→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
前回から3ヵ月も間が空いてしまいましたが、昨年11月25~28日の3泊4日のソウル旅行の記録の続きです。昨年3月の旅行記録はまだ止まったまま。どうも手間暇がかかる記事になるとつい滞ってしまいます。
○11月27日(日) (前半)
前夜の大デモの疲れもなんのその。・・・って見物しただけなんですが。しかし連日がんばって長距離(&長時間)歩いてるのはたしか。
でもって、この日も朝8時半頃から行動開始。
まずは明洞で朝食だ!ということで、ホテル(ベストウェスタンプレミア国都)最寄りの乙支路4街から乙支路入口まで地下鉄で移動。
一昨日までは、その日朴正熙記念館に行ったこともあって、「李承晩・朴正熙以来、歴代大統領の御用達で有名になった」というコムタンの有名店・河東館(ハドゥングァン)(上左画像)に行こうかなという心づもりでした。私ヌルボ、行ったことないし・・・。ところが、その日の夜会った畏友Y氏の職場の後輩(ソウル勤務)X氏は「えっ、そんな豪勢な云々」という反応。そう言えば、だいぶ前に、ネイティブの韓国人女性にコムタン(格上)>>ソルロンンタン(格下)ということを言ってたな。というわけで、簡単に予定変更。お粥を食べようということになりました。
明洞のお粥の店といえば、関連サイトでたぶん人気№1なのが味加本(ミカボン)。行ってみると、この時間(9時頃)そんなに人も多くない明洞なのに、数十m先からも見える長い行列で、これはパスするしかない。(あとから考えると、同じ建物1Fの人気店・神仙ソルロンタンとの見極めをちゃんとしてなかったですが。) で、そのすぐ先のお粥専門店・コンジハウスまで行くと、これまた行列。見れば大半は游客(요우커.ヨウコ)すなわち中国人観光客で、やはり中国の人たちは朝食はお粥ってことか。
しかたなくヌルボ&畏友Y氏、他に適当な店はないかと歩き回るうち、スタバのビルの上階にお粥の店があるのを発見。(上・中画像。) 4Fということもあってか、ここは空席あり。やれやれ。論峴(ノニョン)参鶏湯という店名の示すように、参鶏湯の店として(一部では?)知られた店のようです。そしてヌルボが食べたのが野菜粥(ヤチェグク)9千ウォン。(上・右画像)。どこまでもお粥にこだわって正解、というか、(よくある)結果オーライの朝食でした。
腹ごしらえを済ませたところで、この日前半の主目的である<ソウル城郭道>(の一部)ウォーキングに向かいます。
城郭都市ソウルの城郭は、当初(14世紀末太祖・李成桂の時代)は土製だったのが15世紀に石城に改修されたそうです。ところが次第に荒廃していき、20世紀とくに日本の統治下では都市の近代化が進む中で平地の城壁は撤去されてしまいました。
その後1975年になって、韓国政府は本格的に城壁の補修を進めてきて、近年分断箇所はあるものの全周18㎞あまりの城郭道が整備され、観光メニューの1つにもなってきています。
そのあらましは→コチラや→コチラの記事参照。
※前者は総距離18.6㎞・所要時間約9時間30分、後者は18.2km・約12時間と、違う数字になっています。
下左画像はこの<ソウル城郭道>(日本語版)の案内図。これはなかなか便利。ウォーキングの予定がない人も見る価値あり。細かなところまで見たい方は→コチラのブログ記事からコピペするといいでしょう。なお、韓国語版は→コチラ等にあります。なお、私ヌルボ、前日朝ソウル市庁地下の市民廰のインフォメーションでたまたまこの地図の現物があったのでもらってきました。たぶん市内各所の観光案内所にもあるのでは?
そして上右が今回歩く部分。つまり恵化門~駱山(ナクサン)公園の拡大図です。
ということで、ヌルボと畏友Y氏は明洞から地下鉄4号線に乗りました。
恵化門(ヘファムン)は、5つ目の駅・漢城大入口で降り、徒歩で3分という近い所にあります。
恵化門は、朝鮮王朝成立直後の1396年に建設されましたが1592年門楼が燃え、1744年に再建したものが近代まで残っていました。しかし日本統治期の1938年、恵化洞が終点だった電車路線を敦岩洞まで延長するにあたって取り壊されました。(→ナムウィキによる。)
そんなわけで、現在の恵化門は戦後、それもわりと最近の1994年に再建されたものです。上右の画像を見ればわかるように、道路の横(北側)のかなり高い所(道路から約17m)にあります。しかし元の恵化門があった所は現在の道路上で、またその道路自体も恵化門が建っていた辺りの土を電車通行のために7mほど崩して造成したとのことです。したがって、恵化門を間近にみた後駱山公園・東大門方面に行くには画像の下の方に見えている横断歩道を渡って、反対側(南側)の登り口(下左画像)からまた坂道を登っていかなければなりません。、
上右は登り始めてすぐの城壁。古い積み石の部分と新しく修復された部分が一目でわかります。
駱山公園までは30分くらいだったかな? いくつか広場・施設等があって、どこに行くかにもよりますが・・・。
駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します。ただ、駱山展示館のある中央広場の場所をほとんど忘れていて20分くらいムダに歩いたのは情けなかったなー・・・。
さあ、次は大学路方面で昼飯だー。
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
前回から3ヵ月も間が空いてしまいましたが、昨年11月25~28日の3泊4日のソウル旅行の記録の続きです。昨年3月の旅行記録はまだ止まったまま。どうも手間暇がかかる記事になるとつい滞ってしまいます。
○11月27日(日) (前半)
前夜の大デモの疲れもなんのその。・・・って見物しただけなんですが。しかし連日がんばって長距離(&長時間)歩いてるのはたしか。
でもって、この日も朝8時半頃から行動開始。
まずは明洞で朝食だ!ということで、ホテル(ベストウェスタンプレミア国都)最寄りの乙支路4街から乙支路入口まで地下鉄で移動。
明洞のお粥の店といえば、関連サイトでたぶん人気№1なのが味加本(ミカボン)。行ってみると、この時間(9時頃)そんなに人も多くない明洞なのに、数十m先からも見える長い行列で、これはパスするしかない。(あとから考えると、同じ建物1Fの人気店・神仙ソルロンタンとの見極めをちゃんとしてなかったですが。) で、そのすぐ先のお粥専門店・コンジハウスまで行くと、これまた行列。見れば大半は游客(요우커.ヨウコ)すなわち中国人観光客で、やはり中国の人たちは朝食はお粥ってことか。
しかたなくヌルボ&畏友Y氏、他に適当な店はないかと歩き回るうち、スタバのビルの上階にお粥の店があるのを発見。(上・中画像。) 4Fということもあってか、ここは空席あり。やれやれ。論峴(ノニョン)参鶏湯という店名の示すように、参鶏湯の店として(一部では?)知られた店のようです。そしてヌルボが食べたのが野菜粥(ヤチェグク)9千ウォン。(上・右画像)。どこまでもお粥にこだわって正解、というか、(よくある)結果オーライの朝食でした。
腹ごしらえを済ませたところで、この日前半の主目的である<ソウル城郭道>(の一部)ウォーキングに向かいます。
城郭都市ソウルの城郭は、当初(14世紀末太祖・李成桂の時代)は土製だったのが15世紀に石城に改修されたそうです。ところが次第に荒廃していき、20世紀とくに日本の統治下では都市の近代化が進む中で平地の城壁は撤去されてしまいました。
その後1975年になって、韓国政府は本格的に城壁の補修を進めてきて、近年分断箇所はあるものの全周18㎞あまりの城郭道が整備され、観光メニューの1つにもなってきています。
そのあらましは→コチラや→コチラの記事参照。
※前者は総距離18.6㎞・所要時間約9時間30分、後者は18.2km・約12時間と、違う数字になっています。
下左画像はこの<ソウル城郭道>(日本語版)の案内図。これはなかなか便利。ウォーキングの予定がない人も見る価値あり。細かなところまで見たい方は→コチラのブログ記事からコピペするといいでしょう。なお、韓国語版は→コチラ等にあります。なお、私ヌルボ、前日朝ソウル市庁地下の市民廰のインフォメーションでたまたまこの地図の現物があったのでもらってきました。たぶん市内各所の観光案内所にもあるのでは?
ということで、ヌルボと畏友Y氏は明洞から地下鉄4号線に乗りました。
恵化門(ヘファムン)は、5つ目の駅・漢城大入口で降り、徒歩で3分という近い所にあります。
そんなわけで、現在の恵化門は戦後、それもわりと最近の1994年に再建されたものです。上右の画像を見ればわかるように、道路の横(北側)のかなり高い所(道路から約17m)にあります。しかし元の恵化門があった所は現在の道路上で、またその道路自体も恵化門が建っていた辺りの土を電車通行のために7mほど崩して造成したとのことです。したがって、恵化門を間近にみた後駱山公園・東大門方面に行くには画像の下の方に見えている横断歩道を渡って、反対側(南側)の登り口(下左画像)からまた坂道を登っていかなければなりません。、
駱山公園までは30分くらいだったかな? いくつか広場・施設等があって、どこに行くかにもよりますが・・・。
駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します。ただ、駱山展示館のある中央広場の場所をほとんど忘れていて20分くらいムダに歩いたのは情けなかったなー・・・。
さあ、次は大学路方面で昼飯だー。