いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

海水注入中断騒動は、枝葉末節に過ぎない

2011年05月23日 21時18分23秒 | 政治って?
今更になって、こんな問題を大袈裟に取り上げるのは、意味不明である。恐らく、菅総理の引き摺り降ろしネタとしたいが為の、煽動工作に過ぎない。斑目委員長とかの言った、言わない、という話にしても、はっきり言えばどうだっていい。
この国のマスコミ層というのは、本当に終わったんですね、やっぱり。
問題の本質的なこととまるで離れたことだし、問題解決に繋がらないようなことを、いくら争ってみたってしょうがないのに、そういう煽りをやって物事を動かそうとする姿勢は、本当に酷いと思うね。単なる煽動装置だ。


菅総理が怒鳴りまくってどうしたとか、そういうのも、別にどうだっていい。石破とか、終わってるな。菅総理が残ろうが、退陣しようが、福島原発の作業は厳しいのが続いてゆくし、この困難をみんなで協力して乗り越えない限り、どうにもならない。最前線では、戦いが続いてゆくだけ。福島原発をどうにか収束させることに比べれば、菅総理のタマなんざ全然軽いもんだ。別に、総理を降りたって、命が取られるわけでもねえ。
だが、福島原発では、既に命を落とされた方々が、何人もおられるんだ、ということを忘れるな。今も、命を削って作業に当たっている人々がいてくれるということの方が、菅総理の言った言わないなんてことより、何百万倍も重要なことなんだよ。
若い命が散ったんだ。
前途ある若者が、命を賭して何をなそうとしていたのか、ぼくはどうしても知りたいんだ。


過ぎてしまった出来事は、もう取り返しがつかない。だから、個人の責任に帰するのだけは、やめてくれ。責任を問われるべきは、トップもトップの、本当の上の人間だけでよい。現場では、難しい選択、重要な選択を迫られるんだぞ。それを個人の結果責任として、問うのは止めて欲しい。赤か青のコード切断を迫られた人間のようなものなのだ。一つは無事に済むが、別な方は数万人の被害者がでるかもしれないコードで、どちらかを正確に選び出さねばならないということを求められるのだから。この責任をごく少数の人間だけに負わされ、決断せねばならないのだ。


ただ、起こったこと、やったこと、事実、これは、大事だ。
何が起こったのか、なにをどうしたら、どうなったのか、そういうプロセス全体というか詳細な経過は重要なんだよ。これはどんな事故だってそうだろう。そういう事実とか、謎とかを解き明かさないと、次の失敗を防げることには繋がらない、ってことを言っているのです。だから、個人の責任を追及したりしない代わりに、細かいことを全部包み隠さず明らかにし、何がどうなって、状態が悪化することになっていったのかを、解明する必要があるのだ。

その為に、官邸からの作戦指示が来ていて、その通りにやりました、ということなら、そういう事実を現場の人間も含めて、検証しなけりゃ分からないと思うよ。これは、まあいい。


あくまで当方の記憶と推測に基づいて、あの時期にはどうであったのか、ということについて書いてみたい。

以前にも書いた(続・Fukushimaは人災か~隠蔽される福島第一原発の疑惑)ように、当初の危機感の高まりは11日午後8時半~9時頃だった。
恐らく現地から放射線量の上昇の報告を受けたのではないか。それは、炉心溶融の始まりを意味するものだったろう。これを受けて、20時50分に2キロ圏内の避難指示が発動された。

一晩で危機的状況に陥り、翌12日早朝には1号機の内圧が高まり、ベントを行うべきという判断の下、避難指示を10キロ圏に拡大。AM5:44に避難指示が出された。

ところが、弁が動かず、いくら待ってもベントが開始されない。同時並行で、現場では海水注入準備に取り掛かっていたはず。冷却用の淡水が尽きる時間が迫っていたからだ。元々準備されていた真水の冷却水の残が、どんどん減って行っているということは判っていたはずだ。その後には、冷却手段は海水しかなくなる、ということはほぼ確実だったのだ。

ところが、東電幹部には、海水注入に抵抗感がまだあったであろう。二度と使えなくなる、という恐怖が頭をよぎったからだろう。ホウ酸や海水注入は、何としても避けたい選択肢だったわけである。

そうして、遂に水が尽きた。
12日、PM14:53 注水停止。
ベント開始が、この少し前の2時半だった。

この時点で、ギリギリ限界に来ていたのではないかと思われる。それは、現場の作業を行っていた人たちにとっても、1号機にとっても、ということだ。水が尽きて、海水を続けて投入できていればよかったかもしれないが、官邸側からはベントを早くしろ、と矢のような催促が幾度も来ていたし、東電幹部からは海水注入は早まるなと釘を刺されていたのではなかったか。ベントか、海水注入か、という作業を同時並行で進めるには、あまりに過少戦力だった。ベントをまずやるしかない、ということで、そちらを優先せざるを得なかったのではないかな。

そして、PM15:36頃、1号機の原子炉建屋で水素爆発が起こった。
注水ラインは、ダメージを受けたに違いない。


恐らく、爆発の事実は直ぐには官邸に伝わっていなかったのかもしれない。けれども、東電ではこの事態を先に把握していたであろう。
ホウ酸や海水注入を躊躇っていた幹部連中に、心胆寒からしめる急所の一撃となったであろう。即、海水注入を決断したはずだ。それが、水素爆発から約30分での海水注入プランの提示だったであろう。
福島原発事故 7つの場面検証(上)「想定外」…対応後手に (5/6ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

恐らく、現場では「もう廃炉でも仕方ないから、ホウ酸と海水を入れるよりない」といった意見が出されたのではないかと思う。だが、中々そこの踏み切れなかったのであろう。「もうやるしかないんだ!」という思いと、決断できない上層部、ということだったのでは。

ベントは12日朝早くに行うつもりだったのだろう。だが、弁が開かず、手間取ることになってしまったのだ。それが、14時半までずれ込んだ理由だった。障害がなければ、あれほど遅れることになることもなかった。誰もうまくベントできないなんて事態が生じることを思ってもみなかった。

おまけに水が尽きてしまうという不幸が重なった。
そして、水素爆発が起こってしまったのだった。

爆発・崩壊した原子炉に海水注入の準備に向かわねばならない作業員たちの胸中を思うと、不安と恐怖はいかばかりであったろう。作業を実施した方々の覚悟が、本当に凄まじきものだったに違いない。

官邸側では、東電からの海水注入提案を受けて、新たな対応に追われることになった。17時のNISA会見を急遽中止し、爆発についての説明を官房長官が17:45からの臨時会見で行った。その場において、今後に海水注入の予定があることを触れていたであろう(東電の準備が出来次第始めたい、といったような話だ)。同時に、避難指示の拡大が伝えられた。それは、海水注入に際して、念のため万全を期して避難して頂く、というようなニュアンスのものであったはずだ。

そうして、PM18:25に20キロ圏内の避難指示が発動された。
崩壊した1号機原子炉建屋の脇では、海水注入準備が行われていた。放射性物質の降り注ぐ中で、必死の作業に当たっていた。
水の注入が止まったのは、15時少し前だ。あれから注水が行われていないということが、今後にどのような展開となるのか不安を抱かせた。カラ焚きの蒸し風呂状態になってから、既に4時間が経過していたのだから。

海水注入にあたって、官邸側が最も恐れていたのは、多分水蒸気爆発ではなかったか。なので、試験注入が開始されていたことを知らずにいて、東電側からの試験注入という情報が入った時には、「何??もう入れたのか!!」と驚いたとしても不思議ではないだろう。
どうしてか?
18時25分に避難指示を拡大したのだが、住民避難が全く捗っていなかったからではなかったか。まだ周辺住民が残っているのに、海水を入れて水蒸気爆発が起こったらどうするんだ、という話になってしまったのではないのかな、と。
住民避難が進むまで、もうちょっと待て、と。


この時点で、10キロ圏の住民避難さえ、まだ完了していなかったからだ。なので、海水を入れるのを待てと言ったとしても、理解できないわけではないのだ。

それに、後に訪れる大きな余震で、海水注入作業は数時間に渡り中断を余儀なくされたことはあった。菅総理が止めたかどうかによらずとも、あの時点では大差なかったかもしれない。それほど事態は深刻化してしまっていたからだ。

なので、注入を止めた最大の理由は、住民避難が進捗していなかったから、ということであろう。それを止めさせた人間が誰だったのかは、あまり大きな問題ではないように思える。再臨界の可能性云々とか、そういうのが重要な論点だったとは思われない。


勝負を分ける大きな分岐点は、もっと前の時点での話だった。

厳しい状況に陥るのは、大抵の場合、思わぬことなんかで足元をすくわれたりして、いつもならもっと確実にできることさえもがうまくいかなくなるのだ。そういうのが重なって起こるのである。だから、より事態が悪化してゆく。誰がそれを招いたという単純なものでもないのだ。

恐らく、事故は起こるべくして起こる。
だが、そこにはいくつもの修飾因子のようなものが、いくつも複雑に絡み合ってくるのである。それがなければ、大事故には至らないのだ。重なって発生してしまう確率なんて滅多にないことが、何故か「ハマリ」の時にはいくつも発生してしまうのだ。