司法は国民の味方なんかじゃなかったんだ、ということである。
薄々感じたりしたことはあったが、残念ながら現実というものがどういうものか、思い知らされたのだよ。
日本の最高裁というのは、本当に法の番人とか、最後の砦なんていう覚悟は、これっぽっちも持ち合わせてはいないだろう。
米国の裁判官の物語は、昔から含めて映画化されているものが多くある。それは、法とか判事の役割というものが、正義を体現しているからだ。
だが、日本の最高裁にそうした物語はあったのか?
法とか正義を貫きました、という話があるなら、是非とも聞かせてくれ。映画化でもドラマ化でもやってほしい。
最高裁なんかよりも、下級裁判所の裁判官の方が、はるかに立派な人がいるのではないかな。
>TBSが放映~唯一の原発差し止め判決を出した井戸謙一元裁判長
『「結果として、司法はほとんどが今までの原子力行政、あるいは電力会社の仕事を追認してきたわけで、そこでいろいろな警告を発していれば、こういう事態はなかったかもしれない。最後の砦であるという自覚をより深刻に持って仕事することが、これからの裁判官に求められるのではないか」(原発の差し止め判決を出した 井戸謙一元裁判長)』
このように述べられている。
司法には、本当に幻滅した。最高裁も、検察も、信じることは難しい。
>続々・Fukushimaは人災か~隠蔽される福島第一原発の疑惑
この中で次のように書いた。
『その片棒を担いでいたのは、司法の連中だってそうなんだ、ということ。最高裁判事たちは、改心させられるチャンスを有していながら、正しい意見を行政に投げかけたりはしなかった。』
井戸元裁判官の意見に接して、やはりそうなんだな、という確信を抱いたわ。
それから、こちらも。
>高速増殖炉「もんじゅ」と最高裁判決
>日本をダメにする方法~”原子力村”という実証
司法が正しいとか何とかってのは、ただの幻想か勘違いなのだ。
クズが偉くなる仕組みである限り、そういうヤツラが選ばれてしまうのさ。
多くの国民には、裁判とかがどういうことをやっているとか、どんなことが問題とされているとか、どんな酷い滅茶苦茶な判決が書かれたとか、そういうことを知らないからね。
裁判所は、出された判決文さえ全部をネットで公開しないし。
高額な金を出して、判例集みたいなのを買えってことですかい?
判決文を載せるのなんて、そんなに難しいことなのか?
ま、いずれにせよ、最高裁判事なんて信用に足る人間かどうか、といえば、それはもう無理だわ、ぼくの中では。
この国では、根本が腐っとる。
最重要部分が、他にも増して、最も腐った連中が集まっており、そういうクズによって支配され、物事が決められてゆく、ということである。
東京第五検察審査会の幽霊みたいな話とか、こうした司法の態度とか、そういうのを見るにつけ、ああ、そうなんだなということを学んだのだよ。
司法がクズに支配されている限り、何も変わらんよ。
クズの再生産が続くだけ(笑)。
この国では、正義や良心というのは死語であり、存在していないのである。
薄々感じたりしたことはあったが、残念ながら現実というものがどういうものか、思い知らされたのだよ。
日本の最高裁というのは、本当に法の番人とか、最後の砦なんていう覚悟は、これっぽっちも持ち合わせてはいないだろう。
米国の裁判官の物語は、昔から含めて映画化されているものが多くある。それは、法とか判事の役割というものが、正義を体現しているからだ。
だが、日本の最高裁にそうした物語はあったのか?
法とか正義を貫きました、という話があるなら、是非とも聞かせてくれ。映画化でもドラマ化でもやってほしい。
最高裁なんかよりも、下級裁判所の裁判官の方が、はるかに立派な人がいるのではないかな。
>TBSが放映~唯一の原発差し止め判決を出した井戸謙一元裁判長
『「結果として、司法はほとんどが今までの原子力行政、あるいは電力会社の仕事を追認してきたわけで、そこでいろいろな警告を発していれば、こういう事態はなかったかもしれない。最後の砦であるという自覚をより深刻に持って仕事することが、これからの裁判官に求められるのではないか」(原発の差し止め判決を出した 井戸謙一元裁判長)』
このように述べられている。
司法には、本当に幻滅した。最高裁も、検察も、信じることは難しい。
>続々・Fukushimaは人災か~隠蔽される福島第一原発の疑惑
この中で次のように書いた。
『その片棒を担いでいたのは、司法の連中だってそうなんだ、ということ。最高裁判事たちは、改心させられるチャンスを有していながら、正しい意見を行政に投げかけたりはしなかった。』
井戸元裁判官の意見に接して、やはりそうなんだな、という確信を抱いたわ。
それから、こちらも。
>高速増殖炉「もんじゅ」と最高裁判決
>日本をダメにする方法~”原子力村”という実証
司法が正しいとか何とかってのは、ただの幻想か勘違いなのだ。
クズが偉くなる仕組みである限り、そういうヤツラが選ばれてしまうのさ。
多くの国民には、裁判とかがどういうことをやっているとか、どんなことが問題とされているとか、どんな酷い滅茶苦茶な判決が書かれたとか、そういうことを知らないからね。
裁判所は、出された判決文さえ全部をネットで公開しないし。
高額な金を出して、判例集みたいなのを買えってことですかい?
判決文を載せるのなんて、そんなに難しいことなのか?
ま、いずれにせよ、最高裁判事なんて信用に足る人間かどうか、といえば、それはもう無理だわ、ぼくの中では。
この国では、根本が腐っとる。
最重要部分が、他にも増して、最も腐った連中が集まっており、そういうクズによって支配され、物事が決められてゆく、ということである。
東京第五検察審査会の幽霊みたいな話とか、こうした司法の態度とか、そういうのを見るにつけ、ああ、そうなんだなということを学んだのだよ。
司法がクズに支配されている限り、何も変わらんよ。
クズの再生産が続くだけ(笑)。
この国では、正義や良心というのは死語であり、存在していないのである。