「(捜査が)ない」ということを事前に知っていたかのように発言してしまったので、検察としてはポーズであろうと何だろうと「自民も当然差別なく捜査しますよ、やる時はやりますよ」という事実を示さなければならなくなって、二階に白羽の矢が立ったというわけである(笑)。漆間発言を否定しなければならない、ということの為だけに、捜査範囲を拡大せざるを得なくなってしまったのである。
つまり、退路を断たれたのは検察側の方であり、要因としては「小沢が会見で検察のメンツを潰したこと」と、漆間発言によって「何が何でも国策捜査を打ち消さねばならなくなったこと」があったであろう。
5)政治資金には問題がなかったのか
検察批判は判ったけれども、じゃあ、スネに傷はなかったのか、というと、そうではないのだ。そもそも、何らの問題もなかったのなら秘書が逮捕にはならないし、西松にしたって「裏金」を捻出してまで工作資金を献金したりはしないのである。意味があるから金を出すわけで、一文の得にもならないものに、わざわざ危ない橋(公共事業で架けられた橋?笑)を渡ってまで、金を政治家側に提供したりはしないわけである。犯罪が明るみに出て社会問題になるというリスクを冒してまで、それをやる価値(金銭的利得)があるからこそ、やってるわけである。
では、その利得とは一体何か?
政治的影響力としか言いようがないかもしれないが、そうした利得が現実にあったからこそ、金がばら撒かれたと見るべきであろう。政治的影響力によって、工事が獲得でき、利益が生み出されたから、ということに他ならないのだ。公共事業で支払われた工事費には、「政治家への献金分」というのが上乗せされており、その金は西松にいったん入るものの、回り回って政治家の懐に入る、という寸法になってしまっているわけである。西松側からの資金提供の態様が、仮に見かけ上合法の形を取っていたにせよ、業者―政治家―霞ヶ関という公共事業から金を吸い上げる構図になってしまっているわけである。これが「このままでいいですよ」という話にはならないことくらい、政治家であれば誰でも判る話であろう。
企業献金は禁止しても、西松献金事件のように「個人に分散」とかができてしまうので、より巧妙な裏金化してしまうだけだろう。それならば、寧ろ情報開示を進めればよい。企業が誰に献金しようと好きにすればいいので、政党を通じて配分するならばその金額とか政党通過の金額とかを、完全に開示するべき。国会議員側でも、経費などを開示するのは「当たり前」という意見は少なくないだろうから、双方で開示しておけば、貰った側(議員)と政党の払出額とで一致するし、どの企業からどの政党にいくら入ったかも判るから。
あとは、公共事業の受注額、受注件数を、全部開示すべき。都道府県ごとでもいいので、全データを明らかにすればいいだけです。やけに「特定企業」に集中していたりすると同業他社からもチェックできるし、受注確率が高すぎるのもそれなりに「怪しいよね」という監視の目が利くようになりますからね。会社の収益構造として「公共事業頼み」みたいな会社なんかが、矢鱈と受注額が多いとか受注率が高いとか、傾向が判るかもしれませんし。会社の決算数字として、利益率がどうなんだろうねとか、帳簿の数字を見ることで判る部分とかもあるから。
なので、「○○団体のロビイスト」なんだな、とか議員の立場が明確に判るようになっているなら、それでいいのですよ。この議員には○○団体から金が1億円も入ってるから、こういうことを言うのね、とか見えるようになりますから。これまでだと、出身母体(例えば連合系とか、教職員系とか、看護協会系とか)くらいしか目印がなかったのだけれども、「ああ、この人はパチンコ系ね」「マルチ商法系(笑)ね」「貸金系ね」「自動車系」「道路系」「農協系」…という具合に見分けがつけられるようになるでしょう。
6)今後は
もう検察も、小沢も、二階も、それぞれが困っているだろうと思うけれども、しょうがないわな。
行けるところまで行くんじゃないか?
秘書の起訴は当然として、「世論の後押し」でも加われば別だけれども、そういうのがなければ「立ち消え」ということになるまで時間の浪費が行われるだけなんでは。大勢の記憶が薄れるまで待つ、みたいな(笑)。最低でも75日だろうね、きっと。
あとは、どこかで撤退宣言か。「立件は困難とみて、見送り」みたいな。
それとも、誰かの首は必要だから、村岡さんの時みたいに、会計責任者+議員1名、とか。ああ、そうすると、小沢とは限らず、二階さんでもいいわけか。落としどころを作る為なら誰でもいい、ということならね。
当初から国策捜査だ、とか、無駄に力んでいたのは民主党側で、与党は勿論、マスコミ内部でも「ありえねー」という、判りきった話をしていたのに、検察の退路を塞いだのは、自業自得になってしまったわな。それは小沢、鳩山、菅などの幹部連中が揃って、同じように批判したことが、更に悪化させたんではないかと(これは、切込隊長氏の見立てどおりでは。掛金百万倍。)。