生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

「嫌い」と言う感情は、とても大事な知恵の源:その3

2013年06月01日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
自分が感じる「嫌い」という感情の裏に人類の生存を支配するものがあるらしい、と思ったことはありませんか?ふん、と思う人は、この記事は読まないほうがいいでしょう。しかし、嫌いという感情の裏には、神聖で深く大きな幸福を示唆する知恵への道かなあ、と少しでも感じとれた方は是非、読み続けて下さい。嫌いという感情には自分の生命がかかわっているのです。例えば、神様が嫌い、と本気で思う人は死ぬ時、どうなるのでしょうか?自分が何が好きで、何が嫌いか、その傾向を楽しみながら勉強していきましょう。京都奈良を旅をして、どんな神社仏閣が好きで、どんな所が嫌いか、正直に五感と体感で感じ取れる人は幸せ者。何が好きで、何が嫌いかを口に出す必要はありませんが、意識の上で正直に感じ取る訓練を楽しみましょう。どんな神様、仏様が好きか、嫌いか、どんな人が好きで、どんな人が嫌いか、その傾向が人類には必ずありますので、倫理道徳で自己否定することなく感じ取りましょう。正直にです、そうしないと人格が変形していきます。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き、と明確に意識化しないと、結局は偽善的となり、不正直な人となり、道をあやまっていきます。建前だけを言う人を人は嫌います。本音だけを言う人も、これまた嫌われます。程々のバランスがあると、人に愛されます。食物も同じ、異性も同じ、森羅万象も好きか嫌いかを明確に解釈していきましょう。さて魂の問題ですが、この自分の死と直結したテーマについては早急な結論は出さずに、生涯、こつこつと楽しみながら思索されたほうがよさそうです。自分が死んだらどうなるか、その答えは死んでみないと分からないだけに、実に恐ろしい嫌な問題、課題、テーマなのです。自分の死は嫌な問題の最たる領域ですが、今は嫌いな課題でも、この自分の死への嫌な感情だけは、あまり嫌わずに、すこしづつ、楽しむ雰囲気を哲学的に成長させていきましょう。自分の死を楽しく考えることを「メメントモリ」といいます。このメメントモリが人類を大きく幸せにした嫌な領域での大テーマでした。自分にとり、嫌な感情こそ、そこに最高の幸せへの道を示唆している、という先輩の教えに気付いてくださると有難く思います。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 41>


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その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。


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