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B型肝炎訴訟最高裁判決について~精度に疑問あり(一部修正)

2007年10月21日 23時59分34秒 | 法関係
先日に書くと言っていた宿題でしたけれども、別な論点にかまけていて伸びてしまいました。

以前に司法の品質はどうなっているか、ということを暫く書いていたことがありましたが、再びそのことを思い起しました。医療においては、その安全性についてどこまでの水準で達成されなければならないか、ということであります。司法の世界では、「通常人」なる設定がありますよね。要するに、普通のレベルの人が考えられる程度でよい、ということであります。そういう水準で判断してみた時に、過失があったかなかったか、というようなことが医療以外の中では争われているのであろうと思います。以前の記事で争点になった、司法の判断は9割が一致しているか否か、みたいな話もありましたけれども、司法判断というのは、要するに「安全性が9割くらいあればいい」ということなのでしょうか。残り1割は間違っちゃうかもしれんけど、それは誤差みたいなものだからしょうがない、許してくれ、ということなんでしょうか?

医療においては、必ずしもそうでもないんですよ。医薬品の安全性について見ると、1%の世界であっても許容されない、ってことなんですよ。100万人が投与を受け、1%にadverse event が発生しようものなら、大変な問題となってしまいます。昨年騒がれたタミフル問題なんかについても同様ですよね。あれはもっと低い水準での話で、1000万人とかのオーダーで投与数があるうちの数十人~数百人という世界ですから、コンマ以下ゼロがいくつも並ぶ数字なのですよ。「大体9割で問題がなければいい」などというレベルの話ではないんですよ。司法は、果たしてそういう品質なんでしょうか?そもそも、司法では「大体9割」という大甘の水準すら達成されてもいない世界なのに、医療には1%以下の水準の達成を求めるのですね。まあ、裁判所がそれを求めるのはいいと思いますよ。であれば、裁判も同様にその水準を達成してくれなければ、専門で裁判所がやっている意味はないように思えますね。

取り上げる判決文はこちら。いつもの判例Watchさん経由。

平成16年(受)672号損害賠償請求事件


問題点について考えるのは後にして、最高裁判決だけに色々と評釈みたいなものがあったようです。ネット上で探せたのはこちらだけでした。

>名大准教授 仮屋篤子先生の評釈
集団予防接種によるB型肝炎ウイルス感染


判決文の概要についても出ておりますし、要点はこれで大体判るかと思います。参考文献等他の評釈として、青野博之、竹野下喜彦、奥泉尚洋、渡邊将史、田中宏治各氏のものが挙げられておりました。なるほど、と思いますけれども、日本全国の法曹関係者たちの中で本判決について、疑義を唱えた方々というのはどれほどおられたのか知りたいところです。裁判において推論の仕方がおかしいのではないか、という疑義を生じないとすれば、日本の司法界のレベルはそういうものなのであろうな、と考えるよりないと思われます。


本件での問題というのは、集団予防接種における感染可能性について検討するものであり(除斥期間問題は法学的な話なので、措いておきます)、その責任を行政が負うかどうかということでした。

判決にもある通り、
・注射針や注射筒を1人ごとで交換すべきであったか=yes
・集団接種時に感染可能性は考えられたか=yes
には同意できるものです。
しかし、「感染ルートの推定」ということに関して、司法が本当に「合理的推定」ということができているのかと問われれば、疑問が残されるし大問題であると考えています。因果関係を立証するものなのであるから、原則としては原告側にその立証責任があるものでしょう。しかし、専門的知識に乏しい原告側が全ての立証を負うのが困難だとして、原告側が集団予防接種時点において「感染可能性はあった」ということを主張できればよいとしましょう。その場合においても、被告側が原告に求めることができるのは、Aがあったのではありませんか、Bを行ったのではありませんか、といった反論を認め、その可能性が否定的であるということが十分な信頼性をもっていなければならないでありましょう。それは被告側にはできるものではないのです。「高度の蓋然性」ということを基本とするのであるから、推論そのものが合理的に組み立てられていなければならないはずだろう、ということです。


とりあえず、この前の記事に書いたHIV感染を例にして考えてみましょう。

感染ルートの要因を次のように区分します。

要因1:異性間性交渉
要因2:同性間性交渉
要因3:薬物濫用
要因4:母子感染
要因5:多要因(輸血等複数要因が判明)
要因6:不明

ここで、集団予防接種が要因5であるとして、「私が感染したのは予防接種を受けたからだ」という主張をするということを考えてみましょう。原告側主張が事実であることを示すには、予防接種のような「注射において複数人の使用で感染例が確認された」ということを提示できれば感染可能性を主張できます。それが事実であるということは、文献等で確認できますね。なので、この主張はウソではありません。しかし、本当にHIV感染成立が予防接種によるものであった、ということが本当に推認できるのでしょうか、というのが問題なのです。

たとえば、被告側からは要因1、要因2や3を立証することができません。原告側がこれらのうち、どれかの事実を隠しているとしても、それを被告側からは知ることができません。この立証を被告側が負わされるとすれば、多分誰にもできないでしょう。なので、他の要因を否定できうるだけの根拠の提示を各要因について原告側が言わないと、他要因が否定できていないにも関わらず「原因は要因5であった」ということが通用してしまうことになってしまいます。

実人数から各要因の割合(男性のみ)を示すと次のようになっています。
要因1 26.7%
要因2 61.6%
要因3 0.3%
要因4 0.2%
要因5 1.7%
要因6 9.4%

ここで、原告は要因2を否定できたとしましょう。それでも「要因5が原因だ」と主張できるでしょうか、ということです。最高裁判決に習えば、他の要因は「一般論に過ぎない」と簡単に片付けてしまうのでしょうけど。普通に考えれば、要因6の不明なものが10%近くあるのに、それを疑うよりも要因5が原因だ、と頑強に主張できそれが高度の蓋然性を持つとの判断に至る理由というものは一体何なのでしょうか?普通の人ならば、こうは考えないはずですよね?要因5を疑えるかもしれないけれど、要因2を否定したとしても残りの1、3、4、6は残されており、これが合計で36.7%なのです。要因5が1.7%ですから、どちらを感染源の可能性としてより疑わしいと考えますか、ということなんですよ。20倍以上多い要因の方を否定して、「要因5が原因である」と主張するんでしょうか?違いますよね。除外可能な要因を取り除いても、「否定できない要因」が残されるのであれば因果関係の特定には至らず、もし責任を認めるとしてもせいぜいが「按分」ではないでしょうか。


あくまで仮定に過ぎないHIV感染の場合を考えても本判決の疑義にはならないので、本件について見てみることにします。
判決において、B型肝炎の感染源として最も疑わしいと考えられるのは集団予防接種であること、他の要因というのが一般的、抽象的なものにすぎないこと、を合理的推定によって結論付けたものと思われる。けれども判決における推論は、本当に合理的なのであろうか?感染リスクについて、「判っていなもの」について高度な蓋然性が本当に達成でき得るものなのでしょうか?

感染リスクを考える時、例えば血液1mlと100mlの血管内投与であると、後者は前者よりも危険性は高いだろう。まず曝露される量的要因があるはずである。これは輸血と針刺し事故だと、どちらがより危険性が高いか、という問題を考える上で役立つだろう。同じように、血液100mlと静注用フィブリノゲン100mlではどちらが危険性が高いか、というような比較が行われなければならないのである(答えを知らないが普通に考えると血液の方が感染危険性は高いであろう、と思う)。

裁判官たちの他の要因は「一般的、抽象的なものにすぎない」と断定できる理由を聞かせてもらいたい。評釈している方々でも、他の法曹でもいいので、どうしてこういう発想に誰も疑問を感じないのかが知りたい。医療従事者とか薬品開発者とかは、重箱の隅をつつくような、僅か0.0…%という発生リスクのもので、日々苦しんだり努力しているのですよ。これをいかに小さくしていくかという努力を重ねてきているのですよ。何の努力もなしに、感染リスクが小さくなんてなっていかないのですよ。そうした努力の結晶を、「一般的、抽象的」と片付けられる精神を問題としたいし、無知からなる推定にも関わらず蓋然性が高いなどと言い、それが法学の世界では認められているということを疑問に思うのですよ。


かつて日本では輸血用血液は売血であった。60年代くらいまではそうだったらしい。当時、手術件数や輸血件数はかなり少なかったであろう。現代に近づくにつれて医療技術は高度化し、それに伴い手術や輸血は増加してきたであろう。60年代くらいでは、輸血症例の約半数以上が肝炎症状を発症していた。これらは売血した人々から得られた血液である。ならば、売血していた人々の肝炎ウイルスはどのように感染したのか?みんなが血液製剤を投与されていたか?みんなが手術を受けたり輸血されていたのか?違うでしょうよ。何かの感染源があったんですよ。輸血は「半分以上が肝炎になる」ということであっても、やるしかなかったのですよ。
当時の要因で考えてみると、
・売血者は大体貧困者=低栄養低免疫力=易感染
・売血者は薬物濫用者が多かった?
・ヒロポン?だの薬物濫用は汚染された注射器などを使用?
・採血する医療器具類がウイルスに汚染されていた?
みたいなことがあったのかもしれない。なので、売血者のウイルス保有の可能性は高かったのかもしれないが、誰かがウイルスを保有してない限り感染が拡散していくことはないのですよ。

でも売血がなくなり献血になってからは、輸血後肝炎発生率が低下した。かつての半分以上から、70年頃では約17%くらいになった。
72年からはB型肝炎ウイルスの電気泳動によるスクリーニングが導入され、輸血後肝炎は約14%に低下、78年には血球凝集法に変更され精度は向上し、86年頃では約8.6%になった。この頃でもC型肝炎検査はできなかったのですよ。だから、術後肝炎は今の水準から見ればずっと多く発生していたのですよ。血液製剤で集団感染が問題となった頃でも、輸血後には8%以上の感染があったんですよ。この状況下で感染源を「血液製剤だ」と確定できますか?できんのですよ。この時期からHIVスクリーニングも導入されたのです。更に89年にはHCVのスクリーニングが導入され(第一世代G1)、輸血後肝炎発症は劇的に低下し2.1%まで下がった。92年にはG2のHCV検査に切り替えられ1%を切る水準にまでようやくこぎ着けたのです。90年代後半にはNAT導入となり、ウインドウ期間(感染していても抗体が顕れてこない潜伏みたいな期間)の対策が講じられるようになった。スクリーニングをくぐり抜けた血液約1149万本中、確認されたウイルスはHBVで200本、HCVで40本、HIVで4本だった。%で言うとゼロばかり多くなるので、10万本中で言うと、順に17.41本、3.57本、0.35本、ということだ。優れたスクリーニング検査を実施していても、すり抜けるものがあるのであり、完璧な検査方法など未だ存在していない。こういう滅多に起こらないかもしれないことを「無くそう」と努力しているのです。


判決文中にはこう述べられていた。
『本件集団予防接種等のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず,他の原因による感染の可能性は,一般的,抽象的なものにすぎないこと(原告X らの家族の中には,過去にB型肝炎ウイルスに感染した3者が存在するけれども,家族から感染した可能性が高いことを示す具体的な事実の存在はうかがわれない。)などを総合すると,原告X らは,本件集団予防接種等3における注射器の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染した蓋然性が高い』

仮に、B型肝炎の感染源について要因を挙げてみる。
①輸血
②手術
③透析
④母子感染
⑤家族間接触
⑥性交渉
⑦薬物使用
⑧不明
⑨集団予防接種
これら要因について、どの程度の否定ができたのであろうか?一般的には少ない、滅多にない、と言っても、それが「どの程度なのか」というのは比較の問題なのであって、HIV感染で見たように薬物濫用や母子感染が少ないとしても0.5%はあり、多要因1.7%との比較では「不明例9.4%」との開きの方が圧倒的に大きい、ということも十分考慮されるのではないかと思えるが。


厚生労働省:健康:結核・感染症に関する情報

こちらの記事によれば、母親がHbe抗体陽性者であると、約10~15%でHBV感染が起こるがキャリア化は稀となっていますけれども、ないわけでもないようです。

本件において、家族の抗体陽性者と推測されるのは次の通り。
X1:父、妻、子
X2:父、妹、弟
X3:父、母
X4:父、母、弟
X8:なし

キャリアまたは肝炎発症者
X3:弟
X8:母

これら家族はどのように感染したのでありましょうか?ウイルスに曝露されているからこそ、抗体ができているわけで、これは体内にウイルスの侵入があったことを意味するものと思います。つまり家族は、感染機会があった可能性があるかもしれ
ません(勿論全く別の感染源かもしれませんが)。

X3とX4の母親は抗体陽性と思われますが、出産時HBe抗体陽性(=持続感染者ではない)であっても、子どもに感染する可能性が10%超程度はあるのですし、キャリアとなっていなかったことがどうやって推定できるのでしょうか?その可能性が極めて低くく、集団予防接種時の感染可能性と比較できると言えるのでしょうか?

あと、例えば元々父親がウイルス感染者であったとしましょう。
肝炎発症とならない(不顕性)確率は7割くらいあります。一過性の感染で終わってしまう、ということですね。けれど、不顕性感染であってもウイルスが排除される前であれば他の誰かに感染しないとも限らないのではないのでしょうか。更に、一過性感染で終わったとしても抗体陽性者においては微量ではあってもウイルスが残存し続けるので、誰にも感染しない、ということにはならないでありましょう。

X3の弟ではキャリアとなっておりますが、この方は感染源がどこにあると推定されるのでしょう?集団予防接種なのでしょうか?それとも、X3からの感染と考えられるのでありましょうか?それをどのように合理的推定といいますか、高度の蓋然性でもってX3から弟への水平感染(或いは逆)は否定でき、集団予防接種が原因であると考えられる、という結論を導けるのか、裁判官であればほぼ全員で説明可能なのでありましょう。

また、X8の母親はS57年12月8日時点で抗原抗体ともに陰性で、S59年4月13日に肝炎発症となっておりs抗原とe抗原ともに陽性となっておりました。もしもX8が集団予防接種で感染したものとして、母親は自分の子どもから感染したと考えられますか?すると、「免疫異常をもたらす疾患のない健常成人」でありながら、感染したのでありましょうか?
逆に、母親自身が57年12月8日以降のどこかの時点で感染が成立するとか、検査時点では偶然ウインドウ期間で検出されていなかっただけで本当は感染していたのに58年8月以前の出産時までには気付かなかったという可能性が否定できるのは何故なのかが判りません。高度な蓋然性をもってこの可能性が論理的に否定できるからこそ、集団予防接種が最も原因として疑われる、ということになったでありましょうから、その論理を知りたいのです。母親が先に感染していたとすれば、出産時か出生後まもなくの時点で「免疫機能の脆弱な乳児」であるX8が感染することになったとしても、不思議ではないようにも思えますがいかがでありましょうか。


HBVにはいくつかのgenotypeが存在し、日本ではC型が多く観察されてきましたが、欧米に多いA型であると持続感染に移行することが1割程度存在しているとのことです。近年、このタイプの肝炎が増加してきているようです。昔では1%も存在していなかったのですが、それでも皆無とも言えず、こうした遺伝子型であったなら、性交渉によって感染しキャリアとなったことを否定でき難いかもしれませんが、どうなのでしょうか。存在確率が0.4%であっても、肝炎患者1万人について40人は存在しています。

参考文献>dj3193.html

最高裁であるから、こうした可能性も当然検討した上で、合理的に推定しているはずです。これらを一般論に過ぎない、ということでまとめて否定するなら、どんな理屈でも可能になってしまいます。それは裁判官が独自の推定理論を全くの架空の中で作り上げられる、ということに他なりません。通常人に考えられる疑問であっても、合理的説明・解答などできなくともよい、ということです。



ワトソン君!

2007年10月20日 22時12分16秒 | 社会全般
おやおや、イマドキこんな話題が…(笑)。

「ワトソン君」は、もとい偉大なるワトソン先生は、どうしてまたこんなことを公の前で言っちゃったのかな。

はてなブックマーク - 404 Blog Not Found充分よければ、優劣はどうでもいい


これに関する話は随分前に書いたので、特に書くべき意見などは大してない。

人種差別と人種差は違うと思う


日本人の血液型の構成比は海外と比べるとけっこう異なっているよ。どうしてか、って訊かれても判らんけど。もっとO型が多い国とかたくさんあったりとか。遺伝的な差というのは、そういうのに似ている気がする。


関係ないですけど、よく発言(ブログ記事)の影響力がある、ない、とか、話が出てきますよね。影響力の大きさなんて考えずとも個人的意見を述べる(或いは記事に書く)のは、無名の誰かであろうがアルファな方であろうが「そんなの関係ねえ!」みたいな(笑)。でもですね、こうしてワトソン先生の発言が世界に広まって物議を醸すというのは、「影響力の違い」ということしか思い当たらないんですよね。だって、どこの馬の骨か判らない人とかが全く同じことを言っても、全然問題にはならないと思うのですよ。
だからこそ、影響力の大きな人が「これはオレの個人的感想だもんね」と思って言ったとしても、マズイ場合が出てくるのではないかな、と。


ちょこっと追加。。

話が飛ぶが、肝炎関係の記事をズラズラと書いてきてしまいましたが、こういうことを無名のオメガ級スナイパーがいくら言っても、あんまり効果は期待できんのよ。仮に、民主党だの共産や社民だの議員が単なるボンクラであったり、大袈裟に追及していた一部マスメディアが報道資料だったのを見過ごしてきたとかであっても、彼らが何かに謝罪することも間違っていましたと認めることも決してないであろう。そんな彼らは、適当に好き勝手なことを言っていても、誰からも責められることもないのだ。

どこにも通じていかないのであれば、自分は何の為に書いているのかよく判らないのだな(笑)。
誰の為に戦っているのだろう?、私は。
というような疑問を感じるのだ。

厚労省なんてこれまで目の敵にして書いてきたし(笑)、厚労官僚をバッシングしたいと思うことはあっても(冗談だよ、笑)彼らの為に戦いたいわけがあるはずもない。結果的にはそうなっているんだけれど。
でもね、今の論調とかやり方は間違っていると思うのだな。自分が納得できない、ということがあるんだな。本当に救われるべきと思うのは、見えないところにいる、声も届かない、もっと大勢の何十万、何百万の患者さんなのだ。そういう思いが、議員たちには足りないんだよ。結局は自分の利益優先じゃないかという、調子のよい連中に腹が立つのだ。だから、そういう連中に負けるわけにはいかない、と思ってしまうのかもしれん。これも無駄な努力に過ぎないのだけれどもね。

こういう孤独な戦いは、本当に疲れるのだ(笑)。



肝炎訴訟に関する雑考~5

2007年10月20日 18時56分38秒 | 社会全般
舛添大臣は、菅さんにこっぴどく叩かれたせいで、省内プロジェクトチームを設置するつもりなんだそうだ。

薬害肝炎症例一覧 厚労省が調査班 ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


もう何度も作ってきたんじゃないの?プロジェクトチーム。
それをまたですか?

00年に「肝炎対策プロジェクトチーム」を作ってやってきたではありませんか。違いますか?で、有識者会議で報告書をまとめたんじゃないの。菅大臣当時にもHIV関連でプロジェクトチームをつくってやってたんでしょ?当然血液製剤に関する検討もやってきたんじゃないのですか?だからこそ97年には血液製剤に関する記録の保管・管理の通知が出されたんじゃありませんか。シリーズ最初の記事で挙げた02年8月の報告書で調査は尽きていると思いますけど。あれ以上のことなんて、新たには出てこなさそうですけどね。


これまで記事に書いた中から、大雑把に流れを示しておきます。

87年 青森県で肝炎集団感染発覚
    厚生省から製薬会社に調査指示(3/26)
    →報告第一報(いわゆる「(昭和)62年調査」)(11/5)=肝炎発症3例

88年 「62年調査」報告第二報(4/5)、第三報(5/6)
87~92年 「62年調査」に加味すべく「プロスペクティブ肝炎調査」(便宜的にこう呼ぶ)

95年 HIV感染調査←平成7年調査

96年 「医薬品による健康被害の再発防止対策について」(7/1)
    「非血友病HIV感染調査」(7/31)←平成8年調査

97年 血液製剤に関する記録の保管・管理の通知(6/3)

99年 医薬発第715号(6/10)←血液製剤・輸血に関する指針

00年 肝炎対策プロジェクトチーム設置(11/1)
    同月 肝炎対策に関する有識者会議設置

01年 厚生労働省医薬発第166号(3/19)←製薬会社への調査報告命令
     =「プロスペクティブ肝炎調査」結果報告(5/18)
    肝炎対策に関する有識者会議報告書(3/30)

02年 「プロスペクティブ肝炎調査」結果の追加報告(3/4)
    フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書(8/29)


基本的に、87年調査時点での結果では直近の資料があって、投与年月日が判明し易かったはず。現在から振り返って、80年代の資料を探すとなればそれは大変だが、87年時点では80~87年の資料を探すことがある程度可能であっただろうからだ。418例のうち87年3月以前の投与例については、当時の「62年調査」報告で捕捉されているものが信頼性が高いのではないかな、ということ。

この調査以後の判明例では「プロスペクティブ肝炎調査」によるものであり、それは各医療機関においてまず把握された情報であったろう。HIV関連の感染調査(H7年調査+H8年調査)時点で、問題とされた血液製剤は肝炎ウイルスについても危険性があることは十分認識できていたはずであり、両年の調査の指揮監督に当たっていた当時の厚生大臣は責任を問われても仕方がないであろう。森井さんや菅さんだったそうだが(笑)。実際、97年の通知にしても、血液製剤のトレーサビリティについて整備する目的であったわけで、こうした血液製剤関連施策というのは、02年以前にいくらでも取り組むことができていたであろうし、実際行われていた。

今回の件でも、しつこくプロジェクトチーム設置とか言うのは、これまでやってきたことについての「無知」からくるものが殆どではないのか?要するに、菅さんとかその他民主党議員にしてみれば、「自分が知らない」から官僚が隠蔽していたんだ、企業も隠していたんだ、ということを言い出すのではないか?もっと昔の時点でいくらでも知る事はできたはずであり、違った政策だって考えられたはずだ。自分で知ろうともしない、怠慢な国会議員たちの質問に答える為だけに、省内プロジェクトチームと称して人員をかき集められることになるんだよ。文書をよく読んでみろよ、国会議員なんだから。もう、本当に○○かと。

<ちょっと寄り道:
財務省はデータを隠している、とかテレビで非難していた経済評論家の方にしても全く同じで、自分が知らないこと=隠している、ということにいきなり直結するのは何故なんだろうね(笑)。確かに都合の悪いことは隠し気味かもしれんが、それでも全部を隠蔽しているわけではないからね。自分が知らないからと言って、オマエら隠蔽工作しているんだろ、とか役人を吊るし上げ、自分が知らないのを棚に上げて「答えを教えろ、早く言え!」とか責め立ててるんだよね、野党議員たちは。まずは自分の頭で考えてみろよ。
前から言ってるけど、行政情報は膨大なのでこれを個人だけでカバーするのは大変なのだけれども、せめて厚生労働委員とかの議員は、自分の得意分野でやってるんだろうから、それくらいは頑張れるだろうよ。全部の分野をたった1人でやれ、って言ってるんじゃないよ。「肝炎問題」とかあるなら、せめて攻撃態勢を作る前に、まずよく知ることから始めるべきなんじゃないのか?その為に、何人もの議員が頭数を揃えているんだろうよ。そのうちの誰か1人でもいいので、こういう情報に辿り着けるはずなのに、厚生大臣経験者や医師免許持ってる連中まで揃っていながら、「誰も知らない、考えない、辿り着けない」というのは尋常じゃないよ、って言ってるんだよ。
あれだな、ブログとかでも似ていて、過去の記事に書いてあるから、って言ってんのに、「今日の記事に書いてないじゃないか、情報を隠蔽してるんだろ!」みたいに難癖付けられても、困るよね。知らないのはこっちの責任でも何でもないはずなんだけど、自分が知らないことをもって「隠してるんだろ!」とか言われても、「過去ログ嫁」としか言いようがないよね。ひょっとして「クレクレ厨」って、こういう「自ら知らないのを理由として相手に情報を出せ・今すぐ言えと迫る」派みたいなものなのでしょうか?民○党議員たちはクレクレ厨?>

90年代中頃にはそれ以前に漏れていたであろうと推測される「フィブリン糊」に関する調査も行われた。すなわち、問題表面化した87年以降、各医療機関からの製品情報を製薬会社は追跡していただろうし、それによって418例のうち初回投与年月日が87年4月以降の症例についてある程度捕捉できたのであろう。85年以前の症例は42例しか判明しておらず、多くは86~87年の症例だった。当時の報告ではこれら初期のデータが報告されていたはずだろう。これ以降の症例にしても、プロスペクティブ調査が行われたからこそ捕捉できたのだろうと思う。それが93年頃までのデータとなって残っていたのだろう。製品自体も回収されたりして、大きく変わっていったしね。

担当者を出せ、刑事告発せよ、みたいに豪語していたヤツラは、一歩前へ出ろ。今すぐ名乗り出ろ。
こんだけ時間経過もあって、途中で幾らでも施策を講じることができたであろうに、何もやってこなかったのは一体誰だ?誰の責任なんだよ。
大臣や議員なんじゃないのか。


それから、例の「戦ってる」団体の人たちのブログを見てみた。

薬害肝炎訴訟 リレーブログ B型・C型肝炎患者の早期全面救済を! 三菱ウ社 418名の投与患者を把握


どうやら裁判でウェルファーマ側が「投与証明書の信憑性」に嫌疑をかけ、投与されたかどうだかわかりませんね、みたいに主張したようだね。この企業側弁護士は酷いね。誠意の欠片もないみたいな心象を与えちゃうじゃないの。被害者感情を逆撫でしてもいいことなんかないのに。そうじゃないでしょ。私の知らないうちに投与された、製品には感染危険性があった、というような被害者側主張については受け止めるとして、それ以外の要因(感染可能性の高いもの、例えば輸血例)などを検討していくのでしょ。今更、企業イメージを悪化させるような裁判戦術を選択する意味なんてないでしょう。直接的な投与責任は医療担当者にあるわけで、特に投与時期が88年以降とかであれば、感染可能性と使用利益との比較ということで患者側に伝えておくのが望ましかったであろうけれど、当時にはまだそこまでのインフォームド・コンセントの浸透はなかったやもしれず、投与前に知らされてなかったことを被害者側に追及されたとしても、それは製造側責任ではないと思う。企業側としては、製品の感染危険性をどれほど防ぎ得たのか、というところ一点だけであって、それ以外の要因については立証とか関係ないと思う。求めるとすれば、原告側要因(他の手術を受けた、輸血を受けた…等々)の立証を求めるという主張以外にはやりようがないと思うけど。

話が逸れたが、ここで重要な質問をしよう。
87年の集団感染発覚以後、「62年調査」が行われ88年には報告が上がってきていた。この時点において、C型肝炎(若しくは可能性)について、どのように判別できたであろうか?感染源は特定でき、対処できたであろうか?20年間も放置された、とか非難があるのだが、当時に何ができたのか考えてみるべきではないか。

感染源は、たとえば輸血、医療器具類(注射針?ディスポでないガラスの注射筒?点滴回路?)、医師や看護婦がキャリアとかの可能性が本当に否定できたのであろうか?フィブリノゲン製剤が原因だということが特定できたであろうか?これは、この感染例だけからは判別が難しかったであろうと思う。器具類がウイルスに汚染されていないかどうか、どうやって調べられますか?医療従事者の中に感染源がいるかいないか、どうやって調べますか?できないから、結局は判らんのですよ。血液製剤が疑わしい感染源の可能性あり、ということではあっても、「どんな病気なのか」ということが詳しくは判っていなかった。

もしもこの時点で過去に投与歴のある人たちをカルテから全部割り出し把握したとして、全員に何を伝えるのであろうか?
・どんな病気なのですか?
―わかりません。
・どうなってしまうのですか?
―詳しく判りませんが肝炎症状が出るかもしれないし、でないかもしれません。その後どうなるかも判りません。
・いつまでに判るのですか?
―判りません。一体いつ何がどうなるのか予測できません。
・治療はどうするのですか?
―判りませんが、肝炎症状が出ればその治療をやってみる、ということになりますが、効果はどうなのか判りません。

88年頃に何ができたか、ということになるでしょう。検査?できませんよね。ウイルス検査の方法がなかったのですから。どんな病気なのか、治療法はどうなのか、ということも、もっと後になってから判明してきたのではないかと思います。分類としてC型肝炎というものも、検査も予後に関しても知見の蓄積は少なかった。「強ミノでもやってみるしかないか」とかの程度だったかもしれませんし。当時確立された治療法などなかったでしょう。感染してるのかどうなのかも不明なのに、何をどうすると?

告知を88年時点で可能な限り行ったとしても、それほど劇的な効果が得られたとは到底思えません。輸血はその後でも続いていたわけですし。日本での献血中の肝炎スクリーニングは、恐らく世界的に見て最も早かったでしょう。それが登場するのは、もうちょっと後の話です。肝炎の症状が出現して初めて、感染していたのだな、ということが判明するだけで、感染しているかどうかの検査がない限り、無症状の人たちにはどうにもできなかったと思いますよ。

ですので、62年調査の後であっても、第一に感染源の特定は困難だったかもしれない、第二にウイルスの検査は不可能だったので何もできなかったであろう、ということなのですよ。
一応、疑いを持ちつつ「発症者の出現をフォローする」ということになったのではないのかな、と思いますよ。

大阪原告16番さんがリストに名前がありながら告知されてこなかった、ということらしいですが、いつの時点で感染を知ったのでしょうね。自分自身で知るとすれば、肝炎症状が出たか、偶然検査してみたら陽性だった、ということなのでしょうか。02年以前に知っていたのであれば、リストに載ってる方々の多くは自分自身で知っている可能性が高いだろう、ということと整合的ではあります。

製剤投与を受けた約26万人の方々のうち、
①87年調査以前に投与された
②02年まで一度も検査してない
③02年まで無症状で経過
という方々は、病状が進展しているかもしれないので、問題になるであろう、ということです。

けれども、そのような方々は③より肝炎症状出現例でないので、リストには載ってきません。また、②より抗体検査も受けていないのでやはりリストには載ってきません。リストに掲載されている方々は、”02年以前”に「肝炎症状が出た」か「HCV検査を行い陽性が確認された」人なのですよ。故に、症状が出れば多分治療を受けており、本人が知っているであろうと推定されますし、検査を受けている場合でも医師が検査結果を知らせるはずであろうから、やはり本人は知っている可能性は高いであろう、ということなんですよ。

88年以降は肝炎症状が出現すれば追跡されている、投与する医療側の投与判断も危険性を認識した上で選択している、投与適用は変更された(後天性は除外)、薬剤変更などが行われた、などから、恐らくそれ以前の投与例と状況は異なっているでありましょう。追跡されうる数も、問題発覚後の方が多くなると思われます。


最後に、告知の問題を別な角度で考えてみます。
医師は基本的に守秘義務があります。そうすると、問題発覚後の調査などで患者を特定できるような資料を提示することは、基本的には問題があるのではないでしょうか。患者本人の同意を得るとかであればいいのかもしれませんが、その時に医療側がどんな説明をするべきであったのか、みたいなことが問題とされるかもしれません。製薬会社が「公式に患者情報を得ていた、知っていた」ということになれば、守秘義務違反の責めを負わされる心配があったのではないでしょうか。この情報が厚生省にもたらされる、ということであっても、基本的には同じですよね。情報を出しなさいという命令を、厚生省が医療機関に直接下していたのであれば、守秘義務違反には問われないかもしれませんが、果たしてそういう状況だったのでしょうか?
法的評価はどうなるのか判りませんが、違法性のある手段で人物のデータを入手していた場合、これを基にその人物にとって重大な事実を知ったなら、告知義務は発生するのでしょうか、ということです。義務ですよ?義務。

私にはよく判りませんけれども、厚生労働省担当者が「リストを隠していた」というのは(製薬会社の場合だと部分的には正しいかもしれませんが―特に裁判での主張は隠していたも同然という印象を与えるが)真実ではなく、公開情報として報道資料にあったし、誰でも探し出せるものでありました。
リストに載っていて02年以前に感染を知りえなかった方々というのは、恐らくいたとしてもかなり少なく、その主な責任所在は検査した医師や医療機関にあるでしょう。
守秘義務違反を問われる可能性が高い非公式情報が実名や住所などであって、この非公式情報を基に告知義務があったのか否かという問題は残るでありましょう。
圧倒的に多いのは、感染率から推定される潜在的感染者の方々で、それはリストには出ていない方々なのです。



肝炎訴訟に関する雑考~4

2007年10月19日 18時30分07秒 | 社会全般
民主党は当時の担当者を告発すると息巻いているが、自分たちには何の責任もないと思っているようだ。

東京新聞告知と謝罪を 菅氏が薬害肝炎で舛添厚労相に政治TOKYO Web

昨日テレビで報道されていたと思うが、担当者に刑事罰を与えて問題が解決に向かうとでも思っているのか。末端職員に全ての責任を押し付けて、国会議員たちは知らぬ存ぜぬで通そうということか?

asahicom:厚労省「製薬会社が患者把握」と前から認識 薬害肝炎 - 健康

(記事より一部引用)

同社は厚労省の命令を受けて、02年に血液製剤フィブリノゲンを投与した後に肝炎を発症した例を調べ、投与時期などを記した418人のリストを厚労省に報告したが、個人情報や医療機関名は明かさなかった。厚労省も追加報告を求めたり、患者への告知を指示したりする、などの対応を取らなかった。 しかし、同省によると、同社が医療機関から副作用情報を収集した際の書類には「住所」「氏名」欄があり、個人情報を把握している可能性が高いと、当時の厚労省も認識していたという。 薬害C型肝炎訴訟の原告には、投与の事実を告知されないまま肝硬変に進行した女性もいる。 元厚相の菅直人・民主党代表代行は会合で「薬害エイズと同じで、隠していたのではないか」と厚労省を強く批判した。

◇◇◇


エイズ問題の時に、当時の菅厚生大臣が謝罪して男を上げたと思っていたが、今回の件では逆なんじゃないか?あなたに責任がないとでも言う積もりなのか?「担当者を告発すべきだ」とかぬかしてたヤツは誰だ?是非とも名乗り出てくれ。
いいですか、87年の発覚以降に国会議員さんだった方々、特に厚生労働委員とかになっていた方々は、全員名簿を公表せよ。当たり前だろ?それくらい。行政のチェックをする立場にあったのは、国会議員たちだろ。これも年金問題と似ているのだが、いつでも「知りえる立場にあった」のに、その努力義務を怠り長年に渡って問題を長引かせてきた一因は、国会議員たちの無能・怠慢だ。


問題となっているC型肝炎訴訟の原因薬剤というのは、「フィブリノゲン製剤」と「血液凝固因子製剤」の両方だ。この調査なんてはるか昔から行われてきたんじゃないか。

参考までに歴代厚生(労働)大臣を書いておく。
・87年以降~自民党下野まで
藤本孝雄―小泉純一郎―戸井田三郎―津島雄二―下条進一郎―山下徳夫―丹羽雄哉(93年8月まで)

・ここから細川内閣以後の大臣
大内啓伍―井出正一―森井忠良―菅直人(96年11月まで)

青森県の感染が表面化して問題となった87年当時、まず調査が行われた。この時の調査では80年~87年までの資料しかなく、80(S55)年以前の資料というのは製薬会社にはなかったらしい。

HIV問題の時に、いくつか調査が行われた。で、菅大臣就任後では、H8(96)年7月31日に第2次報告が公表されていた。第8・9因子製剤の調査結果で、非血友病患者に関する報告であった。

960731 非加熱血液凝固因子製剤非血友病HIV感染調査NO1

つまり、95~96年の時期に厚生大臣だった人たちは、こうした「凝固因子(血液)製剤に関する調査」の直接の指揮監督責任者であったというべきである。まさか末端の官僚諸君が独断で事務を遂行していたわけでもあるまい?
肝炎訴訟でも問題とされたクリスマシンに関する調査も当然含まれていた。こうした報告は大臣が「いつでも見ることが可能であった」にも関わらずそれを行わなかったことは、問題ではないのか?もっと詳しい調査指示を行わなかったことは責任を問われずともよいのか?問題を放置していなかったと言えるのか?

問題が表面化したのは87年で、その時点でも調査が行われた。厚生省に報告が上がってきたのは、90年代に入る以前の話だ、ということ。それら情報について厚生大臣が見ることができなかった、部下に命令しても情報はないとして隠蔽された、ということであるなら、そうした指示・命令を出していたということを証明して欲しいね。大臣の命に反して、厚生官僚たちが調査結果を隠蔽していた、ということを大臣経験者が立証してみなさい。いくらでも実態調査や官僚を追及するチャンスはあったのではないか?


更に問題なのは、C型肝炎に関する02年調査結果を隠蔽していた、とか言ってるのだが、それは国会議員たちが放置してきた、怠慢の結果なのではないのか?

例えば、こうした詳細な資料は公開されているようですけど。

命令書(厚生労働省発医薬第166号)別紙2に対するご報告


この中では「62年調査」が報告済みであることが記載されている(以下、引用)。

『昭和62年5月の厚生省薬務局安全課・監視指導課・生物製剤課(いずれも当時)の指導に基づき、昭和62年6月のフィブリノゲンHT-ミドリの発売時期から平成4年末までの6年間にわたって、肝炎の発生状況の調査が行われている。この調査は肝炎が現実に発生していた時期に行われていること、及び本剤の投与が行われた段階で症例を把握して6ヵ月間追跡したプロスペクティブな調査であったことから、肝炎発生率の推定に有用な資料と考え、新たにデータ入力を行って解析した。なお、昭和62年から平成4年までの調査のうち、調査初期の結果は昭和62年11月5日、昭和63年4月5日及び同年5月6日付でそれぞれ報告済みである。』

これは報道資料であり、広く公開されていたはずである。なのに、この報告を放置していたのは議員たちばかりではなく、マスメディアもそうだったんじゃないのか?みんな同罪なんじゃないのか?陰謀論の好きな議員とか報道関係者たちが日本には大勢いるらしい。

匿名にはなっているが、症例報告の25例は詳細情報が一覧になっている。これら追跡情報を集めたのが例の418例なのではないのか?

また、この報告は01年5月18日であるので、肝炎訴訟に関する雑考~1に挙げた02年8月の報告書までは、1年以上の期間があった。この間にいくらでも大臣や国会議員たちが検討することも、命令・指示することも可能だったのではないのか?放置していたのは、製薬会社とか担当官僚とかばかりではないだろ。


民主党議員たちにお尋ねしたいことがあるのだが、頭が悪いようなので訊いてみたところで多分無駄であろうな。まあいい。書いてみる。

厚生労働省は製薬会社から情報をもらった。それは命令を発して報告せよ、と言ったからだ。ならば、製薬会社はどこから情報を得たのであろうか?それは医療機関にアンケート調査を行って、そこから情報を集めた。
ここで製薬会社はフィブリノゲン製剤等の投与を受けた人が、肝炎を発症若しくはウイルスキャリアとなったことをどうやって知るのだろう?投与した患者さんたちの検査とか診断を製薬会社が行ったのであろうか?否であろう。医療機関の医師たちが検査・診断しているであろう。

じゃあ、医師たちはどのようにして患者たちの肝炎を知り得たのであろうか?無断で検査したりとか?こっそり患者の家に忍び込んで情報を獲得するのか?(笑)陰謀みたいに、極秘調査でもするか?違うであろう。大抵は、患者に自覚症状が出て検査とか、別な疾病の治療や継続的に治療していたりするので、それら病院の受診機会の中で偶然スクリーニングに引っ掛かったとか、そういうことが多いのではなかろうか。

これはどういうことかといえば、多くの場合には医療機関において、肝炎症状が明らかとなっていたか、患者に検査する旨を伝えてHCV抗体検査なんかを行っていた、ということなのではないのか?このような医師―患者間の情報提供については、全てが厚生労働省官僚の責任ではあるまいに。そこで何も患者に告知していないとすれば、個々の医療機関(医師)の問題なのであって、製薬会社や官僚が悪かったわけではないだろう。

そもそも、418例というのは「肝炎患者リスト」なのであるから、それは既に医療機関において「肝炎であることが確認された」例なのではないか。ならば、殆どの方々は「知っている」確率の方が高く、もし知らないとしてもそれは検査した医療機関の情報提供に問題があった、ということなのでしょう。


一番難しいのは、フィブリノゲン製剤の投与歴があって、その後に一度も検査がなく、長期間判明していない症例の方だろう。どこのフォローにもかかってこなければ、肝機能障害や肝硬変などが出現してきている可能性はあるだろう。

あと、輸血例では肝炎発生率が高いのは予想通りであり、これは製剤に原因があったと推定するのはかなり難しいよ。症例一覧の25例をみると、非輸血例は判明分だけだと4例しかない。9例は先天性無フィブリノゲン血症なので、回避は困難だろう。フィブリン糊でも感染例があるが、製剤が感染源かどうかは判らない。恐らく輸血例だろうと思うが、製剤の感染リスクよりも輸血によるリスクの方がはるかに問題なのだ、ということ(更に文献的に見れば、無症状で抗体陽性となる例は、肝炎症状出現例に比べるとそれほど多いわけでもない)。

要するに、製薬会社や厚生労働省が把握していたとされる418例というのは、
◎医療機関でHCV陽性(または肝炎症状)ということが判明している症例
なのであり、感染が顕在化している、ということだ。
すなわち多くの場合に患者本人が感染を知っている可能性が高く、「本人に告知してなかったのは犯罪であり、担当者を刑事告発すべきだ!」みたいな過激な要求が出てくるというのは、国会議員たち自らの責任を隠蔽する為か、過剰な「薬害&被害者権利」を煽動する為の口実に過ぎないのではないのか。

フィブリン糊の推定感染率は約0.5%、静注用フィブリノゲン製剤では約4.7%となっており、この数字が大きいか小さいか、というのは評価が分かれるところであろう。勿論実数として小さいと言っているのではない。更に、非輸血例はもっと限定的であって、輸血による肝炎発生の可能性がより疑われるとしたら、これよりも感染リスクは小さいと考えられるだろう。
合併症がゼロであれば、それが一番望ましいのであるが、ある水準で合併症もしくは副作用が発生し得ることは考慮するべきなのではないか。いくら厚生労働省担当者を責めてみたところで、彼らが何かあくどいマネをした結果感染したのではない。

隠蔽していた、という単純な批判もウソだ。報道発表資料なんじゃないか。マスメディアが伝えなかった(それとも上手く伝えられなかった)責任が問われずに済むというのは、何故なのであろうか。こんな大事なことを見過ごしていたのではないのか。いくつもの手掛かりは公開されてきたし、それを知りえる立場にあった議員たちや、非自民政権も含む厚生大臣たちにこそ最大の責任があるのではないのか。自らが何もやってもこなかったクセに、吊るし上げる時ばかりは大威張りの連中が多すぎて辟易するぜ。



いや、連覇だから=日ハム

2007年10月18日 21時21分50秒 | いいことないかな
最後ヒヤヒヤしちゃったよ。
まず勝ち間違いなしだと思ってたけど、それでもね。


ありがとう、本当にありがとう。

しかし、日ハムは不思議なチームだ。

よくこれで連続優勝できるな、って。
でも勝負どころでは勝ってしまう。
素晴らしいチームワークだ。


ダル以外は、飛び抜けている選手はいない。
稲葉も頑張ったが、超一流とか爆発的な成績というわけでもない。
でも、何となく勝ってしまう。
対ロッテ戦の4戦でホームラン数ゼロだったのに、今日に限ってセギ様3ラン。
しかもあの成瀬からだ。本当に凄い。


誰ということでもなく、チーム全体で勝つ。
これがチーム力の不思議な所なんだよね。ホント。
個々の力では及ばないかもしれないが、チームになればそれ以上の力が発揮されるんだよね。


ロッテは成瀬を温存してバレンタインマジック大成功だったけど、日ハムの驚異的粘りや集中力、チームを信じる気持ちには勝てなかったね。
ダルは必ず打ってくれる、必ず勝つということを信じ切っていた。だから良い投球ができたのだろうと思う。


あとはジャイアンツを待ちますか(笑)。





肝炎訴訟に関する雑考~3(追記あり)

2007年10月18日 17時54分24秒 | 社会全般
輸血や血液製剤等で感染された方々というのは、本当にお気の毒だと思います。国や製薬会社を責めたくなる気持ちも判ります。しかし、人間は全知ではないのです。判ることもあれば、判らなかったこともあるのです。全部を完璧に防ぐことなどできません。

詳しいことは知らないのですが、私が小学生頃(70年代)だと、輸血用の血液自体が今ほど多くストックされていなかったかもしれませんし、手術手技が未発達ということもあったりして、輸血そのものの適用範囲は限られていたかもしれません。そんな時代であると、本などにはABO式の血液型の説明なんかがありまして、「AB型はA型にもB型にも輸血できる」みたいなことが書いてあったように記憶しています(理屈上では不可能ではない)。多分足りない時には、そうした違う血型であっても輸血していたのかもしれません(タダの推測です)。今ではそんなことはまずないでしょう。でも昔は全ての面で医学的知見とかが劣っていたし、誰も詳しく正確なことなんて判っていなかったのですよ。ウイルス感染ばかりでなく、GVHDだって判らなかった。けれどやってみるしかなかったんですよ。今ほど詳しく判ってなくても、輸血できずに死亡したりするより、輸血してみるしかなかったのです。

HCVについてもあまり判っていませんでした。検査で確認できるようになったのは、ウイルスが同定されて以降の話です。献血中のウイルス存在を確認できなければ、どうやって混入を知ることができますでしょうか。また感染の予後については、長期経過例が確認できるようになってから、初めてその病態についても判ってきたのであって、それはつい最近(私が年寄りだからか?90年代以降は最近と思ってしまう)の話なのです。治療法の効果についても、色々とやってみたり研究成果が蓄積されてきて、どうやらIFNが効果があるね、ということがようやく判ってきた、という程度なのです。87年頃にはそんな知識は殆ど流通してなかった。一部の専門医とか研究者たちには知られている部分は当然あったが(だからこそ肝炎関連の分野の研究者たちがいたであろう)、それが製薬会社とか行政担当者レベルで判断したりできる程の確立された知見とはなっていなかっただろうと思います。

そういう現代の常識みたいな地点で振り返って、当時に同じくらい注意しておけ、ということを求めるのは難しい部分があるのです。インターネットも日本にはなかったし、文献検索だってなかったし、情報の壁というのは相当高かったのです。私は当時であっても防げたであろう肝炎の感染を救済しなくてよい、ということを言っているのではありません。けれど、それなりの注意義務を果たしていたとしても防げない部分はある、ということを、まず患者の方々にも国民にも考えて頂きたいのです。


かつて大きな社会問題となったHIV訴訟ですけれども、凝固因子製剤によって血友病患者さんに感染してしまったというものでした。
その後どうなっているか、ということについて、多くのマスメディアは関心を払ってはいないでしょう。危険性については、若干は報道されたりしているかもしれません。公共広告にも出てたと思いますし。訴訟提起された89年当時と今とでは、情報の獲得の容易さ、HIVに関する知見の量、一般の人々の関心度・認知度などを比較してみれば、今の方がほぼ全ての面で優位であると思われます。が、現実には、HIV感染者は増大していく一方なのですよ。血液製剤による感染被害よりもはるかに多くの感染被害が出ている、ということです。

よくお世話になる図録さんがわかり易い。
図録▽HIV感染者及びエイズ(AIDS)患者報告数の推移

報告例は凝固因子製剤による患者は除外された数字です。
凝固因子製剤による感染者は1420人と比較しますと、日本人だけのAIDS感染者数3130人、(発症前の)HIV感染者数だと日本人だけで6千人以上となっているのです。エイズに対する知識が社会に広まっているにも関わらず、昔よりはるかに感染者の拡大が続いているのです。単にこれまで埋もれていた人々が顕在化してきただけなのかもしれないですが、恐らく実質的な感染者の増加が続いているものと思われます。ウイルス感染の拡大というのは、その危険性が判っているのに起こってしまう可能性がある、ということです。このうち目を引くのは母子感染や感染ルートが不明の例です。母子感染は21例、不明例は598例にも及びます。決して少なくない数字でしょう。特に不明例というのは、一般人と同じような生活様式であって、特に海外旅行先で何かやってきたとか、不特定多数の相手と性交渉を持ったとか、そういう何らかの疑わしい要因というのが「思い当たらない」にも関わらず感染が確認された、ということなのではないでしょうか(統計の取り方が正確には判らないので間違いかもしれません)。

HIVはHBVに比べれば感染力は弱く、ウイルスそのものの不活性化も容易です。簡単にウイルスは死んでしまいます。なのに、これだけの不明例があるのです。日常生活を普通に送っていたとしても、知らないうちに何故か感染が成立してしまっていることは稀ではない、ということでしょう。HIVですらこうなのですよ。もっと感染力が強いHBVであれば、一体いつどこで感染したかわからないままに感染が成立することがあったとしても不思議ではないと思えます。後日取り上げようと思いますが、B型肝炎訴訟の最高裁判決には疑問点が残っているでしょう。


話を戻しますが、肝炎訴訟での問題点として、輸血用の血液とか血液製剤中のHCVは一体どこからやってきたのか、ということが問題となるでしょう。戦後間もない頃だと大した手術とかの技術も施設もあまりなかっただろうし、輸血だってあまりできなかったでしょう。昔は売血なんかが問題になった、とか微かな記憶がありますけれども、いつ頃の話だったかわかりません。フィブリノゲン製剤が登場する以前にどの程度のキャリアが存在していたのか、そういった人たちはどこから感染したのか、という謎が残るのですよ。これはまさしくHIV感染者の中の不明例と似ていて、特別な感染ルートが思いあたらない、ということです。栄養事情が悪くて免疫力が低下していたとか、母子感染とか、喧嘩や出入りで血液を浴びたとか、刺青入れたとか、工場の事故現場で血に触れたとか、何が理由か判りませんけれども、はるか以前から感染者が存在しない限り、輸血用の血液がウイルスに汚染されるということはありません。つまりは、輸血されずとも、血液製剤を投与されずとも感染は成立してきたのであり、そういうキャリアが世の中にある数だけ存在していたからこそ、キャリアの提供した血液が輸血や血液製剤として利用され、その結果感染者を生じてしまった、ということなのです。
では、輸血を受けたり血液製剤を投与されたりしなければ、肝炎に感染することはなかったのでしょうか?そのリスクにはどの程度の違いがあるのでしょうか?

◎輸血のない時代であっても、HCV感染者が確実に存在していただろう

この人々の感染ルートを特定することなどてきないでしょう。でも、言えることは「輸血されておらず、血液製剤を投与されていない人」であってもHCV感染者は存在するであろう、ということです。これはHIV感染者についても同様です。
そうした危険性が全く判らないのに、「C型肝炎は薬害の結果だ」とか「杜撰な医療行政の結果だ」みたいに言えるというのは、どうしてなのだろうかと思います。


それと、こちらのブログを発見したので、ちょっと読んでみました。

薬害肝炎訴訟 リレーブログ B型・C型肝炎患者の早期全面救済を!

言わんとしていることはわからないでもありませんが、何でもかんでも国の責任、製薬会社の責任、みたいな話にはならないと思うのですよ。しかも、政治的利権絡みのような部分もあったりして、胡散臭いだけです。

07年9月21日の記事の一部を引用します。

国会議員からは、社民党党首の福島瑞穂氏が会場に訪れ、原告を力強く激励してくれました。そのほか、当日、民主党衆議院議員 仙谷由人議員、民主党参議院議員 梅村聡議員、民主党参議院議員 外山斎議員、日本共産党参議院議員 小池晃議員、日本共産党衆議院議員 高橋千鶴子議員より熱い激励メッセージが届きました。
さらに、全国各地から激励に訪れてくれた支援者が挨拶し、東洋大学社会学部教授の片平洌彦先生からも激励のお言葉をいただきました。

 集会の最後は、参加していた原告全員が壇上に上がり、薬害肝炎大阪弁護団事務局長の山西美明弁護士、薬害肝炎全国原告団代表の山口美智子氏が挨拶し、集会のテーマである「今こそ最終解決・全患者の恒久対策を!」を全員で大唱和し、熱気の中、閉会となりました。 

◇◇◇


写真入りで登場している福島党首とか、ずらずらっと議員さんたちの名前が並んでいるが、彼らはこれまで何をやってきた?よく調べ、よく考えてきたのか?何か一つでも実質的に有効な提言を出してきたのか?
ふざけるんじゃないよ。調子に乗ってるだけなんだよ。
彼らは問題について真剣に考えてなんかいない。タダ単に票稼ぎに結び付けたいだけなんだよ。こういうヤツラが偽善者ぶってることも、問題解決能力や社会に訴える能力も何一つないのに、闘争だけやって満足していることが腹立たしいんだよ。

こういう運動をやって、ひょっとすると一部の”薬害”肝炎患者だけは救済されるかもしれんが、肝炎患者の本体はもっと大きいのだよ。薬害を立証したとしても、その他大勢の肝炎患者は救済できんのだぞ?こういう政治的闘争みたいなものに利用している限り、或いは裁判などに勝利して国の責任を認めさせることに拘泥している限り、「その他大勢の肝炎患者たち」は医療費助成を受けられないんだよ。そういう闘争とは関係なく、政策的に考えるべきことなのであろう?もっと昔の時点でだって、議員立法でも何でもやろうと思えば出せたのではないか?それを今更になって、政治利用することだけしか頭にない連中ばかりなのだ。

私のようなボンクラ頭でさえ思いつきそうなことを、こんだけ議員が雁首揃えて誰一人思いつかない、行動できない、というのは何なんだ?


他人の不幸を政治的に利用するのはいい加減に止めろ。被害者たちを利用するな。国とか政府与党の攻撃材料だけに、被害者を利用するな。不毛な闘争に使うのはヤメロ。問題解決の為に真摯に取り組め。


ちょっと追加。

民主党案はインターフェロン治療に助成金で、自己負担1万円なんだそうだ。
確かにインターフェロン治療は高額なので自己負担額は重荷になるのだろうけど、これでは不十分だと思うが。
民主党の医師免許持ってる議員たちは、これでいいと思っているんだろうか?

C型肝炎の場合、インターフェロン療法の著効率というのは、ウイルスの遺伝子型によって異なっているはず。従って、効果の低い人にはインターフェロン療法が必ずしも選択されないかもしれず、そういうインターフェロン療法以外の患者さんたちは助成対象からみんな漏れることになる。更に、後々肝機能障害などが出てくるとか、肝硬変に進展してしまうとか、そういう場合に治療が必要になってもこれらは助成対象からみんな漏れる。即ち、インターフェロン療法で良好な予後であった人たちには、民主党案のような助成は意味があるかもしれないが、それで救済される人たちばかりではないってこと。もっと長期的にフォローが必要な患者さんも少なくないのに、インターフェロンだけやって、あとは知らんってか?

表面的な掛け声だけで考えるとこうなる、って見本ではないのか?
大体医師免許持ってる議員たちが揃っていながら、どうして誰もそういう普通のことを教えてやらんのだ?政治活動ばかりやってきたので、医療に関する知識は乏しいのか?そんな連中が厚生労働委員会の委員とかやって政策考えてます、ってのも迷惑な話だ。
まあ民主党案でやればいいよ。それで肝炎患者の団体も大賛成してくれて、選挙協力してくれることだろう。好きにやれば?
だが迷惑を蒙るのは、本当に困っている患者さんなんだよ。


因みに、東京都にもインターフェロン療法の助成制度ができたらしいよ。10月から。
本当に何も考えずに、国会議員たちはドイツもこいつも集票目当てだな。よく調べてみろよ。




肝炎訴訟に関する雑考~2

2007年10月17日 21時03分23秒 | 社会全般
続きです。

前の記事では訴訟について見てきましたが、今度は対策・対応について考えてみます。

今まではC型肝炎患者についての救済措置は特に取られてこなかった、ということで、今後何か対策を考えましょう、というところに来ているのだろうと思います。再三で恐縮ですが、これは薬害肝炎訴訟とは関係のない話であり、主に輸血ということで被害を生じたであろうと予想される方々の救済を考えましょう、というものです。単に製薬会社に金を出せ、というようなものではありません。


まず国の考え方について見てみます。参考になるのはこちらの答弁書です。

衆議院議員阿部知子君提出ウイルス肝炎総合施策に関する質問に対する答弁書

テレビなどに何故か呼ばれる阿部議員ですけれども、個人的には五月蝿いのと何を言ってるのかワケが判らないことが多いので苦手です。まあ、これは関係ないか。

答弁書から重要な部分を拾うと、主に2点あります。

○副作用被害救済制度や感染等被害救済制度は適用できない:

この制度は薬剤の副作用被害について救済する主旨ですけれども、フィブリノゲン製剤やクリスマシンは該当していない、ということです。つまり「薬害肝炎」に対する救済には用いることができない、ということになります。一部を引用しますと、次の通りです。

『血液製剤等の生物由来製品の原材料に混入し、又は付着した感染症の病原体に感染すること等により生じる健康被害(以下「感染等被害」という。)については、医薬品の有する薬理作用によって生じるものではなく、医薬品の副作用による健康被害には当たらないことから、副作用被害救済制度の対象とはならない。』

『昭和五十六年当時、当該製剤は、副作用被害救済制度からの除外医薬品(重篤な疾病等の治療のためにその使用が避けられらず、かつ、代替する治療方法がないため、その使用に伴い予想される副作用の発生を受忍せざるを得ないと認められる医薬品として、機構法第二条第二項第一号の規定に基づき、救済の対象とならない医薬品に指定されているものをいう。)とされていたことから、副作用被害救済制度を適用することは困難である。』

この2つから、副作用被害救済制度は適用できません、ということになります。

『感染等被害救済制度の対象は、新機構法附則第二条の規定により、施行日以後に使用された生物由来製品が原因となって感染等被害を受けた者とされている。』

更に平成16年4月に新設された感染等被害救済制度については、過去に遡及できない為に適用外ということです。施行以降であれば対象になり得ますが、それでは過去の感染患者の方々を救済することができません。


○障害者認定は困難:

これも医療費助成の制度の一部なのですが、適用困難という回答になっていました。

『身体障害者福祉法(昭和二十四年法律第二百八十三号)第十五条第四項及び別表においては、都道府県知事は、日常生活に著しい制限を受ける程度であると認められ、かつ永続する障害を有する者に対して、身体障害者手帳を交付することとされている。ウイルス肝炎等の肝臓の疾患については、継続的に治療が行われ、治療により改善の可能性があることから、障害が永続しているとはいえず、身体障害者として認定することは困難であると考える。』

年金に関する認定基準については別に定められているようですので、年金受給対象者のみしか適用されないでありましょう(基準外の方々も漏れてしまいます)。


以上により、現行制度上での救済措置の代表的なものは適用できない、ということです。もう一度書きますと、
○副作用被害救済制度や感染等被害救済制度は適用できない(仮に適用できたとしても薬害対象者に限られるので実効性はあまり期待できず、殆どの患者が漏れるであろう)
○障害者認定は困難
ということです。これが国の基本的考え方です。
舛添大臣が言うように行政側の対策が不十分だった、として、じゃあ自分ではどうしようと考えていたのか言って欲しかったですね。新法を制定するつもり、とかかもしれませんけれど。


では、他に方法はないだろうか、ということになりますが、一応参考になるものはあります。
肝炎の場合ですと72年に研究班設置とか行われてきました。こういう研究班は肝炎に限らず、いくつもあると思いますけれども、そうした疾患のうち、難病のようなものを対象とした制度があります。これは「特定疾患治療研究事業」というものです。国の指定する疾患に対して、医療費の一部を公費負担とすることにより症例数の限られている難病などの治療研究に役立てようというような主旨かと思います。この根拠法は何なのか、ちょっと調べてないので判りません。

この特定疾患の中で、肝炎に関するものは「難治性の肝炎」というのがありますが、但書があって、国が認めているのはこのうちの劇症肝炎だけなのです。つまり医療費の助成を受けられるのは、難治性肝炎に該当するものであって、そのうち劇症肝炎となって急性化したものだけなのです。しかも劇症肝炎であれば経過期間が比較的短期間(数年に及ぶことはまずない)なので、慢性肝炎から肝硬変、肝ガンといった長期経過例には適用できないのです。よって助成期間が最長6ヶ月となっているので、多くの肝炎患者たちは助成対象から漏れてしまうだろうと思われます。

しかし、この特定疾患治療研究事業には、国の指定する疾患と地方公共団体が独自で指定する疾患が存在するのです。で、難治性肝炎のうち劇症肝炎以外のものについても助成している地方公共団体は存在しています。この事業であれば、殆どのC型肝炎患者は救済対象とすることができるのではないかと思われます。実際、公的助成を行っている自治体があるのですから、区分を改めて難治性肝炎(劇症肝炎のみ)というものを、単に難治性肝炎とすればいいと思います。特に、輸血歴とか血液製剤使用歴のある患者については、厳しい検査値基準を適用したりせずに費用助成の対象とすることでいいと思います。勿論、非ウイルス性肝炎の方については、若干適用範囲外となってしまってもしょうがないと思います(従来通り、何らかの基準が適用されるだけでありましょう)。この方法であれば、あまり難しい法改正とか面倒な新たな立法措置も必要なく適用できるのではないでしょうか。

よって、私個人の意見としては
◎「特定疾患治療研究事業」の一部改変(国の指定する疾患に入れる)
によって行うのが一番早いと思います。

因みに、こうした制度適用を言っている国会議員とか、誰かいますか?
多分誰もいませんよ。
はっきり言って、制度も知らない、調べないような連中が多いので、自分たちの手柄目当てとか受け狙いみたいなものばかりを出してくるし、アドバルーンをどーんと打ち上げて目立てばいいだけ、って印象です。どうして医師出身の議員とかゾロゾロいるのに、こういうことを考えないのか不思議です。一体全体、これまで何をやってきたのかと思いますね。要するに、頭数だけ揃っていても、役立たずばかりであれば何らの効果も得られない、ということでしょうか(笑)。自民ばかりではなく、民主党もしかり、社民や共産も一緒です。



肝炎訴訟に関する雑考~1

2007年10月17日 17時34分05秒 | 社会全般
舛添大臣の「国の対応が不十分であった」旨、答弁があったと報道されていた。細かい答弁の中身を見ていないので、所謂「切り取り」みたいになっているかもしれないが、不十分というのは何に対してなのかよく判りませんね。大臣答弁なので、一応慎重に言葉を選んだ方が宜しいのではなかろうかと思います。報道では大体「薬害肝炎訴訟」というような表記となっていますけれども、フィブリノゲン製剤を原因とする「C型肝炎(感染)」ということなのでしょう。ちょっとよく判らないのが、HIV訴訟などはもっと以前から問題とされ、裁判も早くから行われてきたのに、何故肝炎に関しては今になってから取り上げられてきたのか、ということです。国の責任ということについても、ずっと以前に問題とされてきても不思議ではないのですが、昔には訴訟提起してこなかったのに02年以降になってからというのも腑に落ちない面があります。これは本題ではない話ですのでいいのですが、産科医療関連の訴訟とか薬害云々の話もそこら辺から増加していきているような印象があります。そういう訴訟提起をする活動を行っている弁護士の方々とかがおられるのかもしれませんが、よく判りません。かえって逆効果になるのではなかろうかと危惧しないでもありません。

まず判りやすいところで、いつも(笑)お世話になっているwikipediaですかね。
薬害肝炎 - Wikipedia

訴訟は02年以降に起こっているのですね。で、特徴としては、「一斉蜂起」みたいなものでして、ニュースへの登場回数を稼ぎ、社会的に注目を集めるには中々有効な方法なのかもしれません。しかし、問題が表面化したのは87年の集団感染のように思われ、この辺が国の責任の発生の分かれ道になりそうな感じです。これは、後でもう少し考えてみます。

もっと詳しいのは厚生労働省の資料で、これが一番重要な資料と思われますね。
>02年8月29日
フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書

恐らくこの報告書を得た結果、訴訟提起に踏み切ったという人たちが現れた、ということかと思いますが、どうなのかは不明です。でも、普通に考えれば弁護団はこの報告書のお陰で戦術を練ることができたのであろうな、と。それで02年10月以前には訴訟がなかったのではなかろうか。
現在原告団に入っている人たちは、多分これくらい昔にフィブリノゲン製剤投与を受けた方々ということなのではないかと思われます。90年代以降になりますとこうした製剤が滅多に残っていないであろうし、HIV訴訟に関わる問題表面化などによって血液製剤に係る行政側対応もそれなりに進んで行ったであろうと思われるからですね。

ウイルス感染に関係する幾つかの資料を見てみますと、次のようなものがありました。

・輸血療法の適正化に関するガイドライン(厚生省健康政策局長通知、健政発第502号、平成元年9月19日)
これは内容自体を探せませんでしたが、後の通知にも関連するものでありました。

・95年6月12日
輸血用血液製剤の安全性に関する報告書の送付について

ここまでは薬害HIV問題が取り上げられていた時期で、和解となった96年以後には次のものがありました。

・96年7月1日
960701 医薬品による健康被害の再発防止対策についてNO1

・97年4月23日
筋注用免疫グロブリン製剤に対するHCVのPCR検査の実施等について

・97年6月3日薬企第55号、薬安第72号
血液製剤に関する記録の保管・管理について(通知)

・99年6月10日医薬発第715号
血液製剤の使用指針及び輸血療法の実施に関する指針について

・99年8月30日
血漿分画製剤のウイルスに対する安全性確保に関するガイドラインについて

・00年11月~
肝炎対策に関する有識者会議報告書


血液製剤関連とか、生物由来製品等についての行政側対応が進んでいったものと思われます。ウイルス感染対策やトレーサビリティについても整備されていきました。03年には薬事法改正があり、厚生労働省告示209、210号などで法整備も行われました。これらはHIV問題や肝炎問題などに対応してきた結果ではないかと思っております。更には、狂牛病騒動などがあったりして、ヤコブ病のような感染症問題もクローズアップされたりしましたので、感染対策とか医薬品の重篤な副作用情報などの管理に係る要請に応えるものでもありましょう。
ですので、これら対策が取られて以後に新たに感染するというのは、かなり限定的となっていたのではなかろうかと思います。


各裁判の判決文を確認していませんので大したことは言えませんが、書いてみます。
幾つかの裁判で国や製薬会社の責任を一部認めるというものであったという報道があったようです。

愛媛新聞社ONLINE 薬害肝炎訴訟 和解協議で国の誠意を示せ

(一部引用)

国側にすれば一勝四敗という形だが、司法による救済拡大という流れは明らかだろう。感染拡大を防げなかった国の不作為を四つの地裁が厳しく問うた事実を重く受け止めなければならない。
 こうしたなか、ほかの訴訟に先駆けて大阪高裁が和解による解決を打ち出したのは大いに注目される。高裁は今後、原告と被告の双方の意向を踏まえ調整を進める。予断は許されないものの和解勧告にまで至れば、全国の訴訟にも好影響を及ぼすに違いあるまい。
 ともあれ、国が誠意を持って協議のテーブルに着かないことには薬害肝炎の全面解決はとても望めない。
 また訴訟とは別に、幅広い肝炎対策も急務だ。集団訴訟の原告は全国で約百七十人だが、埋もれたままの被害者も多数いるはずだ。さらにC型感染ウイルスの感染者は厚労省推計で二百万―二百四十万人にも上るとみられる。
 自民、公明両党のプロジェクトチームはC型肝炎のインターフェロン治療について公費助成を来年度から始める方針を決めた。一方、民主党はB型肝炎も含めたインターフェロン治療の公費助成を柱とした法案を参院に提出した。
 治療費の助成に否定的だった厚労省も方針転換する意向のようだ。ここは与野党の枠を超えて国の肝炎対策をまとめてもらいたい。
 このところ集団訴訟に対して政治主導による救済が相次いでいる。必ずしも全面解決ではないものの、トンネルじん肺訴訟や中国残留孤児訴訟などで和解が見られた。
 国の責務として早期解決と再発防止を迫られているのは薬害肝炎も同じだ。

◇◇


この社説では、「集団訴訟の原告は全国で約170人だが、埋もれたままの被害者も多数いるはずだ。さらにC型感染(←肝炎の間違いではないかと思うが、そのまま)ウイルスの感染者は厚労省推計で200万―240万人にも上る」とか書いていますが、大きな誤解を与えるものであると思います。大体の報道関係者たちは「フィブリノゲン製剤(凝固因子製剤含む)投与患者」=「薬害肝炎患者」=「C型肝炎ウイルス感染者」みたいに思っている節がありますが、これは多分全然違うでしょう。
根本的に、「C型感染者へのインターフェロン治療の公費助成」という政策と、薬害肝炎訴訟というのは、何の関連性もなく全くの別物である、ということです。ですが、多くの報道ではこれらがあたかも同一であるかのように報じられており、国や製薬会社が数百万人に被害を与えた張本人だ、みたいに誘導しているように見えます。いつものことながら、マスメディアの多くは同じようなことを報じているだけで、ネットで観察される炎上みたいなものと大して違いがありません(しつこく皆で同じような非難コメントを繰り返し書く、みたいな)。


ここで、いくつか問題点を切り分けてみたいと思います。

①国や製薬会社が感染の危険性を認識でき、対策をどう取りえたか

この辺の話は上に挙げた02年の報告書でかなりカバーされているかと思われます。一部の医師たちとか、研究職員たちに危険性が認識されていたとしても、法的に報告義務があったとか対策を取るべきだったというようなことがなければ、過失を問うことは難しいように思われます。しかし、87年の青森での集団感染は社会的に問題となり、多くの人々に認識できた可能性が高いので、それ以降に何もしていなかったのであれば、それはかなり問題があるといわざるを得ないでありましょう。対応としては、調査に乗り出したり、製品回収などが行われているので、何もしていなかったわけではないでしょう。

これ以前の投与については、問題の所在が、行為者(医師)なのか製品なのか行政側なのか、といった区分けは難しい面があるように思います。C型肝炎に関する医学的知見が十分揃っていたわけではなかった(定説のような形で多くの医師たちに認識されていなかった)、FDAが承認取り消しとしたのはB型への対応であった、これまで感染例の報告が国内では出ていなかった、など要因が複雑だったと思えるのです。


②感染原因の特定ができるか

最大の難所ともいえるかもしれません。特に原告側にとっては、ハードルが高いように思われます。それは製品が原因である、と推定するに足る立証をすることが出来得るかということです。一番問題となるのは、輸血例でしょうか。フィブリノゲン製剤と伴に輸血を受けているならば、感染源が「輸血された血液中」ではない(だろうと推認するのが合理的と考えられる程度に確からしい主張?)ことを言わねばならないでしょう。要するに、薬物XとYを飲んだ後である症状が出た時に、「YでなくXが原因だ」と主張することと似ていて、これを立証するのはとても大変なのです。

普通に考えると、当時の輸血用血液とフィブリノゲン製剤の感染危険性を比較するなら、輸血の方が危険性がかなり高かったのではなかろうか、と思います。HCVが同定されていなければ、献血された血液中にウイルスが含まれるかどうかは検査で判別することができません。感染の成立する確率(ウイルスで汚染された製剤を同じように投与されても全員が感染するとは限らない)で考えても、ウイルスに汚染された血液の方が同じく汚染されたフィブリノゲン製剤などよりも数十倍~千倍といったオーダーで危険性が高まるのではなかろうかと思います(調べてないので正確には判りません)。ならば、非輸血例でなければ「製剤が原因だ」と主張することは難しく、同時に輸血されているなら血液そのものの危険性の方が問題となるであろうと思います。

では、献血にウイルスが含まれていたと仮定して、そのウイルスは何処からやってきたのか?献血した人が以前に投与されたフィブリノゲン製剤なのでしょうか?では、製剤が無かった時代では、どこからやってきたのでしょうか?
つまり、遡って行けば「誰かが元々ウイルスを有していた」ということになり、それは製剤のせいでもなく、何らかの原因によって感染しているのであり、原因は不明なのです。輸血の無かった時代に、どうやって感染したのでしょう?その原因には何が考えられるでしょう?性交渉?唾液?血液接触?家族間?母子感染?刺青?…?輸血などに比べれば極めて少ない感染例かもしれませんが、たとえそうであっても誰かが元々持っていない限り、輸血や製剤の中にウイルスは入ってこないのです。

輸血や製剤の登場する以前の日本において、どれくらいキャリアが存在していたのか、誰にも判らないと思います。元から日本人の数十万~百万人規模でウイルスキャリアが存在していたとしたら?それは輸血や製剤のせいなのでしょうか、ってことです。フィブリノゲン製剤や輸血によってキャリアが拡散した可能性は否定できないと思われますが、どれくらいの割合の人たちにそれが起こってしまったのかは判らないのです。

原告側は、製品以外の要因というものについて、否定できるだけの根拠を提示し、その立証を要求されることになるでしょう。原告側が「製品には感染危険性があった」ということを主張することはできても、手術や輸血を受けていない、血液感染の機会はなかった、家族にもキャリアは存在しない(存在してもどっちが先に感染していたのか判らないかも)、などといったことを自ら言わねばならないのではないでしょうか(感染経路は適当なので、正確ではありません)。こうした他の要因については、製薬会社側の立証は求められないでありましょう。


③C型肝炎患者と薬害肝炎被害者は同一ではない

前項で見てきたように、88年頃以前までにフィブリノゲン製剤の投与を受けた非輸血例では、感染ルートとして疑われるのは判りますので、これは薬害と考えられるでありましょう。それ以外については、安易に「薬害」と呼ぶのは問題であると思います。マスメディアは、C型肝炎患者=薬害、というような誤解を招く報道のやり方を改めるべきです。もし輸血を「薬害」と呼ぶのであれば、そうはっきりと表現するべきでしょうね。
輸血による危険性についても、今と当時では様相が異なりますし、結局は輸血しなければ良かったのか、というところに行き着くと思います。製薬会社がフィブリノゲンを売っていなかったとしても、その何倍か何十倍か判りませんが、はるかに多くのキャリアを生み出してしまったであろうと推測されます。

現在大きな問題となっているのは、非常に多くの「C型肝炎患者」の方々なのであって、裁判の原告となっている肝炎患者の救済云々という話ではありません。大事なのは、少数者(つまりは原告団)に譲歩して補償したりすることではありません。多数に及ぶ患者たちのことを考えるべき、と言っているのです。

参考記事:医療費削減と過失の狭間


マスメディアの論調というのは、結局「誰かが悪い、誰かの過失があり、責任がある」という悪者狩りをやりたいだけなのです。情報を一生懸命集めたり、正しく伝える努力をするでもなく、慎重に考える能力にも欠けています。上の社説のタイトルみたいに「誠意を示せ」って、ヤクザのタカリの常套句みたいじゃないですか。因縁をつけて金を巻き上げる連中の決めセリフは、「誠意を示せ」だよ(笑)。


舛添大臣が「対応に不備があった、不十分だった」みたいに、大衆受けだけ狙って答えているのも、民主党を始めとする野党の「薬害被害」追及みたいな話も、そうした悪者狩りキャンペーンに便乗した「人気取り」にしか見えません。いつも批判対象としてきた厚生労働省ですけれども(笑、特に腹立たしい省庁ナンバー1かも)、何もやってこなかった、みたいに言われ、「薬害」という言葉だけが独り歩きしていくのは流石に見るに忍びないと思いますけど。


長くなったので、対策等については次の記事で。




島の物語

2007年10月16日 20時07分02秒 | 俺のそれ
ある島があった。名前は何でもいいけど。
その島は外界とは隔絶されており、島の外部には世界が無い島だった。でも「オールマイティQ」(メロリンQじゃないよ、笑)はいなかった(NHKは是非再放送して欲しい。最後どうなったか思い出せないので)。
そこの住人は全員頭がよく、父親も母親も子どもたちもみんな代々頭がよかった。
島の住人全員の知能指数は、今でいうIQ120以上の人しかいなくて、平均では130以上だった。

その島の住人をよく観察してみると、海で漁をしている人とか鳥を獲ったりする人とかは多数いたが、命令ばかりしている人とか、机に座ってばかりの人はいなかった。右から左へ~の人もいないようだった。
頭がよくても、魚を獲ったり果物を集めたりせねばならないようだった。

誰も「オレはこんなに頭がいいのに、何故~をしなければならないのか」と悩んでウツとかにもなっていないようだった。頭がよくても、誰かが漁をしたりしなければ生きていけないのだった。考えるだけでは食べられないのだった。

メデタシメデタシ。



違う話。

永田町と霞ヶ関にある時点で存在していた人間全員を集めてきて知能テストを実施し、上位100名を選抜した。同じく、新宿にいた人を適当に網ですくって100人選抜した。
全く同じ条件、同じ環境になっている島を用意し、前者を島Aに、後者を島Bに送り込み、観察した。島では生存する為の道具や物資などは人工物は一切なかった。タダの自然のままの島だ。
みんなどうなるだろうか?
島では何が起こるだろうか?

しばらくすると、島Aでは理想的社会が実現され、頭のいい人たちによる優れた社会が誕生した。命令したがるだけの連中とか、他人を出し抜こうとするヤツラとか、そんな人はいなかった。
島Bでは、愚かな大衆レベルでしか考えられないので、互いに食べ物を奪いあう為に殺戮を繰り返し、一番凶暴でDQNなやつだけが生き残ったが全滅した。 以上。


って、そんな話には多分ならないだろう。
参考までに書いておくと、自分が島Aに行きたいか、島Bに行きたいか選択させられるとするなら、きっと島Bを選択すると思う。多様性がある方が生存には有利なような気がするし。女性の数、というのも大事だな(笑)。
こんな実験はできないのだが、もしあったら面白いな、とは思う。




久々

2007年10月15日 23時26分05秒 | 俺のそれ
ネット接続してみる。

世の中は確実に動いている。
自分には関係なく、きちんと進む。
話題とか、その他モロモロ、どうでもいいのかもしれない。


何かを知らなかったことは、取り立てて何がどうということでもない。
案外それでいいのかもしれない。
知り過ぎないこともまた、よい生き方の一つなのかもしれない。



ちょっとした疑問

2007年10月12日 00時20分23秒 | 俺のそれ
この前、小泉さんが話した、上り坂―下り坂―そして「まさか」(笑)のことについて。
これって、私が知ったのは、お笑いの友近って女性のコント。ベテラン演歌歌手の一人しゃべりみたいな設定で、新人歌手に色々とお説教というか、人生訓みたいなのを言うというもの。その中で、出た。
「坂にはもう一つある。”まさか”っていうのよね」みたいな感じ。
まさか(笑)小泉さんが友近のコントを好きで見ていた、ってことはないと思うのだけど、一体どこで仕入れてきたネタなんだろ。


違う話。
この前「手つなぎ鬼」の話を書いた(教育の牢獄)のだが、ある所で「手つなぎリレー」という言葉を始めて見た。これって、一体何だろう?と。
地方によっては、この方式のリレーがあるのだろうか?実はそんな走り方を聞いたことも見たこともなかったので。全員参加するリレーはあったけど、手を繋いで走るリレーは流石に想像もつかなかった。借り物競争とかで父兄とか誰かと手を繋いで一緒に走る、みたいなのは勿論あった。
リレー?
うーん、謎。


また違う話。
『スタバではグランデを買え』の書評をいくつか拝見した。極東ブログでもあったし、弾さんのところでも、その他有名どころとか、朝日新聞にも出ていたらしい。それらを見て、へえ~と思う部分はあった。「取引コスト」という呼び方があるのですね。これと似た話は、例の缶ビールの話なんかで書いた記憶があった。そっか、割と近い話だったんだ、とか、ちらっと思った(笑)。
この辺>
貸金業の上限金利問題14(かなり追記後)

サーチコスト(追記あり)

因みに、私はスタバではトールしか買ったことがない。映画館では一番大きいやつ(1ℓくらい入ってる?デカイの)しか買ったことない。買う時に、これはいいのか悪いのか考えたりはしないが、飲む時間とかどの程度飲む予定(飲めるか)なのか、みたいなことで決めてるような気がする。今後もグランデは買わないかも、多分(と言いますか、滅多にスタバで買わないし。ああ、マンゴーのヤツは買ってみたことある)。毎回考えるのが面倒だし。




物価の実感云々の話は

2007年10月11日 15時50分09秒 | 経済関連
既に書いてきましたので、結論だけ。


それは…「貧乏バイアス」(仮称)のせいです!

解答は60秒後!
じゃなく、ココ>昔は「庶民の感覚」重視だったのか?


何かの指数が実感と整合的である必要性というのは、可能ならばやってもいいけど、あんまり意味がない。人間の感覚には、正確性に欠けることが少なくないのであって、それは脳の機能によるとか、何かの生理学的現象に起因しているのであれば、回避できにくいからだ。

それは錯視みたいなものであって、見たまんま(=実感)を優先するのか、元々の図柄を優先するのか、ということ。

長さが、「測定(実測)値で10センチ」で全く同じ直線AとBを、錯視によって「うーん、ボクはAが9センチ、Bが11センチだと思う(のように見える)」「そうだな、オイラは…」以下無数(ほんとは無数じゃないけど)の人たちの意見をいくら聞いてもあんまり役立たない。「これって、錯視じゃん」と見切って「両方とも10センチ」とか気を利かせてくれる人も稀にはいるかもしれんな。

まあ、いいんだけど、実感とズレがある、ということは昔からであり、下がっている時も上がっている時も、やっぱり「大変だ!モノの値段が上がっている!庶民を苦しめる物価高!!(=経済はやっぱり悪だ、資本主義は悪魔的だ)」ということになってしまい、キリが無い。なので、景気ウォッチャー指数が別に立てられていて、こちらにはそれなりの意味があろうというものだ。こういう風に、「実感」を扱う独立した指数を、「時系列」でそのトレンドを見ていくことには意味があると思うけど。


そもそも、実感と実測値の物価指数を比較する意味って何?って話。
比較でき難いものを比較しようとすれば、そりゃ無理だなってことになるだけ。「アタシと仕事のどっちが大事なの?」問題みたいなもの(?、ウソ)。
「あなたの両親とアタシのどっちを愛しているの?」問題でもいいけど。
特に比較する必要もないし、比較してもしょうがないのでは。




『ゴゴゴ』石?

2007年10月11日 13時10分23秒 | いいことないかな
『Cell』の表紙を飾ってから、理系諸君の注目度大幅アップ?なのではなかろうか。

これ経由>
「ジョジョの奇妙な冒険」の作者、荒木飛呂彦が東北大学で講演 - GIGAZINE


知らなかった・・・

ジョジョ立ち教室

碁石じゃないよ、「午後ゴゴ…」っていう本物の石があるんだと(写真は本当なんですよね?)。
更に「ジョジョ立ち」なる語句もあるそうだ。現代用語の基礎知識に出ていたんだと。

一生懸命挑戦する人たちがいることに、素直に感動。
実際に石を置いてあるというのも、凄いぞ!エライ。

ジョジョ立ちをやり過ぎて関節とか壊さないでね。柔軟体操をよくやってからチャレンジしましょう。
ヨガみたいなものと思えば、結構体にいいかも。




こんなことになるなんて~早大教授のこと

2007年10月10日 17時17分19秒 | 社会全般
驚いた。

<早大教授>院入試でゼミ生に便宜 大学が近く処分(毎日新聞) - Yahooニュース

早稲田大学(東京都新宿区)商学部の坂野友昭教授(52)が、早大大学院入試問題の作成者を、自分が指導するゼミの学生に事前に教えていたことが分かった。作成者が分かれば出題の分野や傾向を推測できることから、外部に漏らすことは禁止されている。大学は調査委員会を設置して関係者から事情聴取しており、近く坂野教授を処分する。文部科学省は「入試は公正中立でなければならない」と大学を口頭で注意した。
 関係者によると、坂野教授が学生に便宜を図ったのは、05年度の大学院商学研究科の入試。坂野教授は自分のゼミの学生に「私も問題作成者の一人だ」と明かし、他の問題作成者の名前も教えたという。作成者が分かれば、それまでの講義内容から、入試で出題される問題の分野や傾向などを推測することができ、有利になるという。このため、大学は「極めて重要な機密事項」として、作成者に情報管理の徹底を求めている。大学側は文科省に「問題そのものの漏えいはなかった」と説明しているという。
 坂野教授をめぐっては疑惑が浮上した今年4月、大学は調査委員会を設置。関係者から事情聴取を始め、本人からも経緯や動機などについて聴いた。9月中旬、文科省に報告した。坂野教授は現在、すべての授業を休講にし、ゼミ生の募集を停止した。今月中旬にはゼミ生の募集が始まるが、大学側は学生に休講や募集停止の理由を説明していない。
 早大広報室は「調査結果がまとまっていないので、詳しいことはまだ言えない」と話している。
 問題の入試では書類審査と筆記試験、面接が行われた。大学は受験者数や倍率について「公表していないので答えられない」としている。
 坂野教授は経営学を専攻。消費者金融研究の第一人者として知られ、これまでいわゆる「グレーゾーン金利」の撤廃について否定的な見解などを発表してきた。
 毎日新聞は坂野教授に取材を申し入れたが、9日夜までに返答はない。




あ、あの、……これは、拙ブログで何か書いてきたから、とかは、関係ないはずです。でも、コワイ……本当にコワイ

何で法改正も済んでしまった今になって、こんなことになるのか私には判りませんけれども、余程内部事情に詳しくないと漏れないようなことが発覚しているというのはどうしてなのでしょう。特別に徹底調査でもやってみないと、出てきそうにないネタなのでは。身辺調査とか、本格的に調べ上げたりしないとこんな話なんて外部に漏れないのでは。


4月に自分のことについての恐怖感を書いたのだが、これに近い感覚だ。
不幸の手紙

何か特定の根拠があるわけじゃないが、所謂「肌で感じる怖さ」みたいなものかな。第六感でも、危険察知能力でも何でもいいのですが、そういうような得体の知れない恐怖感です。


坂野教授のペーパーや主張については何度も取り上げてきましたが、こんなことになるとは思ってもみませんでした。
中央からの圧力みたいなものが有形無形にかかった?というようなことなのでしょうか。
ごめんなさい。色々と批判を書いてしまって。

でも、ブログ記事と関係あるなんて思えないんですよ。単なる偶然に過ぎないとしか思えません。例のMy News Japanとかの記事が出たことが要因なのでしょうか?でも4月から調査委員会を設置ということでしたので、前からの問題ということでしたのでしょう?
それに大学院入試の問題作成者についての話なんて、かなり閉鎖的な話題ですし、それほど責任を厳しく追及するような大問題とも思えないのですけれど。自分の記事のせいとは思いたくないけど、すごく怖い。別に坂野教授が悪人だなんて思っていたわけではないし。


でもこれで研究者として重い罰を受けさせられる(たとえば免職とか)となれば、どこからそういう力がかかったのか、ということが気になるし、本当に恐ろしいです。こんな形で粛清されたりするのか……
怖くて何も書けなくなってしまうよ…



軍師のこと

2007年10月10日 13時01分53秒 | 政治って?
読売新聞の8日付朝刊に『福田政権 名軍師はいるか』(時田英之記者)という記事が出ていたのですが、大変面白く読めました。
お二人のブログはいつも拝見しておりますが、こうして軍師という分け方で登場されると、なるほどという納得感のようなものがあります。特に櫻田淳氏の指向というのは、刊行物の記述に限らず、ブログにおいても明確に軍師としての発言が出されていると思います。恐らくこれは、永田町における櫻田氏の実務上の経験によるものではないかと感じています。かんべえ殿はかなり冷静なウォッチャーのような印象ですが、分析に重点を置くというお仕事上?の背景をもつから、ということが関係しているのかもしれませんね(勝手な推測です)。

記事の一部を引用してみます。

<櫻田氏の紹介部分>
 「政治学や経済学といった社会科学には、現実の問題にどう対処するべきかという処方箋を出す役割があるはず。日本ではまだまだ『学問と実務は別』と考える学者が多いが、それではいけない」。知識人はより良い政治のため自らの知恵を生かす使命がある。そのためには生々しい政治にかかわることもいとわない―そんな意気込みを「雪斎」の名に込めたのだという。

(中略)

<吉崎氏の紹介部分>
 「私は情報を上げるスペシャリストよりそれを生かすジェネラリストの方が偉いと思っている。官兵衛の生き方が好きなだけで、社会を動かそうなんて気持ちもないし」。その発言は意外にクールだが、組織を生かすためにリーダーを支える知恵袋としての「軍師」の役割が大きいことは確かだと説く。「例えばホンダ創成期の本田宗一郎に対する藤沢武夫、最近なら小泉政権における飯島勲秘書官や竹中平蔵氏ですね」




それぞれに軍師ポジションのイメージがあって、ここでも、櫻田氏の場合には「学者(知識人)としての軍師」、吉崎氏は「(企業)組織の中での軍師」というような、ご本人の経歴・背景というものが反映されているように思われました。

更に記事にはこう続く。

 ここで興味深いのは櫻田、吉崎の両氏とも、先に退陣した安倍政権にあっては、その「軍師=参謀システム」、つまり手兵の政治家を中心とした首相補佐官制度がうまく働かなかったと指摘している点。「軍師の役割は本来知識人のもの。政治家を起用するのは間違い」(櫻田氏)、「トップに直言して”裸の王様”にさせないのが補佐役。お友達では駄目」(吉崎氏)。




両氏の指摘は軍師の役割が大切なのだ、ということを再認識させてくれるものでした。
今後の政権運営において誰がそのポジションに納まるのか、気になるところです。


手前みそで申し訳ないのですが、補佐官とか軍師に関して、少し近い感じで書いたことがあります。

安倍政権の補佐官システムについては発足時から心配というものがありました。
肥大化する官邸?

退陣については、「側近力の弱さ」ということを書きました。
遂に降板ですか…安倍総理(追記あり)

あと、竹中半兵衛の話(笑、妄想記事)はコレ。
郵政決戦に備ふ(決起編)