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政治家不在の国~東電問題に見る財官癒着

2011年05月30日 14時07分42秒 | 政治って?
何かの免罪になるとでも言いたげだが。


東電支援の舞台裏 2兆円緊急融資、大手銀は即決  :日本経済新聞

経産や財務、東電負担上限で攻防 難産の「政府原案」  :日本経済新聞


2つの記事を読んで即座に感じた最大の疑問は、この中にはただの一人も「政治家が登場しない」ということだった。
つまり、この国では、重要な案件を相談したり考えたりする時には、政治家なんかには用はない、官僚が即決すべし、ということであろう。

民主党政権になったとて、やっぱり官僚主導国家ということだろう(笑)。

記事を読んでゆくと分かるが、官僚が勝手に思惑で発言したり決めたりして、それに銀行も従うという図になっているわけである。銀行が従うというよりも、本当は銀行サイドの意向を受けて官僚が動いた、ということかもしれないし。


大きな問題なのは、官僚はあたかも”国”を代表してしまっている、ということである。一官僚に過ぎない人間が発言したり、行動したりするわけだが、それがどういうわけか「国が約束した」ということにされてしまっている、ということである。官僚の考え・発言=国(政府)決定というすり替えをまんまと利用されているのだ。

国という仮面を被った単なる個人の意向が、権力サークルのメンバーの為に最大限利用されているということである。
国が、というのは、都合よく用いられるシンボルでしかない。


東電の緊急融資に関して言えば、松永経産次官が銀行に頼み、金融庁(ここには何故か個人名が出てこないが)が銀行の御意向を確認したのだそうだ。

じゃあ、もしも銀行の融資回収に穴が空いたら、松永次官が個人で責任を取って、弁償でもしてくれるとでも言うのか?
口約束みたいにして、銀行に金を出させるというのは、「国が決めたこと」とでも言うつもりか?

金融庁・森、経産省・北川と山下らの官僚が、誰のどういった指示で動いていたのか、ということだ。そこに政治家の存在が、全く見えてこないのである。
官僚の暴走と何が違うのか?

彼らが画策したのは、東電を守る為という大義名分の下、早い話が銀行と経産省の利益を守ることというのが、双方一致していたというだけに過ぎないんじゃないのか?
そりゃあ、そうだわな。何たって、天下の東電さんだ。

銀行は金も惜しいが東電株だって惜しい。経産省は東電を守るということ、すなわち電力行政と省益を守るということ、この両者の利害一致で結託し、好き勝手に自分たちで物事を決め、推し進め、その挙句に官僚の口約束程度のものを「国が約束した」と既成事実化してしまった、ということだ。

権力を握るのは、こうした連中なんだね、そこには政治も不在、国民への説明も当然なし、ということで、銀行と官僚が東電擁護の為に好き勝手にやったというだけに過ぎないんじゃないのか、ということである。

だったら、銀行が緊急融資を即決した理由というのが「官僚の話を聞いてやった」ということなら、銀行は松永次官に賠償請求せよ。
金融庁の誰が知らんが、融資をするよう銀行に言ったとかの事実があるなら、国家公務員個人に賠償請求をすればいい。彼らは、「国の決定」を代表するのではあるまい?


民主党の掲げていた、政治主導とかいうのも、笑える。
逆襲されて、政治家が汲々としてしまうのである。