生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

怖い、という感情:その2

2013年06月16日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
大和三山の一つ、畝傍山、この神聖な山は橿原神宮を経て神武天皇御陵に向かう参道から登山道になりますが、その登山道の入り口に不思議な神社があります。東大谷日女命神社です。この神社に祭られている女性はかの有名な大国主命のお孫さんで、かつ、神武天皇のお妃様でもあります。この神社は私には何故か神秘的というよりは不気味な雰囲気を感じさせていましたが、その森で何故か太極拳が舞いたくなりました。早朝、太陽が木の間から差し込む辺り、落葉土で足が少し埋まる感じの土地で、いかにも古代の香りがする場所です。一人で演舞する内に何故か、気持ちが重くなり、もうやめようかなあ、と感じました。舞おうとするとその意思を妨げる嫌な気分になるのです。ここで止めるのも人生の敗北になるような気分も片一方に湧き出す不思議な土地でした。演舞を続けさせてのは木の間からさす太陽の光りでした。太陽の光を心に感じると意欲が湧きだすのです。24の型を演舞をしていると落葉土なので足が沈みます、或時は、大きなミミズが私の足を打ち、或時は子供のころ慣れ親しんでいる蛇が悠々と流れるように演舞の足元を横断します。15センチはある大きなミミズ、枝に見える大きな虫、そして蛇、この大自然の中の太極拳は今回は勇気のいる演舞でした。海外でも海辺、砂漠、森の中、と色々楽しんできましたが、この畝傍山の早朝の太極拳は不思議な流れでした。大きなミミズは気味が悪く、1メートルくらいの蛇をまたぐ時は怖い感じでした。しかし逃げ出す気は何故か全く無く、むしろ私の生育史の汚れと禊の貴重な賜物のような気分がその時、私を支配していたのです。珍しい人生体験でしがた、これは畝傍山という環境が生んだ珍しい風景なのでしょう。怖い、気味が悪い、という感情にも汚れと禊、つまり魂の領域の精神作用もあるようです。舞い終わった時は木の間からさす太陽の光に思わず手をあわせてしまいました。これほど太陽の光が私を勇気づけてくれたのは初めてで古代やまとの聖なる山で太極拳を演舞出来た我が人生に感謝です。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 56>


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その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。


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