以前ノンフィクションの傑作とされる「不当逮捕」を読んで、主人公の立松和博よりも、著者本田靖春の気骨を強く感じました。
その彼が書いた「私のなかの朝鮮人」という本を読みました。私ヌルボが読んだ文春文庫版は1984年発行ですが、元の単行本は1974年の発行です。帯に「私小説的でユニークな実感的朝鮮論」とあるように、1933年ソウルで生まれ、戦後も読売新聞記者・ノンフィクション作家として韓国・朝鮮関係の問題と関わった本田さん自身の体験をふまえた本です。
この本については、率直に言って「不当逮捕」のように直接的な感銘は受けませんでした。しかし、<韓国オタク>として(?)次のようなことについて知識を得ることができました。
①1933年ソウル生まれの著者の、少年の目を通して見た戦前・戦中、そして終戦前後の朝鮮社会。引揚げとその後の日本。
②1970年頃までの日本の言論・一般社会の朝鮮・韓国、そして在日に対する無関心、あるいは差別。たとえば・・・
・1973年在日朝鮮人の季刊雑誌「まだん」を創刊した金宙泰氏のこと。
・1970年焼身自殺した在日(→<帰化>)朝鮮人・梁政明(山村正明)のこと。
・<帰化>した在日朝鮮人団体組織の成和クラブについて。
・日立就職差別裁判と、その当事者朴鐘碩さんのこと。(仙谷弁護士(前官房長官)の名も出てくる。)
③1972年8月、27年ぶりに再訪した時の韓国のようすと、本田さんの感想。
※かつて通った東大門小学校(乙支国民学校と改称していたが、まもなく廃校)も訪ねる。
④金大中事件の成り行きと、日本の言論。
各項目について、私ヌルボが初めて知ったこと、考えたことはいろいろありますが、今回は、その中でとくに金大中事件についての本田さんの見解について取り上げます。
本書では、本田さん自身が「諸君!」73年12月号に書いた文章を引用しています。
・金大中事件だけを採り上げるなら、すべての非は韓国側にあって、それがKCIAの仕業であろうとなかろうと、日本が被害者であることは動かない。日本が被害者であることは動かない。日本人は、くすぶり続けてきた彼我の感情的対立の中で、初めて“正義”のトーチを手にしたのであった。それが「国家主権の侵害」という大義名分である。そして、それを否定できるものは、だれもいない。
・私は、このさい、あまり怒らない方がよいという少数派の一人である。なぜなら、たけり狂う人びとが、あまりにも「正義」を押し立てすぎるからである。
くどくなるが、今度の事件に見るかぎり、たしかに「正義」はわが方にある。だがそれは、事件にかぎるならのことであって、私は、いまの憤激のありように危険性を感じている。
・主権侵害をおどろおどろしくいい立てるのなら、われわれが六十万人の在日朝鮮人に日常的に加え続けている人権侵害は、いったいどう解決するつもりなのだろう。そのことを、一人一人にたずねてみたい。
本田さんは、最初の引用文の前に、かなり長く(6ページ分くらい)近代日本の朝鮮人差別について記しています。
本書のこのようなくだりを読んで、私ヌルボが連想したのが、小泉首相訪朝以降の拉致問題をめぐる言論。1970年代の金大中事件をめぐる議論の構図ととてもよく似ています。
拉致問題に対する<メディア・スクラム>と、憤激する世論の大合唱。これに対する、少数派の批判。
批判の主旨はというと、韓国(北朝鮮)非難の中に<差別感情>を読み取ったり、過去、日本人が多くの朝鮮人を強制徴用(もちろん<連行>という人もいる)したではないか、という「自省」(or「相殺(??)」)。
1972年の再訪時、本田さんはソウルの路地で肥桶かつぎとすれ違ったり、食堂では汲取り便所の臭いに気づいたそうです。「一歩、ソウル郊外に出ると、子供たちの多くはハダシ」で「全国の欠食児童は120万で全体の23%」だったとも記しています。
それから40年の間に韓国は大きく変わりました。また日本人の韓国・朝鮮観も変わり、在日の人たちの状況も変わってきました。しかし、上記のような対韓国(北朝鮮)に対する非難の嵐と、それに反対する少数派の論拠の相似には興味深いものがあります。(←傍観者的なのは承知)
ただ、今本書のような本田さんのような意見を述べる人には、ヌルボは批判するしかありません。
しかし、1970年当時の北朝鮮や韓国の現状、それらについての日本で知り得た情報、あるいは当時の日本人、日本のマスコミの無関心や偏見を考えると、韓国・朝鮮について真摯に考え、取り組もうとした先覚者として、むしろ高く評価されるべき人だと思います。
※戦前の朝鮮生まれの作家後藤明生の本を読んだ時にも思ったのですが、朝鮮で生まれ、戦後も朝鮮に関心を持ち続けた人なのに、朝鮮語や朝鮮の食文化等々についても今日の多くの韓流ファンと比べてもあまり知っているとは思われないのがフシギに思いました。おそらく、本田さん自身が韓国再訪後の感想で、次のように書いていることに起因するのかもしれません。
韓国への旅で、私が生まれ育ったのは「朝鮮」ではなく、古い「日本」だったのだと得心がいったのである。