→ 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ①<進歩系>映画と<保守系>映画
→ 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
→ 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
前回の記事から3ヵ月以上も経ってしまいました。なんと言うか、・・・なんとも言えません。じつは、このシリーズの本論というべき部分はここからなんですけどね。つまり今までは序論。(←なんてこった!) まあその、今回のテーマ自体がむずかしくて・・・(汗)
で、今回のテーマの<史実>と<虚構>の間なんですが、映画では巧く「接ぎ木」されているわけだから、ふつうの韓国人でも見分けがつかない点が多々あります。いや、それよりも映像化されると、なんとなくフィクション部分も事実と思われそうなので、それが心配。
てなわけで、一応わかりやすいところで、主な登場人物が実在する人物か否かについて。
まず、チョン・ジヒョン、ハ・ジョンウ、イ・ジョンジェ等の人気俳優が演じた登場人物は皆架空の人物。あ、イ・ジョンジェが扮したヨム・ソクチンという人物は廉東振(ヨム・ドンジン.1902〜50)(→ウィキペディア)がモデルという話が・・・。名前も似てるし、そういうことでしょう。経歴等は重なる点もある程度かな?
1911年の冒頭シーンで登場する寺内正毅はもちろん初代朝鮮総督。そして李完用は朝鮮を日本に売った親日派、というよりも第1の売国奴!として有名。またこのシーンの舞台のソンタクホテル(Sontag Hotel.손탁호텔)(右画像)も徳寿宮の裏手(西)に実在したホテル。
※このホテルの名は支配人のドイツ人女性アントニット・ゾンタクの名前から命名。彼女は閔妃(明成皇后)・高宗と密接な関係があり、露館播遷を仕切ったりもした人物で、このホテルも高宗の力添えで1902年建てられたが1923年に撤去し新築。しかし朝鮮戦争で焼失した。
・・・というわけで、人物と建築物は実在。でも冒頭シーンで展開される<活劇>はフィクションです。
またこのシーンで「この映画では李完用が流暢に日本語を話すが、実際の李完用は日本語があまりできなくて、常に通訳に依存しなければならなかった。ただし英語は非常に流暢で、日本の官僚とはだいたい英語で会話したという」と指摘しているのは<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)。
登場する歴史上の人物で、一番知られている人物が金九。李承晩が批判されてアメリカに戻った後の大韓民国臨時政府のリーダー。(1940~47年は主席。)
私ヌルボ、今年6月に龍山からわりと近い孝昌(ヒョチャン)公園に行ってきました。
公園の入口付近の横断幕を見ると・・・。
「孝昌公園に誰がいらっしゃるかご存知ですか? 大韓民国国民なら知っていなければなりません!」と記されています。
公園内には金九だけでなく、李奉昌(イ・ポンチャン)等、他の独立義士たちの墓もあります。
そしてこの建物は・・・。
金九についての資料・事蹟等を展示している白凡記念館。おりしも校外学習で見学に訪れた女子高の生徒たちが10時の開館を待っていました。(「白凡(ペクボム)」は金九の号。)
映画の最初の方で、その金九の登場シーンがあります。1933年、場所は中国の杭州。なぜ杭州なのかというと、1919年上海で結成された臨時政府は、満州事変以降の日本の侵略によって32年以降は光復(終戦)時の重慶まで各地を転々としていて、32~35年は杭州にあったから。
白凡記念館の階段。これによると1933年に嘉興に移っていますが・・・。
そして、この杭州のシーンで金九と話をしている人物が金元鳳(キム・ウォンボン.김원봉)。(特別出演のチョ・スンウが儲け役!)
おー、彼こそがこの記事のメイン!・・・のはずだったのに、もう字数が・・・。
ということで、金元鳳については次の記事に回すことにします。ふー。
その代わりに、上述の<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)と、→コチラ)の韓国記事に書かれていたこの映画と史実をめぐるトリビアの主なものを列挙しておきます。
○チョン・ジヒョン等の話す言葉が現代口語で、植民地時代に合っていない。
○上記の冒頭の<活劇>シーンと一応ダブるのは、1910年12月27日、安重根のいとこの安明根(アン・ミョングン)が寺内正毅総督暗殺を計画したが事前に発覚し逮捕された事件。つまりあんな<活劇>はなかった。
○満州韓国独立軍の駐屯地でのアン・オギュン(チョン・ジヒョン)の服が新品のようにキレイすぎ、飢えていた痕跡もない。また独立軍は1921年6月の自由市惨変(→ウィキペディア)で壊滅し、東北抗日聯軍(→ウィキペディア)も1936年中国共産党の指導の下に結成されたことを勘案すれば、中隊レベル(140人程度)が満州に駐屯することも難しい。とても日本軍と交戦をする状況ではなかった。
○アンオギュンたち3人が記念写真を撮った場面で壁にかかっていた太極旗は光復以降の太極旗で、当時のものではない。
○アン・オギュンたち3人が京城駅に到着した時。午後6時の時報とともに国旗(日章旗)下降式を行うといったことはなかった。(「国際市場で逢いましょう」の1場面を想起させる。) 駅構内の放送が不自然、というか、当時はそのような放送設備はなかったはず。また京城駅駅名の英字表記がKEIZYOとなっているが、日本の駅名表示方式(ヘボン式)ではKEIJÔが正しい。
○三一独立運動の時はわからないが、1930年代に日本の軍人が京城の街中で民間人を即決銃殺する場面は論外。いくら日本軍人でも殺人罪で処罰されるだろう。
○関東軍の旭日旗が陸軍ではなく海軍の旭日旗になっている。
○いくら輸入車が多かったにしても、すべての車両が左ハンドルというのは問題。日本軍のトラックまで左ハンドルということはないだろう。
・・・いやー、細かなところまでチェックを入れる人は日韓ともにけっこういるものです。旭日旗の陸軍と海軍の違いなんて、日本人のどれくらいが知っているのだろう? あ、ヌルボのサークル仲間諸氏は知ってそうだな。
→ ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
→ ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?
→ 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ②昨年来日本統治期を背景とした作品が増えている
→ 多角的に見る韓国映画「暗殺」(ネタバレほとんどナシ) ③韓国では、日本統治期の見方が変わりつつある(?)
前回の記事から3ヵ月以上も経ってしまいました。なんと言うか、・・・なんとも言えません。じつは、このシリーズの本論というべき部分はここからなんですけどね。つまり今までは序論。(←なんてこった!) まあその、今回のテーマ自体がむずかしくて・・・(汗)
で、今回のテーマの<史実>と<虚構>の間なんですが、映画では巧く「接ぎ木」されているわけだから、ふつうの韓国人でも見分けがつかない点が多々あります。いや、それよりも映像化されると、なんとなくフィクション部分も事実と思われそうなので、それが心配。
てなわけで、一応わかりやすいところで、主な登場人物が実在する人物か否かについて。
まず、チョン・ジヒョン、ハ・ジョンウ、イ・ジョンジェ等の人気俳優が演じた登場人物は皆架空の人物。あ、イ・ジョンジェが扮したヨム・ソクチンという人物は廉東振(ヨム・ドンジン.1902〜50)(→ウィキペディア)がモデルという話が・・・。名前も似てるし、そういうことでしょう。経歴等は重なる点もある程度かな?

※このホテルの名は支配人のドイツ人女性アントニット・ゾンタクの名前から命名。彼女は閔妃(明成皇后)・高宗と密接な関係があり、露館播遷を仕切ったりもした人物で、このホテルも高宗の力添えで1902年建てられたが1923年に撤去し新築。しかし朝鮮戦争で焼失した。
・・・というわけで、人物と建築物は実在。でも冒頭シーンで展開される<活劇>はフィクションです。
またこのシーンで「この映画では李完用が流暢に日本語を話すが、実際の李完用は日本語があまりできなくて、常に通訳に依存しなければならなかった。ただし英語は非常に流暢で、日本の官僚とはだいたい英語で会話したという」と指摘しているのは<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)。
登場する歴史上の人物で、一番知られている人物が金九。李承晩が批判されてアメリカに戻った後の大韓民国臨時政府のリーダー。(1940~47年は主席。)
私ヌルボ、今年6月に龍山からわりと近い孝昌(ヒョチャン)公園に行ってきました。
公園の入口付近の横断幕を見ると・・・。

公園内には金九だけでなく、李奉昌(イ・ポンチャン)等、他の独立義士たちの墓もあります。
そしてこの建物は・・・。

映画の最初の方で、その金九の登場シーンがあります。1933年、場所は中国の杭州。なぜ杭州なのかというと、1919年上海で結成された臨時政府は、満州事変以降の日本の侵略によって32年以降は光復(終戦)時の重慶まで各地を転々としていて、32~35年は杭州にあったから。


そして、この杭州のシーンで金九と話をしている人物が金元鳳(キム・ウォンボン.김원봉)。(特別出演のチョ・スンウが儲け役!)
おー、彼こそがこの記事のメイン!・・・のはずだったのに、もう字数が・・・。
ということで、金元鳳については次の記事に回すことにします。ふー。
その代わりに、上述の<ナムウィキ>の「暗殺」の項目(→コチラ)と、→コチラ)の韓国記事に書かれていたこの映画と史実をめぐるトリビアの主なものを列挙しておきます。
○チョン・ジヒョン等の話す言葉が現代口語で、植民地時代に合っていない。
○上記の冒頭の<活劇>シーンと一応ダブるのは、1910年12月27日、安重根のいとこの安明根(アン・ミョングン)が寺内正毅総督暗殺を計画したが事前に発覚し逮捕された事件。つまりあんな<活劇>はなかった。
○満州韓国独立軍の駐屯地でのアン・オギュン(チョン・ジヒョン)の服が新品のようにキレイすぎ、飢えていた痕跡もない。また独立軍は1921年6月の自由市惨変(→ウィキペディア)で壊滅し、東北抗日聯軍(→ウィキペディア)も1936年中国共産党の指導の下に結成されたことを勘案すれば、中隊レベル(140人程度)が満州に駐屯することも難しい。とても日本軍と交戦をする状況ではなかった。
○アンオギュンたち3人が記念写真を撮った場面で壁にかかっていた太極旗は光復以降の太極旗で、当時のものではない。
○アン・オギュンたち3人が京城駅に到着した時。午後6時の時報とともに国旗(日章旗)下降式を行うといったことはなかった。(「国際市場で逢いましょう」の1場面を想起させる。) 駅構内の放送が不自然、というか、当時はそのような放送設備はなかったはず。また京城駅駅名の英字表記がKEIZYOとなっているが、日本の駅名表示方式(ヘボン式)ではKEIJÔが正しい。
○三一独立運動の時はわからないが、1930年代に日本の軍人が京城の街中で民間人を即決銃殺する場面は論外。いくら日本軍人でも殺人罪で処罰されるだろう。
○関東軍の旭日旗が陸軍ではなく海軍の旭日旗になっている。
○いくら輸入車が多かったにしても、すべての車両が左ハンドルというのは問題。日本軍のトラックまで左ハンドルということはないだろう。
・・・いやー、細かなところまでチェックを入れる人は日韓ともにけっこういるものです。旭日旗の陸軍と海軍の違いなんて、日本人のどれくらいが知っているのだろう? あ、ヌルボのサークル仲間諸氏は知ってそうだな。
→ ⑤韓国でようやく知られ始めた金元鳳(キム・ウォンボン)と義烈団
→ ⑥「日本軍により3469人が殺された事件」というのは何だ?