政治評論家ではない国際投資アナリストの大原浩が最近の国際情勢の風潮から「特に『有事対応』」の逸材が枯渇しているとして、「『重箱の隅』に『拝金』、世界中の政治家が小物化している2大原因」という論文を寄稿していた。
■重箱の隅つつきが「小者」を量産している 政治家の質が低下している要因として、次の2つがあげられると思う。 1) 重箱の隅つつき 2) 「金儲けが上手い人間」が尊敬される風潮 1の重箱の隅つつきについては、「偉大な人間は大きな欠点を持っているのが普通」だと言うことを認識していただきたい。 例えば、前述の素晴らしい言葉を残し、「救国の英雄」と今でも高く評価されるチャーチルは第2次世界大戦が無ければ、大酒飲みかつ傍若無人な世間の嫌われ者にしか過ぎなかったともいえる。 それに対して、チャーチルの前任であるネヴィル・チェンバレンはまさに「非の打ちどころが無い英国紳士」であり、つつくべき「重箱の隅」が見つからなかった。 しかし、このチェンバレンがナチスに融和的な政策を続けたことが彼らを増長させ、第2次世界大戦という英国の危機を招いた。 「いい人」が良い政治家であるとは言えない。むしろその逆のことが多い。特に外交面では、「いい人」は国民に惨劇をもたらす。チェンバレンが典型だ。 外交というものは、魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界中の国々を相手の「戦い」なのである。「いい人」は「カモ」にしか過ぎない。 そして、現在日本の首相である岸田文雄氏がチェンバレンそっくりだと思うのは私だけだろうか? ■岸田政権の支持率が高い理由 NNNと読売新聞が行った世論調査で、5月の岸田内閣の支持率は63%と高い水準を保っている。 これは、「風見鶏」政策が効を奏したものと考える。 有権者に「心地よい言葉」を投げかけ、敵をつくらないようにうまく立ち回れば支持率は上がるだろう。しかし、国民には苦い薬である抜本的問題の解決は先送りにされ、ある日突然「惨劇」に見舞われるのではないだろうか。 チェンバレン政権末期の英国で起こった事態が、つつく「重箱の隅」が無い岸田政権の下でも起こるのではないかと心配している。「品行方正」な政治家は、多くの場合凡庸であり、有事には役に立たない。 平時には「小物」だけで機能するが、有事には「大物」が必要不可欠だ。例えば、明治政府の立役者たちは、つつくことができる重箱の隅だらけだったが、同時に「大物」でもあった。 したがって、企業は平時から(例えばチャーチルのような潜在的)「大物」を組織の中に抱えていなければならないのだが、「重箱の隅つつき」によって彼らを排除してしまっている。 結局、欠点が目立つ「規格外」の人材を有事に備えて確保しておくことが、国家や企業などの組織の命運を決めるといえる。 ■社長以上の能力を持った社員は雇えない よく、「社長以上の力を持った社員は雇えないですよ!」ということが言われる。たぶん、社長以上の力を持った社員であれば、自ら起業するか他社の社長になっているであろうということだ。 「代表取締役平社員」のような意欲ある人物は重要だが、社長の能力を超えることはできない(専門分野の能力は別である)。 これを、「独裁国家」に当てはめると、「独裁者以上の国民は存在『しない』」のではない。むしろ多数存在するから、彼らを粛清して「独裁者以上の国民を存在『させない』」という恐ろしいことになる。 それでは、民主主義国家ではどうであろうか? 民主主義国家では(少なくとも建前上は)国民が為政者を選挙で選ぶ=「国民が政治家を雇う」システムだ。したがって、政治家は国民の能力を超えることができない。 つまり、政治家が「小者」ばかりになっている大きな原因は、有権者が「重箱の隅をつつく」ことに熱中しているからだとも考えられる。 ■政治家は尊敬されるべき職業だ 「金儲けが上手い」人間が尊敬されるのとは対照的に、志を持った政治家が尊敬されなくなった。金銭的に恵まれなくても(金権主義でなくても)高い志を持ち政治家を目指す人々は存在するはずだが、人々から尊敬されなくなれば彼らの気持ちも萎える。 だから、今日の政治家の質の低下は、「大義」を掲げた政治家を国民が支持しなくなったことが最大の原因だとも言える。 我々は、目先の利益を忘れて、「日本の将来を託すべきなのはどのような政治家なのか」ということを大局的に考えるべき時期に来ているのではないだろうか? |
日本の近年の政治家と呼ばれる連中は国民が支持しないのではなく、「大義」を掲げた政治家」が残念ながら皆無ですべてが米国に隷属している小物ばかりだからなので、「政治家の質の低下」ではなく、世襲政治屋が跋扈して「質の高い政治家」がいないだけの話であろう。
それではこの3か月間侵略者ロシアと果敢に戦っていて西側諸国に支持を訴え続けているウクライナのゼレンスキー大統領は「大義」を掲げた政治家」なのであろうか。
上智大学で国際関係論 ( 2018年3月)の博士になった津田塾大学 学芸学部 国際関係学科 講師の松嵜英也が、今年の3月に「(混沌のウクライナと世界2022)第1回 なぜゼレンスキーはウクライナの大統領になったのか?――人気タレントから大統領就任への社会的背景」という論考を発表していた。
そこには「ポピュリストとしてのゼレンスキーの対ロシア戦争」との章でこう分析していた。
こんにちのロシア・ウクライナ戦争では、西欧とロシアの地政学的な対立に注目がいきがちだが、ゼレンスキーがポピュリストであることは、今回の戦争の重要な側面であり、西欧からの支持調達のあり方を考えるうえでも、そのことを把握する必要がある。例えば、ゼレンスキーはYouTubeで「ゼ!大統領(Зе!Президент)」というチャンネルを持ち、ロシアの軍事侵攻によって、ウクライナの人々の生存が脅かされていることを強調し、自国の窮状と支援の必要性などを訴える。そこでも、自由を守るウクライナの大衆と、それを脅かす敵のロシア政府が峻別され、善悪が明確になっている。さらに大統領は、終戦に向けた案についても国民投票で決めると主張し、ウクライナの人々の意思を直接政治に反映させる姿勢も見せている。その点で、今回の戦争におけるゼレンスキーのメディア戦略は、2019年の大統領や議会選挙のときのエリート対民衆の構図と類似していると言える。 ただし、こんにちの戦争では、2019年選挙と大きく異なる部分もある。それは、ゼレンスキーのメディア戦略がウクライナ国内だけではなく、国際社会でも展開されていることである。そしてそこでは、彼の述べる善悪と国際社会の善悪が結びつき、ロシアの軍事侵攻が国際社会の重要な規範である主権国家体系を阻害している反面、ゼレンスキーはそれを擁護しようとしている構図が描かれる。 いまや彼は日本の国会でも、ウクライナの窮状と支援の継続について演説し、メディアを通して世界中の人々に訴えながら、ウクライナという「民衆」の側に立つように求める。ロシア・ウクライナ戦争は、まさにポピュリストのゼレンスキーが示す善悪と、国際社会における戦争の善悪の結びつきを示していると言えるだろう。 |
さて、こんな「ロシア・ウクライナ戦争」に対して元国連紛争調停官の島田久仁彦は、大胆にもこんな見立てを自身のメルマガに書いていた。
「プーチンも驚愕?欧州が中国と描く「ウクライナ停戦」の仰天プラン」
■泥沼化するウクライナ戦争と複雑化する国際情勢 「世界はいつまでウクライナに付き合えるのだろうか?」 このような声があちらこちらから漏れてくるようになりました。 ニュースでもインターネットでもウクライナ情勢について目にしたり耳にしたりしない日はないほど注目を集めていますが、伝えられる内容は次第に現在の戦況から終戦後の世界へ関心が移ってきているように思われます。 マリウポリのアザフスターリ製鉄所に籠って抗戦していたアゾフ連隊およびウクライナ軍が製鉄所から退避(ロシアの発表では投降)し、ロシアがマリウポリを完全制圧したと報じられたことで、一時は退潮が噂されたロシアが巻き返したという見方が出る一方、ロシアが掌握するウクライナ東部ドンバス地方におけるウクライナ軍の抗戦、そして北部ハルキウをめぐる攻防についての情報がでるなど、まだまだ戦況についての報道は健在ですが、次第にウクライナでの戦争による“影響"について懸念の声も聞かれるようになってきました。 例えば、戦争の長期化と欧米諸国による対ロ制裁の強化の影響で引き起こされる【供給不足からの価格上昇】は、確実に私たちの生活を圧迫し始めています。 国連機関による分析では、穀物や金属、石油・天然ガスなどのエネルギー資源、木材といった様々な商品や資源の流通が滞り、またロシア・ウクライナにおける混乱によって物理的な供給が止まる中、コモディティの物価がウクライナ戦争ぼっ発以来、平均で3割上昇しており、今後、このまま戦争が長期化する場合、さらなる上昇が見込まれると言われています。 世界経済は、コロナ禍からの復活基調が出始めていた矢先、再度悪化のスパイラルにはまり、確実にスランプに陥りそうな様相を呈してきました。 イタリアのドラギ首相の表現を借りれば「私たちは平和か、この夏のエアコンかを選択しなくてはならない」という厳しい選択を迫られる状況が現実化してきました。 ウクライナへのロシアの侵攻が始まった当初は1週間ほどで終わると言われていたため、ドラギ首相の表現もさほど深刻に取り上げられてはいなかったようですが、すでに開戦から90日余りが過ぎ、様々な対ロ制裁と物流の停滞の影響が、まるでボディブローのように各国の消費者に効いてくることになりました。 これまでウクライナへのシンパシーが前面に出ていた各国の消費者の心境にも変化が現れ、冒頭の発言のような「いつまでウクライナに付き合えるか」というマインドが前面に出てくるようになってきました。 欧州各国は、今でもウクライナから逃げてくる人たちの受け入れは続いていますが、電気代や燃料代、そして各家庭の食費の負担が増大してくるにつれ、自国政府への不満が累積し、プーチン大統領への怒りがこみ上げ、そして間接的にウクライナへの何とも言えないネガティブ感情が巻き起こってきているらしいのです。 「ウクライナの人たちが直面している状況にはシンパシーを感じ、できるだけのことをしたいが、まずは自分たちの生活が成り立たないことには…。ところで政府は何をしているのか?」 言い表せばこのような心情でしょうか。 戦況が一進一退の状況を繰り返し、戦争の長期化が予想される中、欧米諸国はウクライナへの軍事的な支援のレベルを上げ、一気にケリをつけてしまおうと見せることで、政府に向かう国民からの非難の矛先をかわそうとしているように見えます。 ウクライナの戦力の充実度の裏で、じわじわと【ウクライナへのシンパシー】の度合いも変わってきているようです。 最近のゼレンスキー大統領の諸国への発言や要求、クレバ外相の【NATOはまだまだ何もしてくれない】という発言などにおいて目立ってくるのが、要求内容のエスカレーション傾向です。 行動心理学における“もっと、もっと"の特徴でもあるのですが、支援を提供しているのに非難ばかりされる状況に直面し、同時に国民からの不満の増大との挟み撃ちの状況に、欧米諸国政府のイライラ度合いが増しているという情報が寄せられています。 「ロシアをこの際叩かないといけない」 「力による強引な現状変更の試みを許してはならない」 そう感じる半面、高まる一方のウクライナからの要求にたいしての不快感も増大しているという状況が目立つようになってきました。 そしてそこに追い打ちをかけ、各国のリーダーたちが首を傾げだしたのが、ウクライナがロシアに突き付ける【停戦交渉のための条件集】の内容です。 「2月24日以前の状態まで戻るまで、交渉のテーブルにはつかない」 一見、当然にも感じる条件なのですが、一進一退を続ける戦況を考えてみると、かなり強気な要求・条件に感じます。 マリウポリを失い(いずれ奪還すると言っているが)、ドンバス地方で反撃を試みるもまだロシアが優勢であることに変わりなく、また“善戦"と言われるのも、ウクライナの兵士および国民の奮闘はあるものの、欧米からの武器・弾薬・資金の供与があってのこと。 それも、日本も含む国々の血税を投入してもらった上での善戦であり、ウクライナ政府およびゼレンスキー大統領が威張ることでもないはず。 そして支援しても、返ってくるのは、さらなる要求と「まだまだ全然足りない。このままだとウクライナ、そして民主主義はロシアの悪の手に堕ちる」という、欧米諸国が断りづらい痛点を突いてくる。 ゼレンスキー大統領の話術、プレゼンテーション能力を絶賛する風潮が報道で目立つ中、欧米諸国の政府は徐々に“違和感"が“確信"に変わり始めているようです。 その“確信"の内容は何でしょうか? 代表的な声の内容は「今回の件でプーチン大統領が悪く責められるべきなのは確実だとしても、そもそも過去8年にわたり、何も効果的なことが出来ず、このような惨状を招いたことについては、どのように考えるのか?」 「支援を受けておいて、非難するとはどういうことなのだろうか?」 「我々が供与した武器弾薬が行方不明になっているが、どのような説明をするつもりだろうか?」 「気持ちは分からなくもないが、ウクライナによるロシア軍捕虜への蛮行・虐待、そして殺害について、我々がこれ以上目をつぶっていることは適切と言えるだろうか?」 などいろいろな疑問や違和感を示しています。 私にとっては、かつての旧ユーゴスラビア・ボスニアヘルツェゴビナでの惨憺たる状況を前に、欧米諸国、特に英国の情報・メディアキャンペーンでクロアチアを悲劇のヒロインに仕立て上げ、ミロシェビッチ大統領率いるセルビア共和国を“悪"に仕立て上げた状況を思い出してしまいます。 ミロシェビッチ大統領およびその仲間たちが行った蛮行は決して肯定することはできませんが、クロアチア政府がセルビア人に対して行った数々の残虐行為は、見事に覆い隠されたことについては、大きな違和感を今でも抱いています。 そして今、ロシアとウクライナの間で行われている戦いを描写する様々な情報を前に、ユーゴスラビア内戦の際と同じ企てが進行しているように感じてしまいます。 しつこいくらい繰り返しますが、私はプーチン大統領およびロシア軍がウクライナに侵攻し、民間人に対する蛮行を働くことに対して全くシンパシーを感じません。 しかし、「悪いロシアが一方的に罪なきウクライナの権利を蹂躙した」という描写にはとても大きな違和感を抱きます。そして、そのイメージづくりの片棒を担ぐ欧米諸国の方針と戦略が全く変わっていないことにも大きな疑問を抱きます。残念ながら、これまでは見事なまでに策が奏功していますが。 ただ、ここ最近になって、少しずつボロが出始め、欧米諸国のゼレンスキー大統領およびウクライナ離れが加速し始めています。 旧ユーゴスラビアでの内戦・分裂時の悲劇のヒロインであったクロアチアと、今回の悲劇のヒロインであるウクライナとの違いは、どこまでそれを演じきれるかというところでしょう。 クロアチアはセルビアに劣らないレベルの蛮行を行ったにも関わらず、従順に欧米、特に英国が描いたイメージ戦略に沿った言動をし、見事にセルビア共和国のミロシェビッチ大統領を極悪人に仕上げました。 それに対し、ウクライナ政府とゼレンスキー大統領は、過信なのか、自らの失敗を覆い隠すための言行なのかは知りませんが、最近になって、味方であるはずの欧米諸国およびNATOに対して不満を述べ、「くれくれ」要求を繰り返す中、少しずつサポーターを失い、馬脚を露していることに気づいていないようです。 欧米諸国はそれでもまだ、自国の利害に沿ってロシア叩きに興じていますが、その行動を支える理由が、ウクライナへのシンパシーから、プーチン大統領および強国ロシアを排除した後の新国際秩序の構築と、自国の利益拡大の機会最大化に変わってきているようです。 ウクライナの“友人"であるはずの欧米諸国もそれぞれに思惑があり、決して一枚岩でないことは皆さんもお気づきの通りです。 では大きな違いと、水面下で進む大きな企みはどのようなものでしょうか?あくまでも“推論"という形でお話ししたいと思います。 ここでのプレイヤーは、ロシア、欧州各国、NATO加盟を目論むスウェーデンとフィンランド、中国、日本と米国です。 ポイントは、 【不気味に沈黙する中国政府】 【脱ロシアにかかる時間に対して、自らの経済安全保障を守るのに必要な時間が長くなることに気づいている欧州各国】 【そしてロシア・ウクライナと地続きで存在する欧州と、紛争の炎の飛び火を恐れる欧州】 【これまでの安全保障方針を転換し、NATO加盟を急ぐスウェーデンとフィンランの思惑】 【ロシアを警戒しつつも、ロシアを取り込んだほうが利益が大きいことを確信している中国】 【ウクライナに大きな利害を有しないが、アメリカと歩みを共にすることで安心を得ようとする日本】 そして 【国内情勢の都合上、ウクライナへの支援と、中国の台湾への野心を強調することで、支持率回復を狙うアメリカのバイデン政権】 という複雑なコンビネーションです。 さてその“推論"とはどのような内容でしょうか。 あくまでも推論ですが、お付き合いくださいね。 【中国の習近平国家主席ルートを通じてプーチン大統領にコンタクトし、中国と欧州諸国とウクライナで停戦協議を行なう】 というのが一案です。 ここではまじめにウクライナの後ろ盾をする日米は置いてきぼりになります。欧州は中国と共に条件を提示しますが、その内容はどうなるでしょうか。 【ロシアによるクリミア半島の実効支配はそのままにして認め、ドンバス地方の帰属については継続審議対象とする】 【プーチン大統領・ゼレンスキー大統領ともに大統領を辞任する。プーチン大統領については、辞任はしても逮捕対象にはしないことで身の安全を一応保障する】 【ずたずたになったウクライナの戦後復興は中・欧で仕切るが、日本とアメリカもうまく巻き込んで、負担をシェアする】 【突然のように最近湧いてきて、かつ異例のスピードで加盟申請の話が進むスウェーデンとフィンランドが、トルコによる頑なな反対と揺さぶりを理由に「このような非常時にNATOの結束を乱すわけにはいかない」とでも言って、NATO加盟申請を取り下げ、プーチン大統領に配慮したかのように見せかけ、停戦交渉のテーブルに就かせる】 【中国は仲裁者としての功績をアピールし、ウクライナの戦後復興で濡れ手に粟】 【欧州は、ロシアと微妙な仲直りをすることで、エネルギー安全保障を回復し、危機を乗り越えたとアピール】 【中国と欧州各国との確執も、一旦棚上げにし、それぞれの経済安全保障の回復と確保に動く】 といったシナリオはいかがでしょうか? 「ただの妄想」と思われるかもしれませんが、少しでも「ちょっと待てよ…もしかして」とお感じになったなら、このまま一緒に想像してみてください。 この場合、一見、日米は出し抜かれてしまうように見えますが、実は負けてはいません。 日本については、賛否両論ありますが、国際安全保障問題でこれまでにないほど踏み込んだ対応をすることで、G7内での信用度は上がったと思われます。そして、ウクライナの戦後復興に関わり、かつロシアの経済的なスランプに対しても手を差し伸べることで、対ロ関係で強い立場に立つことが出来るかもしれません。 アメリカについていえば、11月の中間選挙を控えるバイデン大統領と民主党にとっては逆風が国内で吹きかねませんが、ウクライナ戦争への積極関与を通じて、米国産の武器弾薬がたくさん供与され、実戦を通じて大規模な武器見本市を実施することで軍需産業および関連のセクターに大きな利益をもたらすことになり、必ずしも出し抜かれて損をしたとはいえないかもしれません。 では、ゼレンスキー大統領はどうでしょうか?こちらもまた安泰でしょう。支持率が一桁にまで沈んでいた惨状から、 【強大な敵と不条理に対してひるまずに戦う戦時大統領】 【家族と離れ離れになってもウクライナのために命を賭して戦ったリーダー】 【被害にあう国民の惨状に涙する優しいリーダー】… 彼のリーダーとしての今後は、しばらくは保証されると思われます。 今回の案件でロシアとウクライナの仲裁役を買って出ることで外交的な得点稼ぎを狙ったトルコも、仲裁役のお株は奪われてしまいますが、NATOをめぐるやり取り“劇場"を通じて、ウクライナ問題とは直接的に関係がないクルド人問題を提起・主張するチャンスを得ると同時に、しっかりと第3極として国際情勢におけるメインプレーヤーグループに立ち位置を確保することに繋がります。 あまりにもできすぎた絵空事だと思われるかもしれませんが、何だかあり得るような気もしませんか? とはいえ、この妄想には唯一の敗者が存在してしまいます。それは皆さんもお考えの通り、生命財産を奪われたウクライナの一般市民でしょうし、リーダーの明らかに行き過ぎで、強引すぎる振る舞いのせいで、世界中で嫌われ者にされてしまったロシアの一般市民です。 そして、間接的に、高い経済的コストを強いられることになった世界の消費者たちでしょう。 ここ最近、いろいろなところから提供される情報をベースにした分析を加えて、今回、ため息をつきながらいろいろと書いていますが、この妄想とも批判されるかもしれないシナリオが発動されるまでには、まだちょっと時間が掛かりそうな予感がしています。 以上、国際情勢の“裏側"でした。 |
ゼレンスキー大統領の評価にはかなり両極端なものがあり、本当の実態は不明であろう。
海外メディアのニュースを参考にして分析しているのだろうが、それも「西側メディア」に依拠していれば、公平な評価は下せない。
「ウクライナ軍にとって、いかに事態がまずいかという主流メディアによる希な一瞥」という記事をオーストラリアのフリージャーナリスト、ケイトリン・ジョンストンが書いていたが、こう結んでいた。
「青と黄色の国旗を振る人々の多くは善意で、本当に自分はウクライナの自由と主権を擁護していると思っている。だが彼らが実際声援しているのは、帝国へのウクライナの服従と奴隷化、ウクライナ人の苦難と、地球上の全員の命を脅かす核保有超大国間の危険な代理戦争の継続だ。」
世界中の多くの善良な人々がもはや「厭戦」気分になりつつあり、日本国内のテレビメディアも真剣に報道することが減少している。
たとえ「仰天プラン」と批判されようと、そろそろ本気になってウクライナ停戦」に向かって各国のリーダーは真剣に考える時ではないだろうか、とオジサンは思う。