新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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派閥はやはり必要悪なのか

2024年01月31日 11時58分08秒 | 自民党裏金事件

相変わらず野党から激しい、かつ的確な野次の嵐に見舞われていた岸田文雄施政方針演説。
 
在京各紙の社説では具体的な方針がないことを指摘していたが、きわめて具体的な、それも総理大臣としてはあるまじき行為ともいえることを平然と 口走っていた。
 
速報】岸田総理「あえて自民党総裁として」憲法改正めぐり異例の言及 施政方針演説で
 

岸田総理は衆議院本会議で施政方針演説を行い、憲法改正について「あえて自民党総裁として申し上げれば、議論を前進させるべく最大限努力したい」と異例の言及をしました。
岸田総理
あえて自民党総裁として申し上げれば、自分の総裁任期中に(憲法)改正を実現したいとの思いに変わりはなく、議論を前進させるべく最大限努力したいと考えております」

岸田総理は憲法改正について、このように述べたうえで、「今年は条文案の具体化を進め、党派を超えた議論を加速してまいります」とも訴えました。


 

 
まさに古くから言われてきた「政治とカネ」の問題を見事に再現させてしまったのが、昨年からの自民党の裏金疑惑であったのだが、多くの国民の怒りと不信を買っておきながら、ルールを守らない政治家が「憲法」の改正を口にするという笑えない冗談であった。
 
さらに、裏金問題を「派閥の問題」にすり替え、派閥の「解散ゴッコ」を演じたのだが、朝の情報番組でもコメンテーターが言っていたように、これは脱税問題であり、先週も田中龍作ジャーナルが、「問題は派閥じゃなくて脱税なのだ 新聞テレビの世論操作に乗せられるな」と国民に注意を喚起していた。
 
 
そして国会でも真正面から取り上げられていた。
 
自民派閥の裏金は「脱税」だと指摘続出!国税は動くのか…過去には特捜部と連携して大物摘発
 
26日に召集された通常国会は、自民党派閥の裏金事件を受け、岸田首相の施政方針演説の前に予算委員会が開かれる異例のスタートになった。29日、衆参の予算委に岸田首相と関係閣僚が出席して「政治とカネ」問題に関する集中審議を行った。
 集中審議で複数の野党議員が指摘したのが、派閥の政治資金パーティー券の売り上げをキックバックや中抜きで裏金化する手法は「脱税」にあたるという問題提起だ。
 質問に立ったひとり、立憲民主党の小西洋之参院議員は総務官僚時代に政治資金を担当していたといい、今回の裏金事件を「脱税」と断言。収支報告書の訂正で済ませようとする岸田自民の対応を「脱税にお墨付きを与えようとしている」と批判した。
 政治団体が寄付やパーティーで集めた政治資金は原則的に非課税だ。一方、政治家個人が受け取った政治資金は、使い残しがあれば残額を雑所得として確定申告する必要がある。
 つまり、個人で受け取っていた裏金を政治団体の収入として記載する訂正を行えば、納税義務から逃れられる。そもそも派閥から所属国会議員個人への寄付も違法だが、政治団体への寄付ということにしてしまえば合法になる。そういう収支報告書の訂正を許していいのかということだ。
■国税庁は動くのか
東京地検特捜部の捜査終了で逃げ切ったと安心したのか、「5人衆」と呼ばれる安倍派幹部も裏金の額を公表し、収支報告書を訂正すると言っている。
 萩生田前政調会長は2018年からの5年間で2728万円を受け取り、引き出しに保管していたと会見で説明した。個人で受け取った政治資金を政治活動に使わず取ってあれば課税対象になるはずだが、政治団体の収入として報告書を訂正すれば免責されるのだ。
 高木前国対委員長も会見を開き、過去5年間に受け取ったキックバック1019万円は同僚や後輩議員、マスコミ、有識者との飲食費や交通費などの政治活動に全額使ったと説明。だが、領収書やレシートの記録は何もないというのだ。そんな不透明な使い方が政治活動として認められるはずがない。
 収支報告書は「支出」も重要で、政治活動に使ったことを示す領収書が必要だ。裏金を政治団体の「収入」に記載するとして、領収書がないのに「支出」をどうするのか疑問だ。高木氏はどうやって収支報告書を訂正するのか。
飲み食いだけでなく、裏金を生活費に使っていた議員もいたでしょう。どう見ても個人の所得です。多くの裏金議員が不起訴になったことに世論は納得していない。政治資金規正法違反で立件できなかったとしても、脱税で逮捕か、せめて追徴課税でもしてもらわないと国民の怒りは収まりません。まもなく確定申告のシーズンですが、これでは納税を拒否する国民が続出しかねません」(経済評論家・斎藤満氏
 過去には国税と特捜部が連携して大物議員を脱税で摘発したケースもある。いい例が金丸事件だ。1992年に自民党の金丸信副総裁に5億円の闇献金が発覚。この政治資金規正法違反がわずか20万円の罰金刑で決着したことに世論の怒りが収まらず、翌年に金丸は巨額の脱税で逮捕された。
 今回、国税庁は動くのか。裏金脱税議員が何のペナルティーもなしでは、納税者はやってられない。
   
 
ところで、  中央大学法学部を卒業後は大手スーパーのマイカルに入社し、総務本部法務部で企業交渉を担当し現在は ジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介が、派閥が生まれた過去の経緯となぜ派閥がなくならないのかという理由をわかりやすく解説していた。(注:一部の表現を修正)

もはや時間の問題。解体しても結局は自民党内に「派閥」が再びできてしまうワケ」 
 

今回は「派閥解散後に出てくる『ネオ族議員』と『ネオ派閥』』と題して、派閥を解消した後の自民党に関してみてみたいと思います。
まだ解消したばかりで先の予想をするのは時期尚早かもしれませんが、しかし、すでに過去に自民党は一度派閥の解消をしております。
しかし今日「派閥を解消する」ということが注目されているのです。
そこで今回は派閥ということに関して根本的に学び、そしてその内容を見てゆくということになるのではないかと思います。
■そもそも派閥とは「政策ごとの集団」
そもそも派閥とは、「政策研究会」ということになります。
何か政策を行う場合には、様々なやり方がありまたさまざまな考え方があります。
基本的には日本という国家をよい方向にススメ発展させるということになるのですが、しかし「何が善い方向なのか」「どうやって進めるのか」「どれくらい発展させるのか」そして「どの方法を優先するのか」ということが重要になるのです。
例えて言えば、東京から大阪に行くということだと思ってください。
その場合、まず「大阪に行くことは本当に良いことなのか」ということが重要になります。
大阪に行くことがよいのか、大阪でなくてもよいのか、東京にいたままでヴァーチャルで体験してもよいかもしれません。
また大阪に行くにしても、新幹線で行くのか飛行機で行くのか、バスなのかというようその方法はたくさんありますし、また大阪に何時につくのかということも重要になります。
それは「大阪に行って何をするのか」ということが問題になりますから、その事の価値観や何を優先するのかということが重要になります。
その目的によっては江戸時代を体験するとして歩きや馬で行くというような話もあるのです。
このように単純に「よい方向」つまり「大阪に行く」といっても、その目的やその価値観、そして、その内容に関してすべてが変わってくるということになります。
それと同じで、政治に関してもどのようにするにか、どうやってやるのか、そもそもその方向が正しいのかということも全くわからない状態になります。
そのようなことで「大まかな部分」で各政党に分かれるということになるのですが、しかし、自民党のように大きくなると「大きな方向性は一緒でも、その方法論までは異なる」という形になります。
その意味で「政党」の中に派閥ができることになるのです。
その政党ごとの大きな内容に関しては、党の綱領に書いてあります。
しかし、綱領の通りにならなかったり、昔の民主党のように、綱領そのものがなかったりというようなところもあるのです。
自民党の場合は「自主憲法の制定」ということが一つになっていますが、しかし、その内容がどのような憲法なのか、また、そして何をどのように考えてゆくのか。
その様な意味で、自民党の中でも政策の考え方は変わってくるということになるのです。
その政策に関して様々に変わってくるということになります。
昔の中選挙区制の時には、一つの選挙区に自民党の議員が複数立候補するということもありましたので、その意味で政策が異なるということがあったのです。
そしてその政策ごとに政策研究会が発足し、そしてその政策研究会がそのまま派閥になったということになります。
つまり「派閥」などといいますが、しかし、それは「政策ごとの集団」であるということになるのです。
■自民党に派閥がない方が不自然
1993年、現在の岸田派と同じ宏池会の宮澤喜一内閣で自民党が下野し日本新党の細川護熙内閣ができた時に、自民党は派閥の解消を行うということを決めました。河野洋平総裁の時になります。
この時は「小選挙区制になるので、有権者は政党を選ぶのであって、自民党の中に派閥は必要ない」というのが建前であったと記憶しています。
もちろん、当時は宮澤喜一首相本人がリクルート事件での株の取引に名前を連ねていたことなどがあり、そのことから、「政治と金」というような話になっていたにもかかわらず、なぜか派閥解消というような話になったのです。
何か今回と似ている展開ですね。
しかし、結局は「政治と金の問題」であるというだけではなく、必要以上に小沢一郎氏と小選挙区制と政治改革に固執する事から、自民党何もそのやり方に反発する人々が出てきます。
そのことから、結局「河野改革に賛成か反対か」ということになり、その内容で派閥が出来上がるのです。
もちろんそこに反対であるからといって党を割って出るというような選択肢もあるかもしれませんがそのような派内をしないということになります。
そして、河野氏の次の総裁選において、派閥ができるということになるのです。
自民党に限らず、総裁選挙や代表選挙というのは、政策を主張し同好の士を集めるという作業になります。
ある意味で共感を集めるという事でもありますが、そのことが仲間ができているということになります。
皆さんも、例えば高校時代の学生会の会長や何かの実行委員会、もっと少ない内容でクラスの委員長などを選ぶのでも、全会一致でない限り、何らかの派閥ができます。
当然数十人の中でもその集団ができ、そしてその中に様々な考えた個人的な感情が出てくるということになるのです。
当然ながら自民党のように議員だけでも400人もの集団でその様な派閥がない方がおかしいということになります。
そのようにして派閥がまた復活します。
1994年以降30年でまた派閥解消というような話になったのです。
格言で人が3人いれば派閥ができるといわれています。
ある程度の大きな集団になれば、当然に個人的な感情や好き嫌いが出てきますので、派閥ができるものです。
政権をとった民主党でも代表選をするたびに派閥(彼らはグループといっていましたが)ができたのです。   
■かならず登場してくる「ネオ派閥」
さて、今回派閥を解消しても一つの集団にしたところで結局は派閥が出てきます。
マスコミが様々なことを言いますが結局はまた人が集団であるだけでそのままになります。
つまり、また派閥ができるということになるのです。
さて、集団である以上はまた小集団が出来上がるということになります。それはそれが人間だからです。
ところで派閥は1993年に小選挙区制では政策の違いは関係がなくなるからという理由で解消したはずでした。
しかし、派閥はその後また出てきました。それは総裁選などに必要になるのです。
その様な意味でこの二つの派閥の内容を考えてみましょう。
中選挙区制の時代の派閥(旧派閥と言いましょう)は、もちろん自民党の総裁選において自分たちの政策を実現できる総裁をつける、つまり自民党=政権をそのまま自分たちの考え方で動かしたいということにつながりました。
その様な意味で中選挙区の中で一人でも多く同じ派閥から当選を果たし派閥を大きくすることが、政治を自分達の考え方で動かせる内容になります。
一方、小選挙区制時代の派閥(新派閥と言いましょう)は、そもそも小選挙区に自民党からは一人しか立候補しませんから、選挙区における派閥の争いはなくなりますが、しかし選挙区に立候補するための「公認争い」が出てくることになります。
その様な意味で「党内の力学」が必要になってくることになるのです。
そのうえ、「比例代表」になれば、名簿順位が大きくなりましたので、その内容になります。
その様な意味で、派閥は「公に選挙の中で派閥が争う」のではなく、「党内の手続きで派閥が取引する」という形になったのです。
このように考えれば、河野洋平のやった派閥の解消は透明化に逆行させたということになります。
同時に党内のやり取りは金でも動きますので、金銭が必要になってくるということになるのです。
単純に、その内容がまさに今の金銭の使い道であるということになるのではないでしょうか。
さてそのように考えれば、今後も小選挙区制が続く限り「派閥」はできるということになります。
つまり、派閥として公認の権利を持つようにならなければ、自分たちが滅びてしまうということになるのです。
一方、現職はそのままになるしまたそのように、政党か公認をもらわなくても、自力でしっかりと当選できる人は必要ないということになります。
ある意味で政策集団であるということではないので、是々非々で政治を行えばよいというような感じになります。
その様な意味から、新派閥の中においては、その様な公認争いが中心にありそしてその為の集金システムでありまた自民党の党内の圧力団体ということになるので、無所属議員も増えてくるということになるのです。
その様に考えた場合、今後「党内の公認システムや総裁選挙ということがなくならない限り」党内の派閥はなくならないということになります。
これは許認可システムがなくならない限り族議員がなくならないのと同じことになりますし、また人間味のある政治があるのであれば、当然に好き嫌いがあるので、集団ができるのは当然であるということになるのです。
逆に「派閥や党がない方がおかしい政治である」ということになるのです。
まさにこれからネオ派閥が出てくると言ことになります。
そして今回の内容から見れば、また新たな族議員が出てくるということになるのではないでしょうか。
要するに政治とはそういうものでありますし、また、政治の圧力で世の中のシステムが変わるということになれば、そのままその様な感じになるのです。
以前のような族議員ではなく、これがネオ族議員になりまた派閥も新たな「ネオ派閥」ができることになります。
だいたい今年の9月、次の総裁選挙の時にそのような内容が出てくるでしょう。そしてその内容が族議員を中心に物事ができてくるということになります。
■議員は映画や演劇と同じ「政治」という舞台における役者
政治は、映画や演劇と同じだと思ってください。
議員は役者です。
ある意味で監督や演出家の演出で動き、そして脚本家の言うとおりに話します。
その監督にあたるものが派閥の領袖であったりまたはブレーンといわれる人々になりますし、また、脚本家は「代書屋」や「スピーチライター」ということになります。  
そして演劇をするのは、スポンサーが必要になります。これが献金元ということになるのでしょう。
政治家とは、この集合体の価値で、そしてその主役(座長)が評価されるということになるのです。
その様に考えた場合、今のマスコミにように政治家一人をやり玉に挙げても意味がありません。
単純に考えれば、これらの集合体がどのようになっているかということを考えるべきでしょう。
そしてこの集団が完全に解体しない限りにおいて派閥はなくなりませんし、また、ネオ派閥はまた出来上がるということになります。
それが政治なのです。

 
「政治は、映画や演劇と同じだと思ってください。議員は役者です。」との指摘にはいくつかの反論があるかもしれない。
 
「映画や演劇」は自分で金を払い「娯楽」として楽しむものなのだが、「政治」は知らないうちに「税金」として徴収され、その使い道も決して明瞭ではない。
 
ましてや一般の国民は「政治」を楽しめることはないし、その政治の貧困で生活を苦しくされることのほうが多いくらいである。 
 
そして役者には政治屋ほどの「世襲」は少なく、有名な役者の息子が必ずしも高い評価を得るとは限らない場合が多い。
 
いっぽう「議員」は有権者の選挙によって選ばれるものなのだが、問題はその際に派閥からキックバックされた「裏金」が使われているのではという疑惑が晴れないからではないだろうか、とオジサンは思う。 
 

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