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野間秀樹「日本語とハングル」は日本語への認識が深まる本だが、言語ナショナリズムはきっちり批判◎

2014-04-19 23:51:10 | 韓国語あれこれ
       

 韓国語学習者の必読書「ハングルの誕生」(2010年)(→関係過去記事)の著者・野間秀樹先生の新刊書です。
 発行日は2014年4月20日となっていますが、すでに書店に出てます。私ヌルボ、即購入してきてイッキ読みしました。

 まず書名を見て「あれっ?」と思う人は多いはず。ヌルボもその1人でした。
 「日本語」は言語の名称で、「ハングル」は文字の名称なのに、堂々と並列しちゃっていいの?・・・という疑問です。(この点は必ずしも常識にはなっていないので、「ハングル語」という言葉を使ったり、「ハングルを話せますか?」と言ったりする例はよくありますね。)
 で、本書を開くと最初のページで野間先生、この題名にした意図を説明しています。「本書では<ハングルという文字から日本語という言語を照らす>ということを、行います」というわけです。
 では、何のためにハングルから日本語を見るのか?というと、「答えは鮮明です。面白い、これは圧倒的に面白いからです」ですと。(笑)
 いやー、これはよくわかります。ウチらのハングルサークルでも、この表現は日本語と同じだとか、違うということでよく盛り上がります。英語サークルとかなり違うのではと思います。

 たしか、あの李御寧「「縮み」志向の日本人」でも、日本人は欧米と比較して日本文化の特色を自ら思い描いてきたが、その中身は日本の特色というよりも朝鮮・中国も含んだ東アジアの特色といったものが多く含まれている。むしろ、朝鮮・中国と比較することで日本文化の特性が見えてくる、・・・といったことが書かれていました。
 日本語についても、韓国語という非常に共通点の多い言語と対照してみると、英語等との比較では見えてこなかったようなことが見えてくるというわけです。
 読み進んでいくと、なるほどたしかに、「ハングルという文字から」日本語の音や文字、語彙等々を「照らす」という内容・・・ではありますが、後に行くほどハングルというよりもやっぱり韓国語とした方がいいんじゃないの?という疑念も再びフツフツと・・・。
 野間先生、文法関係の章で、「主語+動詞+目的語」などと言ってるのは「主語」「目的語」といった<文の成分>の述語と、「動詞」という<品詞>における述語という異なるレベルの概念を並べているからよくない。「哺乳類と爬虫類と鶴」と言ってるようなものだ、と指摘されていますが、この書名も「爬虫類と鶴」のような違和感は読み終わっても残ってるんですけど・・・。
 やっぱり、「韓国語からとらえ直す日本語」とでもした方が具体的で内容に即しているのではないかなー。(惹きつける要素がないか?)

 さて、この本を手に取る人を想定すると、その1は、韓国語学習者、あるいは韓国語に興味を持っている人
 言っておきますが、「日本語とハングル」という書名でも、力点は「日本語」の方にあります。日本語をより深く理解するための本です。まあ韓国語の勉強になる部分もあるし、韓国語を知っている読者の方が理解しやすいということはありますが・・・。
 想定読者その2は、日本、日本人、日本文化といったものに「とくに」思い入れの深い人
 ヌルボがちょっと気になったのは、この帯に記されているキャッチコピーです。「ハングルから日本語のスゴさが見えてくる!」
 いかがですか? 書店によってはこの本がいろんな嫌韓本と同じ台に平積みされているとか・・・。 すると「ハングルに比べて、日本語がいかに優れているかについて書かれた本か」とか誤解されてしまいそうです。いや、帯の文言はそれを狙ったんだって??
 ところが、最初の章で野間先生はちゃんと<言語≠国≠民族>。最も深いところにあるこの原理を見誤ると、大変恥ずかしいことになります」と記しています。想定読者その2に該当する皆さんはまずそこんとこから考え直してくださいね、と私ヌルボも申し添えておきます。

 以下、ヌルボ自身おもしろいと思ったところや勉強になったところをメモ代わりに列挙しておきます。

①この遊びゴコロが楽しい!
 <日本語の文字をめぐる絢爛豪華=エクリチュールの群雄割拠カテドラル>という小見出しのついた一節です。ぜひ音読してみてください!

 仮名、漢字。万葉仮名に変体仮名。アラビアではインド数字と言っている、アラビア数字の1、2、3。ローマ数字のⅠ、Ⅱ、Ⅲ。もひとつおまけに漢数字。ラテン文字、別名ローマ字abc、大文字小文字入り乱れ、忘れてならないギリシャ文字、α(アルファ)β(ベータ)、γ(ガンマ)δ(デルタ)の大文字は、聞かれて難しΩ(オメガ)かな。振り仮名、読み仮名、送り仮名。音読み、訓読み、音訓を、並べて読めば、重箱(ジュウばこ)読み、訓音並べて湯桶読み(ゆトウ)読み。修行(しゅぎょう)、言行(げんこう)、行脚(あんぎゃ)行(ゆ)く。呉音、漢音、唐宋音。縦書き、横書き、散らし書き。明朝、ゴシック、勘亭(かんてい)流。王羲之(おうぎし)、仮名書(かなしょ)に、ペン習字。

 私ヌルボ、福沢諭吉が七五調で書いた世界地理の本「世界国盡(くにづくし)」を思い出しました。
 ※「世界国盡 世界は広し」で検索してみて下さい。

 この他、「ネットは一音節で発音できないネット」とか「僕って何?──それってゼロ体」のような小見出しの文言にも軽いオアソビが見受けられます。

「わっしょい」は韓国語の왔어(ワッソ.来た)から来たという語源説は、現段階の学問的な判断からは、そうである蓋然性はほとんどない。また、奈良は韓国語の나라(ナラ.国)に由来するという説も、蓋然性はないとはいえない程度

③日本語の場合、文語というと事実上擬古文であるのに対して、韓国語で<文語(ムノ)>というと、現在の書き言葉を指す。

④漢文で書かれた書物を、韓国語に訳し、ハングルを用いて書いた書物をといい、15世紀以来多く作られている。漢文で書かれた「訓民正音」を諺解したのが最初の例。16世紀の有名な儒学者・李退渓も自分の著作の諺解を著している。
 ハングルで手紙を書くことも行われ(=諺簡(げんかん))、17世紀後半~18世紀にはハングルを筆でしたためる<宮体(きゅうたい)>という書体が王宮の女性たちを中心に用いられた。

⑤イザベラ・バード「朝鮮紀行」には、「わたしの観察したところでは、漢江沿いに済む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める」と記している。
 ※しかし、「朝鮮日報」今年1月1日付の<韓国の文盲率が低いのはハングルのおかげ>という記事(→コチラ)には「1945年光復当時文盲率は77.8%にのぼった」と書かれているんだけどなー。

⑥「日本語や韓国語では、主語を自由自在に明示したり隠したりできる」ということに関連して、野間先生は「思っていることを、書けばいい? ── そりゃ、だめだ」と強調しています。これについては私ヌルボ激しく同意。ただ、野間先生は「思っていることを書けばいいという考え方は、感情的な言葉を書きなぐるということなどに陥りやすい」とその理由を述べているが、小・中・高校時代のヌルボは「自分が思っていることは何だろう?」に始まって、「思っていることは、自分が思っていることは何だろう?ということなのだから、そのことを書けばいいのかな?」と、どんどんわけのわからない思考にのめり込んでいって、結局は何も書けないまま白紙の原稿用紙に名前だけ書いて出すというのが常だったという、感情的とは逆のパターン。しかし、野間先生の「<書く>ことは造り上げていくことだという認識が不可欠」という主張は、そんな昔のヌルボのような少年に対する作文指導にも有効だと思う。

⑦最後の章で、主として金珍娥(キム・ジナ)「談話論と文法論」を紹介しつつ、日本語と韓国語の実際に話されたことばを分析しているのは非常興味深い。
 意外なのは、どちらも文末が述語で統合されている<述語文>よりも、文末が述語で統合されていない<非述語文>の方が多いということ。
 ※<非述語文>の例としては、名詞止めの他、「え?」「全然。」「だから。」「~かも。」など。
 そして<述語文>の比率は日本語が42.9%で韓国語が46.4%。韓国語の方が多いのはうなづける。google翻訳でも日本語で「いい天気ですね。」と打ち込むと韓国語では「날씨가 좋네요.(天気がいいですね。)」とちゃんと変換される。
 うなづけるといえば「日本語は韓国語より<発話の重なり>が多い」という点も同様。日本人と比べると韓国人の場合あまりあいづちを打たないので、日本人としてはちゃんと聞いてくれてるのか不安になるというのは、韓国のTVやラジオでの会話を聴いたりするとよくわかる。

 うーむ、またたくさん書きすぎてしまったなー・・・。


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12 コメント

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文法用語と蓋然性 (韓国語学習者)
2014-04-20 12:36:33
 「日本語とハングル」、私も読んでみたいと思います。
 私も韓国語の教科書で「文語体(ムノチェ)」とあるのを頭の中でそのまま日本語の「文語体」と置き換えてから、「あれ?」と思った記憶があります。
 「口語体」は日韓同じですが、「口語」との対比という意味では韓国語の「文語体」=文章語という方が分りやすい気がします。韓国語では「格式体」や「非格式体」という言い方もしますね。
 文法用語は日韓で異なるものが結構ありますね。「濃音」が「硬音」だったり、「受動」が「被動」だったり、「述語」も「叙述語」などなど。
 一番驚いたのは、日本では「存在詞」としている「イッタ」「オプタ」「ケシダ」が、韓国語教育の場では「形容詞」とされていることです。連体形(これも冠形形ですね)を作る場合などの変化形は明らかに形容詞ではなく、また動詞でもないのですが、「形容詞」として分類されると簡単に説明しづらそうなのですが。

 ところで文中の「蓋然性」ですが、私はこの言葉は英語のprobabilityに相当するという認識で、通常は「高い」「低い」「大きい」「小さい」という程度を表すものだと思っているため(一方「可能性」はpossibilityで、「ある」「ない」)、上の文中では「可能性」の方が適当かと思うのですけれども、いかがでしょうか? もっとも最近は「可能性」一辺倒で、特に日常会話で「蓋然性」という言葉を使う人はほとんどいませんけれども。
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文法用語、蓋然性等 (ヌルボ)
2014-04-20 13:42:47
韓国での文法用語は、これまで少ししか知らなかったのですが、この本でいろんな用語を知りました。日本の学校文法の「常識」から見ると首をかしげるor驚く例も・・・。

「probabilityは、実現性は possibility よりも強く、certainty よりは弱い」等は昔受験英語で教わりました。数学の教科書の確率の章で、「たしからしさ」という日本語に面食らったりもしました。私が蓋然性という言葉を使ったのは、本書の文章をほとんどそのまま用いたからです。たぶん「可能性は低い」と書くとほとんど否定というニュアンスになるので、客観的・中立的な蓋然性という言葉を意識的に選んだのではと思います。
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文法用語、蓋然性等 (韓国語学習者)
2014-04-20 20:33:09
 そうかとは思いましたが、蓋然性、著者に聞いてみないと分りませんね。
 形容詞では確かにcertain→probable→possibleという順だと思いますが、名詞だとまた意味合いが違うような気がしますけど。先程の繰り返しですが、可能性は有無、蓋然性は高低・大小ではないかと…。

 話は変りますが、アマゾンのレビュー、久々にアップされたようですね。
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可能性と蓋然性 (ヌルボ)
2014-04-20 23:12:56
再考して、「可能性は有無、蓋然性は高低・大小」ということを理解しました。(と思います。) 天気予報の降水確率というのは、区別していえば可能性でなく蓋然性ですね。
一般的には可能性が「高い」という言い方もしてますけどね。「彼が犯人である可能性が高い」とか・・・。
蓋然性という言葉を避けて、「奈良が韓国語のナラに由来するという可能性はほとんどないという見方が言語学的には一般的である」という書き方でもいいように思います。

アマゾンのレビュー、早々に気づかれましたか。せっかく長々と書いたことだし、ということで、ほとんどコピペという安直な作業で・・・。(笑)
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ヌルボさんへの感想もろもろ (ながと)
2014-05-05 16:20:21
原著を読んでないので この記事へのもろもろ書きますね。

私も、ハングルは文字名だから… と昔はこだわってましたが、今は、もっと大局的に(おおらかに?)捉えてます。そもそも、文字の名称とか 言語の名称を 何からつけるかというと、国名だったり民族名だったりするわけで、つまり太古の昔から、民族=国=言語 という漠然とした “概念” があって、例外を知りつつ、定義の難しさを知りつつ、今だにみんな漠然とそう思ってるのではないでしょうか。「ハングルサークル」と聞いて、だれも「ハングル」のサークルだとは思わず、韓国語のサークルと思うわけです。その証拠に、多くの文字名は、言語名や国名と一致してます。アラビア人・語・文字、タイ人・語・文字もその例。厳密さを求めようとすると、矛盾と限界にぶち当たるはずです。もう国名で「中国語」と呼べない!など。

さらに言うと、民族が違うから国も別にすべきで、言語も違う “はず” だとする社会通念で世界は動いています。ウクライナ対ロシア紛争もそれです。もともと境目のない方言どうし(東京と名古屋くらいか?)でしたが、ソ連がウクライナ“語”禁止措置をとったりして、互いに別の民族と感じ、ウクライナ“語”をできるだけロシア語から引き離す、つまり ロシア語とは違う単語や表現をあえてウクライナ標準語と制定するなどするわけです。まさに国=民族=言語なのです。クレポのピカ事件もこの文脈から説明がつきます。

「主語・動詞・目的語」 は、語順の話でよく使われる概念です。主語と目的語を 成分 とし、動詞だけを 品詞 と考えるのは、ある意味で間違いだと思います。ここでは動詞も文の成分と捉えることができないでしょうか(だとすると 動語 とすべきか? 用語はさておき)。とにかく、主・動・目 で語順を捉えると、人間の認知や言語の特質の面白い事実が見えてくるわけです。問題は用語かも知れませんね。

「アラビアではインド数字と」 を私も聞いたことがありますが、現地人に聞くとだれも「インド数字」という言い方を知りません。だからこれは都市伝説です。どっかの専門家はそう言ってるかも知れませんが、少なくとも多くの人は「アラビアでは・・言って」・・ません。

文盲率が低いのが何のお陰なのかについて、このような、文字自体、言語自体に答えを求めようとしてはいけません! 清朝末期に、漢字のような難しい古代文字を使っていては教育は普及せず先進国になれないと考えたりしましたが、中国も日本も香港も今は文盲率が高くないです。同じローマ字を使う国々で文盲率に差があります。反証がたくさんあります。文字や言語と文盲率は無関係です。

6番の「思ってることを書くのはだめだ」というのは著者の真意は分かりませんが、作文や著作全般のこととすると、本の主旨からはずれた脱線でしょうか。主語の明示・隠しのことだとすると、意味は分かりません。
ちなみに、主語を自在に明示したりしなかったりすることは、何も日本語や韓国語の専売特許でなく、世界の言語の大部分の特徴です。例外は、英仏独の3つのほかいくつかあるらしいです。

つらつらと
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これは長渡先生! (ヌルボ)
2014-05-05 20:33:17
多岐にわたって、示唆に富むご指摘ありがとうございます。

いろんな「思い込み」を排した事実に即した考察には、いつも新鮮な驚きを感じます。

<言語≠国≠民族>であるとしても、言語の呼称自体が国や民族をめぐるもろもろと密接不可分であることがよくわかりました。
また、文盲率の高低にについて、「言語自体に答えを求めようとしてはいけません!」というご指摘には「虚を突かれた」感じです。とはいうものの、近代国家の国語政策はそのような簡便化を前提に進められてきたのでは?とも思うのでず・・・。
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国語の簡便化 (ながと)
2014-05-05 23:36:26
近代国家の国語は、簡便化と煩雑化の綱引きで、結局、煩雑化が勝利していると見ることが可能です。簡便化は、国民全員に指令・法律を徹底させ、均一化するため同一言語を習得させる必要性からの発想で、 煩雑化は結局、既得権力者(とくに知的意味での上層階級)の権威の擁護からの発想です。
中国語もローマ字による簡便化を図ったのですが、既に識字者であった人々によりローマ字化は挫折し、ピンインは単なる発音記号になってしまいました。 ハングルは今だに発音どおりにかかれず、「です」の「エヨ」を eyo と書くと、無識だとバカにされます。 日本でも未曾有をミゾウユウと読んだと無識さを揶揄され、学生は必死に漢字を勉強し、「読めないと恥」な漢字といった本が売れます。 英語のつづりの改革は、タバコの Light が Lite になるなどいくつかの例をのぞき、結局なかったことになっています。
このように簡便化が頓挫しつつも、中国の識字率は上がったし、現代世界で最も煩雑な表記体系をもつ日本語は高い識字率を誇っています。

そもそも、識字率というのは、その国の標準語の能力を言うので、一律に比較するのは危険すぎます。アラブ圏ですと、そもそも母語がアラビア語でない人も相当数いるので、識字者になるにはまずアラビア語を習得し、そのうえで読み書きも学ぶという手順が必要です。タイでも、山岳民族は文字化もされていないので、高い教育をうけられず、町にも出ない人々は識字者になれないわけです。これに対して、韓国とか日本は、国民の100%(近く)が韓国語を話すので、識字率が高いのも当然です。

まぁ いずれにしても、煩雑な日本語表記でも識字率が高い、簡便なローマ字の英語の識字率が低いのですから、識字率の高低が文字によらないことの証明と言えるはずです。
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江戸時代の識字率等 (ヌルボ)
2014-05-06 00:14:35
江戸時代の日本の識字率が高かったことはいろんな本等で読みました。
その場合を考えると、たしかに文字自体の難しさ等よりも、商業経済が発達して、読み書きが庶民にも必要とされるようになったという事情の方が大きかったと言えますね。

多くの人が比較的容易に言語と文字を習得するにはエスペラントのように不規則な活用等がなく、発音そのままの文字表記が適しているわけですが、歴史的社会的背景を有する各国語の場合も多くの国民のことを考えると同様のことが言えると思います。
私が近代国家による国語表記の簡便化政策と書いたのも、たとえば漢字の簡略化や変態仮名の整理、言文一致体の普及、韓国でのハングル専用化等を念頭に置いたものです。
それらが必ずしも改革派の100%の勝利ではなかったにしても、保守派(煩雑化)の勝利とまで見るのはいかがなものかと思うのですが・・・。(しかし、法律用語をはじめとした専門用語を見るとなるほど既得権力者のためのものですね。)
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そうですね (ながと)
2014-05-06 10:59:24
そうですね、たしかに保守派の勝利ではないですね。 でも結局あまり簡便化されていないというのが実感です。

韓国・北朝鮮でハングル専用としたのは、必ずしも簡便化を狙ったものではなく、周辺諸国・諸民族との差別化を狙ったものではないでしょうか。そもそもハングル創製も 百姓の識字ではなく、契丹、西夏のように民族意識の発露。

また、言文一致という思想を、現在の言語状況と異なる文脈で見る必要があります。1つは「文」のほうが中国語であったということ、2つめは「言」が、標準日本語がない、ということです。つまり、国の標準語を制定し、それを言でも文でも標準とする。「話し言葉で書く」のではなく、むしろ「話すための書き言葉を作る」のが言文一致というわけです。

ちなみに、文法の簡略化を断行した国語はなさそうです。国語改革は まず文字、次に語彙のようです。オスマン崩壊前後の、アラビア語の標準語を作ったときも、文法の簡略化の主張はありましたが、ことごとく無視され、煩雑な文法は今も生きています。
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国語とか、民族・国家とか・・・ (ヌルボ)
2014-05-06 12:23:27
南北朝鮮による戦後のハングル専用化は、やはり民族主義の発露という性格が第一ですね。
中国の白話運動や、簡体字制定の意味等も考えてみたいと思います。(知識がないもので・・・。)

標準日本語の創製については、以前井上ひさし「国語元年」やイ・ヨンスク「「国語」という思想」でいろいろ知りました。言語と、国家・民族の間の相互作用は実に多様な側面があることを痛感しました。
いろいろとご教示下さってありがとうございます。今後もよろしく・・・。
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