1つ前の記事のつづきです。
作家孔枝泳が一人称の話者になっている孔枝泳の小説「裸足で文章の路地を廻る」は、どこまで事実そのままなのか、読んでいて首を傾げた箇所がいくつかありました。
この小説の最初の方で、2007年の訪日時、羽田空港で初めてH(こと蓮池薫さん)と会った時のことが記されています。
蓮池さんの著作「半島へ、ふたたび」(新潮社)にも、彼女を空港に迎えに行ったことが書かれていました。細かなことですが、その日付は「五月九日」となってします。しかし「裸足で・・・」の方はなぜか四月になっています。
蓮池さんの記述によれば、その日は「生まれて初めての雑誌の対談、生まれて初めての本格的な通訳の仕事、さらに生まれて初めての国際空港への客人のお出迎え」という新しいことずくめの日で、前月から耳を慣らす等々、準備が大変だったようです。
当日の空港。声をかけた相手が間違いなく孔枝泳さんで、「それまでのいろいろな不安が一挙に払拭された」という蓮池さん、タクシーで都心に向かい、その日の午後は新潮社で延々と対談。そして夜は東京ミッドタウン内のイタリア料理店で歓迎晩餐会。
蓮池さんの本では「本来明るい性格」の孔枝泳さんは「飲むとさらに陽気に、そして闊達に」さまざま能弁に語り、一人で通訳する蓮池さんは「息をつく間もなかった」そうです。
この時のインタビューや日本人たちとの会話について小説「裸足で・・・」に戻ると、「あれれ!?」という記述が・・・。
打ち続くインタビューで、記者たちの関心は作家・孔枝泳よりも翻訳者のHに向けられるんですねー・・・。
※当時の「朝日新聞」の関係記事でも、見出しは孔枝泳さんでなく、蓮池さんになっています。
中でも、私ヌルボも「これはひどい!」と思ったのは3人目のインタビュアー。M新聞社の年配の部長だそうですが、Hへの質問だけで予定時間は残り5分。その間放っておかれた孔枝泳と映画「私たちの幸せな時間」の宋海星(ソン・ヘソン)監督が退屈して小声で話をしてしまうほど。
その小声のやりとりの中身に、私ヌルボ、少し(以上)引っかかりました。
Hの拉致についての宋監督の簡潔な感想です。
「북한 애들・・・・쎄다!(北韓の連中・・・・強い!)」。
「쎄다!」をどう訳すのが正確かよくわかりませんが、「ようやるなあ!」というニュアンスでしょうか?
さらに宋監督。
「그런데 지네들은 몇 백만을 끌고 갔었잖아(ところで、おまえたちは何百万人も引っぱっていったじゃないか」。
作家も控えめな表現ながら「頭の中で従軍慰安婦のことを思い浮かべていた。慰安婦たちの証言や涙のことを考えなかったなら嘘になる」とのことです。また「そこに憤りがなかったといえば嘘になる」とも・・・。
(このあたりで、相当数の日本人はカチンとくるかも・・・。とりあえずここは抑えて、次。)
その後ようやく孔枝泳に質問が向けられます。その最初の質問が「Hのことをどう思いますか?」。(あーあ、あきれるほどの無神経!)
その言葉を訳すHは目で「すみません」という信号を送っていたそうです。ギラギラした目(부리부리한 눈)でじろじろ見る部長は「おまえ韓国人だろ? おまえたちは朝鮮人と兄弟だろ? だからおまえも結局・・・・だからすすんで悪いと認めるか?(자복(自服)을 하지?)」と言おうとしているようだった、と受け取った作家は、大きく息をついて落ち着け、と自らを鎮めながら用意した答えを言います。
「胸が痛いことだと思います(가슴 아픈 일이라고 생각합니다)」。
すると部長の目が異様に(야릇하게)輝いて、「・・・さらにつけ加えることはないですか?(・・・더 할 말이 없습니까?)」。
「ずっと胸が痛いです(계속 가슴이 아픕니다)」。
部長は首を傾げると、今度は宋監督にたずねます。
「こんなあきれた腹立たしいことを映画化する考えはありませんか?」
室内にしばしギクシャクした(어색한)沈黙が漂い、皆が宋監督を見守る中で、監督は少しためらいつつも泰然と答えます。
「すごくあきれたことは 映画化するものではありません。それは記事化することでしょう」。
息を殺していた人たちの間からクスクス笑い声がおこります。このあきれた雰囲気に対する憂慮が安堵に変わる笑いだった、というわけです。ただ1人笑わなかった部長は「あまりに豪快な宋監督の返答に困惑した表情を浮かべ」ると、「ソウデスカ?」と渋い顔で聞きます。
その程度の日本語はわかる宋監督が答えます。
「当然でしょう」。
作家は心の中で思います。「宋監督、強い(セダ. 쎄다)!」
・・・長々と紹介しましたが、このあたりのくだり、事実なら問題だし、作家の創作ならそれも問題です。
「事実なら問題」というのは、メイン・ゲストに対してあまりに失礼だから。
部長自身は「誤解だ!」と言うかもしれませんが、誤解されてしまったのはインタビューの仕方がなってなかったからであることはいうまでもありません。
「作家の創作」だとすると日本人一般に対する韓国人の誤解を招くから。
私ヌルボが想像するに、どうも部長の<失礼>を土台に、拉致問題についての彼我の認識の差が、双方の感情を一層逆撫でする結果になってしまったのではないでしょうか?
※「M新聞」は「毎日新聞?」とも思いましたが、「コチコチの保守新聞」とあるので別の某紙のようでもあります。実は少しネット検索してみたのですが、「不明」としておきましょう。
【右から宋監督・孔枝泳さん・蓮池薫さん。(2007年5月)】
その夜の晩餐会のあと、孔枝泳自身の希望で向かった馬刺しの店で、出版社の人たちも一緒に4人で楽しく酒を飲み文学を語っていると、また1人が訊ねます。
「Hが拉致されたことに対して、韓国人としてどう思いますか?」。
孔枝泳は通訳のHの方を見ながら答えます。
「人間が人間の生を暴力で変えてしまうことを私はいちばん憎悪しています」。
彼らがゆっくりとうなずいて作家に乾杯を願ったことを「理解してくれてありがとう」と解し、日本酒の盃を口に運ぶ瞬間、彼女は数年前京義道広州のナヌムの家を訪ねた時の慰安婦のおばあさんたちの顔を思い浮かべます・・・。
その店を出て、ホテルへの帰途、彼女は歩みを止めてHに言います。
「ミアネヨ(ごめんなさい)、H」。
あきれたと云うにHは遠くを見て笑います。
「ただ(그냥)、ごめんなさい。私が韓国人で」。
Hは手で顔を一度撫でて力なく笑って・・・、
「なぜあなたが私にすまないんですか? ほんとにおかしいですよ。韓国の人たちは私に会うと皆そんな話をよくしますよ。心やさしい人ほどそうみたいですね。私は答えます。何がすまないのですか? あなた方が私を拉致したのでもないのに」。
翌日もインタビューの連続。記者たちの質問はあい変わらず。「Hを知っていらっしゃいますか? どんな感じがしますか?」。
作家は動じることなくゆっくり答えます。
「運命というものについて考えました。なぜ心やさしい人たちにだけ起こるのか、私はそれが知りたいと思いました。ところで、今Hと会って、私はぼんやりとわかるようになりました。心やさしい人たちにだけそんなことが起こる理由は、彼らだけが、善意を持った彼らだけが自身に対する真の矜持として運命を解析できるためだということです」。
記者たちは首を傾げます・・・。
ここまでで全体の3分の1程度ですが、韓国人・日本人双方の「歴史認識のズレ」といったものが随所に見てとれます。
さらには、日韓両国民の、国に対する、あるいは民族に対するアイデンティティの強弱の違いも関係していると思われます。自分と直接関係ない日本人の「悪事」について語られても、多くの日本人は「私に関係ないでしょ」と思うでしょうが、韓国人は「自分が責められている」と受けとめる人が多いのではないでしょうか?
このような「認識のズレ」に、に多くの(孔枝泳さんも含めて)韓国人と日本人が気づいてないまま感情的対立を生んでいるように思えます。(あ、神戸大の木村幹先生のような語り方になってきたなー・・・。)
先に書いたように、孔枝泳さんが、拉致というHの個人的な事例から、より普遍的な正義を追求しているのが見てとれるだけに、それ以前の認識のミゾがそれを阻んでしまっている(と思われる)のが残念、というのが私ヌルボの感想です。
※この本の後ろの方に文芸評論家アン・ソヒョン氏が「文学、人間に対する責任の別名」と題して作家・孔枝泳を解説しています。読みやすく理解しやすい内容ですが、今回の記事も長くなりすぎたので、今後機会があれば紹介するということで・・・。
※なんと! この作品を全文掲せているサイトを発見してしまいました。あえてリンクは張りません。興味のある人はご自分で探してみてください。
作家孔枝泳が一人称の話者になっている孔枝泳の小説「裸足で文章の路地を廻る」は、どこまで事実そのままなのか、読んでいて首を傾げた箇所がいくつかありました。
この小説の最初の方で、2007年の訪日時、羽田空港で初めてH(こと蓮池薫さん)と会った時のことが記されています。
蓮池さんの著作「半島へ、ふたたび」(新潮社)にも、彼女を空港に迎えに行ったことが書かれていました。細かなことですが、その日付は「五月九日」となってします。しかし「裸足で・・・」の方はなぜか四月になっています。
蓮池さんの記述によれば、その日は「生まれて初めての雑誌の対談、生まれて初めての本格的な通訳の仕事、さらに生まれて初めての国際空港への客人のお出迎え」という新しいことずくめの日で、前月から耳を慣らす等々、準備が大変だったようです。
当日の空港。声をかけた相手が間違いなく孔枝泳さんで、「それまでのいろいろな不安が一挙に払拭された」という蓮池さん、タクシーで都心に向かい、その日の午後は新潮社で延々と対談。そして夜は東京ミッドタウン内のイタリア料理店で歓迎晩餐会。
蓮池さんの本では「本来明るい性格」の孔枝泳さんは「飲むとさらに陽気に、そして闊達に」さまざま能弁に語り、一人で通訳する蓮池さんは「息をつく間もなかった」そうです。
この時のインタビューや日本人たちとの会話について小説「裸足で・・・」に戻ると、「あれれ!?」という記述が・・・。
打ち続くインタビューで、記者たちの関心は作家・孔枝泳よりも翻訳者のHに向けられるんですねー・・・。
※当時の「朝日新聞」の関係記事でも、見出しは孔枝泳さんでなく、蓮池さんになっています。
中でも、私ヌルボも「これはひどい!」と思ったのは3人目のインタビュアー。M新聞社の年配の部長だそうですが、Hへの質問だけで予定時間は残り5分。その間放っておかれた孔枝泳と映画「私たちの幸せな時間」の宋海星(ソン・ヘソン)監督が退屈して小声で話をしてしまうほど。
その小声のやりとりの中身に、私ヌルボ、少し(以上)引っかかりました。
Hの拉致についての宋監督の簡潔な感想です。
「북한 애들・・・・쎄다!(北韓の連中・・・・強い!)」。
「쎄다!」をどう訳すのが正確かよくわかりませんが、「ようやるなあ!」というニュアンスでしょうか?
さらに宋監督。
「그런데 지네들은 몇 백만을 끌고 갔었잖아(ところで、おまえたちは何百万人も引っぱっていったじゃないか」。
作家も控えめな表現ながら「頭の中で従軍慰安婦のことを思い浮かべていた。慰安婦たちの証言や涙のことを考えなかったなら嘘になる」とのことです。また「そこに憤りがなかったといえば嘘になる」とも・・・。
(このあたりで、相当数の日本人はカチンとくるかも・・・。とりあえずここは抑えて、次。)
その後ようやく孔枝泳に質問が向けられます。その最初の質問が「Hのことをどう思いますか?」。(あーあ、あきれるほどの無神経!)
その言葉を訳すHは目で「すみません」という信号を送っていたそうです。ギラギラした目(부리부리한 눈)でじろじろ見る部長は「おまえ韓国人だろ? おまえたちは朝鮮人と兄弟だろ? だからおまえも結局・・・・だからすすんで悪いと認めるか?(자복(自服)을 하지?)」と言おうとしているようだった、と受け取った作家は、大きく息をついて落ち着け、と自らを鎮めながら用意した答えを言います。
「胸が痛いことだと思います(가슴 아픈 일이라고 생각합니다)」。
すると部長の目が異様に(야릇하게)輝いて、「・・・さらにつけ加えることはないですか?(・・・더 할 말이 없습니까?)」。
「ずっと胸が痛いです(계속 가슴이 아픕니다)」。
部長は首を傾げると、今度は宋監督にたずねます。
「こんなあきれた腹立たしいことを映画化する考えはありませんか?」
室内にしばしギクシャクした(어색한)沈黙が漂い、皆が宋監督を見守る中で、監督は少しためらいつつも泰然と答えます。
「すごくあきれたことは 映画化するものではありません。それは記事化することでしょう」。
息を殺していた人たちの間からクスクス笑い声がおこります。このあきれた雰囲気に対する憂慮が安堵に変わる笑いだった、というわけです。ただ1人笑わなかった部長は「あまりに豪快な宋監督の返答に困惑した表情を浮かべ」ると、「ソウデスカ?」と渋い顔で聞きます。
その程度の日本語はわかる宋監督が答えます。
「当然でしょう」。
作家は心の中で思います。「宋監督、強い(セダ. 쎄다)!」
・・・長々と紹介しましたが、このあたりのくだり、事実なら問題だし、作家の創作ならそれも問題です。
「事実なら問題」というのは、メイン・ゲストに対してあまりに失礼だから。
部長自身は「誤解だ!」と言うかもしれませんが、誤解されてしまったのはインタビューの仕方がなってなかったからであることはいうまでもありません。
「作家の創作」だとすると日本人一般に対する韓国人の誤解を招くから。
私ヌルボが想像するに、どうも部長の<失礼>を土台に、拉致問題についての彼我の認識の差が、双方の感情を一層逆撫でする結果になってしまったのではないでしょうか?
※「M新聞」は「毎日新聞?」とも思いましたが、「コチコチの保守新聞」とあるので別の某紙のようでもあります。実は少しネット検索してみたのですが、「不明」としておきましょう。
【右から宋監督・孔枝泳さん・蓮池薫さん。(2007年5月)】
その夜の晩餐会のあと、孔枝泳自身の希望で向かった馬刺しの店で、出版社の人たちも一緒に4人で楽しく酒を飲み文学を語っていると、また1人が訊ねます。
「Hが拉致されたことに対して、韓国人としてどう思いますか?」。
孔枝泳は通訳のHの方を見ながら答えます。
「人間が人間の生を暴力で変えてしまうことを私はいちばん憎悪しています」。
彼らがゆっくりとうなずいて作家に乾杯を願ったことを「理解してくれてありがとう」と解し、日本酒の盃を口に運ぶ瞬間、彼女は数年前京義道広州のナヌムの家を訪ねた時の慰安婦のおばあさんたちの顔を思い浮かべます・・・。
その店を出て、ホテルへの帰途、彼女は歩みを止めてHに言います。
「ミアネヨ(ごめんなさい)、H」。
あきれたと云うにHは遠くを見て笑います。
「ただ(그냥)、ごめんなさい。私が韓国人で」。
Hは手で顔を一度撫でて力なく笑って・・・、
「なぜあなたが私にすまないんですか? ほんとにおかしいですよ。韓国の人たちは私に会うと皆そんな話をよくしますよ。心やさしい人ほどそうみたいですね。私は答えます。何がすまないのですか? あなた方が私を拉致したのでもないのに」。
翌日もインタビューの連続。記者たちの質問はあい変わらず。「Hを知っていらっしゃいますか? どんな感じがしますか?」。
作家は動じることなくゆっくり答えます。
「運命というものについて考えました。なぜ心やさしい人たちにだけ起こるのか、私はそれが知りたいと思いました。ところで、今Hと会って、私はぼんやりとわかるようになりました。心やさしい人たちにだけそんなことが起こる理由は、彼らだけが、善意を持った彼らだけが自身に対する真の矜持として運命を解析できるためだということです」。
記者たちは首を傾げます・・・。
ここまでで全体の3分の1程度ですが、韓国人・日本人双方の「歴史認識のズレ」といったものが随所に見てとれます。
さらには、日韓両国民の、国に対する、あるいは民族に対するアイデンティティの強弱の違いも関係していると思われます。自分と直接関係ない日本人の「悪事」について語られても、多くの日本人は「私に関係ないでしょ」と思うでしょうが、韓国人は「自分が責められている」と受けとめる人が多いのではないでしょうか?
このような「認識のズレ」に、に多くの(孔枝泳さんも含めて)韓国人と日本人が気づいてないまま感情的対立を生んでいるように思えます。(あ、神戸大の木村幹先生のような語り方になってきたなー・・・。)
先に書いたように、孔枝泳さんが、拉致というHの個人的な事例から、より普遍的な正義を追求しているのが見てとれるだけに、それ以前の認識のミゾがそれを阻んでしまっている(と思われる)のが残念、というのが私ヌルボの感想です。
※この本の後ろの方に文芸評論家アン・ソヒョン氏が「文学、人間に対する責任の別名」と題して作家・孔枝泳を解説しています。読みやすく理解しやすい内容ですが、今回の記事も長くなりすぎたので、今後機会があれば紹介するということで・・・。
※なんと! この作品を全文掲せているサイトを発見してしまいました。あえてリンクは張りません。興味のある人はご自分で探してみてください。