(前の続きです)
⑤これらの連携プレーの意味するところ
アザデガン撤退報道、エクソン・モービル撤退報道、そして4社撤退の会見、これらのタイミングと意味合いというものを考えれば、上述したような、経産省とエクソン・モービルのバトルという構図が浮かび上がるわけである。そして、INPEXを撤退に追い込むという、イラン制裁法と7月のCISADAの適用という圧力カード、この意味と日米関係をよく観察し考えておく必要がある。
そもそも、副長官が大仰に発表した、ロイヤル・ダッチ・シェル、トタル、ENIなどは、前から撤退が予定されていたものだ。それは、7月にEUで決議されたイランに対する制裁措置で、エネルギー関連投資を禁止する、ということになったからだ。欧州の企業はこの適用を受けてしまうわけで、別に米国のCISADAには直接関係なく、EUで禁止されたのだから撤退するよりなかったわけである。だから、スペインのレプソルも撤退を決めていた。以前からの報道で殆ど名前の出てきていなかったスタトイル(ノルウェー)が、やや目新しかったというくらい。
それに、イランの核開発に最も責任を負うべきなのは、米国をはじめとする「6カ国協議の枠組み」を構成していた国々に決まっている。イランへの接近を警戒した米国は、日本は勿論のこと、韓国をも外させるという思惑が働いていたわけで、イランの人口規模やGDPの大きさというものが、これらアジア諸国と結び付けばどうなるか、というのを警戒しないわけがない。
安保理常任理事国である5カ国とドイツという、いわばかなりの利害関係者で構成していたわけで、自分たちの失敗を尻拭いするべきなのは当然ではないか、というのがまずある。日本を外しておいて、協力してくれも何もないだろう、という話である。
もうひとつは、中国と米国の裏取引の事情、というものがあるかもしれない。
米国サイドの「イランからの撤退要求」というのが報じられたのは、28日以降だった。
イランへの制裁強化、というのを、矢鱈と強調しなくてもよさそうな時期だったはずだ。アフマディネジャド大統領の国連演説に、無性に腹が立ったので報復的に制裁措置を強化する、というものでもあるまい。
9月半ば頃には、イラン側が「協議に応じてもよい」と、やけに軟化姿勢を示してきていたはずで、それなのに「今から制裁強化」というのは腑に落ちないわけである。
そうすると、米国は中国との間で「アザデガン油田の権益を完全に中国サイドに移すことを認めましょう、日本には放棄させますから」という約束をしていても不思議ではない、ということです。その為の方便ならば、一つや二つ使っても、何ら問題ない、ということなのでは。
中国側が尖閣問題というもので米国に多大な利益供与をしてくれたわけですから、米国だって何かお返しをしなけりゃならないでしょう?
米国は、イランが協議に応ずる、という軟化姿勢を知っていながら、敢えてここに来て「イラン包囲網」を強化するようなフリをしつつ、日本には権益放棄を迫った、ということでは。
ロシアは、S300の売却を延期ではなく完全契約破棄として、イラン制裁に同調を示しつつ、原発稼働には何らの制限も受けていない。また、イランに展開する中国の石油企業は、制裁対象として「名指し」を国務省から受けているわけではない。スタインバーグは、中国企業に制裁を課すとは明言しなかった。
このようなダブルスタンダードを「6カ国協議の枠組み国」に認めている以上、米国の方針にだけ従うなんてのは無意味である。日本にとっては不利益は多いが、利益はない。
更に奇妙なのは、イラン側からの「同情」である。
日本が権益を放棄せねばならないのは、欧米の圧力のせいだから「気にするな」みたいに、言っていることである。
日本の立場は、分かるよ、理解しますよ、ということを殊更言うのは、割と疑問なのだな。イランのこれまでの姿勢とかから見れば、「日本の核施設だってヘンだろ」とか散々文句を並べることはあっても、逆は殆ど見かけないからね。
もしもアザデガンに関して、中国側からの資金提供や何らかの有利な条件など、見返りがある場合であれば「日本が放棄するのは仕方がないよ、気にしなくてもいいよ」とおべっかを言うに決まっている、ということである。それが人間というものだ(笑)。
つまり、経産省とエクソン・モービルのバトルに端を発しているかのように見える出来事も、大きな流れの中の一つの要因でしかないのではないか、ということである。一断面という話でしかない。
イランとその石油を巡る、米国の石油メジャーや中国の巨大石油プロジェクトなどが絡み合って、外交や密約が動いているのかもしれない、ということだ。いずれにおいても、日本は毟り取られ、搾取される側になるのが悲しいのだけれども。
勿論、沖縄、そして普天間基地移転問題、というのも、そういう文脈の中にあるのではないか、という疑いが、私の中に芽生えつつあるのである。
⑤これらの連携プレーの意味するところ
アザデガン撤退報道、エクソン・モービル撤退報道、そして4社撤退の会見、これらのタイミングと意味合いというものを考えれば、上述したような、経産省とエクソン・モービルのバトルという構図が浮かび上がるわけである。そして、INPEXを撤退に追い込むという、イラン制裁法と7月のCISADAの適用という圧力カード、この意味と日米関係をよく観察し考えておく必要がある。
そもそも、副長官が大仰に発表した、ロイヤル・ダッチ・シェル、トタル、ENIなどは、前から撤退が予定されていたものだ。それは、7月にEUで決議されたイランに対する制裁措置で、エネルギー関連投資を禁止する、ということになったからだ。欧州の企業はこの適用を受けてしまうわけで、別に米国のCISADAには直接関係なく、EUで禁止されたのだから撤退するよりなかったわけである。だから、スペインのレプソルも撤退を決めていた。以前からの報道で殆ど名前の出てきていなかったスタトイル(ノルウェー)が、やや目新しかったというくらい。
それに、イランの核開発に最も責任を負うべきなのは、米国をはじめとする「6カ国協議の枠組み」を構成していた国々に決まっている。イランへの接近を警戒した米国は、日本は勿論のこと、韓国をも外させるという思惑が働いていたわけで、イランの人口規模やGDPの大きさというものが、これらアジア諸国と結び付けばどうなるか、というのを警戒しないわけがない。
安保理常任理事国である5カ国とドイツという、いわばかなりの利害関係者で構成していたわけで、自分たちの失敗を尻拭いするべきなのは当然ではないか、というのがまずある。日本を外しておいて、協力してくれも何もないだろう、という話である。
もうひとつは、中国と米国の裏取引の事情、というものがあるかもしれない。
米国サイドの「イランからの撤退要求」というのが報じられたのは、28日以降だった。
イランへの制裁強化、というのを、矢鱈と強調しなくてもよさそうな時期だったはずだ。アフマディネジャド大統領の国連演説に、無性に腹が立ったので報復的に制裁措置を強化する、というものでもあるまい。
9月半ば頃には、イラン側が「協議に応じてもよい」と、やけに軟化姿勢を示してきていたはずで、それなのに「今から制裁強化」というのは腑に落ちないわけである。
そうすると、米国は中国との間で「アザデガン油田の権益を完全に中国サイドに移すことを認めましょう、日本には放棄させますから」という約束をしていても不思議ではない、ということです。その為の方便ならば、一つや二つ使っても、何ら問題ない、ということなのでは。
中国側が尖閣問題というもので米国に多大な利益供与をしてくれたわけですから、米国だって何かお返しをしなけりゃならないでしょう?
米国は、イランが協議に応ずる、という軟化姿勢を知っていながら、敢えてここに来て「イラン包囲網」を強化するようなフリをしつつ、日本には権益放棄を迫った、ということでは。
ロシアは、S300の売却を延期ではなく完全契約破棄として、イラン制裁に同調を示しつつ、原発稼働には何らの制限も受けていない。また、イランに展開する中国の石油企業は、制裁対象として「名指し」を国務省から受けているわけではない。スタインバーグは、中国企業に制裁を課すとは明言しなかった。
このようなダブルスタンダードを「6カ国協議の枠組み国」に認めている以上、米国の方針にだけ従うなんてのは無意味である。日本にとっては不利益は多いが、利益はない。
更に奇妙なのは、イラン側からの「同情」である。
日本が権益を放棄せねばならないのは、欧米の圧力のせいだから「気にするな」みたいに、言っていることである。
日本の立場は、分かるよ、理解しますよ、ということを殊更言うのは、割と疑問なのだな。イランのこれまでの姿勢とかから見れば、「日本の核施設だってヘンだろ」とか散々文句を並べることはあっても、逆は殆ど見かけないからね。
もしもアザデガンに関して、中国側からの資金提供や何らかの有利な条件など、見返りがある場合であれば「日本が放棄するのは仕方がないよ、気にしなくてもいいよ」とおべっかを言うに決まっている、ということである。それが人間というものだ(笑)。
つまり、経産省とエクソン・モービルのバトルに端を発しているかのように見える出来事も、大きな流れの中の一つの要因でしかないのではないか、ということである。一断面という話でしかない。
イランとその石油を巡る、米国の石油メジャーや中国の巨大石油プロジェクトなどが絡み合って、外交や密約が動いているのかもしれない、ということだ。いずれにおいても、日本は毟り取られ、搾取される側になるのが悲しいのだけれども。
勿論、沖縄、そして普天間基地移転問題、というのも、そういう文脈の中にあるのではないか、という疑いが、私の中に芽生えつつあるのである。