いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

選挙と政治4

2005年08月22日 19時36分53秒 | 社会全般
政治には、人々を幸せにする責任があると思う。そういう心積もりがなければ、昔のような一部の利益優先のオカシナ政治だけが続けられる。それを排除するのは、誰かがその異常さを見つけ出し、警告を発することであり、それに対して国民の審判を与えることである。また、多くの研究者達や学界の知恵のある人々が沢山いるのですから、実社会にそうした成果を活かせるように常に考えて欲しい。政府の委員とか審議会の委員とか、そういった所だけではなく他の専門家だってごまんといる訳で(例えば経済学者ですね、笑)、理論的に正しいかどうかをいつも考えて欲しいと思う。そうした叡智を集めなければ、いい解決方法なんて思い浮かばない。それに御用学者が都合のいい答えを用意していても、それを一般国民が看破するのは容易ではないですし。


農業だって、離農者が多くなっているし、かつての名人達の知識も経験も受け継がれないまま、それが廃れてしまうならば、非常に残念です。自民も民主も、農業についてのマニフェストが出ていますが、昔のような立派な農道や用水路をバカ高い金額で作ったりするのではなくて、もっと人々が幸せになれるような政策を考えていったらどうでしょうか。


私が農家の人だったら、精魂込めて農作物を生産して、それが豊作の為に値崩れしてしまい、出荷出来ない、などという事態が一番悲しいと思う。キャベツやレタスだって、畑のままブルドーザーで全部潰したりするのって、どんな気持ちか考えると胸が痛くなる。画廊に出品する為に一生懸命描いた絵が、「既に置くスペースが埋まってしまったので、悪いけど」と言われて、キャンバスをズタズタに裂かれ絵の価値を全て失うとしたら、私は次の絵を描くことを恐れるし、意欲も失うかもしれない。でも、農家の人達は耐えて、次の年もまた作物を作る。これは本当に大変なことなんです。これは無駄だからとか、経済原理がどうだの、価格調整がどうだの、とかいう生易しいものではないと思っています。


こういう現実があるのならば、世界には多くの貧しく飢餓で死んでいく人々がいるのですから、ただ基盤整備などといいながらも企業利益とか現地役人の不正とかにODAの金を流し込んだりせずに、工夫をすればよいではないですか。そのための科学であり、もの作り日本の技術じゃないですか。

仮にキャベツが出来すぎたら、価格調整の為に一定量の一括買い上げ(当然市場価格よりも安い値段であるが、全損よりはいい)にして、災害時緊急用食糧とか飢餓状態の国への援助とすればいいのではないかと思う。ナマ野菜はそのままでは保存できないのでしょうから、フリーズドライみたいな形で粉末状にするとか(インスタント味噌汁みたいな具の形のある状態にしてもいいけれど、コスト高になるかも)、そういう状態にするなら野菜スープの代わりになるのでは?貧乏な国は、小麦粉を水に溶かして飲む程度のところもあるのですから、野菜粉末のスープだって十分なごちそうです。大切な栄養源ではないですか。他の野菜とか、魚とかも工夫すれば、いくらでも粉末状やソーセージみたいな練り物状とか、出来るはずです。味なんか気にしないですから。向こうは生きるか死ぬかなんですから。そういう努力や工夫することなんて、多分難しくはないはずです。日本のインスタント食品の加工技術は優れているし、コンパクトにまとめることも、調理器具とかがない地域でも食べられるようにすることは、必ず出来るはずです。さんまが取れすぎたり、レタスや玉ねぎが豊作だったら、それらを全て使えるような方法を考えるべきです。


こういうのをやれば、農家や漁師さん達は、「取れすぎて棄てる」ということから開放されます。仕事の労力が全くの無駄になってしまうことを防げます。それに、加工する食品工場なども必要になる、運搬する物流の仕事も増える、海外へ輸送する船の仕事も増やせる、援助を受けた国には食糧がもたらされる、というふうに、皆が喜ぶじゃないですか。買い上げ費用は税金が必要ですが、従来変な農水補助金とかに回していた分と、ODA予算からとで賄える額とすればいいんですよ。食品工場にしたって、稼働率が保てる方向になるのですから、他の製品よりも安い金額で請け負ったとしても、大きく文句を言わないだろうと思う。採算割れとかになったりしなければ、きっと協力してくれるはずですよ。食糧を捨てるより、はるかにいいと思う。こういう政策こそ、内需拡大に繋がるし、多くの人に喜ばれるし、雇用も増やせる事業なのではないかな、と思う。輸送費用がそれでもかなり高くついてしまい、金を直接あげた方がいいと言われるのかな。でも、金を渡しても貧困国は食糧を買うところもないのではないかな。現物の食べられるものの形であげた方がいいと思うが。


また、企業は通常インセンティブが働けば、そういう風に努力してきます。なので、そういう企業努力を促進させる方向性をいくつか考えてみます。コンビニでは弁当やサンドイッチなど、時間切れになるとすぐさま捨てる部分が出てきます。破棄されるということは、過剰に生産し無駄が多く、ゴミを増やします。つまり環境にとっては悪い訳ですから、これに罰則的税を課すルールを作ります。また例で考えてみましょう。

仮に、あるコンビニ会社での年間破棄トン数が100トンとしましょう。「50トンを超えたらトン当たり1万円の税を課す」というルールをまずつくります。このままであれば、税が50万円ですね。そして、次に削減ボーナスとして、一定範囲の地域内食糧品(野菜や魚、その他食材等)で調達している場合には、域内調達量の半分のトン数を先の破棄トン数から引くことが出来る、というルールを与えます。すると、レタスやさんまやそば粉などを域内で60トン調達してるならば、オーバー分50トンから30トンを引いて20トンに対して税が課せられます。つまり先の50万円より安い20万円となります。この時に、税を払う方が企業にとって得であれば(域内調達価格がそれをはるかに超える不利な場合)50万円払いますが、域内調達で税を小さくしておけば有利となるなら、きっと税を逃れようと域内調達をある一定額まで買うことになります。こうして、①破棄されるゴミの量が減らせる、②地域の農水産品の消費が促進される、という効果が得られます。税収は増えるかどうかは判りませんが、こういうルールを作ることによって、わざわざ農業補助金を増額したりしなくとも、企業努力によって一定額までの買入促進が行われます。地域内に農水産品があまりないような(魚はあるね、多分)、例えば東京のような大都市は不利かもしれませんが、これはある意味地域コストということで環境に悪い地域としてそのコストを税として払って頂き、そうでない地域にそれを再配分するということになりますかね。


例示したのが、なぜ弁当やサンドイッチなどかというと、破棄すればパッケージなどにかかったエネルギーが無駄でかつ製造過程でCO2の排出量が多分増えているからです(環境にはマイナス)。ゴミ増加によっても処理コストが増加します。また、域内農水産品を削減ボーナスとするのは、材料となる食材を遠くから運搬してくるよりもトラックのガソリン消費や排出されるCO2が減らせるからです(環境にプラス)。ということで、マイナス面とプラス面の相殺をしながら、ある一定の税を賦課して、企業努力によって国内農水産品の消費拡大を図ってもらおうとするものです。このような方法ならば、海外製品を排除するような関税をかける必要もなく、国内産業保護的な公的資金投入も必要ないので、影響が少ないと思えるからです。上の数字はあくまで仮定ですから、本格的に導入を考慮するならば、こういう専門家達によく検討してもらって、環境にもよく、かつ国内農家や漁業の人々が人件費の安い海外品ともある程度競合可能な状態を考えてくべきです。


同じように輸入量が多い、規模の大きな外食産業やスーパー業界などにも食品破棄トン数に併せて処理コストの一部を税として課して、削減ボーナスとして国産品割合が多ければ破棄トン数から一部控除する形にしても、似たような効果が期待できます。中国産野菜ばかりとか輸入牛ばかりではなくて、国内産品を使うと一定の課税負担軽減となるならば、多分そういう方向へと進むだろうと思います。個人に課税することばかり考えるのではなく、皆が課税を逃れてしまい税収が全く入ってこないとしても、環境や国内一次産業へのプラス効果の方がはるかに期待できるのですから、このような課税強化=企業努力・インセンティブ期待型(そんな言葉が経営学的にあるのかどうか知りませんけれども、思いつかないので)も考えていくべきと思います。


「規制緩和」の意義については、官業として非効率に行われる部分は当然改められる必要がありますし、民間へ移行させるのは当然ですけれども、こうした「ルールを作る」ことは規制強化ですから、時代的には逆行していると思われるかもしれません。しかし、国のお金を沢山使わずとも、ルール制定で内需拡大が促進されることは、経済的にも政策的にも、必要だと思います。こういう工夫が、行政府には足りないし、経済産業界からも知恵を(金も・・・?)出さない。出来るだけ多くの人達が良い知恵を出し合って、皆ができるだけ暮らしやすくなるように努力するべきです。


カリスマ菓子作り元官僚今議員夫人とかを候補者に立てて、「食育を是非やってもらいたい」と小泉さんが言えば、「料理と政治は全く一緒。お茶でも飲みながら・・・」だと。こういう人が人々を救ってくれるのか?果たして子供達が食べ物を大切にしたりするように出来るのか?料理が得意な食に一家言ある人なら、農家や漁師を救ってくれるのか?

はっきり言って「お茶でも飲みながら」なんて状況じゃない人達から見れば、反吐が出る気分だろうな。でも、仕方がない、カリスマ主婦なんだそうだから。人気ある人には、敵わないんだから。かなりひがみが入ってきたな、最近(笑)。

私の方が、きっと色んなアイディアがあるんじゃないかと確信している。これってやっぱり自己満足に過ぎないんだよなー。現実世界で結果を出さないと。



ホリエモンに政策はあるか

2005年08月22日 14時02分23秒 | 社会全般
前の記事で、メディアは「政策などにインタビューしない」とかって書いてしまったのですが(言い訳ですが、昨日書いた部分でしたので)、今朝のフジ系の番組(何だったかな?ド忘れ。ごめん。小倉さんが司会の)に、ホリエモンと亀井さんが出ていました。亀井さんは、さすがにちょっと可哀想になってきましたね。テレビで言うことが全然説得的ではなくて、映像的にはどうしたって憎まれ役にしかなれない感じ。ですが、これも自ら蒔いた種ですから、止むを得ないでしょう。もっと話の論点を研究して、違った印象となるように戦術を考える方がましでしょうね。

ホリエモンの方は、ネット上の議論よろしく、「郵便局はなくなりませんよ」とか亀井さんに反論していて、まあ普通の答え。彼は少なくとも「郵政民営化」の仕組みについては、多少知恵をつけているんだろうと思った(ネット上でしか情報を拾っていないかも)。その後、単独でスタジオ側から質問されたのですが、彼が大きく動揺した感じを見せたのは、政治理念とか実現したい政策、取り組みたいことや出馬動機などについて聞かれた時だった。


観ていて感じたのは、やはりホリエモンには政治的な理想とか信念とかはない、ということだった。ブーム便乗の候補者に過ぎず、今回も売名行為に乗って自分の利益しか考えていないからだろうと思った。利用する方もする方だが、彼が万が一政治家になってしまうならば、私は日本の政治に対してなお一層の失望を感じると思います。スタジオ側は、いつになくいい問いかけをしましたね。ナイス!(死語?)


結構ぐちゃぐちゃ話していましたが、大まかに問答をまとめると、次の通り。

「どうして立候補しようと思ったのか」:これには「権力闘争に終始してしまうなら、嫌だなと」
「政治は誰の何の為にあると思いますか」:これには「人のためにある、人がうまく生活していけるように」
「郵政以外では、どんな政策を実現したいと思うか」:これには「お金の使い方を教育する」
「権力闘争は、今までのビジネスと同じではないか」:これには「全然違います、権力じゃないでしょ、下らない質問で答えたくない」


まず最初のつまずきは、どんな政策を実現したいと考えているかへの答え。ホリエモンは、元々特別な政治的関心もなかったし、理念など端から持ち合わせていない。彼が望んできたことは、自分がいかに成功し、大きなビジネスチャンスを創造し、時代の寵児となれるか、だけだ。うっかり「多くの国民が、株に投資してくれるようにしたい」と言いそうになったが、「色々な投資にお金を回して、豊かになっていけるように」とか言った。だが、彼の心の奥底のウソが見透かされたようで、スタジオ側にいて聞いていたコメンテーター達は、一気に引いたと思う。
「日本人は異常に貯蓄率が多くて、外国に比べても貯金と保険に半分以上使うという民族なので、そういうのも改めていってですね、国民のお金の使われ方が、年金にしたって自分の運用して欲しい方法がとれないし、社会保険庁のようなのとか、グリーンピアみたいなのとか、そういう使い方は良くないですし。きちんと国民を教育して、使い方を変えればよくなる」とか、支離滅裂なことを言っていた。


そんな年金運用の話は、去年の選挙前の話で、既に解決策はとられている訳だし、経済教育についても内閣府を中心にやることが決まっていて、ホリエモンが実現を頑張らなくてもいいことで、そういうことも知らないし、何も考えていない。彼は、単に「株式投資に回る国民の金を増やしたい、そして、自社株を買って欲しい、そして、株取引によって自社がより一層儲けたい」という個人的野心があるだけで、コメントの言葉の間から滲み出ていた。


おすぎだか、ピーコだか(どっちだったか忘れた)にさえ、「あなたのことを信用できなくなる」と言われて、かなりカチンときたことだろう。


ホリエモンが使う貯蓄率という言葉は、経済学用語として用いたのか、それとも単に「銀行や郵便局の預貯金」という意味で用いたのか、それは判らないが、おそらく経済学用語ではないだろう。彼は最初から政策など考えていないので、そんなことも当然知らない。確かに個人金融資産は多いでしょう。そして、株式や投資信託へ回されるリスクのある投資には外国に比べても比率は少ないのですが、家計の貯蓄率は低下しているのであり、これは高齢化要因によっても当然そうなる(仕事を引退して、年金や預貯金取り崩しによって生活する人の割合が増える)だろうし、収入減少によって家計の余裕が無くなればラチェット効果により貯蓄率減少要因となる(参考記事:長期停滞の先にあるもの)。従って、経済財政白書でも触れられていたように、家計の貯蓄率が減少し、このままのペースで進めば貯蓄率がマイナスとなる可能性さえ指摘されているのだ。そういうことも彼は考えたことはない。自分のネット証券会社の利益を生み出す個人投資家が「バンバン増えて、投資をしてくれればいい」(そして自社の証券会社を利用しろ)というレベルでしか、考えていないのであろう。そんな人物が掲げる、最も実現したい政策が「投資教育」というのも、どう見ても信用なんかできない。おすぎ(or ピーコ?)が言うのは尤もだと思った。さすが、だてに年をとっていないな(笑)。人間の言葉の奥にある、ウソとか取り繕いは、案外とバレるものだ。


そして、トドメの一撃が、「権力闘争~云々」に対して、自分の意見の矛盾を衝かれたと感じたホリエモンは、「あんまり下らない質問は止めてくださいよー、そんなの違うじゃないですか、答えたくないですね」と、その前に言われた自分への批判に加えて、もっと頭に来たようで、質問者に不満をぶつけていた。そこで、「ハイ、時間ですので。」
きっと、スタジオ側に打ち切り指示が出たのだろう。まあ、ホリエモンが大して何も考えず、「郵政民営化は賛成なんです」という一個の意見しかなく、それ以外は何も政策とか考えてないんだな、ということが明らかになったでしょう。この選挙区は、本当に色んな意味で大変だと思います。有権者は、誰かを選ばなければならないのですから。


選挙と政治3

2005年08月22日 11時56分41秒 | 社会全般
各議員達は、政治的目標を掲げてそれを政党のマニフェストに入れられるような準備をしておく必要があるだろう。ところが、全く何の政策目標も持たない連中を闇雲に増やすというのは、単なる人気投票に過ぎない。「カリスマ~」とか、「エリート~」とか、そういう枕詞が重要で、実際の政策の中身については誰もインタビューしたりしない。本当に実現しようと思う政策や政治理念があるならば、具体的に聞いてみることも必要なのではないか。国民の興味が薄い部分にこそ、多くの説明時間を割き、きちんとした判断材料として提示するのがメディアではないか。郵政民営化法案審議中には、郵政民営化の中身についての国民理解を得るような報道が殆どなかったのに、解散になってから自民党案がどうの、民主党案がどうのって、言ったって遅いんじゃないのかな。法案審議中から、本来検討すべきであったのに。


これから改革路線を止めることは有り得ないし、霞ヶ関が自民にも民主にもニュートラルになりつつあり、仮にどっちが政権担当となったとしても「官」がバッシングの象徴として攻め立てられることは間違いない。これも、今までの政官関係を清算する時を迎えたのだと思えば、私の所期の目的は達せられたと言えるだろう。ただ、とばっちりを受けるのは、まともな官僚たちとなってしまうだろう。怨嗟の対象としては、世間的に見れば「勝ち組」の代表格のような「エリート官僚」ですから、格好のはけ口とされるであろうことも予想できる。これはこれで可哀想って言うか、昨年の社保庁の如く、節分の「豆をぶつけられる鬼」役を、これからは「公務員」というだけで引き受けさせられてしまうのである。まあ、その原因を作ったのは自分達でありますから、ある意味自業自得ではありますけれども。こうなる前に、自ら変わろうとしなかったことが、このような種を蒔いたのかもしれません。


メディアは、先の「経済財政白書」に示された「大きな政府」「小さな政府」の内容については、中身に殆ど触れずに報道した。そもそも、国民の中に「大きな政府」「小さな政府」について、ある程度の理解が得られているとは考えられない。私もブログがなければ、全く考えた事もなかったし。だが、選挙戦略によって、キーワードとしては「郵政民営化」「小さな政府」「役人天国」「公務員改革」などが国民の目に(或いは耳に)飛び込むように設定されており、これで誤った理解をさせることも可能となっている。誘導方向を設定した、省庁の(若しくは竹中さんの?)「主張したいことだけ」を報道してしまったのでしょう。多分、あの中身について、通読したメディアの記者たちは殆どいなかったのではないのかな、と思いますね。


今まで実は私が書いてきた記事にも、似た部分が多いのだが。「政官業癒着構造」とか「政官業スクラム」とか、そういう表現で非難してきた結果(なのか判りませんけれども)、自民党も民主党もそれらをメインに据えてしまった。自分達への批判をかわせるしね。憎悪対象を自分達にさえしなければよい、という戦略でもあります。このような状況となったのは、私にも一部責任があったと言えるのでしょうか。私が書いた為でしょうか?違いますよね。それほど重大な影響を与えるとは思えないのですけれども。


民主党のように国家公務員給与2割カットを実行したら、省庁に人は残るでしょうか?官僚諸氏にとっては、非常に嫌な選択となってしまうでしょうけれども、どちらかと言えば自民案の方がまだ穏やかですかね。きっと、麻生親分がそうとう頑張ったんでしょうよ。「数値目標は入れるな、絶対に実行できない」って。確かに本省から2割も減らされたら、地獄だろう。官僚の頭数を減らすことがいいことなのだと、既に誤った認識が正当化されてしまった感があるからね・・・一端定着した先入観を覆すにはかなりの労力がいるしね・・・


財政再建策を考えるとして、大枠だけで借金総額を考えてみよう。国が約660兆円(財政融資資金特別会計国債約120兆円を借入金総額約780兆円から除いて)、政府債務保証約60兆円、地方が約200兆円、問題の財投先が約270兆円(資金総額では353兆円程度だが、うち現金3兆円・国債等債券80兆円くらいあるのでこれを除いて)。合計1190兆円。多少の誤差もあるから(きっと地方分はもっと増えているだろう)、だいたい1200兆円だ。通説で「国が1千兆円、地方が200兆円」というのは、概ね正しいのではないかな。


公務員人件費で考えると、国5:地方25:政府系機関10というのが大まかな配分だろう。なので、本省職員からいくら削ってみても大した効果はない。記事にも何度か書いてきたが、むしろ昨年の防衛大綱で陸自定員2万人削減とかの方がはるかに効果的。大体、放っておいたって、若い精強な男子の数が年々減っていくんだから(団塊ジュニア世代の半分近くに減る)、隊員数の定員確保の方がより大変になるに決まっている。29万人の自衛官のうち、陸自中心に2万人減ったとしてもそれほど急に困らないだろう。国民の多くは賛成するだろう。こういう削減プランに抵抗し続けた結果が、強硬な人件費削減圧力をもたらしたとも言えるかもしれない。国5のうちから10%減らすよりも、政府系5%減らす方が容易であり、地方2%削減の方がさらに容易であろう。つまりは、一律5%削減案を出した国の方から一律2割に従い更に減らすよりも、割合の大きな部分から段階的に削減し、トータルで実効性のある削減とする方が有利に決まっている。また、一律カットとかではなく、政府系機関の理事職等の無駄な高給取りから大きく削減し、平均給与の少ない平職員はカットを少なくするのも当然である(基本的には、業務内容を細かく検証して、必要なものだけ残して、残りは民間へ移行させるとか組織統廃合を進めて順次整理・清算していくことが必要だが)。


仮に、2千万円級の人員が100人いる(ポストが欲しいだけならば、名前は残せばよい。給与がべら棒に高い必要はない)なら、これを半分に減らせば10億円の削減が出来る。効果絶大。500万円の人々200人減らすよりも、雇用にとっても望ましい。それが受け入れられないなら、2千万円級の給与制度を止めて、理事職100人全員を1千万円とかそれ以下にすればよいだけである。これだけでも、500万円のヒラ公務員を200人増員できる効果があるのだぞ?人員削減で「大変だ、大変だ」と苦しみ、深夜残業の常態化を招くくらいならば、無駄に給料を食む連中を整理縮小するべきなのである。それが、公務員の一般職の人々を救済する道でもある。本省OBの為に残りの現役世代がみな苦しむくらいならば、この際悪因を断ち切って、本当に自分達の為になる公務員改革を考えるべきだ。単純に人数の問題ではない。同じ人件費10億円でも、その使われ方に問題が多すぎたのだ。何度も言うが、独立行政法人の理事職などの天下り先に、正体を隠したまま資金供給を続けた結果なのだから、現役職員の自分達が苦しむか天下った少数の連中の利益を削るのか、よく考えてみたまえ。

少なくとも直ちに実行できそうなのは、地方6%、政府系15%(高給取りが多いことが知られている、ラスパレイス指数も高い)カットで各1.5兆円、計3兆円が捻出できる。これを他へ回す。国家公務員は、郵政民営化と陸自定員減少で、自動的に削減される。


単に借金返済原資だけに回したとしても、とてつもない額の借金を返せる当てなどない。基本的には、1200兆円はほぼ返済不能だ。個人ならば、破産してるよ、間違いなく。だって、元金を毎年10兆円づつ返しても、120年もかかるんですよ!!(当然利払いは続けるが)長短借入の平均利払いが2%として(判りやすくするために簡単にすると)、毎年利払いだけで24兆円かかる(借金を減らすには、更に元金10兆円上乗せ、という規模で返済しなければならない。気が遠くなる・・・)。現状では、まず無理。利息を払いきれなければ、当然借入総額は増え続ける。民主党議員などが馬鹿なのは、「小泉さんになってから借入総額が増えた」ということを、鬼の首をとったように言うのだが、景気後退で税収が落ち、既に減税実施が決まっていたのだし、利払い予定は就任前から決定付けられている。この利払い予定を上回る収入増がなければ、当然総額は増えることが判っていたのだ。この状況に陥る前から、この時が来る事は既に予想出来ていた。98年くらいから「国家破綻」などが囁かれ始めていて、国の借金が500兆円を超えてこのままでは危険だ、とか、色々言われてたもんね。でも、GDP比ではまだ余裕があるから大丈夫さ、ということも言われていて、その後利払い出来ない為に雪だるま式に増えた。まさに多重債務者の陥る罠と同じ原理(笑)。返せないから、他から借りて返済する。でも元金は一向に減らないばかりか、金利負担ばかりが増大していく、というお決まり路線だな。大蔵も日銀も、政治家たちも無能であることを完璧に証明して見せた、ということだな。


年収400~450万円程度の人が、借金1億2千万円背負っていて、利払いが毎年240万円あればそりゃ苦しいわな。これをどうにかしてくれ、とか言ったって、まず、無理だろ。返せないだろ。自己破産しちゃって下さい、だろ、普通は。それか債権放棄してくれ、だろう。借金棒引き、無かった事にして下さい、って。よく大企業の再建策で、借金1千億円チャラ、とかあるでしょ。個人なら、そういう訳にはいかないけれど。国の借金も、適当にチャラにしてもらうしかないんじゃないのか、ってな具合です。


なので、確かに普通の返済プランをいくら考えても、元金1200兆円を返済していくというのは、まず無理だな。プライマリーバランスをゼロにするにしても、利払い費分だけ丸々収入増か、丸々支出削減だよ?今の国の歳出を半分近くまで落とせるか?命懸けで削減しても、財務省と他省庁が戦争なみに争っても、到底20兆円なんて削減出来ないだろう。それか、歳出を10兆円削減しながら、税収を14兆円増加させなければならない。今後歳出増大の見込みばかりだから、実質的には削減幅プラス増加分の合計額を削減するということになるので、もっと大変。特に医療費等の伸び率の大きい社会保障分を削るのは相当大変ですよ。

はっきり言って、日銀総裁とかの頭が良くて、賢く経済学についても精通している人に、「どうやって返済するんですか」って率直に聞いてみたい。

借金を返済することを考える前に、もっと別な政策を実行しない限り無理だ。例えば、「日本21世紀ビジョン」(参考記事:日本の将来像~人口減少社会(追記あり))が一部記述に盛り込んだ「インフレーション・ターゲティング政策」を実行してみる、とかですね。インフレ率を年率平均3%に設定するなら、だいたい25年後には借金の相対的価値が半分に減る。4%なら18年後くらいには半分に減る。借金のGDP比は自動的に半分に減ってくれるので、見かけ上はよくなる(笑)。マイルドに変化するように考えるならば、2~3%程度で3、40年かけて相対価値を半減させるしかないだろうと思う。


長くなってごめんなさい。一気に書かずに、中断しながら書き足してしまって・・・


「女王の教室」(第8回)

2005年08月21日 23時49分27秒 | 俺のそれ
いよいよ終局が迫ってきましたね。

昨日は、がり勉組(というか私立受験組)とそれ以外のクラスメートとの溝が埋まるかどうか、でした。前に、割れたガラスを片付けるように言われたカズミちゃんを、手伝うと言って立ち上がったクラスメートは全員ではなかった。秀才君たちやガリ子は座ったままだった。

今回はそうした勉強を頑張る人達が、自分の利益優先姿勢を乗り越えられるか、一緒に汗を流して共に何かを達成できるか、そういうことが問いかけられました。

同時に、問題を解決しようと思うならば、単に「~反対」とか言うだけでは前に進まず、逆にコミュニケーションを深め、双方が歩み寄ったり解決策を模索する姿勢こそ必要なのではないか、ということも示唆されていた。まさに今の「郵政改革」問題と一致しているかもしれない。


優等生君の決意が、クラスにまとまりをもたらし、遂にクラス内の仲たがいや非協力がなくなっていきました。進藤ヒカルちゃんも頑張りましたし、勉強があまり出来ないけれど絵が上手な「馬場ちゃん」も頑張りました。きっと、クラスの中で勉強も運動も得意ではないかもしれないが、でも何かの役に立てるんだ、そういう役割を誰しもそれぞれ持っているんだ、ということを示したかったのでしょう。現実世界でも、確かに勉強が出来るとは限らない人々はいますが、思いやりがあったり、職人気質で頑張るとか、器用であるとか、正直であるとか、色々な場面でその人の良さを活かす道はあると思います。それが、決して特異なことでもなく、そういう人々を尊重し敬意を払うことが出来るかどうか、そういう視点が持てるか、そんなことを感じました。


マヤ先生の謎はまだ明らかにされていませんが、あと数回で終わってしまうとしたら、さみしいです・・・。



選挙と政治2

2005年08月21日 13時16分46秒 | 社会全般
政策を競うという選挙であるならば、各政党の比較をして「統治ユニット」(=政権)の選別を行い、有権者がどの政権に誕生してほしいか、ということを選択するということになるのでしょうか。各議員はなぜ存在するのか考えてみると、ある党首と幹部達によって政策を考える(マニフェストを決定する)時に、党内でいくつか議論があるものの(例えば「郵政民営化」賛成か反対か)党首か幹部達(だいたいは執行部かな)が決定権を持って、それに完全に賛成した人間だけを集めて政党を構成することが条件となる。このような党首と考えの合わない人間は他の政党に属せよ、ということだ。同時に執行部は異なる考えの人間には公認しないという権限によって、自分達に「YES」しか言わない人間の集団を作り出すことができる。これは、立法上の手続きとして、既に法案を決定する過程が含まれてしまう危険性もある。


また例で考えてみましょう。
ある政党の公約に「人権擁護の為の法制定」「有害情報の法的規制」「インターネット業者への捜査当局の検閲権付与」とあるとしよう。他のメインの公約が「10兆円の大型減税実施」といったエサ的なものであるとするならば、うっかり有権者も上に書いたような公約を見逃してしまうということがあるかもしれない。この党が第一党となって過半数を占めてしまうと、党首と党幹部達で決めたこのような公約を立法化して行く時には、所属議員達の反対は許されない為、必ず法が作られてしまう。ということは、この選挙で議員になった人々は立法に対してはほぼ責任を負うことも無く、単に賛成票を投じるマシンの一部と変わりない、という可能性もある。選挙終了時点で法が作られることの保障を与えたことと同じであり、抱き合わせ販売というかセット販売の弊害みたいな部分が出てくる可能性はある。下手をすれば、「マニフェスト」至上主義的になってしまうかもしれない(=大多数の議員は誰でもいい、党幹部達の数人を作り出せれば)。


マスメディアは、各政党のマニフェストが出揃ったら、この検証作業をテレビ討論形式で党幹部達にやらせているが、実際には大きく間違えたことを言ったり、単なる各政党同士の非難合戦に終わってしまって、まるで意味をなさない。当事者同士に争わせたって単に罵倒合戦的で、観てる方は気分が盛り上がるかもしれないが、マニフェスト自体の検証には何の役にも立たない。


土曜日だったか、日テレ系の朝の番組に菅直人氏と竹中平蔵氏が直接対決という形で出演しておりましたが、菅氏は竹中氏がしゃべっている時にも必ず口出しして「それは違いますよ」「全然言ってることが違う」とかぐちぐち言い、一方の竹中氏も元経済学教授とは思えないような詭弁ぶりで、誠に残念だった。

郵政民営化については、民主党案は上限引き下げで「半分は民に金が流れる」であり、残りは「赤字だったら税金を入れればよい」といういい加減さで、且つ縮小スピードの早さと雇用の関係については何の説明も根拠も責任もない、というもので、竹中氏に突っ込まれたら菅氏は「じゃあ、自民党は職員を残してそれで効率化ができるんですか」と言ったが、これは民主党案が自民党案よりも優れてることの証明にはなっていない。竹中氏も「自民党は民営化するから、340兆円全部民間資金です。全部官から民へなんです」などという、とんでもないデマというか詭弁を弄して、国民を騙そうとした。確かに資産管理法人も郵貯銀行も民間になるから保管というか資金管理は民間所有となるが、その金の大部分は、実際には国債や財投債購入原資として使われ続ける訳で、川上から川下へ流れていく過程の行き先は「官」部分にかなりの額を流しこまなければならない、ということを言わなければならなかった。都合の悪いことを言わないようにするのは双方とも同じであり、こういうのをいくら国民に見せても正しい判断の基準にはなり得ない。もっときちんとした専門家などに数人依頼して、学術的検証結果などを正しいデータ等に基づいて提示する方がましだ。それが出来ないメディアというものにも失望を感じる。


民主党の公務員給与2割削減もある程度意味があるし、漫然と続けられてきた公務員制度の改革は必要だろう。だが、国家公務員は給与総額が少ない上に、天下り先の回収を止める方向性を考える方が重要で、官僚のコア部分をいくら削ってみたところで人件費はたかが知れてる。それよりも、財投先機関での人件費(これは多分10兆円程度の規模であろうと予想される)を先に何とかするべきだろう(それには国庫からの援助資金を漸減して将来的には無くすことだ)。大学や病院などの「公益性」の高いところから大ナタを振るって国から切り離し、官僚権益の強い「うやむや領域」だけ隠し続けるのもかなりオカシイぞ。地方公務員にしたって、まずは住民への情報開示を進めて、地域住民の協力を得られるものはそちらに移行させたり、民間人が出来ない部分を削ることなんて不可能なんだから、ただ客寄せ的に数値目標を掲げるのもどうかと思う。ある程度の根拠とか見通しを言うべきだ。


道路公団廃止については、談合などがなければ落札が現状の7割程度が妥当(適正?)価格であるから、少なくとも3割削減でき、これを財源とすれば通行料がなくても公団運営費程度が捻出できる、というのは説明として順当だ(道路公団問題は参院選の前に相当検討したので、議員自身で理解ができているからこのように根拠のある説明ができるのだろう。俄仕込みの安易な政策はボロが多いのできちんと説明が出来ないのだ)。このような基本的な理解を国民が出来るように、ある程度根拠を提示するべきである。竹中氏は、この発言を聞いて揚げ足取りをしていた。「公団がなければ道路補修は誰がやるんですか?国ですか、なら公務員でしょ。「小さな政府」に賛成だ、と言いながら、それなら官業でしょ。民じゃないでしょ」という見当ハズレな子供みたいなことを言っていた。元経済学教授であるなら、このような言葉尻を捉えて反論するのは明らかにオカシイ。「国がやる・担当する」=「大きな政府」じゃないのに、公団廃止=大きな政府だろ、っていうことがまるで違うのに、国民にワザと誤解を植え付けようとした根性が嫌だ。


社民・共産は主として「~~に反対」「~~を守る」というなら、現状が最も良い政治ってことだ。馬鹿だな、本当に。大企業や財界(笑、さすが勤労者の為の共産党)に負担を求める、というならば、どこの財源不足をどういう規模で賄うのか、法人税率をいくら上げていくらの負担増を求めるか、それによって企業収益に与える影響はどのような規模になるのか、その結果雇用者賃金に与える影響はどうなのか、GDP成長率の押し下げ要因としたらどのくらいのインパクトがあるのか、そういったことも考えておくべきだろう(GMショックみたいに従業員の医療費が企業業績の悪化要因ともなるのだから。結果的に大きなリストラ圧力となったぞ)。



多くの方々のコメントに感謝致します

2005年08月21日 13時12分45秒 | 経済関連
意外に多くの方々に関心を持って頂けて、驚いております。

こんなにコメント頂いたことも少ないので、誠に失礼と存じますが、この場をお借りしまして御礼とさせて頂きます。


今回のチャレンジでは、公認結果を見れば「女性候補」という所に重きがあったようで、やはり「見栄えのしない男」よりも「マドンナ候補」というイメージ戦略が重要視されたのではないかな、と思います。

それを上回れる魅力というものが、わたくしには無かったのだと思っています。


いっそ、国民新党からでも出てみようかな???笑
冗談です。

政治信条・理念を共有出来ないし・・・

ブログを続けられるのは、落選したからですので、良かったような悪かったような・・・微妙な心境です。


これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。


選挙と政治1

2005年08月20日 18時50分01秒 | 社会全般
今回、自分が候補者公募に実際に応募してみて、色々感じたことがあった。それは、私も「人の子」(笑)であり、普通の人間であるということである。心のどこかに弱さがある。テレビドラマ「女王の教室」に登場する「馬場ちゃん」と同じように、「リーダーにさせてもらえる」「先生と仲良くしたら、特典が得られる」といった、自己利益を優先してしまう可能性があるということである。そうした、自分の弱さがあった。それ故、いつもバッサリ切るのに、何となく切れ味が鈍ってしまい、迎合しようとする傾向となったかもしれない。

「ひょっとしたら、候補者に選ばれるかもしれない」と思えば、どうしたってそういう権力には靡いてしまいがちになるだろう。私の志の重さは、その程度であったということかもしれない。本当に政治を変えたい、自分にも何か出来ることはやっていきたい、と思っていたが、実際には自民党のマニフェストと自分の政策意見が完全に一致などしていない。これも、自分に都合が悪いから隠していた。郵政民営化には賛成だが、本当は、「年金一元化」を目指してる(これじゃ、民主党案だ)とか言えないと思ったし、医療費の機械的抑制策は許容できないと考えているし、「小さな政府」の解釈にも隔たりがある(郵政民営化に反対する議員の気持ちが少し理解できたような気もする)。でも、こういったことを達成しようと思えば、自分が独裁者にならない限り不可能である。私の考えに一致した政党も存在しない。ならば、「近いもの」「似てるもの」とか、「最も実現できる可能性のあるところ」という風に考えるしかないのである。自分の中にも矛盾を抱えたままになってしまう。政党とは、そういうものなのだろうと思う。


政治の仕組みを考える時、何かを変えようと思ったり、どうにかしようと考えるならば、こちら側と向こう側の大きな隔たりを飛び越えなければならない。それが実現出来ないなら、いくら叫んでも、ブログに書いても、やっぱり変わらないような気がしたからだ。向こう側とは、当然の如く政治中枢であり、政治家、高級官僚、有力財界人、権威的学界人等によって構成される。彼らが日本のルールを作るが、一般人よりも多少優れた人(例えば、適度な知識人・評論家・マスコミ人、大学教授達・・・・)がいくら何を言っても、多くはかき消されるか、知られないままか、無視される。それは「ルールを作る側」にいるか、いないかの大きな違いがあるからだ。向こう側に力を持たなければ、大して意味がない。


国民の声も、それと似ている。但し、本格的な怒りや反発が起これば、向こう側に影響を及ぼすことが出来る。投票権は、あることで多少の意味があるが、例えば地方選挙区で国会議員を選出したところで、その人が何か変えられるかというと、そうでもない。大体は変わらないことが多い。貧しい地域は、ずっと貧しい地域のままだし、道路が良くなって一時的に土建屋が潤ったりすることもあるが、長続きはしない。今までの政治のやり方は、ほんの極僅かな人間の利益を優先して、粗方決められてきた。そういう連中は、地元に何かの手土産を持って帰ることを期待され、日本全国、津々浦々で、国からの手土産獲得合戦に血道を上げ、自己利益の為に政治を利用しようとしたのだ。それは、国民もその片棒を担いだに違いない。それに気付けないその他の国民にも責任があるし、放置したことも同様である。そうした、自分達の利益に浴することばかり考えているから、そういう議員を次々と生み出してきたのだろうと思う。そして、そういう政治システムが作り上げられた。


今回の郵政解散は、こうした過去の清算には多少役立つと思うし、これからの日本の進むべき道を占う意味で非常に大切なことは確かである。国民の為になる政治・行政が求められるのは勿論だが、これがどういう形で実現されていくのかは、注意深さが必要である。単なるお祭り騒ぎで終わるのか、国民が思慮深くなれるのか、どのような要求を国民のエージェントとなる行政府の政治家や官僚達に求めていくのか、そこら辺が重要である。


政党規律を非常に厳格に保ち、それに賛成を義務付けて、その方針に従う候補者を適当に有名人から集め、人気投票みたいにするというのも、政治的方法としては決していいとは言えない。だが、公募候補も似たり寄ったりで、大して実績がないところは同じだ。世襲とかコネとかそういう議員ばかりも困るが、実績のない人達ばかりになったら、官僚達に騙される(笑)か丸め込まれるかで、行政分野で太刀打ちできないだろう。とてもじゃないが、国民の代わりに代表者として行政の監視をしたり、不正・不備を追及したり、政策要求をしたりは出来ないのではないか、との危惧もある。なので、やはりある程度のバランスが必要で、平凡な庶民の議員もいれば、タレント議員も少しいて(これも一種の職域代表?かもしれないですし)、世襲とか議員秘書とか官僚出身者といった政治・行政に強い人もいて、ということも必要なのだろう。自分が公募に応募したからと言って正当化する訳ではないが、自民も民主も公募制度によって、昔に比べれば政治家を身近なものにしたことは評価できると思う。


問題の候補者選びだが、何故衆議院と参議院があり、選挙区が細かく分かれているか、その意味合いについて考えた方がいいかもしれない。選挙区を移ったり、遠くに行くのを完全に否定する訳ではないが、敢えて「話題作り」だけでそういった手法をとるのは、如何なものか、とも思ったりする。これも自分が選から漏れたから言う訳ではないですが(笑)、地域の人々の気持ちの代弁者として相応しいかどうか、といった視点も必要であり、そこの人々とある程度気持ちを共有できる人が必要だろうと思う。例えて言えば、今まで一度も機械油や土で手を汚したこともないような「勝ち組」の人間が、泥水を飲むような思いで農業や酪農を営んでいる人々の気持ちを果たして共有できるのだろうか?


真に優秀な人々の集団である政治家が間違ったりしなければ、今の日本のような惨状はなかったはずである。みんな立派な学歴や経歴を持ち、頭も良く、色んなことを知っている人達が大半なのに、何故政治は多くの誤りを繰り返してきたのでしょう?東大卒だけ集めても、相当数いるだろう。これは官僚も同じ。個人で見れば、賢く、立派な学歴で、普通の人々よりもはるかに優秀だ。なのに、何故か組織となると、多くの間違いを犯し続ける。

結論的には、こういう賢いと思われた連中が実は馬鹿で、愚行の先導を続けたから、ということになる。もっと愚かで騙しやすい国民を、間違った方向へと進ませ、後戻り出来ない借金地獄の袋小路に追い込んだようなものだ。その荷車の両輪は、政治家と官僚だったのだ、多分。国民は愚かにも、荷車から零れ落ちるごく僅かな砂糖に釣られて(これはわざとそういう仕組みにされていたのさ、まんまと政治家や官僚達の策略に引っ掛かったのだ、笑)、まるでアリのようにその後を律儀にも付いて来てしまったのだ。そんなことが長年続けられてきたんだろうと思う。変革の必要性に気付くのが、エラク遅かったんだろう。バブル崩壊で経済・産業界はある程度の整理がつけられのだが、政界にはそれが15年遅れてきたという訳だ。

今は、袋小路に突き当たって、戻ろうにも余りに狭い袋小路の為、荷車自体が邪魔になって前後回転が出来ず、もう前を向いたまま壁を突き破って進むしかない、というような状況だ。国民は後ろからどんどんやってきて、荷車付近にいる連中が必死に後ろに向かって「戻れー、前に来るなー、バックしろー、退けー」と叫んでも、「えー、よく聞えなーい。前に進めばいいんでしょ?」とか言いながら、何も考えずどんどん前に詰めてしまった。この集団も詰まりすぎて身動きとれず、戻れない。そんな状況が目に浮かぶようです。


構造改革は、その正当性や方法論も含めて色んな意見があると思うし、それが全員一致することなどないと思うが、途中で政権に軌道修正をさせられる可能性があるのは、国民側からの圧力しかないだろうと思う。だって、今後は政党のマニフェストに同意署名したり、一切反対しないということを約束させられる為、今回のマニフェストが実質的に決定事項となりますからだ。国民が選ぶ時だって、郵政民営化賛成ということに同意できても、憲法改正には同意出来ないとか、組み合わせが色々で、何も自民党議員を選んだからといって民営化賛成かつイラク派遣賛成かつ憲法改正賛成、ということに信認したことを意味する訳ではない。でも、誰かの名前、或いは何処かの政党名を書かねばならないのですから、仮に民主党議員と民主党と書いてあったとしても、年金改革と道路公団廃止には賛成できるが、郵政改革と東アジア構想・国連軍には反対、という場合だって有り得るということです。なので、たとえ選挙で勝利した政党があったとしても、それは国民の同意の「総取り」を意味するものではない、ということですね。その公約の決定過程で、国民は重要な議題については、一件ごとに明確な意思表示が必要となるはずです。それを伝えるのは、メディアの役割です。


自民党公募体験談(爆)~その3

2005年08月20日 13時51分52秒 | 俺のそれ
それから、志望動機とか、家族の話とかを聞かれたりして、10分程度話したでしょうか。政治の話や政策などについては何も聞かれませんでした。「では、以上でよろしいですか・・・」とS議員が他の議員達に確認して、特に質問がなかったので「はい、結構です」と、退室となりました。

その後、再びもと来た階段を上がって5階の部屋で待機するということになりました。「こちらでお待ち下さい」と言われて、少し広い会議室でただひたすら待つことになったのです。1人ぽつんと。

持ってきた本や、来る途中で買った「東洋経済」も読んでしまい、暇を持て余しておりましたが、何度か人が入ってきて、「もう暫くお待ち下さい」とか、「お茶をどうぞ」とか言われて、缶に入ったお茶を4本くらい飲みきってしまいました。だいたい面接が終わってから、2時間半くらい待っていました。その後に、「もう一度来て下さい」と党職員が呼びに来て、再び4階の応接室に呼ばれました。


入っていくと、安倍代理とS議員が残っていましたが、武部幹事長はいませんでした。何処かへ行ったんだろうなー、と思いました。
S議員が切り出しました。「率直に言って、どのくらい票が取れそうですか?」
私は、自分が生まれ育った地域ですし、それなりに友人達はいることなどを告げました。地域の知人関係は、ある程度期待できることも話しましたが、「会社経営をしている友人とかはいませんか」と聞かれると、これはさすがに「いる」とは言えませんでした。だって、大きい会社はいませんよ、さすがに。5人以下の小さい人ならいますけれども(笑)。有力な後援者の存在が多分重要なのでしょう。

「そうですか、わかりました。今夜調整などがあり結論が出せないので、今晩泊まることは出来ないでしょうか」とS議員に聞かれたので、「あー、えっええ」とやや歯切れが悪く答えてしまいました。でも、決定の重要な分かれ道だと考えて、思い切って「泊まっても大丈夫です」と言い、仕事のことが「まいったな」と思いましたが、その後に休みの手配をすればなんとかなるだろう・・・。まさか、こんな事態になるとは、と想定の範囲外でした(笑)。S議員は党職員に向かって「宿の手配してあげて」と言い、東京に泊まることになりました。


5階の元の会議室に戻って、また「こちらでお待ち下さい」と言われました。小一時間程してから、「これから食事の用意をしますので。ホテルは手配いたしました。ホテルには後ほどご案内します」と親切でした。
それから30分くらいすると、うな重と缶のお茶を運んでくれました。私の時間は、このうな重に置き換わってしまったんだな、と思いました。味は普通でした。東京であっても、うな重は驚くほど美味しいということもなく、私の地元で食べる評判の店の方が格段に美味しいと思いました。それに柳川に行った時に2度食べた、セイロの方がうまいと思う。これは、何も関係ないんですけれども。


食べ終えてからも、またひたすら待機となり、翌日の仕事を休む連絡などをしたり、妻に電話すると、「そんなに休んで大丈夫なの?」とか、何処に泊まるのかとか、ニュースには何にも出なかったわよ、とか、色々話して、武部さんや安倍さんとかに会ったことを告げると、「写真一緒に撮ってもらえば」などという冗談を言われたりしました。生まれて初めての有名人との対面でしたから、それは私のような田舎者にとっては、大変な出来事に違いありませんでした。


大体8時半くらいだったかな・・・会議室で待機を続けましたが、党職員の方がやってきて、「今日はもうホテルに戻られて結構です」ということになりまして、ホテルまで案内してもらいました。警官は(別な警官でしょうが)、昼夜立っているんですね。ご苦労なことです。マスコミ中継車も、まだいましたね。ずーっと張り付いてる記者達も、特にネタがなければひたすら待機してなけりゃならないから、飽きるだろうな、と思いました。きっと、ネタが何か出た時に大騒ぎするのは、こうした耐えて待つ時間が長いことの反動なんではないか、とも思いました。昨日の「ホリエモン出馬」みたいな、トップネタが出るのをひたすら待つんですから。まさに、いま時風に言えば、「キタ―――」といった感じになってしまいやすい心理状況なのでしょう(笑)。


自民党本部の裏手にある全国町村会館というホテルでした。名前からして、きっと陳情団が地方からやって来たら、きっとここに泊まって、党本部や議員会館回りをしたり、都道府県東京事務所などに向かったりするんだろうな、と思いました。そういうホテルなんだろうな、と(客はえらく少なく、客室稼働率はかなり低そう。でも、官業っぽい運営だろうから(笑)、不採算・非効率でもきっといいのだろうと思います。党関係者とか地方からの陳情団には大切なホテルということなのだろうと思います)。そりゃそうだな、一般人が党本部や国会議事堂近くに部屋をとっても、観光や遊びに行くとかには不便なだけだもんね。

そういう訳で、会館に泊まりました。「翌日電話します」という党職員の指示に従うことになりました。朝までに結論が出るということなんだなー、と思いました。ニュース番組を見ると、その日にはムネオさんとこの新党結成が大きく報じられていて、ナルホド、これを避けて発表日を遅らせたのか、と思いました。また、ホリエモン出馬が決まっていなくて、恐らく最後は小泉さんとホリエモンの直接対談で決するという段取りだったのでしょう。ショーの準備を官邸でシナリオ書いているから、そういうことになったんだろうと思いました。ただ、私が候補者として選ばれるのかどうかは全く別の話題で、これは個人の資質等によって揉めてるんだろうな、と思いました。競合候補がきっといるのだろう、と。嫌な夜を迎えることになりました。

部屋の中は結構暑くて、室温が29度前後で、寝るときに空調を止めないと鼻や喉が痛くなるので、スイッチを切ってベッドに入ったのですが、暑苦しくて目が覚めました。室温は30度以上になっていました。でも、水を飲んで、我慢して寝ました。


翌朝(金曜日ですね)ホテルで指示あるまで待機して、党職員から10時半に昨日と同じ場所に来るように、との連絡を受けました。いよいよ結果が判るのかな、と思いました。党本部にいくと、門の入り口付近に党職員が待っていて、警備員に説明していたら迎えに来てくれました。昨日の5階の会議室で待つことになりました。

この日は待ち時間が結構短くて、20分かその位待っていたら、面接したS議員とK議員が入って来ました。早速要件が伝えられました。
「調整の結果、今回は見送らせてもらうということになりましたので」
「はい、判りました」
「折角遠くから来てもらったのですけれども・・・」
「いいえ、・・・」

あとは何某か少しお話して(議員さんですから、宣伝を忘れません)
「自民党の為に、ご協力宜しくお願いしますね」
「これから別な選挙でお願いすることもあるかもしれませんので、その時はどうぞ宜しくお願いしますね」

とか言われて、退室することになりました。党職員に案内されて、エレベーターに乗り込みました。
「どうも、お世話になりました。有難うございました」
言葉を残して、ドアが閉まりました。

党本部を出ると、テレビ中継車が既に待機しており、昨日と同じように暑い中を耐えているんだろうな、と思いました。また、出口を映すカメラが一台設置されていて、出入りする人間に注意しているんだな、と思いました。きっと、大きな発表がある、という事前情報があったのでしょう。

地下鉄駅に向かいながら、自分の挑戦が終わったな、と思いました。よくこんな所まで来れたけれど、残念でもありました。きっと自分には、議員には向かない何かの要因があったのだろう、とも思いました。カメラ映り?(笑)話し方?どういったことが決定的な要件であったかは判りません。ですが、こんなことなら、仕事を休んでまで残るべきではなかった、とも思いました。時計は11時過ぎ頃だったと思います。初めから、選ばれること自体が奇跡的なのですから、まあ、国会議事堂も自民党本部も総裁応接室も見ることが出来たし、武部さんや安倍さんにも会えたし、人生に二度とない体験が出来たのですから、こういうものかな・・・とか、思いました。自分の実力不足でしょう。


何故か一刻も早くその場を立ち去りたい心境に駆られました。それは、落選とは非常に恥ずかしい、という思いだったからなのか、非常に暑い環境から逃れたいという体の要求だったからなのか、よく判りません。きっと選挙に敗れた議員の心境も、こういうものなのだろうか、とも思いましたが、私はこれといって死に物狂いで頑張ったとか努力した訳でもありませんので、落選議員よりも落胆は少ないのかもしれません。


結果を聞いた後に、議員さん達が「次の機会に~」というのは、単なる決まり文句か「カラ手形」に過ぎないのだろうと思いました。次の機会なんて、果たしてやってくるのかと思えば、それは、きっと無理な話かなと思いました。


帰りの移動途中でホリエモン出馬のニュースを知りました。ああ、午前中まで自分がいた、あの党本部で大混乱だったんだ、と思うと、何だか可笑しくなりました。それから、残りの公認も発表されたということでした。これは、家に帰ってから知りました。



今朝の新聞発表を見ると、ひょっとすると私が選ばれたかもしれない選挙区に公認が出ていました。何だか釈然としない気分でした。私の実力不足なんだから仕方がないのですけれども。たとえ私を選んだとしても、何の話題にもなりませんし(笑)。でも、最後の最後で競合に負けたこと自体が非常に悔しい。それと、なぜ夜に引き止めたのだ?とも思いました。だったら、早くに結論を出してくれればよかったのに・・・どちらにしても、ホリエモン騒動でニュースは埋められたでしょうけれども。

という訳で、残念な結果(日本にとっては、その方が良かったんだよ、ボケ、という当然の非難も聞こえてきそうですが、笑)に終わったのですが、政治の現場を垣間見れただけでも良かったのかな、と思います。何たって、あの「総裁応接室」は、恐らく今までにも度々戦場の作戦司令部みたいな混乱した状態になることも多くあったことでしょう。額縁の中でじっと見つめる歴代総裁達も、様々な政治ドラマ、人間模様、闘争劇などを目の当たりにしてきたことでしょう。こうして、日本が動いていくんだな、と実感したような気がしました。


政治は難しいです。自分ではどうにも出来ない。どうなれば、何処が変えられるのか、何が出来るようになるのか、現実的な取り得る手段はどうでしょうか。それと、今回の選挙については、もう少し考えてみたいと思います。何たって、ホリエモン出馬ですからね。



自民党公募体験談(爆)~その2

2005年08月20日 01時53分54秒 | 俺のそれ
時間が近づいたので、いよいよ自民党本部に入っていくことにしました。門の前には警官と警備員がそれぞれ別に立っていて、行き先を尋ねられました。「今日、4時に来るように言われまして」「何処ですか?」と聞かれたりして、「公募で来ました」とか色々答えると、一階の受付に行くように言われました。中に入ると、テレビで時々見ることの出来るエレベーターホールがあって、そこから5階へ行くように言われました。上がると、人気のないガランとした感じの所でした。とりあえず、誰か人を見つけて何処に行けばよいのか聞いてみようと思いました。通りかかった人に声をかけようとしましたが、ダッシュで何処かへ行ってしまいました(その方は、後で判ったのですが議員さんでした)。次に廊下に現れたのは年配の女性の方で、時間まで待機する部屋に、とかそういうことを言われまして、案内された部屋で待つことになりました。そこは、実行本部長室(だったかな、そういうような名前だったと思います)で、割と広い小奇麗な部屋でした。大きな窓からは国会議事堂のてっぺんが見えました。ここに陣取る議員さんは誰なんだろう?などと思いながら、ひたすら待ちました。


途中で、飲み物を持って来てくれました。小さな缶のお茶で、すぐさま一本を飲んでしまいました。持ってきていた本をカバンから取り出して、読んでまっていました。党の職員の方が交通費です、とか、予定などについて簡単な説明をしに入ってきたりしましたが、待っている時間は非常に長く感じました。きっと、面接の議員さん達が忙しくて、時間が取れないからなのかな、とか思いました。事前に面接する議員の方々のお名前は伺っておりました。武部幹事長、安倍幹事長代理、二階議員、S参議員、K参議員の5名ということでした。テレビでしか観ることのない、武部・安倍両議員という有名人に会えるということで非常に嬉しく思っておりました。


その一方では、結構緊張していて、人生の中で最も緊張したと言えます。読んでいる本の中身が頭に入ってこないような感じでした。


40分くらい待ったでしょうか。党職員の方が呼びに来られて、「それでは、行きます。こちらへどうぞ」と言って、後について廊下を進み、階段を降りて行きました。いよいよ面接会場へと向かいました。「マスコミが待っていて、見つかりますから、裏から入ります」と職員の方が話しておりました。階段を降りた先には、多分SPの方と思われる耳にイヤホンのようなものをした男性が、部屋への入り口の前に立っていました8これを書くと、防犯上というか、警備上の問題がありそうで、ちょっと気が引けるのですが)。赤い絨毯が敷かれた階でした。ちらっと部屋の入り口の上にかかっている札を読むと、「総裁応接室」(だったと思いますが、ひょっとして間違いかも)となっていました。ドアが開けられて、内部の様子がとちょっとだけ見えました。歴代総裁の写真入りの額がずらっと並んでいて、大きな机が置いてあり、その机の前には更に高さの低い大きなテーブルがあって、そこには、面接をする議員さんが並んで座っておりました。幹事長や安倍幹事長代理も座っておりました。党職員の方が「では、入ります」と言って、内部に入るよう促されました。


私が座るイスが一つあって、テーブルの反対側には中央に武部幹事長、向かって右側に安倍幹事長代理、そのさらに右にS議員、武部さんの左隣は空席で、その左側にはK議員が座っておりました。因みに、その時にはK議員の名前は思い浮かびませんでした。でも、最初に5階の廊下ですれ違った人でした。そうか、議員さんだったのか、と思いました。

「失礼致します」とか言って、入りました。幹事長や安倍議員が「こんにちは」と声をかけてくれました。「こんにちは」と答え、イスに座るように言われました。で、座ると、S議員が「では、座ったままで結構ですので、自己紹介をお願いします」と言われました。簡単に自己紹介をしました。すると、武部幹事長が「この選挙区は非常に厳しいよ。落ちても何回も挑戦できる?」と聞かれ、「はい」と答えました。


武部幹事長は、勿論初めてお会いしたのですが、顔が大きく、エネルギッシュな感じで迫力はありました。「政治家」って感じで、気圧される感じがありました。安倍代理は幹事長の隣に座っていると、かなりスマートな感じで、顔の大きさが倍ほども(安倍代理の名前の駄洒落ではなく)違う印象でした。



自民党公募体験談(爆)~その1

2005年08月19日 20時32分04秒 | 俺のそれ
いやー、暑かった。死ぬほど。体が溶けるかと思うくらい。
田舎者の私は、人が多くて参りました。
今日は、「ほりえもん出馬」のニュースに多くの人々の関心があると思いますので、その隙に、こっそり告白してしまいます。

皆さん、いよいよコイツは狂ったか、と思われるでしょう。きっと、大笑いするでしょう。そして、冷ややかというか失笑の種にしかならないでしょう。でも、笑わないで下さいね。


本当に恥ずかしい話ですが、応募してみたんですよ。馬鹿だと思っているでしょ?そうなんです、大馬鹿者です。
妻にも、「死ぬから、止めて。馬鹿じゃないの?これから、どうするのよ。破産したらどうするの?」と、散々罵倒され、「止めて」と何度も念押しされました。でも、「東京に行く」と言って、旅立ったのでした。その顛末を、少しお話したいと思います。
人生でこんな経験が出来るなんて、滅多にないことです。それに、まさか本当に呼ばれるなんて思ってもみなかったですし(笑)。

ネットだけではなく、現実世界でも何か行動してみようと思い、ダメもとで一応出してみたのです・・・。

あれは、火曜日の夜11時20分ころに携帯に電話があったのですが、それは気付かず、翌朝携帯を見て、東京から2回電話がかけられたことが分りました。それで、「まさか、自民党から?」などと変な期待をしながら電話してみたら、「はい、自民党改革実行本部です」みたいな感じで、言われて、「あと1時間以内くらいに、こちらからお電話します」と言われました。

率直に驚きました。ええっー!うそ、まさか、自分が??という感じで。

それから、電話が来るまでの時間がとても長く感じられました。半分舞い上がってしまい、「審査に通ったってことなのかな・・・」などと、色々な想像をしながら、待ちましたよ。私にとっては、一大事ですから。

そして約40分後くらいに、「党改革実行本部のS参議員と申します。一次選考を通過されました。それで、ご意思の確認ですが、選ばれたら選挙に立候補するということでよろしいでしょうか」と唐突に訊かれました。ここでも、「うそ、マジかよ、本当なの??」と内心思いましたが、勢いで「はい、出ます」と言ってしまいました。すると、「それでは、明日4時に党本部まで来て頂けますか?」と訊かれ、「はい」とそこでも即答してしまいました。「えー、仕事どーしよ」と思ったのですけれども。でも、勢いで答えたのでした。「遠いですが、宜しくお願いします」と、議員だけに「お願い」は上手で(本当にそう思います)、こちらが拒否できないような感じの声なのかもしれません(笑)。

議員の後で、今度は党の職員の方から、来る時の簡単な説明をされて、「党本部がどこにあるか分りますか?」と聞かれて、「いいえ知りません」と答えたら、行き方を詳しく教えてくれました。永田町にあるんですね、当たり前なんですが。テレビで見てると、国会議事堂と自民党本部が近くにある、なんていうのは全く分りませんからね(笑)。私、マジで田舎者ですので。


急遽翌日仕事を休む段取りをして、バタバタと手配などをしました。そして、家に帰ってから、妻に切り出しました。
「絶対に笑わないでね。実はね・・・」と、応募した話をして、東京の自民党本部に呼ばれたことも説明しました。

すると、話を聞いた妻が、「そんなの本気にする方がどうかしてるのよ。仕事はどうするの?落ちるに決まってるでしょ」とか、色々反対されました。でも、自分が試してみたい、ということを話すと、最終的には諦めというか冷淡な笑いを浮かべながら、「じゃあ、行ってくれば。それで気が済むんでしょ?」ということで、納得してもらいました。でも、どこか半信半疑。きっと、私が選ばれる訳が無い、と思っていたんだろうと思います。だって、それまで家で政治の話とか、自分が候補者になりたい、とかそんなことを言ったこともないですし。単なる平凡な生活をしている人間でしたので。


一次選考の基準はどういうことなのか、全く分りません。ただ言えることは、私のように大した学歴でもなく、特別立派な経歴でもないのに、一応呼ばれるチャンスがある、ということです。全く何の政治的活動や実績がなくても、また、親が立派とかそういうことでなくとも、選ばれる可能性だけはある、ということです。きっと、候補者選びには、知られた名前とか、地方議員の2世とか、代議士秘書とか、そういう経験が何も無くとも、本当の「熱意」だけ(爆、私のようなショボクレもの程度でも)あれば、面接してもらえる可能性があるということです。案外公平なんだなー、と思いました。コネも名声も関係なく、誰でもチャンスがあるのです。


そして、いよいよ出発の朝、木曜日です。夏物のスーツは結婚前に妻が買ってプレゼントしてくれたものが一着だけで、それを着ていくとにしました。悩んだのは、ネクタイ。して行くと、抵抗勢力みたいだし、クールビススタイルで外すと、貧相で締りが無いし、「なめてるのか」とか思われるんじゃないかな、とか。考えた挙句、ネクタイをすることにしました。日帰りだし、着替えなどは持たずに、大した荷物もなく、本とか筆記用具とかカギくらいです。昔使っていた、革のブリーフケースだけ持って行きました。

それと、今は夏休みシーズンなので、交通機関はとても混んでいて辛かった。移動は、人が多いとキツイです。苦手かな、やっぱり。


東京には予定より2時間ほど早く到着しました。だって、よく知らない場所を行くのですから、余裕を持って行った方がいいかな、と。


そこで、ちょっと東京見物をしてから行こう、と考えました。以前皇居と警視庁は見たことがあったので、今回は国会議事堂を見てみよう、と。JR有楽町の駅に着き、地下鉄に乗らずにそこから歩いてみよう、と思ったのですが、これが非常にまずかった。


死ぬほど暑かった。予想以上に。甘く考えていましたよ、東京の暑さを。有楽町から皇居に沿った大きな道路を歩くのですが、どっちに向かっているのか分らないまま、トボトボと進んでいくのですけれども、3分もしないうちに汗が出てきて、止めとけば良かった、と後悔しました。蒸し暑い、日差しがキツイ、地獄でした。でも、大きなビルばかりで、中に入ることも出来ないですし、丸の内のビル街を歩いて行きました。すると、東京駅に着いてしまい、大きく方向が間違ってしまったことが分りました(爆)。私は、はっきり言って方向音痴です。そして、迷子になり易いです。


でも、地下に入ってようやく少し生き返りました。暑さが凌げるし。仕方がないので、途中の本屋で「東洋経済」8/20号を買って、地下鉄に乗ることにしました。「霞ヶ関」とか「国会議事堂」という駅があり、ここが日本の中心なんだー、きっと官僚諸氏もこういう地下鉄に乗っているんだろうな、などと考えたりしました。霞ヶ関駅では、やはり「公務員顔」をした男性がぞろぞろと乗ってきましたよ(笑)。みんなクールビズスタイルだった。白シャツ姿で、みんな結構似ていた。何となく「なるほど」と思いました。


そして、次が国会議事堂駅です。

地下鉄を降りて、地上へと向かいました。制服姿の警官があちこちに立っていて、びっくりしました。こんなに警備が厳重なんだなー、って。

地上に着くと、再び熱風が顔に吹きつけられました。立っていた2人組の警察官に、「永田町は、どちらの方向ですか?」と尋ねると、「向こうのほうです」と指差して教えてくれました。

そちらの方角へ歩いて行くと、議事堂の裏側を進んで行ってしまいました。テレビで見る、国会議事堂のてっぺんの形をしていました。それから、首相官邸や議員会館とかが並んでいて、なるほどなー、とひたすら感心しました。議事堂の裏側には、見学申し込みの入り口とか、議員の入り口とかがあって、警察官が立っていました。遠くには、自民党本部のテレビで見る看板が見えました。

国会議事堂の正面側を是非見てみようと思い、議事堂の周りをひたすら歩きました。また灼熱地獄を味わうことになりました。歩道でひたすら立っているしかない、途中で出会った若い警察官の1人が、微笑みかけて「コンニチハ」と言ったので、全く知らない人だったが(当たり前ですが)、私もにこやかに「コンニチハ」と返しました。次に出会った警官は、歩道にある送風口のような鉄格子状になった板の上に立って、涼んでいた。「ズルイぞ、この野郎」と思い、私も一緒に立たせて欲しかったが、我慢しました。

そこを通り過ぎてしばらく行くと、いよいよ正面の門の辺りが見えてきました。門の周りには警官が数人立っているのが遠くから見え、彼らに何事か尋ねている一般人がいました。やっぱり、私のように道が分らない人達が来るんだよ、などと共感を覚えつつ進んで行きました。きっと反対側から来ると、こんなに遠回りしなくても済んだのだろうと、思いました。素直に、「国会議事堂の正面はどちらですか」と警官に聞けばよかった・・・。

これもテレビで見る通りでした。疲れたけれど、また来た道を戻ることにしました。国会図書館とか、こんな風になっているんだなー、とか、社民党の本部はあそこかー、とか色々見学できました。この界隈で、政治が動いたり、色んなドラマが繰り広げられたりするんだろうなーって思いました。ただ感心するだけでした。


戻る途中で、さっき出会った、送風口の鉄格子の上に立っていた警官は、今度は日陰側へと移動していたので、私が今度はその上に乗ってみると、下からもの凄い勢いで風が上がって来て、やっぱ、涼しいんじゃんか、と思いました。それから、「コンニチハ」と言ってくれた警官は、今度は怪訝そうな顔をして、怪しそうに見ていました。何か彼には思い違いがあったのでしょう、多分。誰かと私を見間違えたのでしょうか(笑)。暑くて死にそうになりながら、自民党本部入り口を目指しました。付近には、テレビ局の中継車や黒塗りの車などが路肩に停車しており、こうやって張り付いているんだなー、などと思いながら、何処かに入れる涼しい場所を目指しました。党本部の門の前を通り過ぎると、ローソンやマクドナルドがあって、マクドナルドに向かって歩きました。きっとあそこなら涼しいだろう、と。


へとへとになりながら店内に入ると、店員は外国人でした。見かけはフィリピン人風でしたが、日本語は上手でした。にこやかに「ご注文はお決まりですか」と聞かれたので、アイスコーヒーを注文し、汗まみれになった背広を乾かせる場所を探す為、二階へと上がって行きました。やっとの思いで座り、アイスコーヒーを飲みながら、買った「東洋経済」の記事を読みながら、汗が引くのを待ちました。東京の中をあちこち見るのは、夏は厳しいということがよく分りました。そういえば、田中秀臣先生が書いた文章が何処かに載っているはずだな、と思いながら読み進んでいきましたが、中々発見できず。違う号だったかな、などと思っていたら、書評にありました。ブログ記事で読んだ時と、雑誌で読んだ時には分量が増えたような錯覚とか、内容が多少変わったかのような錯覚がありましたが、多分同じなんだろうな、とも思いました。時計は3時過ぎで、まだ間がありましたので、ひたすら涼んでおりました。

テレビ局の車で待機している人達とか、きっと地獄だろうな、とか思いました。張り付いているのは、単なる「暑さ我慢比べ大会」出場者みたいなもんですね(笑)。こういうお仕事も大変だろうな、と思いました。


(続く)


東京に行くことに・・・

2005年08月18日 00時19分21秒 | 俺のそれ
とある用事で急遽行くことになりました。暑いのでしょうね、きっと。それと、迷子になりそうです。目的地まで辿り着けそうに無い場合には、お尋ねしようと思っております。その時には宜しくお願い致します(笑)。


ところで、遂にワタヌキ氏や亀さん兄弟が新党を結成したようです。いよいよ派閥解体が進みました。
このような事態は想定していなかったでしょうね。
平沼氏が外れたというのも、色々な意味があるでしょうね。

人間の行動というのは、やっぱり難しいです。



荒井議員の反対論に反論する

2005年08月17日 04時05分36秒 | 社会全般
「だちょう」さんのブログで知った(選挙戦へのつぶやき3)のですが、民営化反対派の荒井議員が語っていた反対論について述べたいと思います。

論点としては大きく分けると2つで、民営化そのものの問題、4つの事業会社分割の問題ということであった。これについてそれぞれ考えてみたい。既に書いたことが殆どですけれども。


1)民営と官営の問題

「市場の失敗」があるので、民営化は有利とは言えない、という主張であると思いますが、これは当然そうでしょう。ただ、民間会社には全く失敗がない、ということがないのと同じように、官営が全く失敗がないということもないですね。民間会社の失敗例として、JR西日本の事故やエンロン事件を挙げており、確かに運営主体の会社そのものに多くの責任があったと言えますが、一方ではそれを監督する省庁の法令や制度(規制・指導等でしょうか)の問題でもあります。予め事態を想定したり、監督強化を必要とする部分については必要な手当てを考えるのが行政の役割でもあるので、そうした監督指導を行ってこなかった責任は存在すると思われます。また、行政が失敗の責任をとることというのは殆どなく、エンロン事件のように厳しい処罰を受けることはあっても、日本の省庁の人間が何か責任をとらされたことは何かあったでしょうか。

こうした事例をもって、民営化の決定的な否定根拠とはなり得ないと思います。言えることは、「民間会社は失敗が有り得る」ということだけで、それをもって官営が有利という結論にはならないと思います。

2)事業会社の4分割

荒井議員が盛んに主張していたのは、「約7割程度の郵便局は郵便・郵貯・簡保(収益比率は2:6:2と示してました)の3事業を1人が行っているから4つに分けるのは間違いで、収入の大半を占める郵貯と簡保をなくすのはおかしい」ということ。これもいくつか分けて考えましょう。それと、局の設置については、郵便局の収益状況の平均だけを見てもダメでしょうね。地域、或いは局ごとに判断が必要です。


まず、郵便事業だが、全国の約9割が赤字(郵政民営化の考察7)ですね。これは事業の構造上予想されることです。ただ、漫然と赤字でいいか、というとそうではなくて、効率化を図り出来るだけ赤字幅を減らす必要がある。そうであれば、例えば過疎地で民家も散在しているところであれば局舎を無くして、例えば移動郵便局として郵便配達業務とそれ以外の業務(貯金を下ろす、買い物・通販品を一緒に配達する、保険業務・・・他色々)を行っていく、といったことも考えていく必要があるということです。このような場合には、窓口会社が請負うことになりますから手数料収入も当然入ってきます。こういう効率化が必要でしょう、ということです(高齢者なら、家に来てもらえる方がよっぽど親切だと思いますが。苦労して遠路はるばる郵便局に出かけていくより)。他に競合会社が存在しなければ、当然住民の殆どは利用するので、こういう地域の郵便局が消滅することなどないでしょう。何たって、独占的地域なんですから。


民営化では、地方都市や大都市圏とかその近隣地域などで、利用客が非常に少ない郵便局はなくなる可能性が有り得ます、ということを言っているのです。何故なら、他の銀行、保険や宅配等をその地域の人が利用してしまい、郵便局そのものを必要としていないからでしょう。もしも、住民が「無くなったら困る」という重要な局は、多くの人が利用するはずです。ところが、需要が無いというのは、「あってもなくてもそれほど困らない」ということの裏返しなのではありませんか、ということです。ならば、民営化後に整理統合されるかもしれないですね、それは民営化会社が判断して下さい、ということになるでしょう。ゆうぱっく取扱のコンビニはかなり増えてますし(笑)。郵貯が銀行になってしまえば、ATMもコンビニで済んでしまいますね。


郵便局の設置は、昔の―仮に50年前の水準に戻してもいいのではありませんか、役割を終えた局は整理してもいいのではありませんか、ということです。50年前の日本には今ほど郵便局は存在しなかったはずです。人口が減少していきかつての時代に戻ろうとしているのなら、それに合わせて段階的に50年前程度の郵便局数に戻すことがそれほど理不尽なことなのでしょうか。独占的地域は当然残すのですから、それ以外の地域で需要があまりなければ、例えば今まで4人配置だった郵便局を2人配置にしてあとはATMがあれば事足りるのではないですか、そういうことを民営化会社に判断してもらう、ということですね。


また、保険業務は「簡易保険」と全く同じ商品設計、制度があれば、運営主体が民間会社か官営会社かは利用者に大きな違いは存在しないのではないでしょうか。保険会社窓口が家のそばに存在しないからといって、例えばアリコの保険契約者が激減したりしてますか、ということです。ところが、郵政には保険外務の人員を無駄に置いていることもあるかもしれない。そうなれば、そういう非効率は改める必要が出るでしょう、ということなのです。


これらを急激に行えば、当然リストラの嵐です。しかし、完全民営化までの時間の中で、経営努力をして収益基盤の強化が図れるならば、存続局も増やせるかもしれないし、別なビジネスモデルも出てくるかもしれない。早期退職奨励や自然減である程度の職員数削減は図れます。団塊世代が退職していけば、当然相当数の高給取りの頭数が減るわけで、そういうことでマイルドに縮小しましょう、ということですね。民主党案のように急激な改革を行えば縮小効果は出るでしょうが、弊害の方があまりに大きくなり過ぎて、一般国民には受け入れがたい状況となるでしょう。NTTだって、相当数の人員削減を行いましたが、国鉄ほどの修羅場とはなりませんでした。国鉄の雇用問題は裁判も長期化し、労組との争いは双方に大きな傷跡を残しました。あのような事態を避ける意味でも、郵政民営化は必要だと思います。放置すれば、準備期間が短くなるだけで、問題解決には繋がらないでしょう。


ちょっとはずれますが、固定電話の不採算地域の維持の為に、各事業会社に総務省が資金拠出を求める、ということが先日報じられていました。このような行政の措置によっても、不採算地域のユニバーサルサービスを維持することは可能であろうかと思います。参入企業への一定の規制(という言葉が適切なのか判りませんが)というか、制度上の義務を設けることで国民が受けるサービスの大きな偏りを防ぐこともできるということなのだろうと思います。



しばしの休息・・・でした

2005年08月16日 22時30分11秒 | 俺のそれ
お寺参りなど(笑)色々ありましてブログの方は滞っておりましたが、ネット環境に復活しました。皆様から頂戴したコメントなどは全て読ませて頂きましたが、大変遅れてお返事も何だか申し訳ないと思いますので、この度は特に書き込みをしないことに致します。失礼とは存じますが、ご容赦下さいませ。


お盆なのでお寺に行くと、私より若い家族は少なく、多くがお年寄りでした。お寺は、きっと地域コミュニティの一部だったのだろうと感じましたが、今の時代にはそうした感覚は減ってきているのかもしれない、と思いました。


昔には、お寺とか今話題の郵便局などは、そうしたコミュニティの中核だったのだろうと思いますが、そういう人間関係が消失した都市に多くの人々が普段集まっているということで、何の集団にも所属できない人々や、誰からも評価されない人々を生み出しているのかもしれません。そんなことをふと感じました。


学校の成績がそれ程よくなくても、屈強な肉体の持ち主がお祭りで中心人物になれるとか、お寺行事の(例えば境内掃除とか、・・・etc、あんまり思いつきません、ごめんなさい。私も殆ど参加したことないので)実働部隊として重宝されるとか、そういう面があっただろうし、地域のお年寄りが多数集合するので、若い連中や子供たちは普段よりもたくさん褒められたりして(或いは、年長者に教えられたりして)、自分の存在を肯定的に捉える機会があったのかもしれない。


年寄りが集まれば、下らない噂話やどうでもよい世間話や地域の人間ドラマ(何とかさん家の嫁さんと姑さんがどうしただの、東京に行った息子はどうなっただの、・・・まあ色々かな?)などを聞かされたりして、「ふーん」「しょうがないな」などと子供ながらに知恵をつけたり、異世代とのコミュニケーションを知る(学ぶのとは違うのかもしれないけれど)ことが出来たりしたのかもしれない、とか思う。


現代を生きる時に、誰かに頼るとか気を抜くとか他人の知恵を活かすとか、そういうことが特に都市生活では出来にくくなってきているんじゃないのかな、なんて思ったりもした。それ故、自分に全てを背負い、辛くなりすぎれば逃避したり、ストレスとして強く働いたり、うまくいかなければ精神的な病となるとか、引きこもったりとか、そういう方向に進んでしまったりするんだろうな、と。何処かに或いは誰かに救いの手が残されていれば、解決のきっかけとか糸口が見つけられるのだろうけれども、周りに多数の人々が存在しているのに、誰とも繋がってなくて何にも自分の所属(同じ寺の組織、町内会、商店会等かな)が見つけられないと、自分の存在が実感できないとか肯定的に考えられないということになってしまうのかもしれない。

案外、お盆のお寺参りというのは、感傷的になりやすい場所だったのかもしれません(笑)。


女王の教室(第7回)

2005年08月14日 09時30分29秒 | 俺のそれ
この回以降は、アクツマヤの謎に迫るというか、今までの解説・謎解き編という意味合いでしょうか。

エリカちゃんがマヤのスパイとして行動し、自分の利益優先で裏切りを続けることが暴かれる。これもマヤの用意した罠というか、エリカちゃんへのハードルであった。人間の信頼関係が崩れる時には、本当に一瞬である。心の弱さは他人に利用される下地となり、真実を話し謝罪するチャンスが何度もあったのに、それが出来ずに罪を重ねてしまう。まるで、省庁や役所の裏金とおんなじ。人間の性なのだろう。役人達の多くは、きっとエリカちゃんと同じなんだろうな、と思う。


こんなことを言っては失礼かもしれないけれど、筋が簡単に進んでしまうと、我が家では「ちょっとツマラナイ」という声がしきり。

エリカちゃんの事件で、遂にクラス全員がまとまりを見せました。これも、何だか簡単に解決してしまったので、安易な感じもした。でも、マヤが皆に求めていたこと、クラス全員のそれまでの愚ろかな行動、そういったところにやっと気付けたことは良かったのだと思う。


ちょっと心配なのは、批判が多すぎて短縮されたりしたんじゃないのかな、とか。あっさり打ち切られたりしたら、残念。

でも、昨日の展開みたいな感じで進んでしまうなら、やや物足りないかな・・・