ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国語] 「あ、生きてる!」は「ア、サルゴ イッタ」ではなくて・・・・

2013-05-29 17:06:45 | 韓国語あれこれ
 2011年1月に神戸の元町映画館で観た韓国映画の佳作「彼とわたしの漂流日記」のDVDがレンタル店であったので、借りてきて見直しました。

 最初に観た時には気づかなかったことがいくつもありました。
 基本的なことですが、原題の「キム氏漂流記」というのは、漢江の中洲のパム島で漂流生活をする男性キム氏(チョン・ジェヨン)の話だから、と単純に思っていたのですが、ヒロインの姓もキム氏(チョン・リョウォン)。思うに、あえて同姓にしたのは、3年間引きこもり生活を続けている彼女もやはり漂流中である、という意味が込められているのだ、ということ。
 その他、彼女は汝矣島(汝矣島)のマンションからパム島を見ているということ、あの印象的なあひるボートは今も漢江公園の船着場から乗ることができること等が映画の画面をもとに調べたりしてわかりました。

 さて、最初に観た時に印象に残ったせりふ(韓国語)が「아,살았다! 살았다!」でした。もしかして死んでしまったのではないかと心配していた彼が生きているのを望遠カメラで確認した時に彼女が発した言葉で、「あ、生きてる! 生きてる!」という意味です。

 ところが、今その場面を見てみたら少し違っていて、「살았다! 댄큐」というのが彼女の言葉でした。そして字幕は「生きてた ありがとう」。

 「댄큐(デンキュ)」は「Thank you」のこと。韓国語ではthはサ行ザ行ではなくㄷで置き替えるので、たとえばtheは더(ド)になり、サンキューはデンキュになるというわけです。

 さてこの場合、「生きてる!」でも「生きてた!」でも意味は同じようなものですが、韓国語はどちらにせよ「살았다!」なんですね。直訳すると「生きた!」という過去形。
 なぜ「生きている」を韓国語に直訳した「살고 있다」(or「살아 있다」?)ではダメなのか、私ヌルボはよくわかりません。(「暮らしている」になっゃうか・・・。) 生きていることを確認したのが過去だから?

 この表現について探ってみると、→コチラの記事に죽었는지 살았는지 그런 말이라도 알고 싶은데...」(死んでいるか生きているかそれだけでも確かめたいのだが・・・)という文章が紹介されていました。過去形になる理由は「難しいです」とも・・・。

 また、<여우야 뭐하니(キツネちゃん、何しているの?>にもこの表現が出てきます。
 といっても、ドラマの方ではなくて、そのタイトルのモトの子どもの遊びの方です。遊び方は→コチラのブログ記事でとてもていねいに説明されています。
 鬼(キツネ)になった子と、子どもたちとの間のお決まりのやりとりの最後に、子どもたちが「살았니? 죽었니?(生きてるの? 死んでるの?)」と訊いて、鬼が「죽었다!(死んだ)」と言えば歌を続け、「살았다!(生きている)」と言えば逃げる」というものです。

 たまたまYouTubeに楽しい動画があったので載せておきます。

  

 しかし、この過去表現についての説明、どこかに載ってないですかねー?